深夜の動き
意識を失くしたシュラを囲んで見下ろすアシンとヘルラ、その側近。
『今夜は長くなりますな。王、我々は食事を取りに行きませんか』
朝が早いのだ、朝が来るまで夜通し拷問を続けるにしても 空腹には勝てない。
『そうだな。食後の楽しみとしよう。龍はこの男を逃がさぬように見張っておくが良い』
『承知』
ヘルラ王の言葉に、無表情のラーが応じる。
水を張った盥や、アシンの文官が持ち込んだ道具を残して ヘルラとアシン、側近が龍の城を出た。
どうやらシュラの荷物も検分するらしい、側近が持ちヘルラとアシンについて出ていく。
ギイギイと軋む音を立てて扉が閉まる。
残されたのは、ラーと横たわるシュラ。
「ラーが王に捕らわれて居る事を失念していた。迂闊だったな」
聞こえる程度の声でシュラが呟く。意識の遮断が上手く繋がったか、確認するために声に出した。
「シュラを逃がさぬように見張る。今の我に与えられた仕事だ。ヒムロの脱け殻で拵えた衣だな」
屈んでシュラの衣服を撫でる。
身を捩ってラーの姿を視界に入れないよう意識するシュラに、ラーが苦笑する。
立ち上がり左手で領辺りの髪を鋤くと、ヒムロの布が出る。スルリと纏い、黙ってシュラの視界まで歩き屈み直す。
「痛むか」
ラーと目が合い、戸惑って尋ねる。
「王の命令は?」
「シュラを逃がさぬように見張るだけだ。危害を加える命令は無い」
ふう。とため息を混ぜてラーが答える。
「意識を分離させていた。聴覚だけに集中し、痛みを伴う刺激を遮断しようと試みた。まだ上手くいかない」
ズキズキと痛む身体に、最悪の状態になってしまったと苦い顔で話す。
「いや、最悪ではないぞ」
ラーがヒムロとのやり取りをシュラに伝えた。
謁見の間から窓 硝子を見ても、何も変化が無かった事でヒムロの安否も気掛かりだったシュラは安堵する。
同時に朝陽さえ出れば、ラーも解放されるのだ。
「アヤメとヒムロは一緒に居るのなら、特に心配する必要は無かったな。しかし、朝までこれが続くのか……」
逃げ出すことはできない。相手はラーだ、見た目が麗しく可憐でも、神の戦闘力には敵わない。サラと手合せした時に痛感している。
ヘルラとアシンが戻れば、苛烈にいたぶられるのは 火を見るより明らかだ。
「この幼体の脱け殻には、強い護がある。離すなよ」
「鎧の代わりだとヒムロからも聞いている。この衣でアシンとヘルラを包めれば楽に済むだろうに」
謁見の間に通される前に トレザで作って置いた王の衣装は、献上品として入口の見張りをする騎士に渡した。すぐに文官の手に渡り、ヘルラに着せる事はなかった。
今頃はシュラの荷物と一緒に検分されているのだろう。
「治癒を施す事ぐらいなら我にも可能だが、どうする?」
「それは助かる。衣服で見えない所だけでいい」
「そうだな。いくら頑丈なシュラでも、あの状態で朝までは長い。治癒を施した後は少しでも休むといい」
「そうさせて貰う」
酷い苦痛から解放されたシュラは、短い時間だが睡眠に落ちる。思考だけが覚醒していて、体の休息とは裏腹にヘルラとアシンがここ数年でセトラナダに起こした事を推測する。
アシンの口から拷問が趣味だと聞いた覚えがある。
まだ幼少だったシュラが別の貴族ゾーベに売られた時に直接アシンから言われてゾッとした事を思い出す。
人を切り刻み、事故で失くした腕や足に罪なき刻まれた遺体の腕を付ける。上手くいくまで、何度も試したはずだ。奇跡の治療には、減らされた貴族が犠牲者となったのだろうか。
