龍の城
ロアルがシュラを追い立てて 部屋へ入るとアヤメとヒムロが凝視する。
『酒蔵の用心棒がアヤメちゃんとヒムロちゃんの訓練で、随分 鍛えて貰えたから、先ずは礼を言わないとね』
『こちらこそ、わたくし 逃げ足に 磨きがかかりましたわ』
アヤメはシュラの表情を見て、話して良い事を探る。だがシュラは困った時の顔で、何を話せば良いか 読み取れない。
「ねえ、今夜って何時ごろ?」
ロアルに通じない言葉で話せば、シュラが返事をするだろうとアヤメが口を開いた。
「アヤメちゃん、情報は色々な方法で集めるモノだよ。覚えてオくといイ」
ロアルが少し慣れない発音で言う。トレザやタタジクで共通する言葉だ。
「通訳は必要無かった?」
「いいや、ヒムロちゃんの言葉は本当に解らなカったゾ。独特な発音が多いからナ」
『騙したのか?』
『嫌だなぁ、人聞きの悪い事を言わないでくれ。ルフトからは手厚い待遇を要求されるし、理由を知りたかった。不自然な旅芸人の君たちから、上手く情報を引出す為の手段だ』
『情報を?』
『シュラは、こう見えて案外 素直だ。それに優しいけど周りに対しては不器用だからね』
『そんな事、なぜロアルに言い切れる?』
『商売なんて、相手の望んだ物を探す 情報戦みたいなもんだ。ついでに、此方の手の内は ある程度 隠しておくんだよ』
『言葉の戦い……』
『薬を売る時なら、少しは考えるだろ?だからね、あえて相場より良い値段で言ってみたんだ。その途端に油断しただろう。まだまだ場数が足りないな、シュラ』
『ルフトより上手がいるとは……』
『ルフトだって、この程度は教えてやれば良かったろうに。世の中には まだまだ私より上手なんて、沢山いるぞ』
『慣れない事は、するものじゃないな。旅芸人など、ろくに見て無かった。このぐらい、上手く隠し通せると思っていた』
声に出して笑うロアルは、シュラが子供みたいだと言う。
アヤメとヒムロも、ロアルがシュラの見た目より本来の年まで予測している事に驚き、シュラは両手を頭にあて 大きく息を吐き出す。
『そういう訳で、今夜の大事なお散歩には私も行く』
誰にもロアルを止められない。絶対に言いくるめられてしまうと、皆が確信する。
危険を承知で向かう場所だと言うのに、止める手段が無い。
イイスはぐっすり眠り、それでもムウは描き続ける。トトは梯を支え、ムウが無理に身を乗り出すのを止めながら「こんな筆があると、もっと幅広く塗れるよね」とか「あんな道具があったら」と、ムウが思い付いて口に出す道具を書き留めている。
ムウが使っている筆より、幅の広い筆。
できれば、手を広げたぐらいの大きさや、それ以外にもあると良い。
湖の家で 職人と絵の具の発色を確認しながら描いていた時には、使いたい色が完成するまで 何も出来ない時間が多かった。作った筆やヘラは手に握りやすい大きさで、先は細い。細かく仕上げるには 必要な筆なのだが、大きな面を塗るには不便だとムウは感じていた。
ムウは描きながら、欲しいと思った道具を 何気なく呟いている。トトが書き留めている事に気付かずに。それほど夢中なのだ。
クウは二人の様子をずっと笑顔で見守っている。
絵の具があるから、描く所があるから、思い描いた完成に近付いて行くのが愉しいから、ムウは止まらない。
梯を使わない高さで、無言で描き続けるムウを見ながら トトはクウに走り寄る。
「クウ様あのね、ムウがさっきから、こんな筆が欲しいって言ってるんだけど、あるかな?」
「おや、用意して貰おうね。他に必要な物はあるかな?」
「オレは、壁に全部上れる梯が あると良いって思うんだけどな。ムウは手が届かない所でも、気にしないで乗り出すからさ、いつ落ちるか心配なんだ。今の所はオレでも支えてられるけど、そのうち落ちそうだよね」
「それは我も感じていたよ。トトが支える姿が頼もしく見えたよ」
「エヘヘ。嬉しい。でも、梯はどうにか ならないかな」
「この城を建てた時に、壁に添う足場があった筈だよ。ムウが休んだら、用意して貰おうね」
「クウ様、ありがとう」
また高い所を描くつもりのムウが、梯を動かして上り始めた。トトは梯を支える為に走って戻る。
クウは近くにいる使用人に、トトが書き留めていた筆の話をして、足場の用意ができるかも確認する。
すっかり星が空を覆い、人が寝静まったセトラナダ。
