決戦の地へ
トレザの民が今まで以上に活気づいているのは、子供たちの意見も採り入れられる事になったからだ。
ヒムロが「シュラとラージャのかくれんぼ」に勝った者の願いを聞くと約束した。子供たちの願いが他愛のない「色々な仕事を体験したい」「文字や計算に強くなりたい」「夜明けの洞窟に行きたい」のような事ばかりで、翌日には、ほぼ叶えられたと言っても良いだろう。
大人の仕事内容に子供の柔軟な発想が組合わさると、作業効率に革命的な進歩がみられるようになったらしい。
ユタに報告される内容は、かなり詳細に書き込まれるようになったが、助言や統率は各分野別に代表者を配置する事で連絡や伝達の効率も良くなった。
「ねえねえ、新しく作って貰った鞄をチヌが気に入っちゃったみたい。可愛いと思わない?」
背負う形に作られた鞄にピッタリと収まったチヌを見せてアヤメがはしゃぐ。
ユタの家に旅に必要だと思われる物が集められていた。
「今まで使っていた鞄と一緒に持ち歩けば良いだろう」
シュラは一番大きな鞄を小さくたたんで、新しく準備された鞄に必要な物を整理しながら入れていく。
セトラナダまではアヤメの速度に合わせれば、半月ほど走らねばならない。途中の宿代を考えると野宿で済ませたい所だが、ヒムロが同行するのだ。腰に着けている小さな鞄の中の金貨を数え、一番奥にしまう。安い宿なら銅貨で泊まれるが、神の宿泊には向かない。出費がどれぐらいになるのか想像が出来ずに、ため息を吐く。
銀貨と銅貨を出しやすい位置に変え、解毒薬と傷薬も取り出しやすい位置に直す。
背負う形の鞄は、トレザの皆が新しく用意してくれた物だ。鞄の中が整理しやすいように工夫された仕上がりに、満足している。
「やっぱり、シュラとアヤメだけで行かせるのは心配だよね」
荷造りに手を貸しながらムウが呟く。
「我が途中まで行くが、不安か?」
突然、笑いながら出てきたラージャにムウが慌てて大きく首を横に振る。
「私はアヤメの城まで一緒に行くのじゃ。安心じゃろう」
自信満々なヒムロも胸を張る。戦闘能力としては全く不安が無い。しかし、城へ潜入する以前に目立った行動をしそうで怖い、とは言えないムウ。
「シュラはまた、帰って来るのよね。だから、不足が無いようにしっかり準備して、見送ってあげましょう」
リリはアヤメとシュラが無事に戻れるように祈りを込めながら支度をすると話す。
「どうやって祈りを込めるの?」
「決まりなど無いぞ。思いが在れば充分だ」
イイスの質問にラージャが応えたが「ふーん?」とよくわかってない返事をした。
「この作品はアヤメとムウが主体でトレザの皆が完成させたのじゃ。私が持って行くので良いか?」
バルコニーに描かれた陣の図をアヤメが小さな木板に書き、ヒムロの脱け殻にムウが正確に拡大して製図した。染めた糸を使って手分けして刺繍で完成させた。
外で広げ、ラージャが確認する。
「人の知識を侮ってはいかんな。このような法則を描き混むだけで支配されるのだ。祝詞や歴史に含まれる法則から導き出した図だとアヤメが言っていた」
アヤメが書き換えたのは「お願い」の形にした物だ。
セトラナダの歴史における知識は、現在の王よりあるかもしれない。
「アヤメの知識が勝利するのじゃ」
ヒムロは広げた布をくしゃくしゃと小さくし始めた。
「待たれよ」
シュラがヒムロから布を奪い取り、丁寧に畳む。
「別に、シワが付いたりせぬよ」
少し膨れてシュラを見上げると
「この角を持って振るえば、一人で簡単に広げられる」
言いながら角を引くように大きく振ると、バサッと音を立てて広がり、静かにゆっくり先程と同じように地面まで降りて行く。
「おお、面白いのじゃ。私もその畳み方を覚える」
