マリナの家にぃ連れ去らわれたぞぉ
とりあえず、寒空の下に置いていくわけにはいかず、マリナは引きずるようにして陽介を運んでいく。地面を引きずられているにも関わらず、陽介は豪快ないびきをたてている。太陽は傾いてきており、闇夜が訪れんとする。凶悪なモンスターの独壇場となりそうだが、陽介の発する騒音はある種の牽制となっていた。余程の奇特人でなければ、いびきをまき散らす男を引きずる少女に近寄ろうとは思わないだろう。
やっとの思いでマリナの自宅にたどり着いてもなお、陽介は爆睡していた。村はずれにある木造一階建ての粗末な掘立小屋だ。リフォームしたいと思ってはいるが、そんな金は無い。
「どうしたんだい、マリナちゃん。妙な者を拾ってきたじゃないかい」
村人のおじいさんは目をしばたたかせる。マリナは苦笑しながら応じる。
「一応、命の恩人なのです。オークロードを倒したと思ったら急に寝てしまって。あのまま放っておくわけにはいかなかったですから」
「なんと、オークロードを倒したというのか。ここらでオークロードと言うと、魔王チルドレンの一体でなかったかえ」
「ええ、そう名乗っていました」
「いやはや、このお方がブザンマを倒してくださったか。この村もしばらくは安泰じゃ」
ありがたや、ありがたやとおじいさんは拝む。よもや自分が崇拝されているなど、陽介は夢にも思っていないだろう。
陽介を藁敷きの寝床に寝かせ、マリノは夕食の乾パンを頬張る。部屋の中にはテーブルと寝床があるぐらいで非常に質素な配列となっていた。部屋の隅には表紙に炎や稲妻が描かれた書物が無造作に積み重ねられている。
陽介は実に気持ちよさそうに熟睡中である。拾ってきたはいいが、これからどうしようか。素性が分からなければどうにも計画が立てられそうにない。とりあえず、差し迫っての問題は、
「酒臭いです」
鼻をつまむが、臭いが消えるわけではない。
陽介からは絶え間なくアルコール臭が放出されているのだ。消臭スプレーなんてものが存在しているわけはない。せめて、水浴びをさせるべきだったかしら。そう思ったが、命の恩人をいきなり川にぶち込むのは忍びない。
ならば、自分が水浴びをしようか。算段をつけて大きく伸びをする。家の門戸が叩かれたのは、ちょうどそのタイミングだった。
「ごめんつかまつる」
全身を覆うように純白のローブを纏い、口元をベールで隠した女性が訪問してきた。
僧侶職の女性であろうか。ならば、取りうる手は一つだ。
「祈祷の押し売りでしたらお引き取りください」
「いえ、違います」
邪気を払うという名目で強制的に祈祷を行う悪質な僧侶が社会問題と化していたのだが、その女性は即座に首を振った。
マリナとしては、酒臭い謎のおっさんだけでも手一杯なのに、不審な僧侶の相手をするなどキャパシティーオーバーだった。あからさまに邪険にするものの、女性は敬虔にかしづく。
「私は神バッカスに従う使徒でございます。そちらに酒木陽介と名乗る男がいらっしゃいますね」
「どうして知っているのですか」
身を抱き寄せたのは無理もない。ストーカーでもされていたのだろうか。
「町中で変なおじさんを引きずって歩いている女がいると噂になっておりました。伝手を辿り、あなた様を見つけ出したというわけです」
合点がいくと同時に赤面する。意図せず晒しものになっていたようだ。むしろ、おっさんを引きずって町中を歩いていて噂にならないと思うほうがおかしい。
それはともかくとして、問題にすべきはバッカスの使徒と名乗る謎の女性である。バッカスという名の神自体聞いたことが無く、マリナは首を傾げる。そんな彼女の思考を読んだように、使徒は解説を始める。
「バッカス様はこの世界を統括する神のうちの一柱です。あなたが信仰するトポロジスト様のご友人にあたります」
どうして信仰している宗教を知っているのだろうか。多宗教の国であり、一瞥しただけで言い当てるなどできないはずだ。
謎の超能力を発揮され、マリナの警戒は強まる。そんな彼女にお構いなく、使徒は家の中に侵入しようとする。
「私は酒木陽介様にお話があって参りました」
「このおじさんの知り合いなのですか」
相変わらず豪快にいびきをかいている。その姿を目の当たりにした使徒は困惑の表情を浮かべたが、
「そう思っていただいて構いません」
あっさりと肯定した。
陽介の正体について知りたいと思っていたところである。おあつらえ向きに知り合いが訪ねてきてくれたのだから、無碍に追い返すこともないだろう。使徒を招き入れると丁重に家の門戸を閉めた。
木製の丸机に座って対面する両者。無言のまま時ばかりが流れる。マリナから話しかけようにも、どう切り出していいか分からないのだ。ベールで顔半分が隠されているせいで、感情が読みにくいというのも災いしている。
自分の家なのに、どことなく落ち着かないでいるマリナ。そんな彼女にお構いなく、使徒はいきなりとんでもない事実を打ち明けた。
「単刀直入に申しましょう。その男、酒木陽介は異世界よりやってきました」
「はい?」
間抜けな声で聞き返すものの、使徒は微動だにしなかった。聞き間違いかと思い、耳の穴を指でほじくる。