起きることを信頼せよ
使節団の代表者 一人だけが酒蔵に着いたと、使用人が報せに来た。扉の外から聞こえる声に、ロアルは食堂に通すよう伝え、
『では私は先に行く。アヤメ様は……』
遮るようにアヤメが言う
『わたくしの事も以前のように呼んでくださいます?』
『いや、謁見の間で気安い呼び方は さすがに困る。互いに慣れて置いた方が良いよ、アヤメちゃん』
アヤメの頭を撫でて、ロアルは笑う。
『ロアルさんの配慮に応えますね』
笑顔で応じるアヤメの瞳には、決意と威厳の光が差す。
兵士の敬礼をしたロアルが、部屋を出る。
「アヤメ、私は食堂に向かうつもりだが、ヒムロが眠っている。どうするか」
仰向けのヒムロが短い前足を伸ばし、薄目を開ける。
「ヒムロは目を覚ましそうだよ」
フーッと伸びて
「うむ。使節団の代表者じゃろ?私もどのような対応をするのか知っておきたいと思う」
「そのままの姿で向かうのか?」
後ろ足で立ち上がり、全身を見回して
「これで地べたを這うと、シュラに踏み潰されそうじゃのう」
ありそうだとアヤメが笑う。苦笑したシュラが
「踏みはしない。だが衣類の中に隠れるのも可能な大きさだな」
シュラの片手に乗る程 小さいのだ。
「アタシの服に入るといいよ」
アヤメは襟元をビロンと伸ばしておいでおいでする。
「いや私も自在に人の姿に戻れるか知りたいのじゃ。先に行っててくれぬか?」
着替えるような物だと言うヒムロを残して、二人は先に食堂へ向かう。
代表者とロアルは茶に入れた蜜の効果を語り合っていた。
『薬師、アヤメ様を王に面会させる予定で間違いないな』
椅子に腰を下ろしながら「その予定だ」とシュラが答える。
『使節団の皆も無駄足にはならない。むしろ、必要な物を揃える手際に感謝する』
ロアルが言う『必要な物』に思いあたらず、シュラが視線を代表者に向ける。
『アヤメ様のお衣装だ、誂えるには時間がかかる。貴族の衣装も扱う店に向かわせた、昼迄に既製品を持って来る手筈だ』
貴族の衣装と聞いてシュラの顔がひきつる。
『値段は……』
『当然 支払う。タタジクの領主様からの御達しだからな、薬師の懐は痛まぬ』
はぁ~と息を吐くシュラにロアルが笑う。
『もしかして、わたくしの お衣装ですか?とても楽しみですわ』
十歳より幼く見えるアヤメが、謁見の間に行く手順を確認する為に尋ねる内容は、王ヘルラと側近の貴族についてだ。
遅れて入って来たヒムロの姿に皆が注目する。
トレザでは見慣れた姿だが、白い狩衣に緩く背中でまとめた白い髪、赤い瞳と唇に、赤い髪留め。優雅に動く人形のようだ。
「この姿には戻れたのじゃ。しかし、身に付けていた筈の衣類がなくなってしもうた。この衣装では戦闘に向かぬ」
右肩越しに左足の踵を覗き込む動きは 踊るような印象で、代表者は息を飲んでヒムロの動きに見とれている。
『あの、ヘルラの側近や同行する貴族を知りたいのですが』
アヤメが代表者に声をかけると、ハッと我に返った代表者が貴族アシンの名前を出す。王ウェルを暗殺する計画時にシュラが顔を合わせた貴族の名前だ。
『アシン様は、怪我で失った腕や足を再生させる、奇跡の技術を持った医師として ヘルラ様が重用なさっている』
「人の手足も生やせるのじゃな。セトラナダには良い医師が居るのう。これが済んだら、トトやバムの手も戻してやると良い」
ヒムロの前足は、龍だからこそ時間をかけて再生した。人の体が再生できる範囲など、止血が可能な傷口ぐらいだ。分身体ラーの体を使って、実験と称した拷問を続けた結果なのは明らかだ。事実に至ったシュラの表情だけが険しい。
扉の向こうから、使節団の使いが来たと知らされる。即座にロアルが対応しに席を立った。
『アヤメ様、お衣装は誂えた物が幾つかあったそうです。微調整もなさいますよね?』
戸口で振り向いたロアルが言う。
『どちらに向かえば よろしいのでしょうか』
アヤメが立ち上がって聞き返す。
王城の近くには、貴族に合わせた衣装から平民の衣服まで、幅広く取り扱う商店がある。今回はその店で無難な衣装を見つけ出せたと話しながら、大きく扉を開くと ゾロゾロ使節団に続いて木箱を持った大人が何人も入って来た。
