界が異なるということは
「結論から言うと、別に死にはせぬよ」
「そうなんですか?でも」
「まぁ待て、聞きなさい」
クレーヌ博士は手のひらを突き出し、俺の言葉を制止した。
……うお、手の形がものすごくトカゲだ!
俺がビックリしているのを見て博士はニヤリと笑い、そして話を続けた。
「よいかねハチくん。
今の我々の状態をぶっちゃければ、空気の異なる世界でも生きられるように気密服を着せられている状態に近い。
そして、この服は脱ぐことはできない。なぜなら体内に完全に織り込まれてしまっているからね。
君の推測はおそらく……この構造ゆえ、元の世界に戻ると逆に生きられないのではないか、ということになる。
……そうじゃろ?」
「はい」
ふむ。
どうやらクレーヌ博士、常に爺さん言葉ってわけではないんだな。
そういやオルガも普段は「だねぇ」とのんびりな物言いだけど、学者モードになると男言葉みたいになるからな。
もしかして博士の方がオリジナルって事なのかな?
「我々が元の世界に戻された場合、今度は体内の精霊分が元の世界に適応しようと働くだろう。
まぁ元の世界には精霊分がないわけだから、多少の能力低下はあるし魔法の発動にも制限が出るだろうがね。
しかし、生き延びる程度ならまるで問題ないわけじゃよ」
「なるほど」
そういうもんなのか。
「って、それじゃ寿命は元より長いままなんですか?」
「それは場合によるじゃろ。
しかし、そもそもその論議にはあまり意味がないぞ?」
「意味ですか?」
「寿命の違いを気にするということは、転移前の、元の生活や人間関係の維持を考えておるのじゃろ?
しかしそれは無理じゃ」
「ダメなんですか?」
「あたりまえじゃろうが」
困ったように博士は笑った。
そして弟子のいれたお茶を飲み、ジェスチャーで「うまいよ、ありがとう」と返して。
さらに話を続けた。
「そもそも、ふたつの世界の間で時間が同期しておらん。
いきなり百年も未来や過去にたどり着いたとして、元の人生を引き継げるかね?」
「……たしかに無理ですね」
たしかに。
時間が同期してないのをすっかり忘れていたよ。
「すみません、時間の同期を忘れてました」
「うむ、よいよい。
まぁそんなわけでな、かりに元の世界に戻れたとしても、元の人生に戻るのは無理じゃろうな」
「やっぱり無理かぁ」
頭をかきつつ俺は続けた。
「ほほう、そこまでして戻りたいのかね?」
「そうでもないですね、親ももう墓の下ですし。
ですけど、なんとなくロマンじゃないですか?」
「は?ロマンじゃと?」
「ふたつの世界を自在に行き来できるとしてですよ?
俺だけ戻れる異世界旅行とか、世界間の価値観の違いを利用して小銭を稼ぐとか、色々あるじゃないですか!」
「……ひとつ聞きたいんじゃが」
「なんでしょう?」
「なぜそこで、大儲けしてひと財産作るとか、権力に食い込むとかの発想がないんじゃ?」
「は?いや、いりませんよそんなもん」
俺は断言した。
「権力だの大金だの手にしたら、くだらない連中に追い回される暮らしになるだけじゃないですか。
せっかく、行ったことのない、まったく未知の世界を、ほとんど路銀の心配も気にせず好き放題に回れるチャンスだっていうのに、それをわざわざ、くだらないお金のために潰してどうすんですか?