『ロアルには、交戦になる前にアヤメと逃げ帰るのを優先して欲しい』
『シュラとヒムロちゃんはどうするんだ』
『龍神の居る場所を特定できれば、連れ出す』
『殺されるぞ』
『龍神様は、とても温厚ですわ。ヘルラが国民に伝えた内容は、全て嘘ですもの』
『証拠は あるのか?』
音を立てずに移動しながら、小さな声で説明する。
『龍神との契約をして栄えたセトラナダは、ヘルラによって龍神を使役する事を始めた。他の龍神が知れば、セトラナダごと消されるぞ』
シュラはクウの怒りを感じたままロアルに伝える。そしてヒムロも
「今は、セトラナダに近付く龍神が、セトラナダの大地に吸収される仕掛けまで されておるのじゃ。私は幼い龍じゃから、守りの衣とアヤメの知識で消えずに済んでおる。それに、少しばかりの力は取り戻した」
『龍の城にいらっしゃるラージャ様は、本来なら良く笑う優しいお方ですわ』
『悪戯もなさるし、怒られて反省なさる場面に 居合わせた事もある』
『ラージャと呼ばれる龍だとは、聞いた事がある』
ロアルは子供の頃に知っていた龍の名前を思い出したと言う。
『今夜と明日は龍の城の警護が薄い。様子だけでも知っておきたい』
本当に警護が薄いのは、タタジクの使節団からの情報通りで、反って罠ではないかとさえ思わせる。王の城には警護が多く、龍の城には誰もいない。
『ヘルラ様が酷い噂をばら蒔いた おかげだろう。龍に近寄ろうなど、誰も考えない』
『今夜ばかりはヘルラの行動に感謝せねばな』
「シュラ、何を言ってるのじゃ。ヘルラに感謝など」
『潜入が楽に出来る。皮肉ってヤツだ』
「ほう、皮肉などシュラが言うとは思うてなんだ」
『ヒムロちゃんは、セトラナダの言葉を話さないだけで 言ってる事はわかるのだね』
「うむ。慣れぬ発音で喋れぬだけじゃ」
『ヒムロちゃんの話し方は、独特だもの。年寄りみたいに話すからな。子供らしくなくて、私の解釈が間違えているのかと思ったよ』
「ほう、私は人の形を成した時から ずっとこの喋り方じゃがのう」
『それで通訳を必要となさったの ですね』
『わからない振りは、何度かして見せたけどな。二人とも、タタジクの事は内緒にしたそうだったから 内容が筒抜けで笑いそうだった』
ヒソヒソと話しつつ、龍の城まで着く。本当に警戒する様子が無く、正門の周りは雑草が伸びて荒れ放題。誰も通る事が無くなって、五年が経っている。使用人や平民が使う道は、辛うじて行来がある事のわかる程度に 草も踏み潰されて歩きやすくなっている。
龍の城の地下室に続く小さな扉まで着いた。試しに扉を引くと、鍵もかかっていない。
『簡単に入れるのも、少し不気味だな』
ロアルは警戒心を表に、先頭に立とうとするのをシュラが止めた。
『この先に、何があるかわからない。私なら、ロアルより襲撃に慣れている』
『わかった。なら先頭はシュラに任せる。殿は私に任せろ』
『頼もしい』
静かに扉の中へ歩を進める。
確かに、ラージャの気配が強くなってきた。
本来なら食料庫のような空間で、ロアルも他の城に酒を搬入する時に 入る事がある。同じ間取りなのに 全く食材が無く、違う空間に感じると呟く声が 意外と響く。
階段を下りれば地下で、このまま進めば厨房に繋がる扉がある。厨房の奥に階段があり、階段を上がると広間に出る。その先にクウの気に入っている部屋がある。
ラージャが以前と同じ部屋を使用しているなら、その部屋に居る筈だ。
厨房の扉を開けると、酒樽が隙間無く置かれていた。見張りの気配は無いが、埃と黴に混ざる血の臭い。階段が見えないので、シュラは樽に上る。天井が低く、樽の上でシュラは立ち上がれない。続いてヒムロが樽に上り、立ち上がる。しかし、移動する時は少し屈まないと天井の梁に頭をぶつける。
階段の所からは、幾つもの足跡が埃の上から着いていて、まだ新しい。ちょうど階段下の空間に扉が着いているが、とりあえず静かに階段を上がる。
広間にも、誰もいない。
先にある部屋には、ラージャが居るのだろうか。
警戒しながら扉に近付く。皆が息を呑んでロアルが静かに扉を開き、シュラが隙間から飛び込んだ。
ムウ一人で描き続けて、広い壁全体が絵らしくなってきたが、その筈だ。窓の外、満天の星は少しずつ減って来ている。
「まだまだ描き足りないけど、なんか足が重くなってきた」
「ムウ、ちょっと休もう?」