「戦いの最中、皆でのんびり広げている余裕は無いだろう。出来れば地面まで落ちて行く時間も惜しい」
「確かに、その通りじゃな。これならどうじゃ?」
バサッと広げた布の角を目掛けてヒムロは氷の針を飛ばす。端から空気を抜くように氷の針で地面に縫い付けるように刺して行けば、広げてすぐにピッタリと地面に張り付いた。
「凄いな。際限なく刃を造り出せると、攻撃以外の使用も躊躇せずにできるのだな」
シュラは攻撃手段を減らすのを躊躇う。その一瞬で戦局がどう変わるか考えながら他の準備に取り掛かる。
ちなみにアヤメの荷物は、特に増えもせず戦いに行くというより散歩に行くような物しか入っていない。
裁縫道具が増えたぐらいだ。
アギルはバムと数人の職人に見送られて崖を降りて行った。
滑車に綱を付けただけの簡易昇降機があり、下の方から馬車で通れるぐらいの道を造り始めた所だと言う。
右腕を失ったバムに伝令の仕事を任せたいと、トーナから御達しがあったからだ。
腕を失った兵士の仕事は、タタジクではほぼ無い。階級や役職があれば恩給なりの保証はあるものの、実際に働く者は少ない。
ユタの役に立ちたいとトレザに残ったものの、怪我人にできる仕事は少ないだろうと、トーナの計らいなのだが
「道が完成すれば、これ以上に仕事が増えるのか」
バムにはユタの手伝いの他にも職人達への技術指導やシュラから依頼を受けたセトラナダの城の模型作成、洞窟で蜜の採取する者の当番管理、案外やることが多い。
遠い目でトーナの命令に逆らえない立場のバムが仕事量に潰される未来にため息を吐く。
アギルはバムの様子に苦笑いして
「トーナ様はバムの仕事が無いだろうと案じておられたからな。バムには充分過ぎる仕事量があると報告しておくよ。ヒムロ様からは学習に使える文房具類も大量に依頼されたし、可能な限り早くトレザに戻ろう」
滑車の紐を腰にしっかり結わい付け、スルスル降りて行く。
「俺の工具も頼んだぞ」
「わかってる」
バムが降りて行くアギルに声をかけると、短い返事が戻って来た。ずいぶん降りたようで、声は遠かった。
「出立の前に育ったようだ、皆に使って欲しい物がある」
シュラが荷造りをほぼ終わらせて外に出る。
皆も後から続いて外に出ると、大人の腕ぐらいの太さの木がヒョッコリ生えている。
横に伸びた枝を切ると、そこから水がチョロチョロ流れ出した。
「お水だ!」
トトが手で受け止めて舐める。シュラは止める様子が無いので、他の皆も手で受け止めて飲んでみた。
「これは、ずっと出てると水浸しになってしまいそうだよ」
すぐにリリが大きな瓶を水の落ちる所に運んできたたが、ユタは溢れた後の事を尋ねる。
「閉めておけば、それほど出ない」
水の出る所に枝の先を差し込めば、ポタポタ落ちる程度になる。
「これは、ずっと出るのかしら?」
リリが栓を外して瓶に水を溜める。
「湖まで汲みに行く手間がなくなるな」
嬉しそうに話す皆にシュラが
「トレザ全域の建物付近に同じように生えたはずなんだ。使い方を伝えて欲しい」
ムウ、イイス、トトがシュラの言葉に頷いて走り出す。使い方を覚えた者は更に他の家に伝えに行く。この日のうちに、ほぼ全ての家に伝えられる。
地下に育った植物は、湖より低い土地には湖からの水が流れ落ちるように、湖より高い土地には洞窟からの水が流れるように、地下水路が出来ていた。
水の勢いは弱いが、大きな盥か瓶を置いておけば、自然に水が溜められる。
水汲みの仕事が減るだけで、ずっと楽になるはずだ。
三人が走って行く姿を見送っているシュラにラージャが
「どうだ、使い勝手は良いだろう」
「ああラージャ様の視界の広さに驚かされたが、背後や上空ばかりでなく、地中の様子まで解るようになった」
