オルガの竜の話
オルガは自分の正確な歳を知らない。
それは長命な多くの種族によくある事だが、百年単位になると細かい単位で数えるのが億劫になってしまうからでもある。
だいいち、この世界には統一されたカレンダーが存在しないという事もある。
学者たちは便宜上、かつてアマルティアが使っていたという暦を古代暦と称して今も使っているが、これは純粋に学術的なもので今の時代に採用している国はひとつもないのである。まぁ、あえて言えば、これをケラナマー暦と称して自分たちのカレンダーとのズレを書き記し、これをカレンダーの違う地域で日付の割り出しに使うくらいである。
なぜカレンダーが統一されないのかといえば、それは昔の地球の状況と同じといっていい。
地球で個別の暦が使われなくなり、統一されつつある背景にはつまり、人々の生活がグローバル化しつつあるからという事である。
だがその地球ですら、暦が世界で統一されているわけではない。今もなお一年の長さが354日だったり、日没から一日が始まる土地が広く存在するのである。
まして、グローバルネットが存在せず、物流の基本も動物に引っ張らせているこの世界ではなおの事。
それどころか。
むしろ大陸ごとにせいぜい数個の言語とカレンダーしかないこの世界は、地球よりもはるかに進んでいるといえるだろう。
さて、そんなオルガであるが。
ドラゴンに遭遇した時、それは彼女が両親を失い、その行き先を必死に探していた頃の事だった。
■ ■ ■ ■
「なんで、そんな時にドラゴンに出会ったんだ?」
「それは……わたしが危うくこの世界を破壊しかけたからさ」
「……え?」
「父様母様を探すために、わたしは二人の研究資料にある魔法を調べ、使えそうなものを片っ端から試していたんだ。
その中には、この世界そのものに干渉する非常に危険なものもあってね。
当然だが──異変を嗅ぎつけた真竜がすっ飛んできたんだよ」
■ ■ ■ ■
『世界を破壊しようという愚か者はどこだ!!!』
だが、激怒して飛来した真竜は、自分の予想とあまりにもかけ離れた光景に驚く事になった。
そこにいたのは、魔族の小さな女の子。
そして、当人が作ったものでない、膨大な研究資料の山。
女の子は自分を見て腰をぬかしており、地面に黒いしみが広がっていく。
ひどく憔悴し、着ているものもボロボロで、ろくにモノも食べていないように見える。
当然だが事情を聞こうにも、支離滅裂なことを言うだけ。
仕方なく真竜は女の子の記憶を覗き込み、そして事情を知った。
『父様が、母様がいなくなったの』
『魔法で、どこかに消えてしまったの』
どうやら両親は学者で、魔法実験の事故らしい。
突然にひとりぼっちになってしまった女の子は……悲しいことに両親の研究内容をかろうじて理解できて、しかもその歳で空間魔法すら扱えるほどには天才だった。
ゆえに、必死に両親を追いかけようとした挙げ句が、この状態だったのかと。
本来、真竜は人の心の優しさは持たない存在である。
だが、世界そのものを揺るがす危険な魔法を小さな女の子が発動していた、という想定外の事象に彼は困ってしまった。
緊張の糸が切れたのか、糸が切れたように泣き始めた女の子に、彼はこう告げたのである。
『子供よ、おまえの望みは両親の跡を追う事、それで間違いないのだな?』
『うん!』
迷うことなくオルガは答えた。
『そうか、わかった。
本来なら、我々ドラゴンは個々の生命体に手を貸すことはせぬ。
しかし、父を母を求めるおまえに罪はない。
さらにいえば、この世には偶然というものはない。
その小ささで、ここまでの魔法を使えるおまえには、何かの運命のようなものが待ち受けている可能性が高い。
非常に興味深い、是非とも続けるがよい。
……だがひとつだけ問題がある』
『問題?』
『おまえが使った空間魔法だ。
あれは、大人の魔族でも扱いきれぬ危険きわまりないもの。
今のおまえひとりでは、ちとまずいのだが……おまえは両親を追うため研究を続けたいのだろう?』
『うん!』
『このままでは世界が危険にさらされる事になるし、そうなったら我もおまえを放置はできぬ。
──ゆえに。
そうならないよう、おまえに助手をつけてやろう』
そういうと真竜から光がほとばしった。
『!』
光が消えた時、そこにはひとりの少年が立っていた。
『……だれ?』
『これをおまえにつけてやる。
いつかおまえは大人になり、一人前の研究者になるだろう。
そうして我らの助けがいらなくなるまで、これがおまえの助けになるだろう』
■ ■ ■ ■
「それがわたしと彼、スカルゴの出会いだった」
スカルゴ?
