神のみぞ、人の溝
「四本角の魔族って珍しいもんなのか?」
「魔族にも四本の角を生やす種族はないわ、突然変異を起こした個体のみに起こる『異常』だという理解の方がいいわね。魔族からも迫害の対象になりやすいのよ」
フィフィは物憂げな視線を足元に落とした。
『迫害』という単語と魔族であるフィフィが正体を隠して人間の生活に紛れ込んでいた現実。
どんな経緯であれ、その過去が喜楽に満ちているとは考え辛かった。
「でも、意外だわ。私が魔族と知ってもあまり驚かないのね。藪のくせに」
フィフィの物悲しそうな表情が一転、組んだ脚に頬杖をついていつも通りつまらなさそうに口を尖らせた。
「いや、まぁ初めて蹴られた時から威力が人間離れしてたからバニラ人間じゃないんだろうなとは思ってたし…魔族って言われても俺はまだフィフィしか魔族を見たことないし…怖さで言えばライオネルさんの方がヤバそうだし。」
「ライオネルは元傭兵だから…仲間から打ち捨てられた私を森で拾ってからは足を洗って教会で仕事をするようになったのよ。随分苦労したようね。一番苦労したのは私だけど」
「人間の町に住んでる魔族って結構いるのか?」
「ほとんどいないわ。人型の魔族はいても人族のフリをして共存するのは難しいもの…私がライオネルに拾われたように、協力者がいないとまず無理でしょうね。」
フィフィは灰色の髪の毛を束ねてバンダナで角を覆い隠すように結んだ。
その慣れた手つきから、いかに長い時間を人間社会で過ごしてきたかが見てとれる。
「この辺りも大分暗くなってきたわ…戻って今日は休むわよ。明朝にはこの町を出るから急いで準備しなさい。」
「えらく急に出ていくんだな…」
「ライオネルが心変わりしないうちにさっさと町を出ないといけないの。」
「ヨッホー・パレパレって人にも会ってみたかったんだけど…」
「やめときなさい。実力に比例して変人よ。」
フィフィは有無を言わさず捲し立てて森を後にする。
「待ち合わせとかしなくていいのかー?」
藪の問いにフィフィは答えず虚しい声が森に響いた。
ただ揺れている木が薄暗さとぬるい風によって独特の気味の悪さを醸し出していた
藪は善の手を取ってフィフィの後を追うように森を出る。
人も疎らになった町中は昼に比べて獣人が増えているように見受けられた。
「宿探すの忘れてた…」
「噛み殺し祭りやな。」
善は恐らくヴォイツェフ達と合流しろと言っているのだろう、文字は読めないが人の出入りの多さから藪達が出たのは宿場街のようだった。
「この辺りにあるのか?」
「あれ?藪さん?」
行き交う獣人の中、買い物中なのか、大量の荷物を抱えた女の子が声を掛けてきた。
「エルエスさん?こんな時間に…ってよりもその荷物は?」
「ちょっと買い出し中なんです。兄がその…怪我をしてしまって…」
「兄が?どっちの?」
「両方です…藪さん達と別れた後、懇意にしていた冒険者の方から救援要請が届いて…」
エルエスはポケットからくしゃくしゃになった紙を取り出した。
何と書いてあるのかは分からないが、所々に血が付着していることからただ事ではなかったのだと推察できた。
「まだ駆け出しだったのに町外れの洞窟に入っていったみたいで…私たちが駆け付けた時にはもう…そこは私たち三人でも手に余る魔獣の巣窟で、兄達は私が逃げるまでの足止めに…」
エルエスは今にも泣き出しそうな震えた声で呟く。
ここでも人は死ぬ。異世界に来た高揚感からそんな単純な事を忘れていた。
「二人は大丈夫なのか?」
「はい、命に別状は無いんですが……ところで、藪さん達はもう宿を?」
