12話 考えるものではなく
鼻と鼻が触れるほどに接近した、私とルカ王子。
お互いの顔もはっきり見えぬほどの近さに、私は戸惑いを隠せなかった。
これまでも突然触れられることはよくあった。そのため、初期の頃よりかは、「あぁ、そういうやつね」と流せるようになってきつつある。慣れとは怖いものだと思うが、嫌悪感を抱くことはなくなったし、驚き慌てることもなくなった。
ただ、それでも、ここまで近づくということは、珍しい。
積極的に関わってくる質のルカ王子にしても、大胆すぎる行動だ。
「わ……分かりました。お話します」
私は至近距離にあるルカ王子の顔から目を逸らしつつ言った。
その瞬間、彼の表情は、ぱぁっと明るくなる。お菓子や欲しかったおもちゃを買ってもらえた子どものような、穢れなき喜びの表情だ。今は、高い身分であることなど、ほんの僅かも感じさせない。
「やった! ありがとう、フェリスさん!」
「ただ、もし失礼なことを言ってしまっても、怒らないで下さいね」
「もちろん! 打ち明けてくれるだけで十分だよ!」
ルカ王子ははっきりと答えた。
その声は迷いがない。それはもう、羨ましいほどに、真っ直ぐである。
それから彼は、私の体から手を離す。
話してくれるならば至近距離でなくとも構わない、ということなのかもしれない。
「実は、最近、ルカ王子と関わると胸の奥が不思議な感じになってしまって。もちろん、嫌いだとか不快だとかではないのですが……」
彼はじっと聞き入っている。彼らしくない、真面目な顔つきだ。
「本当に不思議な感覚なので、上手く言い表せないのですが、きゅうっとなるというか……」
いざ言葉にするとなると難しい。
感覚を言葉に変えて他人へ伝えるというのは、何とも言えない難しさがあった。特に、これで伝わっているのか? という不安が生まれてくるところが、厄介である。
「体調不良は今までもありましたけど、こういう感覚は初めてで……理由がよく分かりません」
すると、ルカ王子はすっぱりと述べた。
「その感覚、僕は知っているよ」
えっ、そ、そうなの!?
私でも知らないことを、何事にも疎いルカ王子が知っているというの!?
そんな風に、妙に驚いてしまった。失礼な驚き方だとは思うが。
「教えていただいても構いませんか?」
この謎の感覚の正体に心当たりがあるなら、ぜひとも聞いてみたいところだ。
それにしても、医者でも分からなかったこの感覚の正体をルカ王子が知っていたなんて、良い意味で驚きである。
「うん。それはねー」
愛らしく、にこっと笑うルカ王子。
「恋だよ!」
……はい?
いきなり何を言い出すの、この人。
突然「恋」なんて言い出すなんて、ロマンチストか何かですか?
「……フェリスさん、黙り込んでどうしたの? やっぱり体調が優れない?」
ルカ王子は、きょとんとした顔でこちらを見つめてくる。
純粋な彼のことだ、私が困惑の渦の中で言葉を失っていることを疑問に思ったのだろう。だが、私からすれば、いきなりこんなことを言われて平然としていられる人の方が不思議である。
「い、いえ。ですが、なぜ『恋』なのですか? まったく理解できません」
「うーん……なぜって聞かれたら難しいなぁ。でも、そういうのって、考えるものじゃなくて感じるものだと思うよ」
なるほど、考えるものじゃなくて感じるもの、か。
なかなかかっこいいことを言うではないか、ルカ王子。
ただ、それでは私の問いの答えにはなっていない。
「ルカ王子は経験なさったことがあるのですか?」
私はさらに尋ねてみる。
すると彼は、両の口角を上げて、大きく頷いた。
「うん! あるよ!」
予想外のはっきりとした言い方だった。
また曖昧な返答が来ると思っていただけに、私は内心驚く。
それにしても、子どものようなルカ王子が恋をしたことがあるなんて。こう言っては失礼かもしれないが、正直意外である。彼は友達以上の感情など抱かない人だと思っていた。
「詮索するようで申し訳ないのですが……それは最近ですか? そして、具体的にどのような感覚を覚えられましたか?」
具体的な症例は一つでも多く知っておく方が良い。というのも、一つでも多く症例を頭に入れておけば、もしまた不思議な感覚があった時に、素早い対処ができる可能性が高まるからである。
どんな病も、一番駄目なのは放置すること。そして、その病に対して無知であることだ。
「そうだね。せっかくの機会だし話すよ。実は僕も、そんなに昔のことじゃないんだけど……」
言いながら、少々頬を赤らめるルカ王子。気恥ずかしそうな表情には、いつもの彼とは違う、大人の男性といった雰囲気が感じられる。
しかし、そんなことより驚いたのは、私が「聞きたくない」と思っていたことだ。
この奇妙な感覚の正体について知ろうと思っていたはずだった。なのに、私は今、ルカ王子の体験談をあまり聞きたくないと思っている。
そして胸の奥には鈍痛。
言葉では上手く表せない、沼に沈み込むような感覚だ。
「初めてフェリスさんに会った日だよ!」
……え?
彼は一体何を言い出すのか。
疑問符が頭の中を塗り潰していく。