『こちらで、少ない中ではありますが、アヤメ様のお気に召された品を 調整させていただきます』
上品な女性が丁寧に木箱を開き、三着のドレスをヒムロに見せる。
「ふむ、どれもアヤメに似合いそうじゃ」
『アヤメ様の着けていらっしゃる 衣装には、とても及びませんが、取急ぎの事になりますので 御容赦いただきたく存じます』
どうやら衣装を作る業者はヒムロとアヤメを間違えている。
トレザの崖を下り始めて それほど時間をかけずに昇降機は止まる。
かなり広い平地があり、アギルは初めてここに辿り着いた時にトレザだと思ったと話す。バムは懐かしそうに そんな事もあったと笑い、ラージャと共に夜営している兵士の輪に入る。
「なあユタ、ここは俺が想像していたより、ずっと広い。少し歩いて来ていいか?」
「うん、ルフトさんの好きにして良いと思う。私は、とても歩けそうにない」
ユタは震える膝に力が入らず へたり込む。アギルの肩を借りて、やっと昇降機を下りた所だ。
ラージャは兵士に直接声をかけるが、明らかに兵士たちが よそよしい。同行していた頃なら 少し話しかけるだけで、余計な事まで話していた兵士たちも、立場を知った現在は同じように行かない。
凡そ予測していたものの、人の態度がコロッと変わる事にラージャは少しばかり不満なのだが、苦笑したバムが仲介する形で対話は弾む。
崖の上に隠された木箱の中の土や石は、全て少量の火薬で隠し終えた。少し箱を開けて 中を確認する者がいても、簡単に気付かれない程度に。誰が火薬の存在を知っているのかラージャが近くで確認すれば、本当にアギル以外の皆が今回の計画に加担している事実に呆れる。首謀者は副班長で間違いない。
ラージャはルフトのような人心掌握を目指して兵士と対話するのも目的だと、敢えて砕けた態度で接しながら兵士たちの記憶にある「分身」を消して行く。
「ルフトは、ここの散策をするのに時間が必要か?」
兵士たちの記憶から、ラージャの分身が有る事実が消え、バムと兵士の輪を出ながらラージャが声をかける。
「改めて、ゆっくり見たい所だ。今は、先を急ぐんだろ?」
ユタがやっと自立歩行できる状態になった事で、次の昇降機に向かう。
「俺とバム、ユタ、商人、そしてラージャが乗る。タタジクまで直接、トレザの長が手紙を届けて下さるので 俺が護衛の形を取る。留守の間は副班長に、指揮系統を全面的に任せる」
兵士たちに向かってアギルが声を張上げる。副班長は最前列に出て
「班長不在の間は、全て任された」
アギルに敬礼してから振り向き、全員が統制の取れた動きで敬礼した。
二つ目の昇降機に乗ると、ユタもそれほど膝の震えは無く 平坦な所に着いて、普通に歩く。
「こういった場所は、幾つもあるのか?」
ルフトが辺りを見回して言う。
「いや、ここから先は こんな広い場所はない。もっと狭い空間だけど、岩肌を削って昇降機を乗り換えられる場所はある」
あまり広くない平坦部分を進み、三つ目の昇降機も下りる。アギルが言う通り、次の昇降機は荷物の積み降ろしが出来たのも不思議なぐらい狭い。本当に岩肌を削って作った空間だ。
慣れて来たと話すユタも、顔色は悪い。乗り換えた昇降機では、そのまま へたり込む。
「これに乗り換えれば、砂漠に向かう馬車が待ってますから」
と、アギルに肩を借りて やっと乗り換えるユタと、手汗と冷や汗の止まらないルフトが最後の昇降機に乗る。
最後の昇降機を下りると、緩やかな斜面の先に立派な馬車が待っていた。
「班長、お待ちしていました。龍神ラージャ様、トレザ領主ユタ様と伴うバムと文官が乗れる馬車を手配してあります」
ユタも地面に足が着けば、膝の震えも落ち着き ルフトから背中を軽く叩かれて背筋を伸ばして馬車まで歩く。
「俺は景色を見渡したいから、馭者の隣に座っていいか?」
ルフトが返事を待たずに馭者の左隣に落ち着く。
「我も、働く者の視線に興味がある。馭者の邪魔にならぬなら、そこの席が良いな」
