23話 この風邪が治ったら
王子に対していきなり「手を繋げ」だなんて、失礼だろうか?
心の隅には、そんな心配もあった。
けれども、ルカ王子ならば、きっと嫌な顔はしないだろう。多少わがままを言っても、受け入れてくれるだろう。そう思ったから、私は勇気を出してお願いをしたのだ。しかし、いざ口から出してしまうとやはり恥ずかしく、後悔の波が押し寄せてきた。
だが、ルカ王子が、私に迫る後悔の波を払ってくれた。
「いいよー」
彼が笑顔でそう答えてくれたおかげで、私は後悔という荒波に飲み込まれずに済んだ。
「手を繋げばいいんだね」
「は、はい」
「でも、本当にそんなことでいいのー?」
ルカ王子にとっては、そんなこと、かもしれない。
けれども私にしてみれば大きなことなのだ。
もちろん、他人の手に触れた経験がないわけではない。友人や仲間の手に触れたことはある。が、好意を持った異性と手を繋ぐという経験は、これまでほとんどなかった。
「はい。そんなことでいいです」
「何それー。今日のフェリスさん、何だか面白いね」
慣れていないせいかぎこちなくなってしまっていたところ、ルカ王子にくすくす笑われてしまった。笑われるのは少し悔しい。しかし、私の言動がぎこちなくなってしまっていることも事実だ。だから、私に怒る権利はない。
そんなことを考えていると、ルカ王子は、唐突に私の手を握ってきた。
いくらこちらがお願いしたとはいえ、急に手を握られると驚いてしまうものだ。何も言葉を発せない。
願いを聞いてもらえたことは嬉しい。また、彼の温もりが指越しに伝わってくるのも心地よい。なので、何も嫌なことはないし、困る必要もないはずだ。頭ではそれを分かっているのだが、いざ実際にその場面になると、嬉しさよりも驚きや恥じらいが勝ってしまっていた。頭で考えるのと実際に体験するのとでは、大きな違いがあるようである。
若い頃から剣を取り、戦場に立ってきた私は、自分の精神の強さにある程度自信を持っていた。仲間が傷つくところも何度も見たし、亡くなる人だって見たことがある。だから、そこらの娘に比べればずっと強い心を持っていると、そう思っていたのだ。
……だが、案外私も普通なのかもしれない。
今さらながらそんなことを思った。
私が馴染んでいるのはあくまで戦いの世界のことだけ。それ以外は普通、いや、むしろ普通の娘よりも未熟かもしれない。
手を繋ぐだけでこんな思いをしていることが、すべてを物語っている。
「フェリスさん? どうして固まってるの?」
ルカ王子に言われ、私はようやく正気に戻った。
「あ! すっ、すみません!」
慌てて平静を装ってみようとしたが、逆効果。あたふたしている情けない人に成り下がってしまった。
うぅ……かっこ悪い……。
「やっぱり、今日のフェリスさんは変だね。風邪のせいかな? 大丈夫?」
ルカ王子に真顔で心配されてしまうとは、人生最大の不覚! ……なんて叫びたくなってしまった。無論、本当に叫ぶことはしなかったが。
「あ、大丈夫です。少し色々考えていただけです」
「へぇー。色々かぁ。まぁでも、それなら良かった」
「ご心配おかけしてすみませんでした」
「いいよいいよ! でも、フェリスさんが考え事だなんて、内容が気になるなぁ」
まずい。考えていた内容を尋ねられたら危険だ。
ルカ王子の発言を聞きそう思った私は、何事もなかったかのように、速やかに話題を変える。
「そういえば、王子」
突然話を変えようとする私を見て、彼は、一瞬不思議そうな顔をした。だがすぐに笑顔に戻り、優しい声で「何?」と聞いてくれる。
こういう時に自然に合わせてくれるのは、彼の良いところだろ思う。
「今日手を繋いでいただいたお返しと言っては何ですが、今度は、私が貴方の願いを叶えたいです。その……私にできそうなことがあれば、仰って下さい」
すると彼は、数秒、考えるように黙る。
そして、やがて口を開いた。
「お出掛けしたいな」
そう述べる彼の眼差しはどこか哀愁を帯びていて、印象的だ。
理由は不明だが、なぜか胸にぐっとくるものがある。
「お出掛け、ですか?」
「うん。フェリスさんと一緒に、城の外へ行ってみたいんだけど」
「私は構いませんけど……城から出る許可は得られるのですか? 私はともかく、王子は自由には出ていけませんよね?」
ルカ王子が城外へ出掛けるとなれば、きっと大事になるだろう。仕事でもない勝手な外出を周囲が許すかどうか、それが一番の問題だ。
しかし、当のルカ王子は、あまり深刻には考えていない様子である。
「それは大丈夫! 僕が頼んでくるから! フェリスさんとお出掛けできるように、ちゃんと話をつけてくるよ!」
不安しかない……。
「本当に大丈夫ですか?」
「もちろん!」
「では、この風邪が治ったらお出掛けしましょう」
「わーい!」
なぜこの年で「わーい」なんて言えるのか、謎で仕方ない。
だが、ルカ王子と城の外へお出掛け、というのは楽しそうな気もする。きっとまた、とんでもないことを言ったり起こしたりするのだろうが、それはそれで悪くない。何が起きるか分からないというのも、たまには刺激になって良いだろう。
そんな風に思ってしまう私は、既に、ルカ王子の魔法にかかってしまっているのかもしれない。