異世界温泉
異世界で風呂、しかも温泉。
硫黄臭、広がる岩風呂。
熱いかと思ったら、近くを流れている川の水を駆使して温度を下げているとかで。
「うお、蒸し風呂もあるじゃねーか!」
俺は思わず叫んだ。
その温泉は、俺の想像よりもはるかに日本のものに近かった。
「裸で入っていいのか?」
「湯を汚さないのが基本だからな」
備え付けの桶を使い、オルガが体を流した。
──え?オルガの格好?
いや、そこは湯気で見えないって事にしておこうよ、うん。
「勇ましいものは後で慰めてやるから、ちゃんと流せよ……どうした?」
「いや、脱いでかけ湯して入るって……まるっきり日本と変わらないなと」
やはり何か影響あるのかな?
だけどオルガは、俺の意見には首をかしげた。
「多少の影響はあったのかもしれないが、それだけでは全大陸に広まる事はないだろう。
広まったという事はつまり、なるべく湯を汚さないという方針に同意する者が多かったのが大きいはずだ」
「そうなのか?」
「地球でもそうだろうが、こちらでも火山の近くなど限られた場所だけのものだったからな。
湯量にも限りがあるから、大切にしなくちゃならないだろう?」
「そうだな」
俺は同意した。
「わたしも、温泉の歴史などは専門外だから経緯については誤解があるかもしれない。
だがこれだけはわかる。
いくら優れた文化でも、現地の習慣とうまく噛み合わないなら根付かないし、消えてしまうものだぞ」
「……そういうもんか?」
「ハチ、おまえはバラサで飲んだ時、言ってただろう?
日本に蜂蜜酒が根付かなかったのは、米の酒に駆逐されたからだろうって」
「え、俺そんな話までしたの?」
「したとも。
さぁ、のんびり話をしてないで」
「おう」
三人で温泉に浸かりつつ、俺たちはそんな話をしていた。
と、アイリスが口をはさんできた。
「それなに?アイリスも知りたい」
「ん?蜂蜜酒の話か?」
「うん、だってアイリスは聞いてないもん」
「あー、そうか」
あの日は、アイリスは留守番してたもんな。
「どんな話をしたかは覚えてないけど、まぁ蜂蜜酒の話でいいなら。
ま、俺も知識で知ってるだけなんだけどな」
『蜂蜜酒』
人類史上、最初の酒と言われているもの。
欧米では現在も地域によっては普通に飲まれている。
「……それだけ?」
「いやいや、面白いのはここからなんだよ」
こてんと首をかしげるアイリスに、俺は続けた。
「蜂蜜酒っていうのは文字通り蜂蜜が原料なんだけど、実は蜂蜜に水を混ぜ、放置するだけでもできるような原始的な酒でもあるんだ。
だから人類最初の酒と言われているし、いまでも地域によっては飲まれているんだけど」
そこまで言い切ると、俺はアイリスにあわせて首をかしげて目線をあわせた。
「アイリス、蜂蜜酒の歴史が面白いのはここからなんだよ。
もともと人類最古の酒で、しかも製造工程も難しくない。
でも時代の変化と共に消えていくんだな……で、その理由はなんだと思う?」
「わかんない」
ムムムと眉をよせるアイリスに、今度はオルガが続けた。
面白がっているようだ。
「おそらくだが、生産量が足りなかったからじゃないか?」
「え?」
アイリスがオルガを見た。
「いいかねアイリス嬢、蜂蜜酒の原材料は蜂蜜なんだ。
つまり蜂蜜を人工的に合成できない限り、蜂の巣からとるしかないって事になる。ここはわかるかねえ?」
「うん」
「わかると思うが、人間が稼働中の蜂の巣に手を出すのは簡単じゃない。場合によっては簡単に殺されてしまう事すらあるんだ」
「……そうなんだ」
アイリスは少し悩んでいるようだった。
「うん、だいたいオルガの言った通りだ。
加えて言うなら地球人は魔法も使えないし、蜂の群れを眠らせて蜜だけもらう、なんて事も簡単にはできなかったんだよ。
