それぞれの対応
皆が謁見の最中のバルコニーでは。
見張りの騎士が立ったままの姿勢で、冷たい汗に震えていた。
バルコニーに立つ二人の騎士は 謁見の間からも良く見えるが、大通りからも丸見えなのだ。日中の明るい時間に二人を倒すだけなら今のヒムロなら簡単だ。しかし不審に思う他の騎士がバルコニーに増えてしまう。
「動いたら、全身が凍ってしまうのじゃ。鎧だけを凍らせるのは難しいのじゃよ」
ヒムロは出来るだけ優しく話し掛け、体まで凍らせないように注意しながら汚れた紋様を洗い流している。本来の図柄が赤黒い血の染みで見えない為に、このまま重ねる気分ではなかったのだ。
しかし、ある程度なら自在に操れる水や氷にも五年に渡る汚れを綺麗にするのは難しい。それでも多少なりとも綺麗になった所で一気に布地を広げる。
チラリと室内の様子を見ても、相変わらず王と側近らしき者が窓の方を向いているだけで、シュラとアヤメは跪いたままで何やら王と対話している。
ピッと布地を広げてシワを伸ばし 楔を打ち付けて、引き抜き難いように柄を切り落とす。
騎士の交代要員がバルコニーに来る時間は、四時。謁見の終わりと同時に騎士が入れ替わると事前に聞いていた。
「おかしいのう、紋様を張り替えたと言うのに、何の変化も起きぬ」
方角も正しい向きに設置した筈の紋様は、覆い隠した紋様の効力に影響していない様子なのだ。
スッとラーの意識が届く。
「上手く張り替えたではないか」
「しかし起動せんのじゃ」
「仕方あるまいよ。覆い隠したとはいえ、多くの血で力を持った紋様だ。新しい朝の光に当たれば、今度こそ正しく起動する」
「そうなのか?しかし私は紋様の汚れを落としたのじゃ」
「勿論、表面の汚れが清められたから こそ、歪められた力を沈静化させているのだ。裏にも刺繍の効力を考えて置けば良かったな」
直接 元の紋様に触れる部分にも 同じ刺繍がされていれば、今の時点で効力は発動できた かもしれないと、ラーの意識が話す。
「明日の朝では、アヤメが危険じゃ。今すぐに起動させる方法は無いものか」
「そう急くな。アヤメの舞いに、ヘルラも納得している」
窓の中に目を向けると、アヤメが踊る姿を玉座の男がギョロギョロした目で満足そうに眺めている。
「あのギョロギョロ目玉が怖いのじゃ」
クスリとラーが意識の先で笑う。侮蔑の隠った笑みだ。
すぐにラーとの通信を止める。玉座の近くに立つ恰幅の良い貴族は、どうやら勘が良いらしい。バルコニーのヒムロを探すように目を凝らすが、硝子に施した細工までは見破れて無いようだ。
シュラが騎士に囲まれて、大怪我をさせぬように注意しながら剣を奪う遊びを始めた。
紋様の張り替えは終わった事だし、少しばかりシュラの運動に交ざりたくて疼く。
「その前に、騎士を何とかせぬと いかんのう」
凍らせた鎧を常温に戻しながら、視界に入る床の図柄の違和感を記憶から消す。さじ加減を間違えれば、ただの記憶喪失になってしまう為に注意は必要だ。
交代の時間が来たようで、窓をそっと開けた騎士がバルコニーに踏み込む時にも同じ事を施した。
「よし、私もちと運動させて貰おうかのう」
騎士の記憶も少しばかり修正したヒムロは、謁見の間に戻りシュラの剣舞が終わっていた事に愕然とする。
タタジクの使節団が退席する準備をする中、アヤメの衣装にスルスルと忍び込んだ。
「アヤメ、朝陽に触れれば紋様が起動するのじゃ」
こっそり伝えると、アヤメの意見が通り 昼間にアヤメを発表する予定が朝に変更された。
シュラはヒムロに気付かぬ上に、窓の外を見ても以前と変化の無いバルコニーに気落ちしたままヘルラに連れて行かれてしまった。
アヤメの衣装に隠れたまま、ヒムロがチヌの鞄に忍び込む。アヤメは鞄のふたを少し緩めた。