ラージャの言葉にルフトが反応し、馭者の右側にラージャが座れるよう 場所を開ける。苦笑いするアギルとバムが、硬く縮こまった馭者に
「交代するまでの辛抱だ」
と伝えてユタと馬車に乗り込んだ。
「荷車と違って 扉や窓まで付いているなんて、動く小さな部屋みたいだね」
馬車の座面も座り心地が良く、柔らかい。部屋ごと移動するみたいだと、ユタの好奇心がくすぐられる。
ユタが進行方向に向かって座ると、アギルが馭者に合図を出して馬車は走り出した。
明るくなった部屋でもムウは壁に絵具を塗る。暗がりで着けた色を参考に、離れて見ながら次々に色を重ねていく。中心から射し込む朝陽が光の道を造り出している。
蝶の飾りを作るイイスと たまに目覚めるトトは、湯浴みを堪能したり 城の中をクウと自由に散策する。
城の建物は完成しているが、庭は途中だという。植物が多く植えられているものの、元々は砂漠だった為に手入れが行き届かない所は枯れてしまう。それでも常に花は咲いていて、上手く根付く植物から 試行錯誤しながら庭園を広げていると、植木職人たちも誇らし気に教えてくれる。
城の中には小さな額に入った絵画も多数 飾られており、ムウの絵とは違うが建物の中を上品に飾っている。
トトは必要な画材も 絵画と同じように以前から城に置かれていたのか尋ねる。
すると、大きな刷毛や、壁の凹凸を無くす物は ルフトが準備するよう指示した絵画の道具に無く、刷毛は厨房で使う物を、切れないナイフのような物は 築城の時に使われていた道具を、それぞれ新しく用意したと知らされた。
トトが起きている時間は 相変わらず短いが、トレザでは見る事も無かった物に目を輝かせている。
便利な道具の数々に、皆の暮らしが一層 快適になりそうな予感と好奇心。トトは それらの仕組みや使い方を誰にでも聞く。
少し城を散策して戻ると、ムウの絵に輝きが増している。描き始めた時の期待した感覚と違う、その作品に触れる距離まで近付く事すら躊躇う完成度は、まさに圧巻。
それに集中力も途切れる事が無い。
「ムウが飽きれば、我が働き掛ける睡眠欲の移動も効果は無いのだけどね。人の集中力がこれ程 続くとは、知らなかったよ」
目を細めて 満足そうに微笑むクウは、最善の未来で眺めた絵が、部屋に実現していく事に満足していた。
『ご幼少で ありながら、この神々しい程の威厳。正しく次期王アヤメ様だと、一目で解りました』
衣服業者の全員がヒムロに跪いた。
使節団は業者に合わせたのかアヤメ本人に跪く。
確かに光沢のある狩衣の衣装に人離れした肌の白さ、サラサラとした白髪に真っ赤な髪留めは目を奪われる。
「悪いが、私はアヤメでは無い。当人が困って居るぞ」
ヒムロは優雅にアヤメの隣まで歩き
「平伏す前に、事実をしかと見るが良い」
苦笑いするアヤメと並び、跪く大人たちに言う。
ただ、言葉が理解できないらしく困惑気味で顔を見合わせる。
『わたくしがアヤメにございます。こちらは、ヒムロ様。人ではなく、とても高尚な存在でいらっしゃいますの』
龍だとは直接 伝えない。しかし精霊等も存在するのだ、初めてヒムロを見て跪いた大人たちは納得したように立ち上がり、改めて並ぶ二人の幼女に跪く。
服職業の総支配人がアヤメとヒムロの前まで 恭しく進み出て、王城で行われる正式な挨拶の口上を喋り始めた。
正式な挨拶を始めると、時間がかかる。挨拶から自己紹介、更には側仕えや文官も紹介した上で、家の歴史を語られて、本題に入るのは翌日といった事実をアヤメは思い出す。
『素晴らしい衣装を取扱う代表的なお店と聞き及びます。後程 時間を作りご挨拶をお伺い いたしますので、今はお衣装を見せていただけるかしら』
挨拶している暇は無いと、アヤメが口上の途中で遮る。
セトラナダの言葉で伝えるアヤメの意図は、すんなり伝わった。早速床に広げられた絨毯の上にアヤメも連れて行き、衣装を見せて着替えの準備に入る。
「私たちは、別の部屋で待たせて貰おう」
シュラが使節団の男たちと退室を伝えると、ロアルの執務室に従業員から案内される。
「のうシュラ、これはアヤメに必要な身支度じゃ。支払いはアヤメの金で行うと良いと感じるが、こういった取り決めには まだ私も疎い」
