諭吉さんが使えねぇだとぉ
ギルドへの報告のために頻繁に訪れているので、マリナはこなれた調子で進んでいく。それでも、行楽地を訪れている気分になるのは変わらない。陽介も、興味深そうに首を伸ばしている。
「賑やかなとこだなぁ。下町の商店街みてぇだ」
「おじさんの故郷にも似たようなところがあるのですか」
「俺が住んでたとこは大体こんな感じだ」
へぇーと感心しながら、マリナは流れに身を任せていく。あと少しでギルドに到着する。そう思われたのだが、
「あ、あれ。おじさん、どこにいったのですか」
つい数十秒前まで一緒にいたはずの陽介がいつの間にか消え失せていたのだ。瞬間移動の魔法でも使ったのか。なんてことはなく、単純にはぐれたのだろう。
そして、すぐさま発見することができた。焼き鳥を売っているおじさんが困ったように両手を上げている。
「あぁん、なんでだぁ。どうして諭吉さんがつかえねぇんだよぉ」
「お客さん、こんな紙切れで商品が買えるわけないでしょ」
「おめぇ、万札を馬鹿にすんなよぉ。俺がクソ上司にへーこら頭下げながら必死で稼いだお金だぞ。使えねえとはどういう了見だ」
謎の紙切れをひらひらと掲げながら因縁をつけている。あまりの迫力に、他の冒険者も見物に集結して来た。
あたふたとうろたえていたマリナだったが、意を決して陽介のスーツを引っ張る。
「おじさん、何をやってるんですか」
「俺の諭吉さんが使えねぇってからよぉ、クレーム入れてやってんだぁ」
「金貨じゃないとダメに決まっているじゃないですか」
「金貨ぁ?」
本気で不思議がっていた。もしかして、金貨の存在を知らないのだろうか。陽介が持つ紙切れも、道楽で作ったにしてはかなり精巧な代物であった。
焼き鳥屋のおじさんから無言の圧力が発せられる。このまま事を大きくして憲兵を呼ばれては面倒である。マリナは腰ぎんちゃくを広げてため息をつく。
「すみません。私が料金を払いますから、事を収めてもらえませんか」
「姉ちゃんの連れか? まったく、しっかり見張っていてくれよ」
文句をぶつけられながらも、焼き鳥櫛二本を手渡す。金貨二十枚分。ちょっとしたおやつだと思えばまだ許容範囲だった。
未だ諭吉さんが使えなかったことを恨めしがりながらも、陽介は焼き鳥を貪っていた。障害物がないのに蛇行しており、通行人とぶつからないか心配だ。
冒険者の中には荒くれ者も少なくなく、昼間から酔っぱらっている野郎も決して珍しくはない。その一派と捉えられたのが幸いであろう。尤も、陽介が元いた世界の基準からすると褒められた治安ではないのだが。
本気で縄でしばっておこうかしらとマリナが思案しつつも、二人は冒険者の活動拠点である「ゲロゲロギルド」へと到達した。
簡素な木製の住宅が立ち並ぶ中、レンガ積みの荘厳な建物はひときわ目を惹く。もちろん、王宮には到底かなわないが、十分に都のシンボルとなりえた。陽介が「横浜の赤レンガ倉庫みてぇだなぁ」と訳の分からない感想を漏らしていた。
雑談用のテーブルが十以上も立ち並び、最奥には依頼の受付を承るカウンターが設置されている。屈強な鎧を纏った偉丈夫や、優雅なローブを身に着けたうら若き魔女など、歴戦の猛者たちが会話に華を咲かせている。マリナもまた冒険者の端くれではあるのだが、あか抜けない村娘という印象が抜けきらずにいた。
「すげーなー。みんなコスプレしてらぁ。渋谷のハロウィンみてぇだ」
「コスプレ、ですか」
祭りにでも来ているかのように陽介ははしゃいでいる。コスプレというかモンスターと戦うための正装である。むしろ、陽介の恰好の方が奇特のようで、すれ違う冒険者たちがひそひそ話をしていた。
好奇に晒されて縮こまるマリナであったが、行列待ちの末、ようやく受付カウンターへとたどり着いた。
「ようこそ、今日はどのようなご用命ですか」
受付のお姉さんが営業スマイルを浮かべる。鼻の下を伸ばす陽介をマリナは小突いておいた。
「おじさんのギルドへの登録と、私の冒険者ランクの更新をお願いしたいです」
「かしこまりました。では、こちらの用紙に必要事項をご記入ください。のちに、冒険者ランクの測定へと移ります」
「なんだぁ、そのミミズがのたくってるみてぇな文字は」
登録用紙を差し出されるが、陽介は怪訝に前かがみになるだけだ。どうやら、この世界の文字が判読できていないらしい。
どうしたものかとマリナは天を仰ぐ。不審がられて登録を断られては元も子もない。苦悩した末、人差し指をあげた。
「おじさんは異国からの浮浪者のようです。森にいたところを助けてあげました。ここで生活するにしても、冒険者登録しておいた方がいいと思うので、私が代筆してもいいでしょうか」
「ああ、その類の方ですか。珍しくもないですし、構わないですよ」
咄嗟に言い訳を思いついたのは、本当に言語を解せない異国の浮浪者と対面したことがあるからだ。諸国漫遊の旅をしている者も少数派ではない。
陽介に確認を取りつつも、項目を埋めていく。文字の読み書きができないにも関わらず会話が成立しているというのも妙であったが、突き詰めると面倒なことになるだろう。バッカスの秘酒を飲んだ効果とでも考えておいた方が無難だった。
書き終えた用紙を一瞥し、お姉さんは机の上で整える。
「サカキ・ヨースケさんですね。二ホンのトーキョーとは聞いたことが無い地名ですが、問題のある個所は無さそうですし、このままランクの登録へと移ります」
受理されたことに胸をなでおろすマリナ。陽介はうつらうつらと舟をこいでいた。マリナから質問を受けているだけで手持無沙汰になり、睡魔に襲われているらしい。
しばらくして、お姉さんが水晶を運び出してきた。
「マリナさんは何度か経験しているから分かるとは思いますが、一応説明しておきますね。この水晶には特殊な魔法がかけられており、触れた者の潜在能力を映し出すことができるのです。それにより、適切な職業へとご案内します」
「あぁん、触れればいいのかぁ」
大あくびしながら、陽介は無造作に水晶に両手を触れる。指先が接触したまさにその時であった。