ヒムロは大勢の大人に囲まれて歩くアヤメの振動を、チヌと黙って体感しながら 大人たちの対話に耳を傾ける。
『本当にコア様に会わせて良いのか?』
『まあ、明日の朝にはアヤメ様を国民に報せるのだ。約束を守れぬ王と言われても困るだろう』
『しかし、あそこに連れて行くのは……なぁ』
『コア様を連れ出すのも後免ですよ』
アヤメが手に持った鞄に力を込める。
文官らしき大人からは腰掛けて、待機するように言われる。どこかの部屋に通された様子は 鞄の中ではわからない為に、ヒムロはアヤメのヒラヒラした布地に隠れながら、アヤメの襟元に場所を移した。チヌは眠っていてもアヤメの思考だけなら共有している。
龍としては幼体であり、アヤメの血を使って刺繍した図柄がヒムロの力をほぼ取り戻させた。完全ではないものの、数日は人の子供程度しかない体力で過ごしたのだ、王城に入る前に 今の状態である事は、とても良い案配なのだ。
腰掛けたアヤメの周りに立つ大人は左右に一人ずつ、後方に二人。これは騎士だと思われる。部屋はユタの家がすっぽり入るぐらいの広さで、文官らしき大人たちは書類を持って出入りしている。
『ご病気なのでしょうか?』
アヤメの呟きは 周りの大人にも聞こえた筈だが、返答は無い。
文官らしき大人が一人、アヤメの前に出て
『明日の朝に簡易的とはいえ儀式を行う事になりました。急な時間の変更で、文官の手が足りず……もうしばらくお待ちください』
アヤメは黙って首を縦に振る。
他には直接アヤメに話し掛ける大人がいない。
座っていても背筋は伸ばして膝を揃え、鞄を抱き締めたまま視線は膝より少し先。人前で座る時の姿勢を教えられた通りに保って、誰かの言葉を待つ。
しばらくすると、側仕えらしい大人が熱い茶と茶菓子をアヤメの前に置いて行く。
しかし、茶が冷めてもアヤメは手を付けない。シュラのいない所で 他人から出された食べ物には、警戒しているのだ。
もしも以前のように眠ってしまったら、母親に会う機会を失くす不安もある。
じっと座り続けるアヤメと、身動きせずに周りの大人の動きに目を光らせるヒムロ。アヤメの為に付けられた護衛というよりは、アヤメが逃げ出さない為に見張りの為に付けられた騎士たちも、動かない。
廊下では大人が走る足音が騒がしい。
アシンとヘルラが向かう先は、王城から繋がる龍の城だった。
『まさかタタジクの使節団から望外な届け物があるとはな。アヤメが手に入れば 何もかもが思い通りではないか』
ヘルラが話す。
『ヘルラ様、タタジクへの対応は どう変更なさる おつもりですか?』
『私は考えておくと言っただけだ。変更するなど、有り得ぬだろうよ』
アシンより頭ひとつ背の低いヘルラが高い声で笑う。独特で耳障りな笑い声に、シュラは耳を塞ぐ事もできずに静かになるのを待つ。
龍の城は 全く手入れがされて無い状態で、廊下は歩いた足跡が判別できるほど埃が積ったままだ。
ギイギイと軋む音を立てて大きな扉を開く。まだ廊下が続いている先の大きな扉が、ラーに会った部屋に繋がっている。やはりギイギイと耳障りな音を立てて扉を開ける。
良く磨かれた床には、皆の姿が映る。
『龍よ』
ヘルラが呼ぶと、ラーが何も纏わない姿で現れた。
アシンの連れた文官が手早く幾つもの道具を準備している。
『さてシュラは採寸からだな、明日に向けて恥ずかしくない程度の衣装が必要だ。国民の前に出すのだからな』
警戒したまま 付いて来たシュラは、本当に採寸の道具を並べられて拍子抜ける。ラーも目の前に居て少し安心したのもある。
文官に言われるままシュラが無防備に両手を広げると、アシンが手首に針を突き刺した。
「何をする」
抵抗しようと腕を振り払うが、あっという間に腕から痺れて徐々に体の自由が利かなくなってくる。
次第に呼吸さえやっとの状態になり、とうとう膝から崩れるように倒れた。
