王都ゲロゲロへ行くぜぇ
バッカスへの報告があるというので、使徒は天界へととんぼ返りする。魔法を使った様子もないのに馬を超える走力を発揮し、大木をも超える跳躍力で姿をくらます。人智を超えた身のこなしといい、神の使徒というのは嘘ではなかったというわけだ。尤も、マリナも人智を超えた武器を託されているのだが。
しばらくすれば目覚めるということだが、気絶した勢いで熟睡してしまったようだ。使徒からの言付けを伝えるにしても、起きてくれないと意味がない。仕方なしに、マリナも寝床につく。しばし寝転がっていたが、ふと思い立ち、雑魚寝している陽介にブランケットをかけるのであった。
一晩熟睡すれば、どんなに酩酊していてもある程度酔いは覚めるはずである。なので、陽介もまた素面に戻っているはず。そんな期待をしていたのだが、
「うぃーす、おはよーさーん」
未だに酔っ払い中だった。
ゆりかごのように椅子に座って体を前後に揺らしており、そのまま倒れないか心配だ。果たして、きちんと話を聞いてくれるだろうか。マリナは恐る恐る対面へと座る。
「えっと、陽介さん、でしたっけ」
「おうよ。姉ちゃんはなんてーだ」
「マリナです」
「マリナちゃんかぁ。いやぁ、昨日はごめんなぁ。どえりゃあめんこいから触っちまったべ」
言っていることが分からなかったが、とりあえず昨夜の出来事を謝罪しているようである。色々な方言が混ざっているので、陽介と同じ現地人でも理解するのに時間がかかるだろう。
「ほんでよぉ、ここはどこだ。俺はさっさと帰りてぇんだ。巨人と阪神の試合が見てぇしよ」
「はあ。巨人がハンという神様と戦うのですか」
「んあ? おもしれえこと言うなぁ。おめえは野球を知らねえのか」
「野球、ですか」
全く以て理解が追い付かなかった。とりあえず、マリナはトポロジスト信者のように、陽介はハンという神様の信者なのかと間違って認識する。実のところ陽介は巨人ファンなのだが、それはどうでもいい話である。
ただ、陽介に帰る意向があることはありがたい。それならば、問題なく使徒からの話を伝えることができる。
「えっと、落ち着いて聞いてくださいね」
きちんと理解してもらえるか不安だったが、マリナは使徒からの話を要約しつつ陽介に語り聞かせる。「んあ」だの「ほげ」だの間抜けな相槌を返され、まさに暖簾に腕押しという呈であった。
それでも、話し終わると、
「要するに、魔王をぶっ倒せば帰れるんだろぉ。知らん間に喧嘩に巻き込まれちまったがぁ、きちんと落とし前をつけておかんとな」
喧嘩の範疇に捉えていいものか疑問視されるが、とりあえず最終目標は分かってもらえたようだ。マリナはほっと胸をなでおろす。
陽介はことさらに音を立てて指を鳴らすものの、ふと思い立ったように動きを止める。マリナが小首を傾げていると、いつになく真剣な顔つきで前かがみになった。
「ぶっ飛ばすはいいけどよぉ、暴行罪に問われたりしねえよなぁ。警察沙汰はごめんだぞぉ」
「暴行、ですか。ええっと、魔王は国令で討伐対象になっているので、罪にはならないと思います。けっこう好き勝手やられていますし」
過去に魔王の一族がやらかした蛮行を思い出し、マリナはげんなりとする。特に、ブザンマが家畜を喰い尽くしたため、食肉の価格がありえないほど高騰したのは記憶に新しい。
「なるほど、正当防衛ってやつだなぁ。なら、気兼ねなく暴行できるってもんだ」
「気兼ねなく暴行しようとするのもどうかと思いますが」
「ちなみにこれは膀胱ってなぁ」
どや顔で股間を指差してくる。突然挟まれた下ネタにマリナは苦笑するしかなかった。
思い立ったが吉日だということで、二人は王都に赴くこととなった。魔王を倒すにしても、まずは陽介をギルドに登録しなければならない。それに、王都であれば魔王についての情報も色々と手に入るだろう。
「一応、私もギルド所属の冒険者なのです。まだランクCの駆け出しですけど。森にキノコ採りに行っていたら、偶然ブザンマに出会って大変な目に遭いました」
詭弁ではないと言いたげに、マリナは冒険者カードを提示する。彼女の名前とともに、冒険者ランクであるCの刻印が記されていた。
「ギルドねぇ。聞いたことねぇなぁ」
「冒険者への依頼を斡旋しているところですよ。例え魔物を討伐したとしても、ギルドに登録していないと報酬をもらえませんし。とりあえず登録しておいて損はないと思います」
「ハローワークだか市役所だかよく分からんとこだなぁ」
「むしろ、ハローワークってのがよく分かりません」
職業あっせん所にあたるので、ハローワークという認識は間違っていないだろう。先ほどから謎のスキップで街道を闊歩している陽介が真剣に考えているとは思えないが。
マリナが住むカソ村から王都ゲロゲロへは程近い。交易路が整備されており、交易商が頻繁に行き来していることから、道中では滅多に魔物に出くわさない。魔王軍としても、武装した屈強な若者たちが通行している地点を積極的に攻め入ろうとは考えないのだろう。
たまに、低級のはぐれモンスターが出てくるが、実力からすると大したことはない。陽介が知らずに蹴飛ばして倒してしまうぐらいだ。
温かな日差しは自然と気分を高揚させる。下手くそな鼻歌を歌いながら、横切ってきたスライムを一撃で蹴り飛ばす陽介に、マリナは苦い笑みを浮かべるしかなかった。珍獣を先導しているようで、なんだか気恥ずかしくなる。
迷うことなき一本道を突き進み、ようやく王都ゲロゲロへとたどり着いた。のどかで物静かだったカソ村とは違い、町に踏み入れた途端、露天商の盛んな声が響き渡る。活気あふれる大通りは、歩いているだけで浮足立ってくる。