「いや、今探してるとこで…そうだ!お見舞いついでにエルエス達がいる宿に案内してくれないか?」
「お見舞いですか…?わかりました」
エルエスは考えた末、藪の提案を了承する。
知り合いを亡くして怪我を負った傷心中に邪魔をするのは悪い気もしたが、藪達が宿を探すのも火急の用件だ。それに心配しているのも嘘ではなかった。
「ここが噛み殺し祭りです。私たちがこの町に来るときは毎回お世話になってるんです。店主さんも優しい人ですよ」
「噛み殺し祭りって優しい人間が付ける名前じゃないけどな。」
小さな開き戸になっている扉は西部劇に出てくる酒場を思わせる佇まいで、一階にはテーブル席が何席か用意されていた。
実際に酒も提供しているようで、カウンターには様々なボトルが置いてある。
「何人だ?」
接客業としては完全にアウトな声のかけ方をしてきた獣人が恐らく店主だろう。服の上からでもはっきりと分かる隆起した筋肉は宿屋の店主とは思えない風貌だ。
「二人です。部屋は1つで良いので」
「二人一部屋…兄ちゃんもしかしてホ…」
「違います。」
素早く受付を終えて二階へ急ぐ。
そんなに広くない宿で客室は6部屋しかない。もっと言えば利用客はヴォイツェフ達の他には藪達しかいなかった。
「じゃあさっそくお見舞いに…」
「私達の部屋は201と203号室で…兄達は喧嘩中で部屋を分けてもらってるんです。」
「喧嘩?あの二人が…っても喧嘩しそうな二人か。」
「喧嘩自体はしょっちゅうなんですけど…今回は内容が内容で…まだ二人共気持ちの整理がついてないようなんです。ですので、もしかしたら何か失礼な事をするかも…」
「いいよ気にしないで、初対面からわりと失礼な奴らだったし、俺もお上品な人間とは言えないからな。」
「じゃあ私はバフーン兄さんの様子を見てきますね。」
エルエスと別れた藪と善は201号室のドアをノックした。「エルエスか?入れ」と中から返事が来たのを確認してドアを開ける。
「よ、怪我したって?」
「なんだ…藪かよ」
ヴォイツェフは来客者が藪だと確認するやいなや、口を尖らせて片袖通していた上着を脱いだ。
「なぜ俺だと脱ぐんだ…お前もしかしてホ…」
「んなわけねーだろ殺すぞ…気遣いのいらない相手っていう信頼の表れだ!」
「そうは言ってもなぁ…全裸になるか?普通」
「全裸じゃねぇよ!下履いてるし上半身も包帯だらけだろうが!」
「あぁ…確かにミイラみたいだな。」
ヴォイツェフは両手を広げて反論する。
大層な包帯が巻かれている割には動きに支障ないようで、見た目ほど大した怪我ではないようだった。
「怪我の事はエルエスから聞いたのか?」
「あぁ、そこの通りをさまよってたら偶然見掛けたんでな…買い出し中のエルエスさんに会ったの。」
「お前らいつも道に迷ってんな。」
「しゃーないだろ、道わからんし文字も読めないし…」
藪はベッドの横にあった椅子を手繰り寄せ腰掛け、ヴォイツェフ達と別れた後の事を順を追って話していった。
フィフィが魔族であること、善がとてつもない力を有している事は伏せておいた方が滞らずに話を進められそうだったので割愛して大まかな流れのみを語った。
部屋の照明にハエが突進するのを眺めながらヴォイツェフは笑い出した。
「はは、お前らが魔王討伐なんてできるわけないだろ?いくらなんでも無茶だ。無茶苦茶だ。」
「まぁ、監視役が満足するか、善さんの濡れ衣が晴れるまでは付き合うしかないからな。」
「魔獣を引き寄せる力ねぇ…にわかには信じがたい話だ…しかし善さんって全然喋らないのな。そのくせ妙に威厳というか威圧感というか…圧を感じる」
