6話 恥ずかしいほど涙溢れる
その後、城を護る衛兵たちが駆けつけてきた。
私は内心、「遅すぎるだろう」と突っ込みを入れたくなったが、当然我慢した。衛兵に文句を言えるような立場ではないと分かっているからである。
こうして、モノハシカ王国城に、再び平穏が戻ってきた。
刺客の女が衛兵たちに回収されると、辺りに集まってきていた野次馬たちも散らばっていく。
ちょうどそのタイミングでルカ王子がやって来る。
「フェリスさん、大丈夫!?」
「あ、はい。問題ありません」
足首の傷から多少の出血はあるものの、命を脅かすような重傷ではない。この程度の怪我なら、今日の残りも護衛任務を継続できそうだ。日常生活における動きにもさほど影響は出ないものと思われる。
「で、でも、足首から血が」
「このくらいなら平気です。止血さえしていれば何の問題も——えっ?」
思わず困惑の声を漏らしてしまった。というのも、ルカ王子が急に抱き締めてきたからである。状況理解が追いつかなかったのだ。
「……心配したよぉ」
ルカ王子は、今にも泣き出しそうな声で、情けない発言をした。
王国の第一王子ともあろう人がこんなで、この国の未来は大丈夫なのだろうか。
彼はいずれ国王になる。そうなれば、王子時代よりもずっと多くの困難や悲しみが彼を襲うだろう。その時、国王である彼が涙目になってばかり、というのでは話にならない。
「ありがとうございます。でも、心配は不要です」
「え……どう、して……?」
ルカ王子の発する声は弱々しい。
しかも、よく見てみると、紅の瞳には既に涙の粒が浮かんでいる。
「私はこのくらい、どうもないですから」
この言葉は嘘ではない。
完全な真実かと言われればそうとも言えないが、完全な嘘でないこともまた、確かである。
私だって傷を負えば痛みを感じる。それは、人間である以上、仕方がないことだ。だが、「痛いから」といって今すべきことから逃げるというのは、どうも性に合わない。
それに、私はそもそも、護られる側の人間ではないのだ。護る側の人間としてここにいるのだから、ちょっとやそっとのことで弱音を吐きたくはない——それが私の心だ。
「泣かないで下さい、ルカ王子」
「う、うぅ…」
駄目だ。ルカ王子は完全に泣いてしまっている。
「刺客はもういませんよ。大丈夫ですから。だから、立って下さい」
「うぅ、う、う、うぅ……」
「あの、私もちょっと、手当てしてもらわなくてはならないので」
「う、うぅ、ごめん……」
ルカ王子は私を抱き締めた体勢のままで号泣。
号泣はともかく、この体勢を何とかしなくては。そう思い、色々な言葉をかけてみるが、ルカ王子はどうしても離してくれない。強く抱き締めたまま、涙を流し続けている。
そんなことを堂々と続けているものだから、私とルカ王子は、完全に注目の的になってしまっている。
中でも、周囲で働く侍女たちが私へ向けてくる視線の鋭さといったら、言葉にならないくらい凄まじい。正直、足首の傷よりも、侍女たちから飛んでくる視線の方が、ずっと痛い。
「あの、そろそろ離していただけませんか?」
「うぅ……嫌だよぉ……」
何だろう、この頑なさは。
こんな時に限って頑固にならなくていいのに。
その後、国王の家臣が駆けつけてルカ王子を説得してくれたおかげで、私は何とか自由になれた。この時ばかりは、「本当に助かった」と、国王の家臣に心から感謝した。国王の家臣が駆けつけて説得してくれなければ、危うくずっとこのまま抱き締められ続けてしまうところだったのだ。それを思うと、恐ろしい。
私はこうして、初仕事を成功で飾ることができた。
おかげで国王から厚い信頼を寄せられるようになり、この日以降、待遇もぐっと良くなった。いや、もちろん最初の待遇が不満だったというわけではないが。
ルカ王子の護衛に私が就任した直後には、「女に王子の護衛ができるのか」などと嘲り笑う声もあったようだ。しかしそんな声も、この日の一件で、一気に消え去ったそうだ。
余計な心配が要らなくなったおかげで、より一層職務に集中することができるようになった。
そういう意味では、刺客によるルカ王子暗殺未遂が起きて良かったのかもしれない。不謹慎ながら、私はふとそんなことを思った。もっとも、口から出せることではないが。
そして、それからも、ルカ王子の傍で働く日々は続いた。