打出のミョルニルを手に入れたぁ
使徒から陽介が転移してきた顛末を聞かされ、マリナは感嘆するばかりだった。作り話にしてはよくできているが、陽介の泥酔ぶりといい、事実無根というわけではなかろう。
「つまり、おじさんはバッカス様のお酒を飲んでしまったために、元の世界に戻ることができない。戻るためには魔王を倒さないといけない。そういうことですか」
「その通りです」
話を要約するとそうなるが、ひとつ、重大な疑問が浮かび上がって来る。
「お酒を飲んだだけで帰れないなんて、大袈裟だと思います」
「ただの酒でしたら大袈裟でしょう。しかし、あの男が飲んだのはバッカス様の秘酒なのです」
首を傾げるマリナに、使徒は居住まいを正して伝える。
「バッカス様の秘酒は神々が嗜むためのお酒。それを常人が飲んでしまった場合、神に匹敵する力を得ることになります。いや、陽介様は神をも超越した力を手にしたかもしれません。そうでなくては、私の同胞が倒された説明がつきません」
神の眷属にあるまじく、やたらと熱が入っていた。よほど、仲間が投げ飛ばされたことが恨めしいのだろう。粗末な机が壊れないか心配だった。
それに、ブザンマに圧勝できたこともこれで納得がいく。いくら魔王直属の幹部であるチルドレンの一体とはいえ、神の力の前では稚児にも等しい。末恐ろしいまでの力を持つ男がすぐそばでだらしない寝姿を晒している。すぐにでも自爆しそうなモンスターを飼っている心地がして、マリナは自然と尻が持ち上がるのだった。
「もちろん、見返りもなく力が手に入るわけもありません。常人が秘酒を飲んだ副作用として、常に酩酊するという呪いにかかってしまうのです。それを解くには神の聖水を飲ませる必要があります」
「話の最後に出て来た聖水ですよね。材料を集めるのに時間がかかるという」
「おいそれと入手できるものではありませんから。場合によっては、あなた様にも材料集めを手伝ってもらうかもしれません。
それに、バッカス様は大層お怒りでございまして、『例え酔いが覚めたとしても、本来召喚するはずだった勇者に代わって魔王を倒さなくては、元の世界には戻さない』とおっしゃっています」
案外と器量の小さい神様だ。とはいえ、酒を勝手に飲まれたのみならず、好き勝手に暴れられては立腹するのも無理からぬことではある。
陽介の事情については判明した。差し当っては、これからどうするかである。突き詰めれば、陽介当人の問題であるので、マリナが口出ししても詮無き事だ。寒空の下に放り出しても罰は当たらない。神の眷属が保証しているので、本当に罰が当たることは無い。
しかし、マリナはぐっとこぶしを握り締める。
「私とおじさんには縁もゆかりもないかもしれません。でも、成り行きとはいえ、私はあの方に命を救われたのです。ですから、できることなら恩返しがしたい。それに、おじさんをあのまま放っておいては、他の方に迷惑がかかることでしょう」
まっすぐと使徒を見据えて宣言する。迷いなき決意に、使徒は表情を綻ばせた。
「あなた様の協力が得られるというのならば本望です。しかし、陽介様は人智を超えた力の持ち主。今のあなた様では制御するのは無理でしょう。ですので、これをお持ちください」
そういって、使徒は手のひらに収まる武器を差し出した。ハンマーの一種であろうか。柄の先端には二対の羽根が装飾されている。
マリナが片手で弄べるぐらい軽量であり、とても人智を超えた相手を制御できるとは思えない。しばらく掌で転がしていると、使徒はうやうやしく片手を差し出した。
「それは神具『打出のミョルニル』と申します」
「打出のミョルニル?」
珍妙な名前を出され、マリナは首を傾げた。