「気のせいじゃね?」
ヴォイツェフは仁王立ちのまま藪の側を離れない善に視線を送る。
当の善はというと何か返事をするわけでもなくバツが悪そうに咳払いをしたりしきりに瞬きをするだけで口をつぐんだままだった。
「俺たちの事は良いとして…そっちは何があったんだよ」
藪が話の本題を切り出す。
一瞬ヴォイツェフの眉がピクりと動いたのを藪は見逃さなかった。
エルエスと会ったと聞いた以上この話題になるのは必然的だが、やはり言いにくい事なのかヴォイツェフはしばらく黙り状態だった。
「あれから。何してそんな大怪我になったんだ?洞窟ってどこだ?バフーンと喧嘩してるとも聞いたぞ?」
藪がだめ押しでエルエスから聞いた事の断片を突き付けると「そこまで知ってんのか。」とヴォイツェフも観念した。
「あれから。宿に戻ろうとした時、幼馴染みのロッソって冒険者から足書が届いたんだよ。「南の町外れにある洞窟にいる。出られなくなった助けてくれ」ってな。だがそこはこの辺りじゃ有名な『試しの洞窟』と呼ばれる危険指定区域なんだ。」
「試しの洞窟?何を試すんだ?」
「試しの洞窟にはネクラットと呼ばれる厄介な魔獣が住んでてな、そいつらは人化の術を得意としていて姿形に止まらず声まで完璧に真似て侵入した人間に襲い掛かってきやがる。最後には誰が仲間なのか判断つかなくなって殺し合いが始まるってわけだ。要するに絆を試す洞窟って事だ。」
「そいつらにやられたと?」
「俺とバフーンがな…お互いをネクラットと勘違いして殺し合いになっちまった。俺は途中でそれに気付いたんだがバフーンの奴大分混乱してたみたいでな。エルエスが目眩ましを使った隙に気絶させて連れて帰ってきたが…今はまだ顔を合わせ辛くてな。」
「じゃあ別に喧嘩をしてるわけじゃないのか?」
「いや、してるぞ?」
ヴォイツェフの顔付きが険しくなる。
「アイツ、こんなボロボロにされたばっかりなのに試しの洞窟にいるネクラットに復讐しに行くなんて言い出してな。しかも「また人化の術を使われたら厄介だから俺一人で行く」なんて抜かしてる…死にに行くようなもんだ。まぁ…ロッソとは一番仲良かったし気持ちはわかるが…」
「ロッソが生きてる可能性は?」
「無いな。ロッソも多少はできるが今回は完全に実力を見誤ってる。生還の可能性は低い。」
ヴォイツェフは血が滲むほど強く拳を握りしめる。
無力さから歯痒い思いをしているのはバフーンだけではない
弟妹を守るために望まぬ決断を強いられる。
ヴォイツェフはその情けなさに腹を立てていた。
「やりきれない話だな…でも、そんな危険な洞窟放置されてんのか?」
「本来ネクラットは一部の繁殖期を除けばこちらから手を出さない限り無害な魔獣だ。餌も洞窟内の鉱物だから洞窟から出てくることもそうそうない。」
「わざわざ戦力割いて駆逐する魔獣じゃないということか……」
「だから教会が人員を寄越すわけもない。バフーンの奴もそれを分かってる…アイツは問題に向かって愚直に進むのが短所だ。それに今は冷静さを失ってる…俺の顔を見たらなにも言わなくても昂って当たり散らしてくるに違いない。」
そう言いながらもヴォイツェフは自分が冷静になりきれていないことも把握している。
だからこそ距離を置いてお互いに頭を冷やす時間を作ったのだろう。
「良かったらバフーンの様子を見てきてくれないか?エルエスが付いてるから大丈夫だとは思うが、押しに弱いとこがあるからな…苦労してるはずだ。」