そればかりか、思考と対話を同時に行える。睡眠を取らなくとも、体の部分ごとに休息を取る事で疲労の回復も効率よく出来るようになった。勿論、睡眠はある程度必要なのだが。
「皆を巻き込まぬよう、森へ行くか」
ラージャとしては、今のシュラと腕試しをしておきたい。シュラも手合せはしたい。
しかし、ユタが心配そうにしている。
「一緒に行って、実際に見て、安心して帰って来なさいな。子供たちが戻って来るだろうから、私は家で待っているわね」
リリがシュラとアヤメ、ユタも一緒に送り出した。
「さて、シュラがどれほど変わったのか見せてみよ」
皆から距離を取って、先ずは剣戟が繰り広げられる。
遠くから観ていると、まるで踊るような身のこなしで興奮に似た感情がユタの心に満ちる。
ユタも始めのうちは目で追いかけられたものの、だんだん速度が上がって何が起きているのか解らなくなってきた。ただ、シュラが圧されているようだ、と感じられる程度に。
「不安かしら?」
サラがユタの隣で剣戟の様子を見ながら話しかける。
「危ないとわかっている所に向かわせるのは、正しいのだろうかと。そう思っています」
「正しい答えなんて、結果をみるまではわからないものね」
ユタは予想外の返事をしたサラを見つめる。サラは剣戟を見て微笑みながら
「でも、今は出来る限りの事に全力を尽くす姿は、頼もしいのではなくて?」
確かに、トレザの民は深く理由も聞かずに積極的に準備を手伝ってくれた。アヤメは料理や刺繍は幼い子供に教えられるぐらいになってきた。だが、戦闘には向かない事ばかりだ。
それで大丈夫なのだろうか。
「アヤメも案外とすばしっこいのじゃ。逃げ足だけでなく、ちょっとした攻撃だって出来るぞ」
「えへへ、騙し討ぐらいだけどね。危なくなったら自力で逃げられるよ」
「本当に危険な所には始めから行かぬという必殺技だってあるのじゃ。ラージャさえ取り戻せれば問題なかろうて」
そんな話しをしている間に勝負は着いたようで、満足そうなラージャとヨロヨロしたシュラが歩いて来る。
このような状態で近いうちに旅立つなら、やはり不安になる。
「ラージャ様、セトラナダにシュラとアヤメが向かうのは、いつになりますか」
ユタの質問に
「三日後の早朝だ。セトラナダではアヤメの鎮魂際が始まるからな」
アヤメはセトラナダで死んだ事になったままだ。毎年、アヤメの命日を前後して十日以上は静かな祭りが開催されている。
行商の者が多方面から出入りする時期なので、見知らぬ者が多い。丁度良い頃合いなのだ。
「あ、そう言えばアタシの誕生日がもうすぐだ。十歳になるんだよね」
十歳にしては少々幼く見えるが、見た目と年齢の違いはシュラやヒムロほどではないので、全く気にならない。
「それなら、私も同行しても良いだろうか」
ユタが決心した顔でラージャに言う。
「いや、ユタにはトレザの地でやって欲しい事があるのだが?」
拒否されるのは想定内だったユタは
「離れて気に病んでいるより、近くで無事を確めたいのは、いけませんか?以前、シュラを送り出した後もずっと気掛かりでした。今回は二人、更にヒムロ様まで向かわれるではありませんか」
保護者として、そして信頼する神ヒムロの共として連れて行って欲しいと話す。
「そうだな。アヤメと走って競い、先にあの木までたどり着けたら考えよう。逃げられないならば、足手纏いだ」
ラージャが示した木まで走れと言う。
ユタとアヤメが目を合わせ
「アタシはいいよ。父さんとかけっこするの楽しそうだし。チヌは置いてくね」
アヤメがチヌをシュラに預けてユタの隣に立つ。
ユタも仕方なく走る体制を取った。
「では、我が手を叩いたら走れ」
パン!
