酒蔵からの極秘通信
馬車は暗闇を音もなく走り出す。
滑るように走る馬車の車内は広く、シュラとヒムロが進行方向に向かう座席に座り、対面の座席にはアヤメがぐっすり眠っている。
目的地に向かって馭者が馬を駆れば速度は増す。ヒムロが両手で大事そうに持っていた黒い宝石が、音もなく崩れて行く。砂になり、これから向かうセトラナダに吸い込まれて行った。外はまだ暗いが、馬車は迷わず目的地へ向かっている。
「本当に消えてしまったのう」
「今の宝石は、何だったのだ?」
「クウの『気』を預かった物じゃよ。私も身体が重たくなって来たのう」
「アヤメみたいに眠っては如何か」
「そうさせて もらうと しようか」
ヒムロがシュラに寄りかかって、寝息をたてる。
朝の陽射しが辺りを明るくする頃にはセトラナダに到着した。まだ宿泊に指定された酒蔵までは、かなりある。
出発する前の出来事だ。
深夜に龍神の部屋が明るくなった。急な異変に気付いたシュラは、音を立てないように龍神の部屋へ近付いた。何かが起きていた。身体中から懐かしさと憧れ、心酔する対象となる 見たことのない何かが、満ち足りた光の中へ消えていった。
理由はわからないがシュラの頬を涙が伝う。悲しみとは違う、喜びに似た感動が心を占める。袖口で涙を拭い、龍神の部屋をそっと開いた。アヤメと一緒に退室したはずのチヌがクウの腕の中で眠っている。
何が起きたのか、聞こうと口を開いただけで声に出せない。心が波立つように激しく訴えかけてくる。
「ヌッタの子、今は泣くといいよ」
クウの言葉で塞き止められていたシュラの涙が溢れ出す。シュラの理解が届かない所で、涙と同時に不安や苦しみが溶け出し 心を洗い流すように清らかな気持ちになっていく。
とても長い時間だったのか、一瞬の事だったのか。スッと涙がひいた。
「落ち着いたようだな。シュラにも関係のある事だ、トレザに戻ったら全て伝えよう」
「わかった。必ずトレザに戻る」
「頼もしいぞ」
今は言えない。そういうことだろう。
シュラが室内を見回してもヒムロの姿が無い。氷の刃が使えないかもしれないと、代わりになる物を用意しているのだ。使用人に案内されて倉庫に行くと、四人の使用人が楔を抜いている。シュラを案内した使用人だけは下がらせた。
「シュラは眠らなくて良いのか?私はこれを準備しているのじゃ」
「ああ、さっき休んだ。今は調子も良い。すぐに出発と言われても対応できる」
形の揃った楔が小山になっている。シュラが一つ手に取って重さを確かめる。
「さて、どのように運ぼうかのう」
「兵士から武器を取り上げた時はどうやったのだ?」
「ちと説明しにくいのじゃが、石は大地の欠片じゃろ?意志あるモノは私の懷に収まらぬのじゃよ」
「石に意志はあるのか?」
「意志というか、一定の振動が続くのじゃ」
「振動……このように微弱な振動が?」
何気なく触っても全くわからない振動は、生き物の振動と違って正確で規則的だ。ムウの石を運ぶ時も同じで、量があると運べないと言う。
「このように飛ぶじゃろ?しかし いくつも石を持っておると、飛べなくなって しまうのじゃ」
ふわりと飛び上がり、揺ったりと降り立つと楔を両手に抱えて跳ねる。わざと飛べないふりをしている訳ではなく、本当に飛べないらしい。
シュラはアヤメの上着を一枚出した。裏側には小さなポケットが沢山 縫い付けてある。綿の種が二十個だけ一つのポケットに入っていて、他は空だ。
「アヤメはこれをいっぱいにしたいと言っていたからな。服の寸法は代わらぬようだし、現地で必要になったらヒムロが羽織れば良い」
「私もシュラやアヤメとお揃いじゃな」
楔をしまい終わった上着を羽織ってピョンピョン跳び跳ねた。本当に飛べないのだと、しみじみ感じる。
「シュラ、悪いがこの上着ごと預かってくれぬかのう」
「構わぬが、何か?」
「どうにも眠たくなってしもうた」
石の微弱な振動が、本来なら眠らなくて良い身体に異変を与えているのだ。
「必要な時に渡す。預かっておこう」