しかし、タイミングが悪い時に来てしまったものだと藪は内心焦りを感じていた。
本人にその気がなくても復讐を手伝わなければならない流れになる前になんとか部屋を出たい。
もしもヴォイツェフではなくバフーンの部屋に行っていたならば恐らく回避できないイベントになっていたであろう。
______ゲームの無機質な選択肢なら断るのも何でもないが、実際に自分で見聞きした話なら訳が違うからな…情が湧く前に退散だ…
対人関係の少なさと人の話に淡々とした感想しか言わない事から無感情に見られ勝ちな藪だが、意外に情に流されやすく義に厚い一面があるのは本人も自覚する所がある。
そのため厄介事に巻き込まれまいとこの世界でも気を付けていた。
「あぁ、帰りに見ていくよ。色々助けてもらったのに……その、手伝えなくて悪いな…行こう、善さん」
「気にすんなよ!手伝いってまさかロッソの弔い合戦か?俺はそんなのやる気ねぇし…まぁバフーンもひどい怪我だ。しばらくは大人しくしてるだろ。」
ヴォイツェフは無理して笑顔を作りながら気丈を装う。
罪悪感が無いわけではないが、今他人に手を貸すほど人生に余裕がないのは事実。
藪は後ろめたいながらも積極的に手を差し伸べようとはしなかった。
「それでええんか?」
善は藪の声掛けに嗜めるような疑問を投げ掛けた。
それはまるで藪の判断が間違っていると言いたげなニュアンスだ。
善が本当にそこまで深く考えているのかどうかは分からないが藪はそう感じた。
「いいから。」
藪は語気を強めて善の腕を引っ張る。
「…っ!?」
善の腕に触れた時、藪は身震いという形で嫌な気配を感じた
そして、それを感じたのは藪だけではなかった。
「なんだ…今その爺さんから何か凄い力が…俺の横を通り抜けて行っ…ッバフーン!!」
何の裏付けもない。
ただの嫌な予感に過ぎない。
現在の状況とつい先程感じた力を脈絡なく結び合わせただけに過ぎない。
だがヴォイツェフはベッドから飛び出した。
片足を引き擦りながら懸命に手摺を伝っていく。
「どうしたんだよ急に!」
「バフーン!入るぞ!!」
藪の言葉に耳を傾けずヴォイツェフはドアが壊れるくらいの勢いで押し開く。
その瞬間室内から強い風が吹き出して藪は一瞬目を閉じた。
開かれた窓から外の風が吹き込み、カーテンがパタパタと壁を叩く。
ベッドの傍らで倒れているエルエスの姿は確認できたが、バフーンの姿はどこにもなかった。
「エルエス!どうした!?」
ヴォイツェフがエルエスを抱き抱えると、気絶していたエルエスがうっすらと目を開けた。
「お兄…ちゃん。お兄ちゃんが…」
か細い声でそれだけを伝えるとエルエスは再び力なく項垂れた。
「クソ!あの馬鹿は!!」
そう叫んでヴォイツェフは立ち上がった。
「待て待て!状況がわからん!何がどうなったんだ!?」
「バフーンの奴、ドレインタッチでエルエスから力を吸い取って試しの洞窟に向かったんだ!」
「ドレインタッチ…そんなこともできるのかさすが異世界…それで怪我は治るのか?」
「そんな便利な代物じゃない。吸い取るという行為自体がかなり力を消耗する技だし、吸い取った力もバフーンじゃ2割程度しか吸収できないはずだ!」
「ってことは満身創痍のまま試しの洞窟に向かったってことか…!」
「あぁ……頼むッ俺を試しの洞窟まで連れていってくれ!!」
ヴォイツェフは藪の胸ぐらを掴んで懇願する。
形振り構わない必死さに藪の表情が曇るが、後ろから伸びた善の手がヴォイツェフの首を掴んだ。
「ぐ…なに、を」
ヴォイツェフが苦しそうに呟くが、次第にその表情が驚きへと変わる。