すぐ音に反応してアヤメが走り出す。ユタも後から本気で走ったものの、どんどんアヤメとの距離は広がる。普段より早いアヤメの駆け足に、現実を思い知らされた。
「着いた!」
木にぶつかるような勢いで弾んだ声を響かせたアヤメの後から、少し遅れてユタが到着した。
「……。」
呼吸が乱れて、ユタは何も言えずに肩で大きく息をするだけしか出来ない。
「ユタにはトレザでやって欲しい事があるのだ。実際にセトラナダまで行かずとも、皆の状況は伝えよう」
ラージャは歩くような足取りでいながら、すぐそばまで来てユタに言う。
「……、はぁ。私は、何を……したら……良い……でしょう」
切れ切れながら返事をすると
「祭りを開け」
「……は?」
ラージャが何を言いたいのか、さっぱりわからない。
「そうだな、出来るだけ盛大に、祝うといい」
もっと訳が解らなくなる。
不安で送り出すのに、祭りなんて気分にはなれない。ましてや祝う気持ちにはなれそうもない。
「ユタ、人の『気』は、それだけでわたくしたちの力になるのですよ。だから不安も形になりかねないの。祝う『気』でトレザ全域を満たせれば、それだけでこの者達の力になります」
サラの鈴のような声で語る言葉が、ユタの心にスッと入ってきた。
心配、不安、そんな気持ちが現実をその形に変えてしまうこと。
ならば祭りで不安を吹き飛ばせば良い。
そして祝う事で、皆の無事を祈るのだ。
「わかりました。皆の出立に合わせて、盛大な祭りを開催しましょう」
アヤメが「いいな、アタシも祭りを見たい」と言い出したが、セトラナダでは国全体で催しがあるとラージャに言われて「そっちにする」と、調子の良い返事をした事で皆が吹き出すように笑いだした。
「ラージャ様、セトラナダまで十日以上かかると思う。アヤメの誕生日には今から出ても間に合わぬ」
シュラが走り続けても、十日はかかると言う。
「走って行くつもりだったのだな。我が分身して近くの砂漠まで連れて行くつもりだ。走り続けた後では疲れて戦いにならぬだろう。早朝に出れば夕刻には着ける」
シュラの計算に、乗り物を利用する事は入って無かった。ましてやラージャに乗って行くとは想像もしていなかったので、驚きを隠せない。
「宿の料金も気になっていたであろう。これで足りるか?」
ずっしりと重い袋を手渡されたシュラが中を確認すると、金貨がぎっしり詰まっていた。
「こんなには、必要ない」
返そうとすると「とっておけ、我は使う事がない」とラージャが笑う。
「凄い大金だが、どのように得られた物か」
「長年な、セトラナダで奉納されていた物だ」
苦笑いしたラージャがセトラナダの為に使うのだから問題ないという。
「私がトレザに戻ってから受け取りたい。父さんに預けて良いだろうか」
「好きにするがいい」
森で三日後の出発を決められた為、ユタは急いで祭りの準備を始めなければならない。
「早朝の見送りから盛大に」と皆に伝えると、当日では主役に何もしてやれない、前日から見送りの挨拶ぐらいしたいと言う者も出て、結局は二日後にはご馳走の準備をする事になった。
「砂漠の水路もそろそろ完成だとアギルが言っていたな。ついでだ、タタジクにも行くぞ。来いシュラ、アヤメ」
「え?アタシも?」
ラージャの分身が龍の姿になる。
「アヤメはサラの所で着替えて来るといい」
「ここでいいよ。脱ぐだけだもん」
「恥じらいを持て!」
ラージャとシュラの声が重なり、アヤメはすごすごとサラの所へ行き、物陰で着ていた普段着を脱ぐと橙色に似た金の糸で刺繍された白い衣装で出てきた。
龍になったラージャにシュラが飛び乗ると、アヤメも後からよじ登る。途中でシュラに引っ張り上げられ、シュラがアヤメを抱え込むようにラージャの鬣を掴む。
湖を飛び越え、そのまま砂漠を見下ろせばタタジクまで緩やかな曲線の水路がほぼ完成しているのが見える。
「人の力で造り出す造形物が美しいと感じたのは始めてだ」
シュラが呟くと
「お水が流れたら、もっと綺麗になるよね」
アヤメが楽しそうに話す。
「これからトーナの所へ向かう。アヤメはセトラナダの言葉だけで話すように」
「げっ、トーナのオッサン苦手なんだけど。セトラナダの言葉は通じるの?」
「領主の息子だ、ある程度は解るだろう。姫らしく振る舞えよ」