大事な戦力に、想定外の異変が起きては困る。鞄に上着を片付けていると、ヒムロはふわふわ飛び始めた。
「案外、石の影響は大きいのじゃのう」
「そのようだな」
使用人達も揃ってクウとラージャの居る部屋へ向かう。シュラは大きな荷物の確認を行い、ヒムロに預ける荷物と分け直す。石が使われている物があれば、シュラが持っていた方が良いからだ。アヤメが幼少期に着ていた正装礼装の装飾品を除けば、石が使われている物は無かった。
「シュラ、そこのちっこいヒムロ様に話がある」
「ルフトは何か怒ってないか?」
「アヤメ様と同じ金銭感覚に呆れているだけだ。シュラも聞いておけ」
ルフトは使用人に渡した金額が、報酬としては多すぎる事を話す。かなり厳しい言葉でキツく言ったが
「わかったと思う。今後はシュラに聞くことにするが、それなら問題ないじゃろう」
どうやらヒムロには理解できないので、金銭のやり取りはシュラに丸投げした。
「酒蔵への手紙には、シュラ一行が旅芸人だと書いて置いた。シュラの髪は染めている、ヒムロ様もだ。いざとなったらアヤメ様の歌とヒムロ様の舞で乗り切れ」
「なっ?私は ただ立ってるだけか?」
「芸は苦手だろう?」
「それもそうだが」
「シュラの剣舞は見応えあるのじゃ」
「なるほど、飾りの剣は二本持っていけ。後は手紙に書いてある」
酒蔵に運ぶ荷物の中に、ルフトが言っていた旅芸人らしい衣装も入っている。その中にアヤメの正装で使われた装飾品も入れ、更に入れたのは剣舞で使えそうな切れない剣。
まだ眠ったままのアヤメは、そのまま馬車に乗せる。着替えは何処でも気にしないアヤメだ。目が覚めたら 着替える間はシュラが目を閉じてれば良いと、眠るアヤメの席に着替えも乗せた。
「久しぶりに、あの部屋を出たよ。我が知ってる景色とは、随分変わったねルフト」
チヌを抱いて馬車の中のアヤメに近付く。そっとチヌをアヤメの顔の側に寝かせて、アヤメの髪を撫でながら
「また、会えるよ。セトラナダの子アヤメ」
静かに言ってクウは馬車を下りる。
「必ず、生きて戻れ」
「承知、必ず」
ラージャとシュラのやり取りは短い。声に出す必要は無いが、あえて音にした。ヒムロも覚悟を決めた顔で馬車に乗る。シュラは荷台に乗せた荷物の確認をして、最後に馬車に乗る。
明るくなった馬車の中で、ヒムロとアヤメが寝息をたてる。ヒムロがもしかしたら目覚めないのではないか?と、シュラは不安になって寝顔を覗き込む。呼吸はしている。しかし龍の力が使えないとなると、不安はある。
馬車の外は 屋台が並んでいるものの、あまり賑わっている様子は感じられない。以前シュラが滞在していた時は、外は大道芸人等で賑わっていた。
深く息をして、ルフトから預かっているシュラに宛てた手紙を読んだ。きっとクウの予言に合わせて以前から準備していたのだろう。
酒蔵でアヤメの訓練もできるよう、手配済みらしい。
「うーん。はっ。ここ、どこ?」
「セトラナダだな」
「なんだって?アタシ、朝ごはんを楽しみにしてたんだよ」
「何を言っている。もうすぐ昼になるぞ」
「えぇ?じゃ、ラージャ様とかクウ様は?アタシちゃんとお別れしてない」
「アヤメの『お別れ』する『気』は、置いて行かない方が良いらしいぞ。また会える、だから あえて眠ったまま馬車に乗せた」
「そうなの?ねえ、ヒムロ様は眠ってる?」
「今のセトラナダでは、ヒムロも人と同じ事しか出来ないらしい。だから私やアヤメのように眠るし食べる」
「む~ん、目覚めとは 思っていたよりも心地好いものじゃのう、しっかり眠ってスッキリじゃ。アヤメ、私を呼ぶ時はヒムロと呼び捨てよ」
「へ?シュラみたいに失礼な事、できないよ いふぁい (痛い)」
無言のシュラがアヤメの言葉に反応して頬をつねる。二人が目覚めて間もなく、馬車は酒蔵に到着した。
アヤメとヒムロを馬車に残し、シュラが先に酒蔵の主人ロアルとやり取りする。ルフトの紹介ではあるが、警戒は怠らない。砂漠の城からの追加注文と、滞在する間の予定を伝え、荷物を下ろす。