アヤメはヘルラが主に龍の研究をしていたと言っていた。歴史を深く知る為には、古語にも精通しているはずだ。城の中には結界に似た効力を発動する何かが 多く仕掛けられている。それに祝詞の歌にヘルラに都合の良い古語の歌詞を加えたのも、アシンよりもヘルラの仕事だろう。
それよりも、脱出する方法を考えて置かなければ。
今も天井裏は、知られていないだろう。
「シュラ、アシンと側近がこちらに向かっている」
ドクンと心臓が嫌な音を立てる。
シュルと布が動く音、ラーがヒムロの布を身体からほどいて領辺りに隠す。
間もなく扉が軋む音と
「龍、王が苦しんで動けぬ。助けに行け」
アシンが叫ぶ。
「我は王の命令に従うのみ。王が我に直接言うまで動けぬ。これを見張る仕事を言い付けられて居るのでな」
ラーはアシンの命令では動こうとしない。
「ヘルラ様はシュラの服と同じ素材の衣装に袖を通した途端に、声を上げて動けなくなってるのだぞ」
「王とも有ろうお方が迂闊に動くからであろう。我は王との契約でのみ動く」
アシンは それでもラーを連れ出そうと問答を続けるが、埒が明かないと覚ったのか側近を連れて出ていく。
「少しばかり時間が稼げたな、さてヘルラがどのような現れ方をするか楽しみだ」
急いでいたのだろう、アシンと側近が通った扉は開け放したままだ。
タタジク領主の城の図書室に通されて 目的の本を見付けたユタとルフトは、木札に目についた文字を書き写している。その間にバムはルフトから覚えておくように渡された木札に目を通して呟く。
「この二人みたいに集中できない」
ユタは薬草の保存方法が乾燥させるだけではない上に 薬効成分に変化がありそうな記述を書き写し、ルフトは歴代領主の名前と主な功績を書き写す。
かなり夢中で本と木札に集中し続けていた所で、一区切り着いたユタが顔を上げる。家に戻ってから試したい事で頭がいっぱいのユタは、実に満足そうだ。
隣のルフトも一通り書き写した様子で顔を上げる。
「晩餐会の会場にご案内しますね」
アギルがユタとラージャに声をかけ、ルフトは本と木札を手早く片付け始めた。バムがルフトとユタの本と木札は任せて欲しいと、本を元の本棚に戻す作業を引き受ける。
晩餐会の会場では既に領主ストラークと息子トーナが入口で跪いているのが廊下に出たとたんに見える。
「アギルから報告されるまで先頭班の侵略と取れる行為に気付かなかった不手際を、どうかお許しいただきたい」
ストラークの挨拶にラージャは「フム」と、ユタは大量の火薬を入手したことで満足していたのと、被害は出なかったので「気にしないでください」と応じる。
ルフトは立場上ユタに何も言わないが、不満そうだ。
入口で話し込むよりは、食事しながらと先に席へ案内される。
静かに音楽の演奏が始まった。
ラージャは上座の席で、窓側のラージャの近くにユタ、向かい合ってルフト。ユタの隣にトーナが座り、ルフトの隣にはストラークだ。
アギルとバムはストラークの執務室に軽食が用意されていると、主賓が着席次第退出する。トレザの火薬捜査に協力するためでもある。
ラージャの席の周りに見目麗しい若い男女が花を持ち、洒落た肌着のような姿で跪いた。
「ラージャ様には別室も整えてございますので、頃合いを見計らってご案内致します」
先程 ラージャに質問した側仕えが酒を注ぎ入れながらラージャに伝える。
「別の部屋とは?」
「人をお好みと伺いまして、とりあえず揃えさせていただきました」
四人は顔を上げる。
「ふむ、では我の隣に席を設け、食事を共に取るが良い。ルフトは思う所がありそうだが」
「夜伽のお相手ではありませんか?」