「うん、大丈夫。何処から見ても姫だわアタシ」
「……シュラ、アヤメの言動に注意せよ」
「心得た」
タタジクの岩が多かった辺りは貯水池にする予定だろうか、水路に直接つながるように大きな窪みが出来ていた。
トーナの執務室には、ラージャも行った事がある。城の窓から近付いて、側仕えが慌てて開いた窓から飛び込んだ。同時にラージャは人の姿に変わる。
「突然だが謁見する」
堂々としたラージャの態度を真似るようにシュラも姿勢を正し、アヤメをラージャとの間に挟むように立つ。
予告も無く本当に突然の訪問で護衛騎士がトーナを守るように構え、慌てた文官が書簡を落とし、側仕えはおどおどしながらトーナを庇うように立つ。
「ラージャ様が直接お越しくださるとは、何も持成しの準備が整っておりません。皆、警戒を解け。大切なお客様だ」
護衛騎士は扉の前、飛び込んで来た窓、トーナの後ろに立ち位置を代える。
文官達は書類や途中の仕事を手早く片付け、側仕え達がテーブルの周りに椅子を四脚用意し、お茶とお茶菓子の準備に向かう。
「突然の訪問だ、気遣うな」
ラージャの言葉にトーナは困惑気味に笑顔を向ける。
「いえ、ラージャ様方の恩情で今の私があります。何なりと役立てる事に力を尽くす所存です」
トーナが応えるとラージャの唇がニヤリと動く。
側仕え達から椅子に案内される動きに合わせてラージャはトーナの額に一瞬触れる。自然な動きで周りの者に目で追えない程の早さだ。
トーナは椅子に向かう途中で、脳に直接アヤメが誘拐され、シュラに助けられた事で奇跡的に生き延びた事を知らされる。
ラージャの脚色も加わり、シュラが野犬から救いだし、誘拐に関わった者を倒した事になっているが、詳細を知る犯人は一人しか生き残っていない。
椅子にはトーナの向かいにラージャ、アヤメ、シュラの順で立っていた位置と同じように座った。
トーナが驚いた顔でアヤメを覗き込むように見つめる。
「してトーナよ。セトラナダでは今、どのような状態か解るか?」
「そろそろ鎮魂際でしょうか。父の使節団が贈答品を持って向かっていた筈です」
そう言いながらアヤメに視線をやり、シュラに目を向ける。子供は四年でこんなに育つのかと、少し不自然に感じながらも再びアヤメをじっと見る。
「ふむ。そのセトラナダだがな。鎮魂際が終ると同時にタタジクへ宣戦布告の予定だ。使節団とやらが詳細を持ち帰るだろう」
意外とトーナに驚きの色は無かった。
「セトラナダの支配下に収まるか、反発して戦争になるか。以前からあった話なので予想していた事ですが、思っていたより早い」
対策は色々してきた。この数年、水不足に悩み始めたのもセトラナダに居る龍神が何か干渉しているという噂も耳にする。
「タタジクとセトラナダは戦争するの?」
おもむろに口を開いたアヤメにテーブルの下でシュラが合図する。「しまった」と聞こえない程の声でちゃっかり言ったアヤメは
『セトラナダは何故、戦争を仕向けるような事をしているのか、トーナはご存知なのかしら?』
『あ、アヤメ様のご無事を何より先に伝えなければならないというのに、失礼いたしました』
『お気になさらないで。ラージャ様の御前ですもの、わたくしは気にしません』
『寛大なお言葉、有り難く。誘拐された中、ご無事で今まで生き延びられた事はまさに奇跡。私はアヤメ様の奇跡を目の当たりにし、嬉しく思います』
『シュラが助けてくれたのですよ。あの場で出会う事が無ければ、現在の王の傀儡になっていたでしょう。この通りわたくしはまだ幼く、後見人が必要ですから』
『成る程。アヤメ様は先の状況を予測なさっていたのですな』
『いいえ、ただ恐怖に駆られて逃げただけですわ』「臆病者だからね」小さく付け加え、ペロッと舌を出す。
『幼いながら、身を守る術をお持ちだからこそ、今があるのでしょう。ラージャ様にも申し上げた通り、私に出来ることが有れば、何なりとお申し付けください』
トーナは椅子から立ち上がり、アヤメとラージャの間で跪く。
「トーナよ、何なりとと言ったな」
「申し上げました」
「では、鎮魂際の時期に合わせてアヤメの誕生祭を開催せよ」
「……アヤメ様の誕生祭を、タタジクで、でしょうか?」