シュラの作業している間に、敬称を着けずに対話するのは 周りに怪しまれないためだとヒムロが説明する。アヤメも何となく納得したようだ。眠ったままのチヌを鞄に入れて背負う。
作業するシュラの様子を見るヒムロは、興味が隠せない様子で 合図を待っている。シュラも周りの人が動く様子を観察しつつ、問題なしと小さく手招きした。
馬車からアヤメが飛び降りた。続いてヒムロが飛び降り 着地に失敗し、見事に転んだ。
「ヒムロ!」
シュラが駆け寄りアヤメは驚いて振り返る。
「何と言う事じゃ。飛べぬ」
人目のある所でふわふわ飛ばれても困るのだが、主戦力のヒムロがこの状態では、計画の見直しが必要になる。
「困ったのう、腹に虚無を感じるのじゃ。何と言うか、放って置くと命の危険をも感じる」
「具合が悪いのか?少し触診させてもらう」
シュラはヒムロの呼吸を確認しながら脈を取り、横になれるよう馬車に戻して胃の周辺を押す。
「のうシュラ、その辺りにキリッとした感覚があるのじゃ。私はどうやら、もうダメじゃ」
「ラージャからは、人と同じようになると知らされた。ただの空腹ではないか?」
初めて体験する空腹は、ヒムロにとって命の危険を感じるようだ。ちょうど食事の準備も整ったと言われたばかりだ。心配そうに馬車の中を見るアヤメも、食事と聞いてソワソワする。
ルフトの城で出された食事ほどではないが、案内された食堂には豪華な食事が準備されていた。アヤメはすぐに飛び付きそうな勢いで、シュラが良いと言うのを待つ。
給仕が付く訳ではなく、個人の食器に予め盛付けられている。パンや野菜、肉類は大皿に乗せられていて、足りなければ自由に取れるようになっている。
用意されている食事は四人分。
「少し待った方が良いだろう、あと一人来るようだ」
「わかった。じゃあさ、椅子はどれに座ればいいの?」
「それも相手の出方を見た方が良いと思う」
「私の腹に巣食う虚無が、何やら言い出したのじゃ。ラージャの声も届かぬし、不安になるのう」
「落ち着いたら私からラージャに伝えておこう。ヒムロは今の体質に慣れる事を最優先にして欲しい」
「うむ、では虚無の言語を覚えるとするか」
「腹が鳴ってる音だろう?覚える必要は 無い」
アヤメはあれが旨そうだとか、どの椅子なら採りやすいと言いながら、ヒムロは腹の音と対話しようと試している間に、ツカツカと大股で歩いてくる主人が食事の用意されているテーブルの前に立った。
足音だけでは男かと思う勇ましい歩き方だが女性で、身長もシュラより頭一つ分低い。セトラナダに多い栗色の髪を後ろで小さくまとめている。
『待たせてしまったね。ルフトからの追加注目が 予想以上に多くて、取急ぎの品だけは 出発させて来た所なんだ』
セトラナダの言葉で言いながら、椅子に座るよう手で合図する。
『どこに座れば良いだろうか』
シュラが聞くと、
『そうだな、好きな所で良いのだけど』
その声に反応してアヤメは女性の隣に座る。ニコニコして「食べて良い」と言われるのを待っている。
女性の向かいにシュラ、アヤメの向かいにヒムロが着席し、
『では、食べながら話そうか』
言い終わらないうちにアヤメはパンにかぶり付く。ヒムロは果汁のコップを両手で持って、流し込んだ。
「ぬ?虚無が消えて腹が躍りだしとるのじゃ」
「苦しくはないか?」
「いや、更に欲しておるようじゃ。それに、果汁の甘味は改めて好みと知ったのじゃ」
『君がシュラだね?子供の世話をしながら旅は、大変だろう』
『いや、相手が居る事で、無理せず行動するよう心掛けられる。私の隣に居るのがヒムロ、貴女の隣で食べているのがアヤメだ』
『まだ若いのに、しっかりしてるな。私はこの酒蔵の代表を務めているロアルだ。ルフトが小僧の頃から知ってるけど、シュラの方が頼もしいな』
『ルフトにも子供の頃があったのか?』
シュラは話に答えつつ、ヒムロにはスープにパンを浸して、軟らかくふやかしながら食べるよう手伝う。初めての食事なのだ。固形物を取りたがるヒムロに言い聞かせながら、柔らかくした物だけを食べるよう 渡す。
ぎこちなくスプーンを使いながら、ヒムロも初めての「食事」に感嘆の言葉を呟く。アヤメの食べる速度は早い。