「普段は稚児でも扱えるぐらい小さな、それこそアクセサリーにするしかない代物です。しかし、必要とあれば巨大化し、幾多の敵をねじ伏せる武器となります。それこそ、ドラゴンを倒すぐらいは造作もありません」
このおもちゃがドラゴンを倒せる。鵜呑みにできる話ではなかったが、大真面目に語っているので信じるしかなかろう。使徒へ一礼を施すと、丁重にスカートのポケットの中にしまっておく。
「う~ん、ここは、どこだ~」
間の抜けた声とともに、陽介は大きく伸びをする。ぼんやりとしながら、だらしなく尻を掻いていた。
「やっとお目覚めですか」
マリナが椅子に座りながら苦笑する。いかにも眠たそうな眼でこちらを眺めている。未だ眠気が抜けきっていないのだろう。
そう思われたのだが、
「うは~、かわええ姉ちゃんがいるじゃねえか」
だらしなく相貌を崩し、ゾンビの如く近寄って来る。身の危険を覚えたマリナはしかと「打出のミョルニル」を握る。しかし、陽介はマリナのそばを素通りしていった。
「お、おやめなさい」
毒牙にかかったのは使徒だった。欲望をむき出しにした男の獣は、無遠慮にローブを触りまくる。口調はきついものの、華奢な肉体は強張っている。
突き放そうとするが、規格外の膂力の前ではのれんの腕押しにしか過ぎない。それどころか、抵抗されるたびに、陽介は不機嫌になっていく。
「いいじゃねえかよぉ。ここは、そういう店なんだろぉ」
「店、ですか」
「ここはキャバクラじゃねぇのかぁ。ばっちぃとこだが、きれーな姉ちゃんがいるしよ」
マリナはキャバクラの意味をいまいち捉えきれなかったが、成人男性が通うようなあの手のお店となんとなく理解した。ちなみに、キャバ嬢にセクハラを働くと強制わいせつ罪が適用される可能性があるので絶対に真似してはならない。
とにかく、使徒から陽介を引きはがそうとスーツを引っ張る。だが、岸壁を相手にしているかのようにビクともしない。陽介が規格外の力を持っていなかったとしても、華奢な少女であるマリナが成人男性を動かそうなど無理があった。
そのうえ、陽介の注意を逸らしてしまったことで、予想外の悲劇に見舞われることとなる。ようやく使徒から手を離した。そう安堵したのもつかの間。マリナの豊満な胸がくにゃりと曲げられたのだ。
「はぁ、うん」
艶っぽい悲鳴が漏れ出る。巧みな手つきで胸が揉まれていく。全身に電撃が走ったように棒立ちになってしまう。
「うぅん、いいねぇ。やっぱ、まな板よりも、こうでなくちゃぁ」
公然セクハラ発言に、さしもの使徒も胸を押さえる。まな板だったのは言うまでもない。マリナとしては、一応、彼は命の恩人である。なので、多少のお痛は目をつむるつもりだった。
しかし、現在進行形で行われている蛮行は多少の範囲を超えている。ぎくしゃくしながらも、ポケットの中をまさぐる。先ほど受け取った打出のミョルニルを取り出した途端、彼女の背丈の半分もの大きさのハンマーへと変貌した。
外見からしてかなりの重量級武器だが、不思議と重圧は感じない。細腕の彼女が片手で扱えることが何よりの証拠だ。あまりに軽すぎて、威力があるのか心配になる。
ただ、むしろ軽量であることがマリナの躊躇を取っ払った。
「ご、ご、ごめんなさい」
謝りながら、陽介の頭上にミョルニルを振り下ろす。銅鑼でも鳴らしたかの轟音が響き、陽介は大の字に昏倒する。
一撃を与えた直後、ミョルニルは再度ミニチュア化する。セクハラされたとはいえ、予想外の大打撃をお見舞いしてしまい、マリナはうろたえる。
「心配しなくとも気絶しているだけです。しばらくしたら目を覚ますでしょう。むしろ、ミョルニルを頭に受けて気絶するだけで済む方が異常ではありますが」
常人ならば頭蓋骨陥没で即死だと呟く。なんとも末恐ろしい武器を手にしてしまったと、マリナは双丘で挟むようにミョルニルを抱きしめるのだった。