28話 身の安全の確保のためには
私は、ルカ王子のことは嫌いではない。
色々残念で、お世辞にも完璧とは言い難い彼だが、良いところもたくさんあると知っているから。穏やかで優しくて、心も広くて……彼にもちゃんと長所があることを分かっているから。
だが、彼は気が早すぎると思う。
まだまともな恋愛をした経験のない私だ、結婚を前提に付き合ってほしいなんて言われても、困ってしまうだけ。
「やっぱり僕じゃ……嫌、かな」
私が頭をフル回転させているうちに、ルカ王子はしゅんとした顔になってしまった。
目の前でこんなにはっきりと落ち込まれると、正直、私の胸も痛くなる。まるで私が彼に悪いことをしてしまったかのような、そんな気分になるからだ。本当のことを言うなら、いきなりのことに混乱してしまっただけで、彼を落ち込ませるつもりなんてなかったのに。
何か言わなくては。何か言って、彼の心を持ち上げなければ。
そう思いはするのだが、脳内を整理するのは意外と簡単でなくて。
「……ごめん」
すっかり落ち込んだルカ王子は、弱々しい声で謝罪する。それから、小さな箱を鞄にしまい、走り去ってしまう。塔の下へと続く階段を駆け下りていく。
「待って! 待って下さい!」
私は慌てて彼を追った。
彼はこの場所に慣れていない。だから、もし途中で迷って行方不明なんてことになったら、とんでもないことになってしまう。それに、木々の中で怪我したり、野生の獣に襲われたりする可能性だって、ゼロではない。
「ルカ王子! お待ち下さい!」
私は声を発しながら彼を追いかける。しかし、ルカ王子の足はこんな時に限って速く、どんどん走っていかれてしまう。重い生地のワンピースを着ているせいもあって、いつも通りは走れないのが、非常に悔しい。
——彼を一人にするわけにはいかない。
その一心で、私は駆ける。
私は護衛なのだ。私のせいで彼が危険な目に遭うなんてことは、絶対に許されない。
「待って!」
「……ごめん、来ないで」
走りながらルカ王子は、そんな風に返事をしてきた。この期に及んでまだ返事をしてくれるところは彼らしい——が、今は呑気にそのようなことを言っている場合ではない。とにかく彼の足を止めなくては。
「止まって下さい!」
一応頼んでみるも、ルカ王子は応じてくれない。息は既にかなり荒れているようなのだが、己の体調など顧みず、ひたすら走っていく。
私たち二人は、徐々に、森の方へと近づいていってしまっていた。
森は昼間でも薄暗い。道という道があるわけでもなく、さらに、街周辺にはいないような危険な生き物がたくさん暮らしている。慣れている人間ならともかく、城から出たこともほとんどなかったような人間が、安全に過ごせる保証はない。
このまま闇雲に走り続けるのは、極めて危険だ。一刻も早く止め、すぐに引き返さなくてはならない。
だが、どうすれば彼を止められるのだろう。
今のルカ王子は正気ではない。かなり混乱している状態である。それゆえ、普通に止まるように言うだけでは止まってくれないことは明らかだ。彼の足を止めるには、彼が強い興味を持つような言葉を発する必要がある。ただ、混乱し私から逃げているような状態の彼を止めさせるような話題となると、そうたくさんはない。
どうしよう。
一体、どうすれば……。
その時ふと、一つの案が舞い降りてきた。
「ルカ王子! お付き合いします! しますから、止まって下さいっ!」
これを言ったら最後、もう後には引けない。
私の人生がほぼ決まってしまうかもしれないような、重い意味を持つ言葉だ。
でも、それでも、これを言うしかなかった。
ルカ王子の足を止めるためには、彼の身の安全を確保するためには、もはやこれしかなかったのだ。
想いを告げられた時には断るようなことを言っておいて、少し都合が悪くなったらそれか。もしこの場に第三者がいたなら、そんな風に思われ、笑われていたかもしれない。あるいは、軽蔑されていたかもしれない。
自分でも、調子が良すぎるとは思う。
けれど、私だって、今はルカ王子を止めることに必死なのだ。たとえ私が他人から馬鹿にされたとしても、そんなことはどうでもいい。今はルカ王子を止めることが最優先事項なのだから。
「お願いしますっ!」
心の底から叫んだ。
これほど強く「止まってくれ」と思うことなんて、人生でも、そう何度もはないだろう。そんな風に思うくらい、私は心から願った——ルカ王子が止まってくれることを。
すると、ルカ王子はようやく足を止めてくれた。
だが私に顔を向けることはしない。向こうを向いたまま、じっとしている。
「王子!」
「……フェリスさん、さっきの言葉は、本当?」
ルカ王子の声はいつになく静かなものだった。
いつもの無邪気な声とは真逆の、静かで真剣な声色である。
私は思わず唾を飲み込む。そして、答える。
「……はい」
お付き合いする、という言葉のことを言っているのだと解釈し、私はそう答えた。
口から出してしまった以上、「やっぱり嘘」なんて言えるわけがない。それに、絶対に付き合いたくないと思っているわけではないので、私としてはある意味良かったのかもしれない——正直になれて。
「……嘘じゃ、ないんだね」
「はい。そんな卑怯な真似はしません」
「……そっか」
呟いてから、ルカ王子はようやく振り返る。
その顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。せっかくの綺麗な顔が台無しだ。
「嫌われて……なかったんだぁ……」
安堵したように漏らし、その場にへたり込むルカ王子。
その様は、王子らしいとはとても言えないものだった。
凛々しさなんてものは微塵もないし、親に怒られて号泣するただの子ども同然である。