『ルフトが小僧の頃は、こまっしゃくれてて可愛かったぞ。あの頃から奴は先を見越して仕事を作り出すのが上手い』
『人身売買もか?』
『ああ、ルフトの所から仕入れる子供は、文字の読み書きが出来る子が増えたね。値段は高いけど、すぐに使える』
『誘拐した子供も居るだろう』
『ルフトは誘拐は辞めたらしい。五年前になるかな、誘拐した子供を売る迄が ずいぶん大変だったみたいで、あれ以来セトラナダには来て無いんだ』
『そうなのか』
『仕方ないから私がルフトの新しい城に泊まりに行く事にしたよ。これも値段は高いが、貴族になった体験が出来る。度々行きたいが、仕事が多くてなかなか行けないんだ』
『宿代が かなり高くて、やたら宿泊できないと思うが』
『ただの宿泊なら、とても高いな。価値があるんだよ、また泊まりたいと思うだけの価値がね』
『価値……。か』
『私は従業員ごと泊まりに行くんだ』
『破格ではないか』
『貴族との取引を城で行う場合、初めて行く城で緊張してたら仕事にならんだろう。支払う以上に収益が見込めるんだよ』
『成る程、納得した』
『シュラは計算も早いんだね。それに、砂漠の城なら泊まりたい従業員は、いくらでも居る。みんなが仕事を頑張ってくれるから、解りやすいご褒美は助かるんだ』
『合理的だな』
対話しながらヒムロに食べられそうな物を渡している間に、アヤメは満腹になったようだ。
「食の喜びに満たされて来たようじゃ。ちと休む」
「あ?」
ヒムロは椅子に座った姿勢のまま眠った。ロアルはヒムロの様子を見て笑う。笑顔は優しく女性らしさも見えるが、仕事に対する気概や姿勢は男にも勝る。
『ヒムロちゃんだったかな?こっちの言葉は話せないようだね。こっちのアヤメちゃんは、少しは話せるのかな』
『ロアルさん、食事に専念してしまい ご挨拶が遅れました。アヤメと申します。大変 美味しくいただきました。ありがとうございます』
『おや、驚いた。立派に話せるようだね。これだけ話せれば、貴族の前に出せるね。後はガサツな動きを直せれば……ああ、済まないね、家に雇う訳じゃないのに余計な事を言った』
『いや、アヤメの言葉が通じて安心した』
シュラはアヤメにこれ以上 喋らないよう合図を出す。アヤメも合図に気付いて小さく頷く。
『シュラ達の滞在はルフトからの手紙には、アヤメ様の鎮魂際が終る頃迄とあったが、アヤメちゃんと同じ名前の姫様が亡くなったんだよ。もう五年前の事だからね、今年で五回目の鎮魂際になる。旅芸人の見せ場は、無いと思うが 良いのかな?』
『セトラナダには、様々な珍しい物も多いと聞く。私達の芸を披露するよりも、実際にこの土地を見たかったので 問題無い』
旅芸人など注目を集める仕事は、元々するつもりも無い。それに、目的はアヤメを母親と再開させる事とラージャの解放だ。
『では私は仕事に戻る。夜の食事は用意して良いかな?一応は祭りだからね、外で食事するなら事前に知りたい』
『食事に困らない環境は助かる。しかし、途中で仕入れた食材が無駄になってしまうのは惜しい。ルフトにも食事は提供されたので、手持の食材が手付かずなんだ』
『ふむ、見せて貰えるかな。珍しい食材なら、買い取りたい』
『喜んで』
大きな荷物からシュラが出した食材の中には、アヤメが作っていた腸詰めの燻製も入っている。他にも干した果実や日持ちする食材。
ロアルは干した果実に興味を持ったようだ。
『果物をここまで乾燥させるのは、この辺だと見ないね。しかも、この果物は珍しい』
酒は穀類や果実を発酵させて造る物が多く、果実の保存は切って少し干した果物を酒に浸しておくのがこの土地では普通らしい。
結局 食材は滞在中に消費するだろうと、ロアルが食事の支度をする使用人を呼び、シュラが全て渡した。アヤメが腸詰めを見送る目は、涙ぐんでいる。
「食べられるようにして、順次 出される。宿代のつもりで渡した、泣くな」
「まだ泣いてないよ」
ロアルはアヤメの頭を撫でて『夕食から早速この食材を使わせて貰う』と 仕事に戻り、シュラはヒムロを抱えて案内させる部屋に向かう。