数秒後、善が手を離すとヴォイツェフは自分の両手を見つめ、固く拳を握った。
「何だ…怪我が治った?一瞬で…?」
「後は自分で決めないかん。」
その場に立ち尽くすヴォイツェフの肩を叩きながら善はにっこりと微笑んだ。
ヴォイツェフはそれに対して小さく頷いた。
「すまない!」
ヴォイツェフは試しの洞窟に向かうため、窓から飛び降りた。
病み上がりとは思えない行動に藪も窓から身を乗り出す。
「ヴォイツェフ!待て!」
「バフーンの馬鹿を止めてくる!」
藪の言うことに耳を貸さずヴォイツェフは走る。
その後ろ姿が小さくなるに連れて、藪の腹の底から言い知れない感情が沸き上がり、決壊した。
次の瞬間、藪は窓から飛び降りていた。
「っ!くぁ~、二階とはいえめちゃくちゃ痛ぇな!」
藪が脚を押さえて踞るすぐ後ろで『ドス!!』…っと 二階から何かが降ってきたような音がした。
振り返るといつものように善が後ろ手を組んで仁王立ちしていた。
「え、善さん二階から飛び降りても平気なん!?」
「わからん。」
善は質問にいつものように淡白な返しをする。
「やっぱ善さんって異常やな…魔力抑制の枷付けてるのに魔法…?使ってたし。」
「モタモタしてていいんか?」
「いいや!良くない!追いかけるぞ善さん!」
「がってん承知の助!」
二人はヴォイツェフを追いかけて走り出した。
夜の森は視界がさらに悪くなり、目の前を走っていたヴォイツェフの姿はもう見えなくなっていたが、余程慌てていたのだろう。
雑木林を凪ぎ払いながら真っ直ぐ突き進んだ痕跡がこれでもかというほど残されていた。
「これを追っていけば…!」
藪と善はそれを頼りに走った。
走って走って走った。
数分後、少し開けた場所で立っているヴォイツェフの姿が目に入った。
「ヴォイツェフ!!バフーンは!?」
藪が追い付いたにも関わらず、ヴォイツェフは何の反応も示さずただ目の前の岩山に向かって呟いた。
「ここが試しの洞窟だ。」
「試しの…洞窟?」
ヴォイツェフは確かに『洞窟』だと言ったが、藪の見る限りそんなものはどこにもない。
目の前にあるのは巨大な一枚岩だった。
「本当にここなのか?」
「間違いない…これを見ろ。」
ヴォイツェフが地面を指差した。
目を凝らすと新しい足跡が一枚岩に向かって進んで…その先に小さな血溜まりを作っていた。
「バフーンの足跡だ。バフーンの血だ。」
ヴォイツェフの声にだんだんと怒りが混じっていく。
「落石で洞窟ごと…。」
「落石なんかじゃねぇ!!!!!」
藪の呟きにヴォイツェフが激しく激昂する。
あまりの迫力に藪はビクッと肩を跳ね上がらせた。
「周りを見てみろよ!どっからこんなバカでかい岩が降ってくるんだ!?えぇ?!」
言われた通り、洞窟があったであろう場所は小さな山ともいえない丘ほどの高さだ。見上げなければならないほどの巨大な岩石が降ってくるなどありえない。その形跡もなかった。
「だとすれば…何だ?」
「わかんねぇのかよ…てめぇは……その爺さんだよ!」
「は?善さん?」
ヴォイツェフは善を指差す。
その視線には言い表せないほどの憎しみが込められていた。
「俺達でも初めて会ったときから気付いてたよ……その爺さんがただの爺さんじゃ無いってことは!ホーンテイルの牙でも隠しきれない魔力ならこんな岩作り出すのも簡単だよなぁ!!」
ヴォイツェフは半狂乱になりながら剣を抜いた。
弟を失ったショックで完全に冷静さを無くしていた。
「待てよ!善さんは…」
「お前も同じだ!!藪!」
ヴォイツェフは剣を振り回しながらその悪意を藪にぶつけた。