ルフトが言えばストラークが頷く。
「交尾の相手を求めた覚えは無いが」
「ラージャ様、動物のように例えるなんて 駄目ですよ」
ユタがすかさずラージャの言葉を嗜める。
「それはすまなかった。其人ら、我の伴侶は既に居るのでな、腹を満たしたら下がって良いぞ」
人を好むのは、それらの「気」だと伝えると、四人は下がるよう立ち上がる。しかしせっかく居合わせたのだから食事をしたら帰って良いとラージャ言われた四人にもラージャの両隣に、向かい合って二脚用意された椅子に座る。
「ユタ殿がラージャ様を叱ると聞いた事がありましたが、実際に見ると驚きますな」
「我は人の常識に疎いのでな。助言は誤解の無いうちに有ると助かるのだ。ユタの助言が無ければ、人の思う命の価値すら我と異なる事実を見誤る」
皆が席に落ち着いた所で全員のグラスに酒が注がれた。ストラークがグラスを手に立ち上がり
「この度は、タタジクに龍神ラージャ様をお迎えできた事、とうに失われたと思われていたトレザの領主ユタ殿もお迎えできた事、乾上がったタタジクに潤いを届けて下さった事に領民を代表して感謝 致します」
「晩餐会が遅い時間になってしまい、申し訳ない。一部の領民が不本意な行動を起した事は遺憾でありますが 即刻 対処致しますので、どうぞ おくつろぎ下さい」
トーナも立ち上がって続ける。
乾杯して、早速給仕される食事をルフトが手に付ける。ユタは正面のルフトを真似して食べる。ラージャは目を細めて酒を眺めるだけだ。
急遽招かれた四人は、少々居たたまれない様子で、急いで食べて席を立とうと静かに奮闘する。
「トーナ、いやストラークが音楽を選択しているのか?」
ふとラージャが尋ねる。
「父上の演奏隊がございます。常に来賓を持成し、兵士を鼓舞し、領民の前に立つ時にあらゆる曲を使い分けております」
「なるほど。出迎えられた時といい、出兵の勇ましき音といい、心の方向性を誘導する技術に長けて居ると感心する。それに、今流れる音も心地好い」
ラージャの細めた目が笑みの形になる。
「お褒めの言葉を賜り、恐悦至極にございます」
話し合うべき事は沢山ある。
しかし遅い時間の食事と程好い酒に、早々に四人の男女が席を立つと、間もなくユタもボンヤリした表情になる。普段からあまり飲酒しないせいでもあるのだが、食後は寝室に通されて軽く湯浴みを済ませ、寝心地の良い寝台に入ると深い眠りに落ちた。
朝早くから初めての旅路で心身共に疲労困憊なのだ。
ルフトも微酔い加減だが、ストラークに直接話せる機会は活かさなければと寝台の脇にある小机で書き物を始める。
アギルとバムは、火薬を調達した犯人の特定をする為に、医務室に運ばれた同僚から詳しい話を聞き出す為に、それに兵士の宿舎には自室のあるアギルと共に仮眠室もあるので客室には戻らない。
眠る事の無いラージャに、ルフトがポツリと聞く。
「シュラとアヤメの状況は、ラージャには解るのか?」
砂漠地帯に水路と道が出来たのだから、旅商人を始め多くの旅人が利用するのは想像つく。
貯水池の水量に合わせて、流す水の量を取決める必要も当然ながら、今後の利用者がいかに流通を進められるか、トレザとの今後の関係性等々の決めておくべき話は多い。そしてルフトの利益にも繋がる内容にしていく為に、頭をひねる。
「アヤメは、ヒムロと共に安全な所で待機しているようだが。シュラは痛覚を遮断するほどの出来事に見舞われている」
ずっとペンを走らせていたルフトの手が止まる。
「何が起きている?」
「昼過ぎに王と面会したようだ。アヤメは母親と再開を果たした」