用意されている部屋は寝台が二つ。天井が高く、かなり広い。以前は倉庫に使っていた空間で、最近は遠くから取引に訪れる商談相手が宿泊する事も増えているらしい。
寝台にヒムロを寝かせて、他の荷物を運び込んだ使用人が出ていくと
「アヤメ、ここから王の城迄は、さほど遠くない。様子を見て来ようと思うが、ヒムロが眠ってしまった。ヒムロを見ていてくれるか?」
「いいけど、留守番は暇だな」
「手紙でも書いたらどうだ?姉さん(イリス)に伝えておきたい事もあるだろう」
「あっ、いいね。ルフトのお城にお泊まりした事を書いていい?」
「封をする前に見せなさい」
「シュラ、アタシの方がお姉さんでしょ」
「危険な情報をうっかり書いてないか確認しておきたいだけだ」
「別に、いいよ見ても」
話しながらルフトが用意していた服を幾つか出す。旅芸人らしい、派手な色の服ばかりだ。ため息を吐いてきちんと畳んでしまう。目立たない服があれば着替えようと考えていたのだが、今の服が一番 目立たない。
「城のバルコニーが確認出来たら戻る。そう時間は かからないだろう」
酒蔵から出て、馬車が行き違うのを見ながら広い通りに向かう。かなり人出が多く、それなりに賑わっている。西を向けば、立派な王城が見えた。以前と変わらず 噴水もあり、その上に通りを見渡せる城のバルコニーが確認出来た。一番多く見られるのは旅の商人らしい雰囲気の人だ。
髪を染めているのか、鮮やかな赤や黄色の頭もちらほら居る中で、シュラはそれほど目立たずに済んでいる。
雑貨屋でノートを二冊だけ買って、酒蔵に戻った。
部屋に戻るとヒムロの隣でアヤメも眠っている。
「まだ昼だが、今から眠って夜は眠れるのか?」
アヤメを起すつもりでシュラが話し掛けると
「ごちそうさま」
そう言ってヒムロが目を開けた。キョロキョロと赤い目を動かし、ボンヤリと体を起す。隣で眠るアヤメを見て
「どうしたのじゃアヤメ、しっかりしろ」
「眠っているだけだ、ヒムロもしっかりしろ」
「おお、そうじゃのう。体が重いし、ちと勝手が解らぬ。どうしたらよかろう?」
「ラージャの声は聞こえるか?」
「全く聞こえんのじゃ」
かなり気落ちした声で返事をする。
「私だけか、ラージャと通信できるのは。ヒムロは人と同じ事なら問題なく出来ると聞いた」
「初めて体験したのじゃ。まるで石を沢山持っている時に似て、不便じゃのう。飛べぬ」
「さすがに飛べる人はいない。他の目がある所で飛べなくて良かった」
「てちてち歩くのは億劫じゃ」
「誰もが歩く。計画を実行する前に、警戒される事はするな」
「むぅ、仕方ない。飛べぬ状態で陣を張れるよう、練習せねばなるまいのう」
ヒムロが袖口から布を引出すと、布が妙に光っている。そこだけ空気が違うのは、明らかだ。
「ここで陣を広げるのは、危険かもしれない。同じような大きさの布は持っているか?」
「うむ、確かに手にしただけで、身体が元に戻る感覚があったのじゃ。ラージャの声も届いた」
セトラナダという大国に影響力のある陣だ、ここで広げるのは危険な予感しかない。
ヒムロは大きさの同じ布を出した。
「この楔なんじゃがのう、幾つも持てぬじゃろ?やはり不便なんじゃ」
少し飛び上がって四つ投げると着地し、再び飛び上がって四つ投げる。
一瞬でピタリと床に張り付く、そんな芸当は出来ないようだ。実際にトレザでは飛んだ状態のまま無限に出せる氷の楔を投げていた。ルフトの城で練習した時も、自由に飛べる状態だった。楔は小さいので二十個ぐらいなら、持っていても飛べる。
「幸い、この部屋は広い。何度でも練習して、布の浮いてる時間を縮めればいい」
「面倒じゃ」
「最終的には陣さえ張れれば、自由に飛べるのだろう。それまで練習しておかないと」
「なら、ここで陣を広げれば良いじゃろう」
ヒムロが陣の刺繍された布を再び出し、咄嗟にシュラが奪い取る。
「何故に邪魔をする」
「これはセトラナダ全域に影響を与えるのだろう。今 広げれば、怪しまれるぞ」
「ぬ?」