ま、長い歴史の中で蜂蜜のとりかた、蜂の飼い方を編み出していくわけなんだけど。
その時代にはもう、ほとんどの地域で蜂蜜酒は過去のものになったり、生産量の多い、まぁ多くは畑でとれるものを原料にする酒に押されちまったってわけさ」
そう。
ヨーロッパなら、ぶどうや麦が原料の酒。
日本ならもちろん、米を原料にする酒だ。
かつての日本で蜂蜜酒が作られた時代があるかは知らないけど、もし作られたとしても微々たるものだったろう。
そして畑や田んぼで耕作する時代になると、農作物を原料とする酒を自分たちで開発して。
そして、生産量の少ない蜂蜜酒のような酒は消えていってしまったに違いない。
「うむ、そうだねえ」
俺の話を聞いて、オルガが大きくうなずいた。
「聞く限り、酒造りにおいて発酵という手段が必要なのは、地球でもこちらでも基本的に変わらないようだねえ」
「そうなのか?」
「ん?意外かねえ?」
いや、俺としてはさ。
「もっと魔法的というか、そういう高効率の方法があるだろうと思ってたんだけど違うの?」
「発酵を促す魔法があるという意味では否定しないさ。
しかし、それを使って完成するものは、限りなく酒精そのものに近いものだぞ」
「あ」
そういうことか。
「なるほど、デンプンを高速発酵させてアルコールを取り出すようなもんか」
「まぁそんなものだな」
ウンウンとオルガはうなずいた。
「おまえも知っての通り、酒には熟成という時間が必要だ。
そして、この分野を高速に置き換える技術は……今のところは進んでないはずだ。何しろ、熟成という現象そのものについての解析が進んでいないんだからな」
「そうか」
さすがに、昔のアニメに出てくる魔法使いみたいなわけにはいかないか。
そんなことを考えていたら、オルガは付け足してきた。
「しかし、やはり興味深いな」
「興味深い?」
「こちらの世界ではな、ヒトが酒を手にした時代の事なんてもうわからないんだ。何度も文明ができて壊れているし、データも散逸してしまっている。
最初に人類が味わったと思われる酒が何か、なんて事はもはや推測のしようもなくなってしまっているのさ」
「推測すらできないのか?」
「記録にある最古の文明の時代には、すでに発酵させて作った、しかも完成度の高い酒があったんだ。
しかもその時代と前後してアマルティアが来てしまっていて、彼らの持ち込んだ酒と前後してしまっている。
つまり。
アマルティア持ち込んだ酒が最初か、それとも自分たちで何か作っていたのか。
その時点で議論している段階なのさ」
「なるほど……それで証拠なしじゃ結論が出ないな」
「うむ、そういうわけさ」
オルガは肩をすくめた。
「あのー」
「ん?」
「ところでパパ、なんか顔が赤くない?」
「……あ」
やばい。
あわてて出ようとしたが、オルガに止められた。
「ダメだハチ、そのままあがったら倒れるぞ!
体を慣らしつつ、少しずつゆっくり出るんだ。
アイリス嬢、少し手伝ってくれるかねえ?」
「うん、わかったよ」
情けないことに。
俺はフラフラの状態で担ぎ出されたのだった。
「はぁ……すまん」
「いや悪かった、わたしも話に夢中になって、ついやってしまった。
のぼせやすいという話は聞いていたのに、痛恨のミスだな」
俺は天幕に運ばれ、ベッドに寝かされた。
もう大丈夫と言おうとしたんだけど問答無用だった。
「ダメだ、おまえはちょっと寝ておけ。
わたしはちょっと確認する事がある」
「え?確認すること?」
「いいから寝ておけ」
無理やり寝かされた。
そのうち睡魔に逆らえなくなり、俺は眠りに落ちてしまった。
風呂でのんびりスマホで本を読んでて、のぼせた事があります。
あがろうとしたら気が遠くなって、気がつくと倒れてた。
皆さん要注意です!