「シュラは」
ルフトの質問に、ラージャはセトラナダの方を向いて
「我の分身体と共に、通信手段の遮断された空間に居るようでな、詳しくは解らぬ。歯痒いものだ」
ラージャにも状況は掴めないと言われてルフトの思考も止まる。
離れていても、何かしら手助けできていると疑わなかったから余計だ。ふう。と声に出してため息を着いた。
「案ずるな。ルフトに会う前から、あらゆる策をこうじてきた。朝になれば事は変わる。善き方向へな」
「絶対にと、言い切れるのか?」
ラージャは黙って目を閉じた。肯定するでもなく、否定でもない。
「人は夜には休むものであろう。眠るが良い」
ユタは寝台でぐっすりだ。敷き藁の感触もない、心地好く身体の沈む寝台に感嘆の言葉を呟きながら眠りに着いたのを思いだしてルフトは苦笑する。
ユタの家では、寝台には藁を使っているのだ。柔らかいが、寝返りする度にゴソゴソと藁特有の音がする。
「眠れる訳ないだろう。ユタと違って、俺の普段使う寝台とこれの造りは同じだぞ。そこまで感動も出来ない。ああそうだ、領主と曲の話をしてただろう。何かあるのか?」
シュラが気掛かりで目が冴えたとは、直接 言わない。
「特別に何かと言う訳ではないのだが」
音の振動は、心を動かす助力になっていると話す。
シュラの安否が気になって、書き物に集中できない上に眠れないルフトは ラージャの説明に耳を傾ける。
人の体には脈打つ振動があり、生き物の全てが静かに脈打つこと。しかし、生き物以外の岩や鉱物にも特定の振動があり、少なからず人や生き物は振動の影響を受ける。
曲と言う形で心に働き掛ける振動は、其を聞く者にも影響を与える為に、同じ言葉を使っても聞く相手の心まで響く言葉に変える力を見受けられると言う。
「ストラークは人心掌握に上手く音楽を使っているってことか?」
「そのようだな。意図している様子は無かったが、音を用いて人の心を導く能力には長けている。ユタも見倣うと良いのだが、どうも草と戯れる方が好みのようだ」
ラージャが言う草とは 薬草の事だろうが、確かに薬草の扱いには興味を示すのをルフトも良く知っている。
「ところで、振動は理解出来たか?」
「あ、いや……馬車の中で太鼓の音を聞いた時は、ビリビリした感じだったから。でかい音だけなら、なんとなく な」
ラージャから振動の説明が詳しく始まると、さすがにルフトの理解は追い付かない。
更に興味を示していた映像の仕組みも語り始めるので、すっかり参ってしまい 寝台に体を伸ばすと 間もなく眠りについた。
トレザの広場では、剣舞の途中で現れたサラと 闇夜に開いた炎の花が 話題の中心になっている。
「ここでラージャの好む酒は、全員に振る舞える量を造れないのを 御存知かしら?」
そしてサラが声を出せば、誰もがタタジクから届けられている事実を察する。極少量だけの酒は以前から造り続けて来たのだが、量産に移行したのは祭りが始まった頃だ。元々酒を飲む習慣も無かったが、今では当然のように広場で酒も飲める。
工具も珍しい形でありながら、使い勝手の良い物が増えているのも タタジクから運び込まれた物が増えたからなのだ。
文房具も必要に応じて次々と新しい物が入手できている。
拒むばかりで、それでいて届いた物品は便利に使う一方だが、祭りに便乗した ただの横取りではないだろうか。
ざわざわと互いに現状を話す。
「兵士を探せ。広場なら明るいだろ」
兵士を広場に呼び出そうと、皆が動き出した。
湖で大きな袋に水を入れているのを見たと言う証言や、広場に来る途中で勢い良く走る姿を目撃したと、案外すぐに兵士の居場所の目処が立つ。