「あ、うん。トトもボクに付き合ってくれるから、ボクが休まないと 休めないね」
「やっと気が付いた?」
「つい夢中になっちゃって、ゴメン」
大きな欠伸をする二人にクウは湯浴みを勧める。すぐに眠りたいと言うムウも、
「気持ち良い体験は、きっと描く感情に良い影響を与えると思うよ」
クウに言われて 飛び付くように湯浴みする部屋に向かう。
その間に壁の前には足場や幅の広い筆の準備がされて行く。
ムウとトトは並べられた湯船に服を脱いで浸る。
「お湯に体ごと入るのは初めてだよ。本当に気持ち良いんだね」
簡単ではあるが、体全体を洗って浸かる湯船の温度が気持ち良い。
夢でも見ている感覚で、温かい湯に体の疲れが溶け出して行く心地好さを満喫する。頭も丁寧に洗われた。髪も意外とジャリジャリで、洗うとサラサラになった。
全身が新しくなった感覚を堪能していると、新しい部屋着も用意されていて、トトとムウはお互いを上から下まで眺めてから
「別の人になったみたい」
同時に言って笑う。
ムウは初めて夢中で描き続けた疲れすら心地好く、湯船でぽかぽかする体の感覚にも、表現するならどんな色で、形で、と考えるだけで楽しい。
トトにしても、トレザを出たのが初めてで、何もかもが興奮する。
大きな欠伸をしてから 意識が途切れる睡魔に微睡んでクウの部屋まで 何とか戻り、二人は床に突っ伏して眠りに落ちた。
ユタの家には、今朝も洞窟で採取した蜜が届く。欲しいと言う相手には、容器さえ持って来れば無償で提供しているユタにルフトが叫ぶ。
「おぉい!ユタ、俺の言ってる事はわかるか?」
「ああ、うん。ルフトさんの指摘があると思っていたんだよね。でも蜜は 以前から配っているから、急に変えられない」
他にも医療が無償だったり、学舎の資金源も考慮されてない。ルフトの不満は満載だ。
「ルフトの旦那は、クウ様がいないから 余計に荒れてるんじゃないか?」
ここ数日は、同室で寝起きするバムがルフトを茶化す。
「クウが離れていた所で、俺は変わらねえ」
それでも的確な助言が得られる環境と安心感は、クウが居る時の方が断然良い。ルフトは無自覚だが、周りから見れば 少しだけピリピリしている。
「急激な変化に、みんなが着いて来てくれているんだよ。だから、負担にならないよう それが最優先なんだ」
「甘い。だが、だから良いのかもな。俺も妥協できる所は探す。だが、ユタは周りを巻き込んでる自覚を持てよ」
リリが用意した軽い朝食を済ませて広場に出る。
思い思いに舞台で踊ったり、歌を合わせて手を叩いたり、ルフトが来てから食事は代金を支払う形が採用されて、他にも歌や踊りには大道芸のような投銭箱を設置した。
舞台にラージャとサラが立つ。ユタとルフトが手招きされるまま、舞台に上がった。ムウの絵が観やすいよう、絵画の隣に皆が並ぶ。
「さて、皆も知っている通り、舞台の絵画はムウが描いた物だ」
ラージャが話すと歓声が上がる。
後は任せたと、ラージャとサラは少し下がり、ルフトが言う。
「この絵画を黒龍クウ様が大層お気に召されたんだ。絵画の価値は皆にも教えたが、ムウはクウ様の住まいに直接行って描いている。いくらで売れたと思う?」
広場全体がざわざわし始めた。銀貨五枚ぐらいには、なっただろうか。期待する視線にルフトが
「新しく描く絵画は、金貨五十枚。クウ様が支払った。滞在中の宿泊費や道具の材料費を差し引いて、ムウが受け取るのは金貨三十枚になる」
どよめきが広場を覆う。
ラージャが絵画の中央まで歩き、数歩下がって絵を眺めてから振り返る。
「活かせる才能には、価値がある。寝食を忘れる程に夢中になれる事はあるか?心を満たす目的を持つ者は、更に磨き 造り出すがいい」
シン。と、静まり返った直後、大歓声が広場から上がった
シュラは滑り込むように、警戒しながらラージャの部屋に入る。埃と黴の臭い。家具にかかる蜘蛛の巣にも埃が積もっている。明らかに手入れのされていない部屋。
無数の足跡はあるが、誰もいない。
窓際の椅子は、良く使用しているのだろうか、窓辺と椅子の上には埃が無い。
室内に誰もいない事を確認して、部屋を出た。
「誰もいない」
しかし、城内にはラージャの気配を感じるのだ。ヒムロも同じように感じている。
『そろそろ朝になる。一度、戻らないか』
『ロアルさんに賛成いたします。シュラ、嫌な予感が致します』