「ふぁあ、良く寝た」
「戦地でのんびり昼寝する度胸に呆れる」
「ええ。だってヒムロ様の隣で寝息を聞いてたら、いつの間にか寝てたんだよ」
「ずいぶん呑気だな」
膨れるアヤメの頬をつつき、ブヒッと出た音にアヤメが笑い出す。その間に陣の布はシュラの荷物に片付けた。
「アヤメ、シュラが意地悪するのじゃ」
「なっ」
「シュラは、あれが普通なんだよ」
「おい」
「私が飛べぬのに、しんどい練習をしろと言うのじゃ」
「理由を教えてくれないと、意地悪に聞こえるんだよシュラ」
アヤメがシュラに向かって言い聞かせるように話す。
「理由は言ったぞ」
シュラは少しムッとして返す。
「そうじゃったかのう」
とぼけた口調で目を合わせないヒムロ。
シュラは買って来たノートを黙って一冊ずつ渡す。
「これって お祭りのお土産?」
嬉しそうに受け取ったアヤメと、どうして渡されたのか不審に見上げるヒムロ。
「これは食べられぬじゃろ」
食べる事に興味を持った様子だ。
「ヒムロは少しセトラナダの言葉を覚えるといい。アヤメは、気付いた事を書いておきなさい」
「お土産じゃないの?」
「……祭りの土産だ」
お土産と言えば、アヤメが喜んで受け取りそうだったので、試しに言ってみると、
「わかった。ルフトのお城で出た ごはんと、今日 食べたごはんの事を書いとくね」
嬉しそうに受け取った。
「セトラナダの言葉は解らぬが、伝えんと意図する所は解るので、問題ないじゃろ?」
「ヒムロが伝えたい時はどうするんだ?」
「シュラとアヤメに伝えればよかろう」
ヒムロは全くやる気なし。身体が思うように動かないのが 何よりの原因だが、このままでは支障が出る。
「アヤメ、食事の事を書いてからで良いのだが、陣の図柄にヒムロの行動だけでも緩和できるものが無いか、確認できるか」
「ん?できると思うよ。そうだね、不便だって言ってるもんね」
アヤメがノートに幾つか記号を書き出す。
「アヤメ、この記号は凄いのじゃ、私のノートにも書いて良いか?」
「いいよ。でもノートだと不便だよね。シュラ、小さい布があったら刺繍してヒムロに渡すね」
「布なら沢山持っとるのじゃ、ちと 切って 私も刺繍するとしよう」
アヤメとヒムロが記号を刺繍し始めた所で、シュラはラージャの思考に同調する。
「ヒムロとの通信が途絶えたのでな、不穏な波長を警戒しながら シュラの視線を通してずっと様子を見ていた」
「うっすら気付いていた。ヒムロが不調で思いやられる」
「アヤメの知識で補助が出来れば良いな。蛇になれぬ程度かと思っていたが、飛べぬのは難儀だろう」
「人は飛ばない。神々の常識が違う事を忘れていた。不審に思われぬよう注意して、ヒムロの復帰に努めよう」
「期待している。ヒムロが食に興味を持ったと知ったサラが、トレザに新たな食材をもたらすようだ」
「ラージャは、今 どこなのだ?」
「勿論、トレザだぞ。ルフトとクウも共にな」
「なんだと?」
ラージャの視界を確認すると、トレザは賑やかな祭りの最中だ。セトラナダは 祭りと言っても静かなもので、朝と晩だけ城の前の通りに歌が流れるだけだと聞いた。
旅商人は多く見られるし、屋台もそれなりに出ているが、トレザの賑やかさとは 程遠い。
トレザでは、タタジクから届いた酒と、トレザで造られていた少しばかりの酒、それにルフトを乗せたクウがルフトの城に備蓄されていた酒を持てる限り運び込んだという。大人は陽気に酔っ払い、子供も舞や打楽器ではしゃぐ姿が、その場に居るように感じ取れた。
「ヒムロと連絡出来ずに良かったと思う。アヤメがこの騒ぎを知ったら、余計に面倒な事になりそうだ」
アヤメの指導で刺繍するヒムロを見たシュラが、大きく息を吐いた。
閲覧ありがとうございます♪
やっとセトラナダに入りました。長かったね、ここまで。
酒蔵の主人ロアルさん、初登場です。
本当は、使用人にも名前を付けようと思ってましたが、あまり増えると誰だか解らなくなりますね。
折り返し地点は過ぎたのかな。
もう少し、おつきあい いただけると嬉しいです。