『ヌッタも薬品には勝てんだろうよ』
アシンがシュラを見下ろし、足で頭を踏みつけた。
ラーは意思の無い目で、ただ立ったままだ。
「はっ……はっ……」
頭を踏みつけられたまま、シュラは浅い息を やっとしている。体が痺れてじっとりとした汗が全身から吹き出す。
『安心しろシュラ、じきに薬の効果は切れる。その前に暴れないように縛っておけ』
アシンの命令に、騎士たちが無抵抗なシュラの手足を拘束した。
ヘルラの元に来た文官がコアを連れ出すのか アヤメを連れて行くのか尋ねる。
『アヤメ様をコア様の所にお連れしろ。朝まで共に過ごせば良い』
明らかに文官が たじろぐ。
『それでは、あまりにも……』
『なに、朝までの辛抱だ。コアに再会できて、私の権力と恐ろしさに心も折れるだろう。明日は国民の前でアヤメ様を盛大に祝ってやろうではないか』
意見を言い立てれば文官も処分されるのを知っている。黙ってヘルラの言葉を聞くしかできない。
『明日はアヤメ様と食事会もするぞ。特別に旨い物を準備するように。そして、私の言う通りにしなければ、あと五年はコアと過ごすのも良いであろう?』
あと五年。それはセトラナダでの成人にあたる。
『以前ヘルラ様の仰った、アヤメ様とのご婚約でしょうか』
文官の言葉にシュラがヘルラを見上げた。
シュラの視線に気付いたアシンに腹を蹴られ、ぐっと呻く。
『まあ、明日の朝には婚約発表もできるだろうよ』
文官はヘルラとアシンに一礼して、去った。
床に開いた穴から見下ろしてコアが言う。
『ねえロアルゥ、お口がお怪我してるわよぉ』
どことなくコアの呂律がおかしい。
腐臭の立ち込める部屋からロアルを覗き込むコアの顔は、以前と変わらない。
穴を開けて人が通れるぐらいの広さになると、ロアルはグッと上がって入り込む。あまり酷い臭いで目まで痛む。こんな所に居ては病気になると、
『コア様、ここから出ましょう』
『そうねぇ。でも、ちょっと待ってねぇ。もうすぐねぇ、アヤメに会えるのよぅ』
『アヤメ様に?』
正面に座って気付いたがコアは以前と変わっていた。
ロアルの知る姿よりも若く見えるのだ。
そして悪臭の原因が目にとまる。
コアの後ろに並んで横たわった囚人服の遺体。そしてロアルの背にある壁には、排泄物を入れる木箱が壊れたままだ。
『コア様、あの御遺体は……』
『えぇとぉ、私の側近なのよぅ、眠っているだけなのよぅ』
ロアルが恐る恐る遺体に近付くと、本当に数人は眠っている。
手前に寝かされた一人は、髪の色が緑の少女に見える。ただ 他は人の形をしただけで、青い鱗に覆われて 表情も、性別すらわからない。
しかしコアが言うように眠っているだけではない。奥に寝かされた遺体は腐敗しているのだ。
状況を理解していないのか、それとも出来ないのか。
『なぜ、このような状態なのですか?』
『うーん、どうしてかしらぁ』
地下牢の一室とはいっても、寝台すら用意されていない。平民が使い古したような机が一台と椅子が二脚。そして壊れたままの汚物を入れる木箱だけだ。机の上には書類と文箱が置かれている。
書類を見ると 半年以上前の日付で、しかも国政に関わる重要な物に見える。
『あのねぇ、ロアルにはちょっと隠れてて欲しいのよぅ』
入って来た穴を指してコアが言う。
『あとねぇ。ちょっとふさいだりぃ、外したり できるかしらぁ』
コアの話し方も おかしいが、立って歩くとフラフラしている。
しかし、伝えようとしている事は理解できた。
『では私ロアルめが、この抜けた床を細工して参ります。後程』
笑顔を向けるコアが頷き、粗末な椅子に腰掛ける。
『後でねぇ。さっきみたいに床を鳴らすわねぇ』
コツコツと足で床を鳴らした。
ロアルはサッと穴から地下通路に飛び下り、印を付けていた石を手に取る。
二つの石を手に、天井の穴に合わせて上手くはめ込む。