なんとなく、カタツムリなイメージのする名だが?
「名前の由来?ああ、エスカルゴなる異世界語からとったが?」
「やっぱりかよ」
俺は頭をかいた。
■ ■ ■ ■
幼きオルガとスカルゴの生活は、後の本人の回想によると奇妙なものだった。
何しろ、わずか12の世間知らずの少女と、生まれたばかりの竜の眷属。
最初は食べるものを作るだけでも大変だったが、学習能力と体力のあるスカルゴのおかげで清潔な衣服と寝床をまず手に入れ、オルガの生活は急速に改善していった。
だがその生活に慣れてきた頃、今度は別の問題が発生した。
スカルゴの正体に気づいた者たちが、オルガからスカルゴを取り上げようとしたのである。
■ ■ ■ ■
「魔族にもそういう連中っているんだ」
「むしろ魔族だからこそ、といえるだろう」
オルガは首をふった。
「当時のわたしはケルベロスも連れておらず、また幼すぎた。
善意の者は保護が必要だと考えていた。
そして悪意の者ですら、わたしの状態を健全であるとは誰も考えなかった。
そして両者の思惑はある一点で共通していた、それがつまり」
「竜の眷属とあの子を引き離せ、と?」
「そういうことだ。
だが結果から言えば、わたしたちはその全てを退けた。理由はわかるな?」
「つまり、スカルゴ君は君の意思に忠実で、そして強力無比な守護者だったんだな?」
「そういうことだ」
■ ■ ■ ■
魔族にとって12歳やそこいらは、人間族で言うところの一桁の幼女にすぎない。
そして親をなくしたばかりの一桁の幼女など、普通に考えれば弱き者、大人の庇護下にいるべき者でしかないはずだった。
しかし。
両親を追いたいという各個とした意思をもつオルガと、その意思を最大限に尊重して守り抜くスカルゴ。
結局、ふたりの守りを崩せた者は誰もいなかった。
言葉巧みにスカルゴを奪おうとする者たちは、たいてい同じような目をしていたので問題外。
別の善意の者をあてて引き離そうとした者もいたのだが、どうにかオルガは騙せてもスカルゴまで騙す事はできなかった。
幼きオルガは、ようやく調べ上げた父の遺産のひとつを最大限に利用した。
つまり転移門を用いて自宅や研究所を他の大陸に直結してしまい、魔族領から一切入れないようにしたのだ。
魔族たちは自宅の封印を破ろうとしたが、誰ひとりとして破れなかった。
無理もない。
自宅の結界はもともと父親がこしらえたものだが、そのオリジナルは、小さなオルガがひとりでお留守番できるよう、夫婦が知恵をしぼってこしらえた結界である。
もちろん当時のオルガはその凄さまでは理解できず、父様の結界はすごいと目をキラキラさせただけだったが。
■ ■ ■ ■
「彼は強力な保護者代わりだった?」
「あくまで代わり、だがな」
オルガは苦笑した。
「結局当時のわたしたちは、同族である魔族の世界と距離をとった。
自宅は封印状態で物置にして、同族のいない他大陸で主に研究を続けていたぞ」
「徹底してるな。
それにしても、誰もその封印を破れなかったのか?」
「あー……後にたったひとりだが、封印を抜ける事に成功した者がいたがな」
「ほう、というと?」
「こいつだ」
そういうと、オルガはリリスさんを指さした。
「すごい」
「うふふ、もっと褒めていいんですのよ?」
「……うんうん、すごいすごい」
「なんですの、その微妙な言い方は!?」
リリスさんは眉をつりあげた。
つづきます。