手分けして兵士たちを探しに男たちと剣舞の練習をしていた女たちが散った。広場に残った女たちは、万が一に備えて待機だ。戦闘になる事は無くても、やはり力で押し負ける。
「待っているだけでは、手持ち無沙汰よね。さっきタタジクから届いた物の確認していたのよ、送り主はトーナね。あの」
リリの「あの」で、周りの苦い顔は隠せない。
待機組にはリリも居る。リリも剣舞の練習はやっているが、やはり統率できる者も残るべきと 無理やり残された。
リリは元々報告を口頭で受けてユタに伝言していたぐらいなので、記憶力は良い。昼過ぎから目を通していた、ルフトが記入していた金額もほぼ覚えている。
ただ、いきなり金額の話は混乱すると予想して、まだ割り振られてない品物を伝え始めた。
「なあリリ、あたしたちで美味しく酒を飲んじまって、他にも色々と便利な物がありそうだけどさ、怪我したのはトトだしねえ」
兵士の世話まで任せきりだと、皆が揃って言う。
あまり兵士たちと関わりたくないのだ。
「あら、バムはユタの手伝いをしてくれてるのよ。最近は、かなり任せているの」
信じられないと口々に言うが、朝の洞窟へ蜜の採取に向かった皆は知っている。直接酷い言葉をバムに言った経験があるだけに黙る。
ユタやリリが、安心して管理を任せていた事は 薄々気付いて いたが、突然転がり込んで来た余所者にユタとリリの信頼まで奪われたようでやっかんでいたのだ。
神々も語った「奪う」行為をしているように思えてリリに責任を「押し付け」ているようで、次第に口数が減っていく。
「あのさ、あたしたちに手伝える事はあるかい?」
一人が聞くと、
「そうね。無理にやって貰うつもりは無いけど、ここに集まって来るタタジクの人には、すぐに出て行けなんて言わないでくれるかしら?」
バムに対してトレザの民が冷たい言葉を浴びせていたのは知っていたのだ。夜明け前の採取に向かう時には必ずユタの家でバムに会う。
ユタやリリに会いたいのに対応するのがバムでは、朝から文句を言う民ばかりなのだが、聞こえていながら あえて止めなかった。
少しずつ自然にトレザに受け入れられれば良いとバムが言ったから、とリリが話す。
少しばかり気まずい空気になったので、リリが続ける。
「シュラとアヤメがね 他の土地がどんな感じか話してくれると、まるで子供の作り話みたいに信じられないことばかりだったの。だけどバムもタタジクや、他の領地も知っているでしょ?」
例えば六階建ての宿屋。隣接する高い建築物。屋根の着いた荷車等々、トレザに無い物が実際に存在すると丁寧に説明するのがバムだったと。
珍しい道具もタタジクや他の土地には多く、争うよりは交流して互いに利点を伸ばせる方が良いように感じていることを話す。
リリが話す内容に耳を傾けながら、頑なに拒んでいた周りの女たちは、炎の花を思い出しつつムウの絵を見る。
ガヤガヤと数人の男たちがタタジクの兵士を連れて来た。兵士は二人、男たちの人数は十倍以上だ。大きな袋を背負った兵士たちを置いて、男たちは別の所に加勢に向かう。
兵士たちは覚悟したように見えるが、少し怯えた雰囲気でサラの前で荷物を下ろして座る。
「ようこそタタジクの皆さん。トレザの民は、貴方たちを歓迎します」
舞台上から微笑んで見下ろすサラに、兵士たちは顔色を無くして脱力する。
他にも数人ずつ広場に集まる兵士、まだ広場に来ていない兵士の居場所は、サラが細かく伝える。トレザの土地から砂漠の水路付近、タタジクの貯水池までならサラも誰がどの辺りに居るのか熟知していると語る。