『床だけは、一応塞いでおきましょう』
『助かるわぁ』
先に床部分から切り出した石に切り込むを入れながら、地下通路の方が少しだけ臭いも酷くない。悪臭から逃れられた事に安堵する。アヤメに会えると言っていたのだ、コアは地下牢から連れ出される。その時に床から脱出 出来る事を知られるのは不味い。
そう考えてロアルは急いで床部分だけでも形を作る。簡単に外せるように細工すると、削る部分が多くなってしまう。削るのは小刀の性能が良い為に簡単なのだが、切り落とした石は少し多い。
廃材になった石は通路の端によせて、組み上げの仕上げに取りかかる。
『コア様、アヤメ様とのお時間が有意義になりますように』
『ありがとうロアルゥ』
それだけ言って 床にあたる最後の石をはめ込み、次々と組合せて天井の石もはめ込んだ。石と石の間に指が入る程度の隙間ができる。この隙間に石をずらすだけで、最初の石は外せるのだ。
『今回、ここをコア様が使う事は無いだろう。けど、謁見は上手く行ったようだ』
作業が一段落したロアルは、さすがに刺激臭に耐えた後で懸垂に近い体制で作業をした為に疲労を感じた。蜜を少し舐めて目を閉じると、予想通り睡魔に見舞われる。
それほど寒くない地下通路で、そのまま横になった。
ヘルラの元から来た文官がアヤメに直接話をする。
『ヘルラ様からの伝言でございます。アヤメ様は、朝までコア様の所でお過ごしくださいますように』
周りの騎士たちが顔を見合わせる。
『お母様に、本当にお会いできるのですね』
アヤメの姿勢はそのまま、視線すら動かさず 静かに呟く声は、子供に見合わないほど凪いでいる。
親に再会するとはいっても、他人の目がある中なのだ。王族として、感情で周りを左右する事は「間違えた」行為だと教え込まれていた。
ここにいる文官や騎士たちは、コアが地下牢にいる事を知っている。極秘ではあるが、所在を知る貴族は誰しも近付きたくないと 思っている。
普段から下働きの平民に、ヘルラから用意させている食事らしい物を運ばせるぐらいだ。
コアだけは対話も出来る状態だと 伝え聞くだけで、地下牢に近付く貴族はいない。
『ではアヤメ様、コア様の所に向かいます』
文官が声をかけると、騎士たちが諦めたようにアヤメを囲んで歩く。
貴族が普段は使わない 狭い廊下を歩くと、装飾が質素な扉の前に着く。扉の先に進むと 全く装飾の無い廊下になり、両脇にいた騎士も斜め前と後方に別れる。大人が横並びで歩くには狭いのだ。
少し視界が開けてアヤメは姿勢を崩さないように目の端で移動する城内を記憶して行く。この先は模型でも見た、下の階に繋がる階段がある。予想通り階段を下りるが、厨房を通り過ぎて薄暗い廊下に入った。
『アヤメ様は、この先に何があるか御存知ですか?』
先頭を歩く文官が振り向いて言った。
微笑みを返して小さく首を横に振り、
『いいえ。わたくしは、自室を出る事が少なかった為に、何も知らないのですよ』
ここは一階。厨房周辺は主に平民が働く場所になる。
しかし、この先に続く廊下には人気も無い。
文官は『ふん』と言ってから、廊下を進む。鍵のかけられた重そうな扉を開けると、異臭が廊下に立ち込める。更に先には鍵のかかった鉄格子。黙って文官は鍵を開けた。
騎士に背中を押されてアヤメは鉄格子の先に進む。
『せっかくの御対面に、我々が水を差すのも失礼でしょう。どうぞ、朝にはお迎えに上がりますので ごゆっくり お過ごしくださいませ』
口元を布で覆った文官がアヤメを見下ろして言った。
『皆様の御配慮、この上なく有り難く受け入れますわ。今は、日の出の時刻が早いのですか?』
秋も深い季節なので、それほど早い訳ではない。
『朝の六時を回った頃かと』
『では、五時半辺りにここに戻ればよろしいのですね?』
文官は首を縦に振るだけで答えた。