バカでしょそれ」
「……」
なんか、博士の目線が生暖かいものに変わった。
「……あの、博士?」
「ふふ、なるほどのう。君はそういう男か」
クスクスと楽しそうに博士は笑った。
「オルガくん、なかなかおもしろい男を捕まえたじゃないか」
「面白いだけでなく探索能力も高いんですよこれが」
「ほほう?それはまた拾いもんじゃなぁ。機会があれば、わしも頼るかのう?」
「先生、ちゃんとわたしを通してくださいね。リリス経由でもかまいませんので」
「わかっとるわかっとる」
なんか、俺本人の頭上でへんな話してるし。
なんなんだよ。
そんな話をしていたら。
「先生、そろそろかまいませんか?」
本来の……つまりリリスさんが口を挟んできた。
どうやら待ちきれなくなったようだ。
「ああ、そうじゃったの。すまんすまん」
「いえ、かまいません。わたくしの方はお姉さまのついでなんですもの」
にっこりと笑うとリリスさんが近づいてきた。
「直接会うのは初めてね、異世界から来たロプロロさん?」
「どうもって、ロプロロ?」
その言葉はそのまま俺の中に響いた。
これはつまり、直接訳せる言葉がないって事だよな、たしか。
そしたらオルガが背後でためいきをついた。
「リリス、わたしの旦那候補にロプロロはないだろう」
「あらお姉さま。
わたくし、お姉さまとこの方を取り合いしたくありませんわ。
ならば、わたくしの個人評価が低いのはむしろ歓迎すべき事では?」
「やれやれ、あいかわらずだな」
なんか、また頭越しに会話が飛んでるんですが。
なんなんだよ。
「オルガ、ロプロロって?」
「うまい直訳がないんだが……怒るなよ?
昔の魔族の物語で、情けない男の代名詞みたいなやつがいるんだが、そいつの名が元になった悪口なんだ」
「ああなるほど」
まぁ、口の悪そうな人だしな。
「改めてわたしが紹介しよう。
ハチ、彼女はリリス・ガ・テニオペ。精霊学を専門とする天才的研究者だ。
この通り、ちょっとクセのある性格だが可愛い後輩でな、よろしく頼む。
ただし吸血癖があるので、ふたりっきりにならないようにな。
で、リリス。
あらためて紹介するが、異世界人のハチだ」
「よろしく」
「ええ、よろしく」
とりあえず挨拶をしたが、気になったことがひとつ。
「吸血癖?」
「お姉さま、そこはスマートに吸血鬼と呼んでくだされば」
吸血鬼だって?
言われてみると、そこはかとなく「血が足りない」な感じはあるがな?
そんなことを考えていると、オルガが厳しい声で指摘した。
「リリス、前にも言ったがその呼称は吸血症候群に対する蔑称、すなわち差別的表現だろう。
好きで使っているのはわかるが、変な目で見る者も時々いる。身内以外で使うのはよくないのではないか?」
「ええ、使ってないわよお姉さま?」
「だったらなぜハチに吸血鬼と紹介する?」
「え?だってソレ、お姉さまのでしょ?身内ですよね?」
「う、し、しかしだ!」
おや、なんかオルガの旗色が悪いな。
しかし初対面の相手をソレ呼ばわり……ああ、わざとやっているのか。
「まあまあ、落ち着けオルガ」
「しかし」
「彼女は俺をオルガの身内と認めていて、だからこそ評価が厳しいんだろ?
この場合、いきなり初対面で好印象の方が俺としては心配なんだが、どうよ?」
ある程度厳しいということは、無駄にリップサービスする気がないって事だろうしな。
俺としては、むしろ笑顔で応対されて、ふたりぼっちになった途端に嫌な顔したり豹変されるよりは全然マシなんだがな。
でも、そんなことを考えていたらオルガはなぜかためいきをついた。
「えっと、なに?」
「リリスもいいかげんおかしいんだが、おまえも妙なところで自己評価の低いやつだな。
ひょっとして、わたしは変なヤツが身内にできやすいタイプなのかな?」
え?
「なんだ、気づいてなかったのか?
わたしたちの心はつながっているんだ、」
「いやー、だって、日本のおっさんの評価なんてそんなもんだろ」
イケメンと渋いおじさま以外はゴミ扱い。
そのゴミ扱いの俺としては言いたいことも多々あるけど、それが日本の歪みってやつだろう。
でも、それでいい。
俺の知る限り、今どきのリアル若者世代はちゃんと現実が見えているようだったから。
少なくとも、俺たちの世代みたいに無責任なバブルに踊らされてはいない。
異世界に来ちまった俺はその先を見られないだろうけど、きっと彼らが何とかしてくれると思ってる。
と、そんなことを考えていたらリリスさんの顔が目の前に!
「……」
「な、なにかな?」
なんか、うろんげな顔で睨まれてる。
事実上の初対面の人に最接近されるなんて初めてのことなので、ちょっとびびった。
そしたら。
「……あなた、自分の状況について自覚あるのかしら?」
突然にそんなことを言われた。
ロプロロ→本来の意味は「誠実なダメ男」が近い。
あえて和訳するなら、誠くんとかシンジくん?