土地神であるサラの神力は、トレザから流れ出す水の恩恵が届く範囲に通じるのだ。
半数以上の兵士が広場に集められ、血の気が失せた顔で一ヶ所にまとめられている。しかし副班長率いる崖付近で待機していた兵士たちには、連れて来るのに手こずっていると報告がある。
軽い乱闘騒ぎになっていると言うのだ。
「そのようね。わたくしが直接向かいます。貴方たちは、おとなしくお待ちなさい」
兵士たちにも微笑んだサラが広場の舞台上から消えた。同時に崖で乱闘している中に割り込む。
爆破失敗と 間もなく現れたトレザの男衆に囲まれ、副班長は一人でも多くの兵士を逃がそうと昇降機に向かわせた。しかしトレザの男は徐々に増える上に、昇降機と下りやすい崖は押さえられた。
逃げ道が塞がれれば、包囲を突破するのみ。
副班長の戦闘力はアギルより高い。戦力だけで考えれば充分 班長に昇格出来る実力だ。たまたまアギルが神ラージャと懇意にしていたから班長に抜擢されただけだと、本人も言っていた。
遅れて駆け付けたパウゾと副班長が向かい合う。
「以前見た剣舞でずっと手合わせしたいと思っていたのだ。願ってもない機会、活かさずに兵士とはいえまい」
剣を抜いて正面で構える。
「いや、俺は手合わせなんて勘弁してくれ」
そもそも丸腰だ、ついでに本気で逃げ腰のパウゾの前に剣が落ちてきた。
「ひぇえっ」
飛んで後退るパウゾに、
「受け取れ、部下の好意を無駄にするな」
好意より悪意じゃあないのか?とぶつぶつ言いながら、恐る恐る落ちた剣に手を伸ばす。
副班長を視線で捕えたまま、隙あらば逃げ出すつもりで構える。
元々狩猟で鍛え上げた体躯だ、獲物を前にする時と同じ体制で副班長と向かい合う。
「パウゾ、剣舞の続きか?」その声に安堵したのか、斬りかかって来た副班長の剣を剣でかわす。
剣舞のつもりで対応したものの、相手が本気なのはわかる。手負いの獣と同様で危険な相手だ。
手負いの獣よりも厄介なのは、トドメを挿せないと言うこと。当然パウゾから攻撃するつもりは無い。
一方的に斬りかかって来る剣をひたすら剣で受ける。ただ太刀筋を見るのに精一杯で、剣で受けるだけでも次第に息が上がる。
周りからは野次とも声援ともつかない掛け声も上がるが、やり返せる余裕は微塵もないのだ。
逃げる隙もなく、このまま長引けばパウゾの負けは確定だ。
その時サラが副班長の手から剣を取った。
突然現れた上に、両手でしっかり握っていたはずの剣がサラの手にあり、パウゾが持っていた剣は持ち主の兵士の手に戻っている。
目で追えない速さで何かが起きていたのは、居合わせた皆も漠然と理解できたようだ。
「タタジクの皆さん。広場でトレザの民が待っていましてよ」
柔和に微笑むサラに 兵士たちは「逃げられない」と覚り、副班長を先頭におとなしく広場へ向かう。
優雅に歩くサラは意外と早く、トレザの民は弾むような小走りなのに対してタタジクの兵士たちは隊列を崩さず同じ足並みで走る。
ロアルの酒蔵では、食堂に集まる従業員が貴族アシンの話題で盛上がっていたが、ヒムロだけが浮かない顔だ。
アヤメは食事が済んで目が重くなってきたようだ。
「アヤメちゃん、シュラから譲って貰った蜜と眠気覚ましの茶が、もう無イんだ。後でシュラに金を払うから、ここの従業員の分も貰えるだろうか」
ロアルに言われて良い返事をして部屋に行く。
『アヤメ様に聞かれたくない話しなんだろう?ヒムロ様』
ロアルが訪ねる。
『わたしはぁ、アシン嫌いよぅ』
嫌いと言いながらコアは微笑んだままだ。