これは確実にセトラナダに対する宣戦布告だ。トーナの一存で決めて良い事ではない。
執務室の中で密やかに行う誕生会とは、訳が違う。
「三日後に我達はアヤメを連れてセトラナダに向かう。其までに準備を整えよ。アヤメが政治に関与すれば、どうなるか理解できよう」
セトラナダに政変が起こる。期待をかけてアヤメ支持を表明するのと、現状維持。どちらが良いのか。
やはり、独断で決める事は出来ない。
「ラージャ様、タタジクの民の為と思い、私は間違えた判断をしてしまったばかりです。父と、タタジクの領主と相談する時間をいただいても良いでしょうか」
ふんと鼻を鳴らすラージャ。意見に従いたい気持ちがトーナにはある。
執務室の扉を叩く音がする。
「仕事をしていたので、報告の者が来たようです。断りますか?」
「我は構わぬ。無理に押し入ったのだし、要件は伝えた。帰るぞ、シュラ、アヤメ」
しかし側仕えから丁寧に止められ、トーナだけが執務机に座ると面会者が入室した。
三番班の班長だった男だ。
執務室の客用テーブルに座る面々を見てぎょっとする。だが報告を優先してトーナに書類を渡しながら水路の完成を報告する。
同時に貯水池の貯水量、水路の脇に通された道路、トレザに向かう道路工事の進行状況が口頭で報告し終ると、トーナに一言断ってから客用テーブルに向かって跪く。
「この場で感謝の意を伝える事を許していただきたい」
「構わぬが、何故に許可を求めるのだ?」
「トーナ様の客人故、勝手な発言は如何なものかと」
トーナもラージャ様から許可が出たので客用のテーブルに向かわせる。
「ラージャ様、この度兵士の隊長に任命した男で、トレザ迄の水路工事を始め、緊急募集した兵士も上手く使い、昼夜を問わず働いた」
「よく間に合ったな」
口を開いたのはシュラだ。
「訓練もろくに出来ていない兵士を殲滅すると言われれば、やるしかないだろう。それに、工期が短く出来たのは、岩山を削る作業がなくなったのも大きい」
「やるしかない。と言っても、本当に完成させたのは貴方の実力だ。人を采配し動かす能力有っての事だ」
やはり殺さなくて正解だったと呟いたのが聞こえたのか、隊長が苦笑いする。
ここで人員配置換えが多かった事、シュラの置いて行った薬の効果に驚いた話、水路の途中に仮設された宿泊施設をそのまま残し、設計から見直す予定がある事、馬車で走れば梺迄は一日で到着するので、梺にも宿泊施設を計画している事、タタジクにも良い影響が多い点を述べられる。
「トーナよ、水路の完成祝いをするなら問題あるまい?」
ラージャの提案にトーナもホッとした顔になり
「仰せの通り、速やかに行動させていただきます」
トレザの湖に設置された水門は、ラージャ達が帰り次第開くと約束し、入って来た窓に向かおうとすると
「正門にて、簡易ながらお見送りの準備を整えました。どうぞこちらから」
側仕えに促されて扉に向かう。
「アヤメ様、こちらをお納めください。細やかながら、お誕生のお祝いです」
トーナの言葉で、側仕えが綺麗な箱に入った首飾りを見せる。赤系の色をした石を金属の鎖や装飾で飾られている。
「綺麗……」
アヤメが嬉しそうに見詰めたのを確認したトーナの合図で、側仕えが「失礼で無ければ、お付けします」と装着してくれる。
後ろの留め具が幾つも付けられていて、衣装に合わせて長さを調節出来る。今の衣装にもちょうど良く、ずっと着けていたように良く似合う。
「見立の上手い側仕えに急いで用意させました。とても良くお似合いです」
『先触れも無く不躾な訪問だったのにもかかわらず、このような対応は驚きました。わたくし、これをいただいても良いのかしら』
嬉しそうに話すが、視線はシュラに向けられる。
旅に必要ない物は、売られてしまうかもしれない。背後でラージャとシュラが小さく「売るなよ」「承知」と聞こえて、安心して受け取る。
執務室を出ると、トーナの護衛と兵士に周りを囲まれる。咄嗟に警戒態勢を取ったシュラに
『城内では警護の者が周りを見張ってくれるのですよ』
『城内の常識に疎いもので、トーナ様には不快な思いをさせ、失礼した』
気にするなと笑うトーナの印象は、以前と違って随分やわらかい。
正面入口付近には、かなりの人数が跪いた状態で皆を出迎えた。
