神様と謁見してやったぜぇ
「異世界、ですか。こことは別の国から来たのではなく」
「住む世界すら違います。この世界と同時並行上に存在する別の世界から召喚された。と、申しましても理解するのは難しいかと思います」
「はい、全く以て分かりません」
「ですので、遠い異国の地から瞬間移動してきたと思ってもらえれば結構です」
小ばかにされた気がしたが、そちらの方が理解しやすかった。瞬間移動の魔法も存在するので、自ら行使したのだろうか。先の戦いでも雷の魔法を使っていたので、ありえなくはない。
どうにか使徒の話を咀嚼しようと苦心するマリナ。そして、使徒の存在すら眼中になく眠りこける陽介。そんな彼女らの様子にお構いなしで、使徒は説明を進める。
「その男、酒木陽介は日本という国に住んでおりました。私の主神バッカス様はこの世界、イーセカイに蔓延る魔王を倒すために勇者を召喚しようとしておりました」
「その勇者があのおじさんですか」
珍妙な装備をしており、勇者に与えられた特注品だろうか。それにしては強そうには思えない。特に、股間から覗く縞々模様の布切れが目に入るたび、なぜだか羞恥心が先行してしまうのだ。
不信感をあらわにしていたが、使徒はゆっくりと首を振る。
「いいえ。本来、勇者となるべきは別の人物でした。異世界転移の魔法を発動する際に、標準を誤ってその男を天界に招いてしまったのです」
素知らぬ顔で白状するものだから、マリナはあんぐりと半口を開ける。つまり、間違ってこの世界にやってきてしまったというわけか。
「でしたら、すぐに帰してあげなければ」
「そうしたいのも山々ですが、帰すわけにもいかないのです」
無表情だった使徒の顔色に初めて陰りが差した。
使徒が語ったところによると、陽介が転移して来た顛末はこうである。
「よくぞ参られた、勇者よ。と、いいたいところだが、そなたは誤って召喚されたようだ。非常に申し訳なく思う」
現実世界とはかけ離れた荘厳な宮殿の中。巨人の住処であろうか。柱からして規格外だった。クレーン車でも収容するかというほどの高さがあったのだ。
そして、鎮座している存在も規格外であった。謝罪を述べてはいるが、謁見する者すべてを圧巻とさせる。赤ら顔ではあるが、陽介の数倍ほどの身長があり、豊満な白髭をたくわえている。クレーンを最大まで伸ばしたはしご消防車といい勝負だろう。質素な白装束は世界史の教科書の中でしかお目にかかることは無い。古代オリンポスの参考資料から飛び出してきたおっさん。そんな比喩がしっくりとくる巨人であった。
後光も相まって、常人であれば委縮してまともに口を利くことさえできない。陽介もまた、同様にかしこまる。そう思われたのだが、
「うぃーく、おっさん、誰だー」
ネクタイを振り回して逆に威嚇した。
不遜な態度にバッカスの額にしわが寄る。自分の不始末とはいえ、あまりにも非礼な振る舞いを許容しえなかった。だが、簡単に感情を顕わにするわけにもいかない。咳払いすると、どっかと両手を膝に置いた。
「わしの名はバッカス。この世界を統括する神の一柱である」
「俺はよー、ドナルド・トランプってんだぁ」
「ほう、勇者ドナルドか」
「うっそぴょーん! 俺がアメリカの大統領なわけ、ねーだろ、バーカ、バーカ」
囃し立てると同時にゲップをお見舞いした。バッカスの額のしわが増える。使徒はおろおろと、「お気を確かに」と宥めるのであった。
神たるもの、むやみに怒りをあらわにするべきではない。押し堪えたバッカスは威圧的に腕を組む。
「今一度名を名乗れ」
「仕方ねえな。俺はよー、酒木陽介ってんだ」
「陽介か。覚えておくまでもないが、まあ心にとどめておこう。それで、そなたは」
「うぃーく、お、いい酒があるじゃん」
全く話を聞いていない。
巨大な玉座のそばには、これまた巨大な酒樽がある。大人がかくれんぼで隠れることができそうなくらいだ。誘い水に乗ったかのように、陽介はふらふらと引き寄せられていく。
「貴様、その酒は」
停止させようと手を伸ばす。壁が迫りくるほどの迫力がある。正面衝突して全身複雑骨折。そんな憂き目に遭ってもおかしくはない。
だが、巨大すぎたのが裏目だった。動物的本能というか、指の隙間を潜り抜け、陽介は酒樽にたどり着いた。
「いただきま~す」
並々とつがれていた混じりない発泡酒をラッパ飲みする。急性アルコール中毒の恐れがあるので、よいこはアルコール度数三十の酒を一気に飲んではいけない。
「奴を引きはがすのだ」
バッカスの命を受け、使徒のひとりが飛び掛かる。地面に足がついておらず、低空飛行をしている。ローブの裾からは小刀が覗いている。常人であれば、使徒の存在を感知した時点で喉元を切り裂かれていただろう。
しかし、使徒は宙を舞うことになる。それも、血反吐をまき散らして。もう一人の使徒が瞠目する。同輩が無様な姿を晒すことになろうとは、夢にも思っていなかっただろう。
「うっせーなー。食事の邪魔をすんじゃねえ」
ただのパンチ一発。それだけで神の眷属を退けた男は酒樽に顔を半分うずめていた。
「あ~、飲んだ、飲んだ~」
ゲップと一緒に屁をこく。大の字になって気持ちよさそうに寝息を立てている。神の力を以てすれば始末することも可能だった。ほんの数秒前までは。だが、あの酒を飲んでしまったとあれば。
逡巡するバッカス。元の世界に戻すのは御法度だ。それこそ、この男だけですべての国家が滅ぼされかねない。
ならば、取る手は一つ。昏倒する使徒を解放するもう一人に使徒にバッカスは視線を投げかける。
「神の聖水の準備はできておるか」
「いいえ、材料が足りてないため、時間がかかりそうです」
「そうか。ならば、致し方ない、か」
子供が苦手な食べ物を食べるかのよう。そんな渋面を作り、バッカスは魔法陣を展開する。体が浮き上がっているにも関わらず、陽介は夢の世界から戻る気配はない。間抜け面のおっさんとは対照的に、バッカスは険しく眉間を寄せる。
「勇者酒木陽介よ。そなたに使命を与える。イーセカイを支配する魔王を退治せよ。さすれば、異次元の扉が開かれよう」
うやうやしく錫杖を振るう。しゃなり、しゃなりと鈴の音が響き渡った。光の腕に抱かれ、陽介の体が消え去っていく。時間にすると一分足らずだっただろうか。珍客は影も形もなく異世界へと送還されたのだった。
大仕事を終え、どっかとバッカスは玉座に鎮座する。深々と礼をする使徒に、バッカスは命じる。
「そなたもまたイーセカイに赴き、勇者酒木陽介の動向を監視せよ。聖水の準備はこちらで推し進めておく」
「御意」
顔をあげることなく、使徒の体もまた光に包まれていく。
彼女の転移を見送ったのち、バッカスは独り言ちる。魔法で呼び寄せたのであろうか、右手にはいつの間にかワイングラスが握られていた。
「やれやれ、大変な者を送り込んでしまった。果たして、無事だといいが」
果たして、誰に対して無事を願ったのか。真意を知る者は誰もいない。