「実はのう、龍の城へ先に行ったじゃろ?たまたま地下室に行けたので見たのじゃ。人であった者の異形となった遺体を」
ヒムロの言葉がわからない従業員は、相変わらずの表情だが、ロアルと従業員の一部は表情を変える。
「コア様の所と同じ?」
あまり多くに報せたくないであろうロアルは、あえてセトラナダの言葉を使わない。
「いや、正しく異形であった。背鰭や龍の腕、肩から龍の角を生やした遺体もあったのう」
人の形を保ててなかったと伝える。
龍の城でラーから知らされた内容は、始めは臓器を人と交換する実験だった。当然 麻酔も無しに臓器を出せば痛みで気絶する。そのうち失血して魂が体から離れて行く。
龍の臓器をあてがった所で蘇生することも無く、次第に手足の移植や皮膚の移植の為に人を実験に使っていた。
大勢居るのだ、実験と称して惨殺された国民が。
「ロアルさん、お待たせ。アタシも必要だよね、お母様と一緒に居られる時間に眠っちゃうなんて勿体ないもん」
従業員と一緒に人数分の湯飲みを用意して、茶を入れて行く。そして蜜を少量。
緊迫した空気がアヤメの言葉でやわらいだ。
『セトラナダの姫君が、ご自分でお茶を入れるなんて。誰も想像しないだろうな』
苦笑するロアルに、セトラナダの言葉しか理解出来ずに困惑していた従業員も安心した顔になる。
ロアルやヒムロ、他の従業員にも茶を配る中でコアとアヤメの分はアヤメが直接持って行く。
『お母様、お茶なら飲めるかしら』
『もちろんよぅ、アヤメが入れてくれたんだものぅ』
嬉しそうに受け取って、しばらく眺めてから湯飲みを口に運ぶ。
食事しなかったコアの行動に皆が注目する。
一口飲んだコアは、アヤメの頭を撫でながら胸に引き寄せる。
『お母様?』
コアの両目から涙が溢れている。
『アヤメ、抱き締めていても良いかしら?』
ハッキリと喋った後に、残りの茶を一気に流し込む。
『熱いですよ』
『大丈夫。口の中の火傷ぐらい、すぐに治るわ。それよりも、今まで守ってあげられなくてごめんなさいね。生きて帰って来てくれてありがとう』
「正気に戻ったのじゃな?」
『いいえ、きっと正気ではありません。ヘルラとアシンを、わたくしの手で殺したいもの』
「ならば正気じゃ。危害を加え続けた相手に対する本来の心の在り方ではないか」
コアの側近や、助けようと働きかけた貴族まで死に追いやった相手だ。殺したいほど憎んでも正気だとヒムロは平然と言う。
毅然とした声で地下牢へ追いやられた頃からを語る。
ロアルとヒムロが言った通り、膨大な執務書類を整理するだけで苦しみから解放されたと思い込んでいた時期があったと苦笑して流暢に話し始めた。
光の花から採取した蜜が、一時的にコアを正気に戻したようだ。
コアの筆跡に気付いた文官が向かい合う地下牢へ連行された時は、絶望感と同時に外に通じる望みをかけられると知った。
ヘルラとアシンが連れ立って、第一夫人の座をくれてやると数日置きに面会に来ていたことは、相変わらず不愉快だったと。
コアの父親である前王の署名まで持って現れるヘルラに、怒りを通り越して呆れたと。
相変わらず届けられる執務書類に、向かい合う牢の文官とは対話が可能だ。次第に暗号化した内容を混ぜ込み、それまで通り 書類は外に届けられた。
時間がわからない地下牢では、執務書類の日付と一日の二回の食事が運ばれる時間だけが頼りになる。
何年もかけて、確実に見方を増やして行った。
暗号に気付く素振りの無いヘルラとアシン。
慎重に。信頼できる相手を探る。
脱出可能な状況が次第に整い、あとは実行に移すだけとなる。