一人の男が立ち上がり、トーナはその男の隣、やや後ろに立つ。タタジクの領主本人だ。
トーナがすっかり老け込んだせいか、親子というよりは兄弟のように見える。
「お初にお目にかかります。私はタタジクの領主ストラーク。此度、タタジクの為の水源を用意していただいた事、感謝の念に絶えません」
言いながらラージャの前に跪く。
「我はタタジクの為に何もしておらぬぞ。祈りも儀式も人の世の都合で疎かにし、忘れた民に興味は無い。トレザの土地ごとタタジクを水没させる予定であった」
トーナや兵士の報告にあった通りだ。
そして、ストラークの前にはセトラナダに渡せば戦争を確実に回避できる水色の髪の男がいる。
確実に拘束し、タタジクの民を守りたい。
「しかし、タタジクの兵士達が水路を完成させたのは、ラージャ様の恩情ではありませんか?」
「タタジクの兵士ごと水没させる予定を、この男に止められてな。好きなようにさせていたらこの通りだ」
シュラを領主ストラークの前に出し、トレザの長が交流も無いタタジクの兵士は都市ごと水没させるように言ったのを止め、タタジクに水路さえ引ければ争う必要は無いと提案し、実行したのがシュラだと話す。
そしてセトラナダの『アヤメ』が生きて、ここに居る事も。
「水門はトレザにある。タタジクのやり方を見てから水門を開くかどうか決めるのは、トレザの長だ」
シュラは跪いたままの領主を見下ろして言った。
「父上、トレザを武力で制圧するのは不可能です」
領主の隣に跪くトーナが言うと、
「セトラナダの姫が生きていたからと言っても、すぐに王の交代は無いだろう。実際に姫はまだ幼い」
シュラとアヤメを捕獲してセトラナダに渡せば、タタジクは安泰では無いだろうか?
セトラナダの龍の力を持ってトレザを制圧する事も可能だろう。
跪く領主ストラークの顔はアヤメの目の高さと同じで、領主とトーナのヒソヒソやり取りする声がアヤメには良く聞こえる。
「おい、トーナのオヤジのストラーク。アタシが小さいからって舐めるなよ。何か企んでいる奴の顔ぐらいわかるからね」
ぎょっとしてアヤメを見るトーナとストラーク。
苦笑いするラージャ、眉根を寄せるシュラ。
『わたくし、他国の言葉に精通しておりませんので、失礼な物言いでしたらお許しくださいませ』
図々しいほど胸を張って、アヤメは領主本人に笑顔を向ける。
「たいした度胸だな、セトラナダの姫」
目を丸くしたままアヤメを見て呟いた領主ストラークは、セトラナダの言葉で話し掛ける。
『鎮魂祭が間もなくということは、本来はアヤメ様の誕生日ですな?』
「そうだよ」
苦笑いした領主が
「ラージャ様、タタジクの民全てをかけての大博打になりますが、アヤメ様の誕生日と同時に水路完成の祝いをさせていただいても宜しいか?」
ラージャは笑いをこらえていたせいか、軽く吹き出してから
「よかろう。トレザの水門を開き、セトラナダには政変を起して来る予定だ。上手く行った暁にはタタジクへの待遇も変わるであろう」
その後、馬車で貯水池まで送られる。
領主とトーナは急遽決定した祝宴の為の采配で見送りは辞退した。
貯水池の深さを見たアヤメが
「こんなに深いと、洗濯するの危ないよね。それに、せっかく水が有るんだから水遊びができるぐらい浅瀬が欲しいと思わない?」
「別に深くとも洗濯は出来るし、泳ぐなら浅いより潜れるぐらいの方が魚も捕れるようになるだろう。上から見たより、随分深いのだな」
馬車に同乗していた隊長が兵士にアヤメとシュラの意見を書かせる。
ラージャが龍の姿になり、アヤメを抱えてシュラが飛び乗る。よじ登る姿が衣装に似合わないと、ラージャが不服そうにしていたからだ。
水路に沿って道路は先に完成したそうだ。道具や素材を運ぶ為に荷車や馬車を使い、要員は交代で休みながら作業していた。仮設された宿には、まだ兵士が数人残っている。
馬車は残って作業する兵士に伝言しに、ラージャは二人を乗せてトレザに向かう。
トレザに着いて、水門を開くように伝える。これもバムが担当している事なので、早速バムに伝えられ、かなりの人数が見守る中で湖から流れ出す水が崖から落ちて行った。
飛沫を立てて落ちていく水は水路を潤しながら徐々にタタジクへ向けて流れ出す。