『わかりました。どうぞ、皆様も良い時間をお過ごしくださいませ』
一礼してアヤメはすぐ先の階段を下りて行く。
鉄格子を閉めて施錠しながら、文官と騎士の全員が耳を済ませた。
『お母様』
『あらぁ、アヤメェ。大きくなったのねぇ』
一同、下から聞こえる声に顔を見合わせてから重い扉を閉めた。再び施錠して、急いで厨房の辺りまで戻る。
『アヤメ様は本物だったのか』
『ヘルラ様だけでなく、アシン様まで上手く騙したものだと思っていた』
口々に実は本物のアヤメだった驚きを話し
『お可哀相に』
と、目を合わせる。
タタジクに着いたユタ一行は、演奏隊が並ぶ階段を上りきった所で領主ストラークと補佐を務める息子のトーナに向き合った。
民衆の歓声は、ストラークが片手を大きく上げた仕草で静まる。
「セトラナダの次期王アヤメが、この土地を訪れた事を知る者は、何れぐらい居るか?」
ラージャがストラークに挨拶する素振りで話し掛ける。民衆には聞こえていない。
ルフトの助言で立場が高い順に口を開くのが、現在の常識なのだと、学んだばかりなので、取り敢えずラージャからストラークに声をかけた。
「捕獲する計画は隠蔽した。そのため、領民はアヤメ様の事を ほぼ知らぬ」
ストラークが応じる。
「では、ここに集う民に、アヤメの姿を見せてやろう。歓迎の気概に対する謝礼だ」
ラージャが民衆に向かい、踊るように両腕が上空をなぞる。城の上に突如 霧が浮かび上がった。
霧の中に大きく映し出されたのは若草色の衣装で歌い踊るアヤメの姿だ。
シュラの視界と音の記憶を空中の霧に再現して映す。
水の恵みに対して龍神に感謝の気持ちを伝えようと、集まった領民はアヤメの歌声を聞き漏らすまいと黙り込む。
高く澄んだ良く通る声は、領民の知らない言葉で歌う。品の良い首飾りの赤い石が若草色の衣装の中で慎ましく輝く。ふわふわと舞いに合わせて靡く薄布が 幻想的で、誰もが見上げた姿勢を崩さない。
アヤメが軽く飛び跳ねた所にヒムロも参入した。寄り添うように、互いに目配せを送り合いながら振付けの豊かな表現に誰もが魅了されていく。
若草色のアヤメと桃色のヒムロの衣装は、薄布が翻る度に印象が変わる。アヤメの衣装は金糸で刺繍された光沢のある白い衣装。ヒムロは白い薄布の奥に着ている朱が花弁を思わせる。
歌が終わり、踊るアヤメとヒムロが目を合わせて微笑み合った所で、ラージャが踊るように腕を動かすと 霧がスッと消えて行った。
しばらくは上空に再びアヤメとヒムロの舞いが現れるのを待つ領民が、黙って空を見上げていた。
「アヤメの誕生祭であろう。当人を知らぬのでは、祭りの勢いも付かぬ」
ラージャが言う。
まだストラークとトーナが口を半開きにして上空を眺めている間にルフトが「どうやったんだ?」と興味津々で尋ねると、ラージャは片手を握ってからルフトの前で開く。そこには透明な石がある。
「これは、ただの水を凍らせた物だ。今は太陽の光が空を照しておるのは解るな?」
「まだ夜じゃないからな、誰でもわかる。当然だろう」
「この氷は、先程の霧のひと粒だと考えて太陽の光が七色に分離しているのは理解できるか?」
「うん?」
「この氷程度の大きさの中に例えると 霧の粒は数千を越える数は存在するのだが、それぞれの粒に太陽から受ける光の速度を調節して我の記憶にある映像を具現化した物になる。そして音の再現は空気の振動によるものだ。解ったか?」
「いや、全くわからない」
「ふむ、どこから理解が追い付かぬのか言語化してみるが良い」
「ああ?あぁ、氷と霧の粒辺りからだな。光の速度って……明るいだけじゃないのかよ。音は振動?」
ルフトが完全に混乱している所でストラークが
「神の奇跡を、この目で拝見させていただけた事、領民を代表して感謝を伝えさせてください」