「一度は信用しかけたよ。上手く化けたもんだよなぁ?首尾よくバフーンを殺して俺を森に誘きだした。」
「はぁ?!何わけわかんねぇこと…」
「遭難者なんて信用したのが間違いだったんだよ!!やっぱりマーラ様が正しかったんだ…」
ヴォイツェフは首にぶら下がったアミュレットを握りしめる。
「…何の話だよ。」
「まだ惚けるか…なら教えてやる。魔族ってのはなぁ。お前ら遭難者の事なんだよ!!」
「何だよそれ……!!」
「魔族がどうやって生まれるか知ってるか?」
ヴォイツェフが憎らしそうに藪を睨み付ける。
その瞳からは涙も流れていて藪は直視することができなかった。
「奴らは繁殖なんてしねぇ…何もない所にいきやり真っ黒な空間が広がってそこからワラワラと出てくるんだよ。まるでどっかから召喚されてるみてぇにな!!」
「真っ黒な…」
藪はこの世界に来た時の事を思い出した。
善の家に突如現れたブラックホールのような黒い球体。
ヴォイツェフがもしあれの事を言ってるのならそれはそのまま藪が体験したことだ。
「心当たりあるだろ?そりゃそうだろうなぁ…わざわざ俺を森に向かわせたのも冒険者を狩るための下準備だったんだろうな、さすが魔族はやることがえげつねぇ…だが、俺を回復させたのが過ちだったな!」
ヴォイツェフは体勢を低くして臨戦態勢に入る。
「ここでぶっ殺してやる……」
憎からず思っていた相手から向けられる圧倒的な敵意に藪は言葉を紡ぐことができなかった。
それを諦めととったのかヴォイツェフがニヤリと歪んだ笑みを浮かべた。
「勘違いも甚だしいな。小僧」
藪の背後から聞きなれない低い声が聞こえた。
その声の正体は善だ。
善は藪の前に立ち位置を変え、ヴォイツェフを見下すように冷ややかな視線を向ける。
「善さん?」
余りの声の違いように藪は善の声だと信じられずにいたが、ヴォイツェフは「ようやく本性を現したか」と舌打ちした。
「確かに岩を落としたんはワシや。」
「やはりお前が…!」
「やけどな、兄弟を御し切れなかったのは小僧の不徳。ましてやそれを諦めて床の上で不貞腐れてた小僧が何を偉そうにほざいてるんや?」
「ふざけんな!!バフーンが試しの洞窟に入ったのを知って岩を落としたんだろうが!糞爺!」
「そんなことワシは知らん。小僧はワシを神かなんかと勘違いしとるんか?」
「神?勘違いはどっちだよ…爺、お前魔王だろ…?」
「答え合わせしてもらおうなんて子供みたいな駄々こねたらいかんなぁ。そう思うんやったら切ればええ………ただなぁ、死ぬで?小僧」
「お前が死ね!!」
その言葉を皮切りにヴォイツェフが善に向かって真っ直ぐ突進する。
善は微動だにせずそれを仁王立ちで待ち構える。もはや藪が口を出すことは不可能だった。
それほどに凝縮された時の中、
善に向かって一歩踏み出す事に恐怖が色濃く浮かび上がっていくヴォイツェフの顔を藪は忘れることができないだろう。
振り上げたヴォイツェフの剣が地面に突き刺さるよりも前に、バラバラになったヴォイツェフの肉片が地面に散らばった。
「言わんこっちゃない。」
善は吐き捨てるように呟くと何事もなかったかのように藪の後ろに戻った。
「ヴォイツェフ…」
吹き飛んできた眼球に声をかける。
「ヴォイツェフ?」
真っ赤な右手を持ち上げる。
「善さん…なんだよこれは」
「わからん。」
藪は足元から全てが崩れ去っていくのを感じた。
この世界で唯一自分と同じだと思っていた善。
それが全く違う人間。違う生き物。違う存在。
自分の小さな物差しでは計れない『何か』だと思い知らされた。