乾いた粘土質の土が流れて来る水を吸収して砂地に流れ出すのを塞き止める。
想像以上に土が吸収するようで、流れ出した水がすぐにタタジクへ辿り着く様子は無いが、徐々に水路を満たして行く。
ユタの家にシュラとアヤメが戻るとラージャは分身だからと言って消えた。
アヤメの衣装を初めて見た家族は喜び、アヤメも浮かれて踊り出す。
「せっかくだから、外でみんなに見せようよ」
トトが言うと、まだ人の残っている広場の舞台でアヤメとイイスが踊る。
ヒムロが脱皮した後の舞いを洞窟で見てから、皆に披露できてお互いに嬉しそうだ。
帰り支度を済ませていた周りの皆も、つられるように体を動かしながら、一緒に踊るように即興で手を繋いだり肩を組んで踊る。
陽が傾いて、辺りが薄暗くなって来た所で自然に解散したが、名残惜しいのか小躍りしながら帰宅して行く。
ユタの家には見送りの準備を相談している者が大勢集まっていて、口々にシュラへ水が家の前まで来た事の喜びを告げる。
「普段から水を使いそうな所には同じように枝が伸びるようなのだ。便利になったのならよかった。神々の御力有っての事だから、感謝する相手は神々だろう」
他にも質の良い綿や保存に役立つ油が二種類、まだ有用性を確認しきれていないが、シュラの『気』からできた種は、今まで以上に活用されて行くだろう。
出発の日まで、シュラとアヤメの周りは普段以上に人が集まり
「少しは休んでおいた方が良いんじゃないかしら」
リリが遠慮がちに言のだうが、十日以上は走り続ける予定だったと伝えればアヤメは遠い目をして頷くし、途中から馬車を使っても道がある所を選ぶ為にもっと日数がかかると聞くと
「連れて行って下さるラージャ様にもお礼が必要ね」
そう言って笑う。
トレザでは、祭りの打ち合わせなのかもう始まっているのか、打楽器を鳴らす者に合わせて草木を細工した笛を鳴らす者、大鍋で振る舞われるスープ、舞台では舞いの稽古をする者もいて、賑やかだ。
ラージャがタタジクから届いた酒を気に入っているのは、あの場に居合わせた皆が知っている。
広場には神々が寛いで舞台を眺められるように椅子とテーブルが置かれた。テーブルにはグラスは注がれた酒も乗せられる。
「こんな感じの飲み物は、家でも少しばかり作っているけど。ラージャ様がお好きなのか?」
他の人に分けられるほど多く作れないが、作っているという。
「ほう。作り方を広め、祭りの度に出すが良い。とりあえず、持って来るがいい」
酒の種類が色々あると知った上、トレザでも作る事に決めてラージャはご機嫌だ。
陽気な声や音が遠く近くで聞こえる中で、旅立ちの日になった。
朝陽がトレザを明るくすると、皆の表情が引き締まる。隠す必要も無かろうとラージャが言った為、皆が旅立ちの理由を知っているからだ。
アヤメとシュラはトレザに着いた時と同じ格好をしている。ヒムロも似たような服に、腰の辺りで緩く束ねていた髪を後頭部でキリッとまとめた。
サラと並んで立つラージャが分身体を出し、ゆるゆると上空で龍の姿に変わると見上げる皆が歓声を上げる。
トレザ全体が活気に満ち、熱気が気温まで上げるように暖まる。
ヒムロが氷で出した階段をシュラが駆け上がり、アヤメも続いて上るが、どうやって上ったのか皆の目に氷は認識できてない。一斉に喝采が上がる。
ヒムロ、アヤメ、シュラを乗せて悠々とトレザ全体を一回りし、一気にセトラナダへ向かった。
およそ1年近くかかってしまいました。
やっとアヤメの故郷に向かいます。
だけど、ここでしばらくお休みします。
いや、のんびり更新するかもしれない。
どっちになるだろう。
まずはセトラナダの手前で宿屋に向かいます。
実は、同じ話を始めから書き直しています。
まずはアヤメの視点から、何話か進んだ所でシュラ視点やラージャ視点で、主にアヤメ視点で進めて行こうかなと……。
同時に書いていたので、文章の表現がごちゃごちゃしてきてしまい、落ち着いたら再び進行するかもしれないし、ちょっとぎゅうぎゅうな気分なので出来ないかもしれない。
そして、何日続くかわかりませんが、目標は毎日更新。
出来たらいいな。ちょっとリアルの仕事が少しだけ増えて、時間の都合がどうなることやら。
とりあえず。
ここまでお楽しみいただき、有り難うございました。