去り際にヒムロがかけた言葉にシュラは小さく頷いた。
執務室で待つ間に、支配人を含む男性だけで金銭の話をまとめる。支払いはシュラが貯めていたアヤメの分だけで金貨十五枚。シュラの分として十六枚。普段から使うのは別にしてあり、銀貨と銅貨だけで済んでいる。
「アヤメの衣装だが、金貨二枚なら出して良い」
シュラの言葉に支配人は快諾した。今回の衣装は高価で、銀貨八枚前後の値段だと話す。いっそ五着用意するので全部買い取って欲しいと言われて、さすがに断った。
実際に服飾の業種も貴族相手だと収入にならなくなっているそうだ。
馬車が砂漠の水路に沿って走る中、ルフトは徒歩での往来や荷車を引く行商を視野に入れて 宿泊施設の理想的な位置を念頭に、流れる水の音を聞く。
ラージャの同行で確実に タタジクの領主とも面会する機会は訪れる。予想しながら計画を順序だてた。
工具や他の荷物が積み上げられた野営地で、馭者の交代と短い休憩を挟む。
「砂漠は本当に広いようだね。こんな所を移動するのは、さぞかし大変だっただろう」
馬車から降りたユタは、シュラとアヤメを思って口に出したが、アギルとバムはユタの労う言葉だと解釈した。
「以前は、ここを通るには飲み水も荷物に入れてましたから。いやそれ以前に、資源の見込めない砂漠に踏み入る事もありませんでした」
「不毛の砂漠に命懸けで立ち入る事は、無かったんです」
トーナの命令があり、トレザの存在を知らされて初めて兵士の軍勢が砂漠を横断するに至ったのだと、ユタは改めて知らされた。
流れる水の音は、休憩する者にも癒しを与えるように陽射しを光らせている。
馭者が交代した事で、ルフトもここから馬車の中に入り込む。しかしラージャは相変わらず馭者の隣に落ち着く。
「人の移動する速度は、なかなか体験できぬのでな」
再び馬車は走る。
遠くに見えていたタタジクが迫り、軽食が準備されている所でも休憩に入る。
到着とほぼ同時に、一人の兵士がタタジクに向けて馬を走らせた。
「ユタ様、ずっと馬車での移動で お疲れではありませんか?」
食事を整えるのは、先触れで急遽 連れて来られた料理人らしく、トレザ領主ユタの名前は先に知らされている。
当然のように給仕されるルフトと違い、ユタは周りを見て戸惑う。とりあえずルフトを真似て、案内されるままに座る。
「徒歩での移動なら、この辺りで休憩所があれば利便性があるだろうな」
ルフトが軽食を口に運びながら、ユタが真似している様子に気付き あえて分かりやすく動く。
ユタは、ルフトを真似て同じように口に運びながら、周りに対する返事もルフトの真似に徹している。
食事も終わり、また馬車に乗る。ラージャは馭者の席が極上だと中に入ろうとしない。
広い貯水池の畔に着き、一旦 馬車を下りて水汲みや洗濯で賑わう対岸の様子を眺める。
「まだタタジク内まで水路を広げられてません。だけど、生活が好転しました」
水が届いた恩恵に、改めてアギルが感謝の気持ちを伝える。目を細めて対岸を眺める姿は、本当に満足そうだ。ユタとバムも、賑わう様子が誇らしくもあり 活気ある姿に目を細める。
「さあ、タタジクに入ります。ラージャも馬車の中に入ってくれるか?」
「良かろう。人の移動する早さは覚えた」
皆で馬車の中に落ち着くと、貯水池の先にあるタタジク領地に入る。
鳴り響くファンファーレと歓声。
「アヤメ様の生誕祭と、いう事か?」
バムの声も外からの大音量に、遠く聞こえる程だ。
「いや、龍神ラージャとユタ様を歓迎する民衆の声だよ。トーナ様と、ストラーク様の演奏隊だ」
馬車は演奏隊に囲まれる状態で、演奏の音に対話もままならないまま領主の城に到着した。
閲覧ありがとうございます。
寒い日が続きますね。
大人の塗絵ってヤツに手を出してしまいました。
楽しい。時間を忘れる。ヤバい。日常生活に支障が出る。
それに、この続きを書くのも後回しですよ。
もう少しで 塗絵も一段落するので、寛大な心でのんびりお待ちいただけると 有難いかぎりです。