そんなある日。
ヘルラとアシンが側近の他に騎士を大勢連れて地下牢へやって来た。手足を拘束された貴族を四人連れて。
何事かと身構えていたコアと二人の側近は、たちまち騎士の手で拘束された。牢の中でありながら拘束とは、さすがに計画が漏れたと覚りながらも抵抗せずに成り行きを見守る事にした。
向かい合う牢の文官も拘束された上で、壁と鉄格子が取り外されて行く。
『コア様の優秀な側近は、お返ししなければなりませんから』
アシンが騎士に連れて来られた貴族をコアの前に突き飛ばす。
『コアに対する忠誠心を砕くのに、案外手間取ってな。まあ、コアを逃がす前に判明したのだ 良い余興だったぞ』
ヘルラが楽しそうに笑う。
少し広くなった牢に全員が同じ部屋で過ごす事になった事実を知らされた。
新たに連れて来られた貴族は『コア様、誠に申し訳ございません』と苦し気に呻く。
『まあ、コアを連れ出す算段を全て話したのでな。褒美として 殺さずに ここまで連れて来てやったのだ』
壁と鉄格子の撤去が終わり、外した資材を運び出しながら大勢いたヘルラ周辺の人は減る。
『さて、コアを裏切った者達だ。今後は同室で 過ごし、怨みつらみを語って聞かせてやると良い』
コアだけが拘束を解かれた。ヘルラとアシンの間に立たされた四人の前に毅然と歩み寄る。
『そうですわね。わたくしも思う所がございます』
まずアシンの前に立ち睨み、一人ずつ顔を見てヘルラの前で立ち止まる。
コアがヘルラの頬に平手打ちを放った。パチンと小気味良い音が響き、皆が注目する。
『何をする』
『わたくしの気持ちを伝える一番良い方法と思いましたので。ここに連れて来られた貴族たちは、悪くないのですもの』
理路整然と語るコアにヘルラは痛み出した左の頬を擦りながら
『王に手をあげるなど』
『わたくし、認めておりませんわ』
『ふん。龍の加護があろうと、牢から出られぬうちは何も出来ぬ』
地下牢周辺は龍にも探知出来ない結界に似た護符をヘルラが作成したと誇らしげに言う。
『所詮、擬物の能力でしょうに。いつまでも龍神の力を操れるなどと、傲らないことね』
力強く言い放つコアに何も言い返せず、ヘルラはアシンと側近を連れて地下牢を後にする。
『申し訳ございません』
泣き崩れた四人を見て
『謝ったり後悔する暇があるなら、次の方法を考えましょう。酷い事をされたのではなくて?』
コアの言葉に四人は言い淀む。
『あなたたちが落ち着いてから、話せる内容だけでいいわ。無理には聞きません』
徐々に語られた内容は、やはりアシンに家族ごと捕えられたと言う。妻 或いは夫や子供、親が目の前で指を一本ずつ切断されて行く。やがて四肢切断による失血で魂が体から離れるまで、気絶しても無理矢理 意識を回復させる。
悲鳴を聞きながら優雅に酒を飲むアシンは、全て話したら楽にしてやると笑っていたそうだ。
『お父様に助力を願うのは、失敗でしたね。どうやらヘルラに筒抜けですもの。反ってあなた方とご家族を巻き込んでしまってごめんなさい』
コアは父親である前王がヘルラと懇意にしていた事を思い出した。夫であったウェルより親しげだったのだ。ヘルラは龍の研究として無難な内容しかコアの父親に伝えていないのも、不審に思っていたと言うのに。
閲覧ありがとうございます。
ヤバいです。
時間が自由にならないのは何故でしょう。
湯水の如く溢れる才能を切望。
いや、所詮凡才の趣味ですよ。
お付き合い下さっている貴方に深く感謝し、
凡才なりにがんばる所存であります。
温かく見守って下さり、本当にありがとうございます。