トーナもストラークの言葉に合わせて跪く。
ユタは記憶にあるアヤメと上空に現れた映像のアヤメが、良く似た別人に思えるぐらい美しく見えた。ヒムロの美しさは以前から充分に知っていたのだが、隣で舞うアヤメが全く見劣りしなかった事に誇らしさと喜びが胸を熱くする。
トレザの崖に滞在する兵士が動き出した。日没が近付き、昇降機を使用せずに先行する兵士たちが上る。
ちなみに人を乗せた昇降機が自由落下に近い速度で下りるのは、ユタ一行が下りた朝が初めてだった事もあり、誰もユタが腰を抜かしていた事など気にしていない。昇降機に慣れている兵士たちですら、あの速度では二の足を踏む。
トレザの民は、ほぼ崖の付近に近付く事がない。
先に崖を上りきった兵士が滑車を鳴らして合図した。打合せていた順序で五人ずつ昇降機を使って上に行く。操作は無人でもこの場に設置されているハンドルを回せば昇降機だけで下ろせる。崖の上には設置していない。
統制の取れた動きで無駄なく皆が崖の上に揃う頃には、太陽が西に落ち始めている。
ほぼ計画通りに揃った兵士の前に、火薬の入った木箱が手渡されて行く。
そして副班長が導火線を手に
「ちょっと待て。これだと短くないか?」
感触だけで短いと感じた為に、取り敢えずその場で一本の導火線をほどいて伸ばし、長さの確認をする。
導火線に安全圏以上の長さが無ければ、着火した兵士は爆発に巻き込まれてしまう。
実際に安全圏と言い伝えられている距離でも充分爆風の影響は考えて訓練していたのだが、箱から出した導火線は爆発に巻き込まれる程 短い。
想定外の事態に 急遽火薬の使用箇所を減らす事にした。
ここに居る兵士たちは火薬を普段から使う事が無い。火薬を使用する別の部隊が存在する。なので 火薬の適量に詳しいのは副班長だけだ。火薬を使う武器も取り扱う部隊に、ごく短い期間だけ所属していた。
指揮下に治めるべき兵士の暗躍に無頓着な班長アギル。それに苛立っていたせいか副班長は兵士たちに手渡した火薬の量に今更 気付いた。
「どうした物か……」
火薬の適正な量はわからない。しかし、爆発は予定以上に大きくなる量だと確信する。
「火薬の量に手違いでもあったのだと思う。このままでは使えない」
短い導火線の先で爆破させれば、当然 兵士も火達磨だ。
トレザの民を救出する以前に、下手をすれば全滅する。適量もわからず、想定以上の爆発になるとしか考えられない。
黄昏が迫る中、副班長は兵士たちと火薬を見比べて「少し待ってくれ」と、導火線の長さを見ながら 計画と実行の矛盾点に思考を飛ばした。
アギルは班長になる以前から、兵士 全体からの人望はあった。体術や攻撃力では更に上の兵士も多いが、全体の雰囲気を良くするのが上手いのだ。そのお陰で孤立する兵士がいない。
しかし トレザ制圧の計画には、全く気付いた様子が無かった。火薬の事に気付いて問い詰められれば、逆に言いくるめる予定だった。それなのに普段と何ら変化の無い アギルに失望した。その上、無防備な状態でトレザから離れてしまった。
「班長がいたら、どう判断しただろうな」
止められるならば、班長に言われるままに計画を中止にしてしまいたかった。
判断材料が無い火薬の量と 兵士の命を預かる立場として、苛立ちに似た感情を抑える。
指示を待つ兵士たちを見回し 導火線の長く繋げる事を伝えて、爆破する予定だった場所を次々に消していった。
閲覧ありがとうございます。
今月は、なんとか更新できてます。
ええと。シュラ、ごめんね。次回は反撃なるか?
でも待ってね、砂漠のお城でマッタリお絵描き組とか、ここの所ずっとサラは出てないし、ルフトに映写機の原理を伝えて貰おうと思ったら、ラージャが見当違いの回答するし。
コアがどうして変なのか とか、次回はどこまで行けるでしょうか。
 