アヤメが不安な声で言う。皆が静かに厨房の階段を下りて行く。背後の広間から、物音が聞こえた。そして複数の人の声。
誰が来て、何を話しているのか気に掛かる。しかし、引き返すのは危険だろう。警護の兵士かもしれない。侵入者に気付かれれば、警戒が強くなる。
来た通り戻るよう、皆が酒樽に上り始めた時に、厨房の階段を下りる足音が聞こえた。
アヤメを押し上げたロアルが最後に酒樽に上る。
下りてくる足音は、複数で何かを運んでいるようだ。
先頭で灯りを持つ者が、後ろから着いて来る皆を確認して 次の一人が荷物を持って後ろ向きに階段を下り、もう一人が荷物の反対側を抱えてゆっくり足下を確認しながら階段を下りて行く。
『何か、音が聞こえなかったか?』
『鼠だろう。猫も放しておいた。あまり鼠が増えても困る』
『鼠か。まあ こんな所に潜む奴なんて、いないだろうしな』
シュラ、ヒムロ、アヤメ、ロアルは酒樽の上から、息を潜めて 運んで来た荷物と 厨房に下りてきた者を見る。階段下にある扉まで歩き、灯りを持っている者が扉の鍵を開けた。
荷物を持つ二人と灯りを持つ合計三人が扉の先に行き、軋む音を発てて扉が閉まる。
他には、階段を下りる者は無い。しかし、広間には まだ数人の気配がある。
静かに、酒樽の上を移動し そっと厨房の入口までたどり着き、他にも人が出入りしてないか確認しながら外まで出た。
入る前と同じように扉を閉めて、暗がりの中 酒蔵に向かって走る。
『こっちだ。人目につかない』
ロアルが生垣の中へ進む。人目には付かないが、袋小路だ。
うっすら明るくなってきた。王の城に向かう警護の交代要員が歩く姿も確認できる。植込みに隠れながら 迷わず進むロアルに続く。
地面に錆び付いた取っ手があり、ロアルは引き上げる。暗い階段が地面の奥に続いている。
ロアルが始めに下りて、アヤメが続く。ヒムロが入った後は、シュラが枯草で歩いた道を隠してから、最後に入る。扉を閉めると真っ暗になる。
「うわぁ。トレザに行く時の抜け穴を思い出すよ。真っ暗だぁ」
案外 響く声に緊張が走る。
『アヤメちゃん、こっちだ。酒蔵に続く通路になっている』
しかしロアルは声が響くのを気に止める様子は無い。
シュラは手探りで光苔の粉に水を含ませる。シュラの手元だけ ボンヤリ明るくなった。
『便利な物を持っているなシュラ。後で売ってくれ』
『売れるほど作って無い。先頭のロアルに渡そうと思って出した』
『作れるのか。この先は しばらく暗いから助かるぞ』
ボンヤリとした光苔を手にロアルが進む。周りは石壁で、蝙蝠や蜥蜴が息を潜めている道を小走りで進む。
石壁の通路は続いているが、途中に見えた階段をロアルは迷わず上る。天井をロアルが押し上げると、外の光で光苔の明りは 気にならない程度になった。シュラが光苔を受け取る。
外に出ると酒蔵で訓練に使う部屋に続いていた。
『昔の王族が、御忍びで使っていた抜け道だそうだ。私が子供だった頃は、王の城まで繋がっていた』
『ロアルさんは、どうしてこんな道をご存知ですの?』
『ああ、さっき入った所より向こう側はね、石壁だけでもホンノリ明るくなってたんだ。材質が違うんだろう。興味本位で明るい階段を上がったら、王の城に出たんだ』
『よく無事だったな』
『無事じゃなかったぞ。その場で捕らえられて、兵役五年を体験した』
『子供に兵役?』
『子供だったから助かったんだ。遊びで迷った先に王の城があっただけ。大人が同じ事をしたら、多分ここで生きて無い』
ロアルが妙に強い理由と、破天荒な子供時代の話題になごむ。
外は明るくなって来た。
『では、私は使節団が来る前に着替えて来る。シュラは今夜の作戦を考えておけ』
『承知した。ロアルの知識に頼って良いだろうか』
『シュラは、こんなに素直で 良く今まで生き延びて来られたな。それだけ戦闘力も有るのだろうが……。私は全面的に協力するぞ』
ラージャの気配は確かにあった。しかし、龍の城は広い。何処から探せば良いか、シュラはトレザの本体ラージャに瞬時で助言を要請した。返事は突然、瞬間で戻る事もある。今は本体ラージャの返事を待ち、ヒムロとアヤメの意見も聞きつつ 今夜こそと意気込む。
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