希望とわんこ
「パパ……いただきます♪」
カプッ!
な、なんだ!?
抱きしめてたら突然、アイリスが首筋にカプッと!?
「うわ、く、首、」
ぎゃああ、血、血吸われてる、血ぃー!?
コクッコクッて喉鳴らすな!どんだけ飲んでんだ!
吸血鬼かおまえわ!おい!
うわ、なんかクラってきた!身体重い!おい!
視界の向こうで。
波打ち際の死体に、でっかいカニが群がりだしていた。
気づけば夕暮れになっていた。
これから移動はリスクが大きいと思われたけど、ここは街道にあまりにも近すぎる。そこでアイリスと相談し、タブレットを駆使して周辺地形を調べた。そして、近くにある丘の上に移動した。
「うん、まあここでいいだろ」
いろいろ探し回る時間はない。見晴らしがよいが道から離れていて、まっすぐは来られない。
夜コレを越えて、さらに結界も……というと、悪意ある者に接近前に起きられるだろ。
アイリスに頼んでもう一度結界をはってもらった。できるだけ強く。
そして俺は、子犬を仲間に登録した上で警戒対象を人間サイズ以上の全生命体に変更しようとしたんだけど。
「ああ、名前か」
子犬の名前を決めてない。
「くーん?」
可愛らしい3つの顔、6つの黒い瞳が俺を見ている。
「アイリス、この子の名前決めちゃうぞ。何か案あるか?」
「ないよー、パパ決めて」
「わかった」
こういう時は勢いでカンタンにいこう。
そうだ、オスかなメスかな?
「……メスかあ」
おしりを見たが、どうもメスっぽいな。ちんちんもタマもついてない。
実家で猫飼ってたから猫はわかるけど、犬の尻は見慣れてない……まあ似たようなもんだろ。
で、名前だ。
家族殺された生き残り、最後の希望ってことでスペイン語のエスペランサ(Esperanza)から「ランサ」ってしようと思ったんだけど。ただ「ランサ」だと女性名としてはどうなのよそれ?
うーん。
しかも手元にある人名データが、なぜかスペイン語しかない。
あ、ローラいいかな?
「って、だめだ」
ローラ(Lola)は悪くないんだけど、これだとドロレス(Dolores)の略称になってしまう。
え、何を言いたいかって?
いや、ちょっとね。知ってる小説のヒロインとぶつかるので、ロー(Lo)、ローラ(Lola)、ロリータ(Lolita)、ドロレス(Dolores)は避けたいんだ……って、全部同じ名前だけどな。
「んー、ラウラかな?」
これも英語ならローラだけど、こっちは綴りが Laura でぎりぎりセーフ。
うん、きめた。
「決めた、ラウラにしたよ」
「わかった」
「よし、今日からお前はラウラだ!」
「わん!」
ははは、そうか、気に入ったか!
仔ケルベロスの名前をラウラと決めたところで夜になった。
「本来は中で煮炊きしたいとこだけど、食材的に無理があるからね」
狭い車内の上に、魚をたくさん焼くわけで。人数も増えた。
ただの軽四のキャリバン号に換気や排気の装備はないし、メンツも増えたしな。一人なら適当に窓開けてごまかしてたことも、ちゃんとしなくちゃならない。
移動時に積んできた薪で再度火おこしして、また魚を焼く。
灯りが欲しくなったので、手巻き発電のLEDランタンを取り出した。いつも車内で寝るとき使うやつだ。
一分ほどグリグリ巻いてから、キャリバン号の後部ハッチにひっかけて吊るした。
これ、虫がこないって売り文句のやつだけど異世界ではどうかな?
さて。
「他に食材があればいいんだけどなあ」
「食材?」
アイリスが首を傾げた。
「どんな?」
「植物系かな?」
よくファンタジーで見知らぬ異世界での食事の話があるけど、植物は基本的にハードルが高い。なぜなら植物は栄養価がひくく、しかも有用植物であっても、そのまま食べると毒っていうのは結構ある。
見知らぬ植物ばかりの環境だと、サバイバル的には不利。それが植物というものなわけで。
「魚だけだと寂しいよ。アイリス、ドラゴン氏は食用植物の情報持ってない?」
「あるけど人間用じゃないよ?」
「……なるほど」
ああドラゴンだもんな、そりゃそうか。
「アイリス、タブレットで検索できないか?」
「んー、名前がわからないと無理?」
「なるほど」
食べられる草とかだと無理か。さすがにそこまで至れりつくせりじゃないと。
「うーん……せめて」
キャベツ、ピーマン、ネギあたりは欲しいかな?あとラウラ用に肉。
そんなことを考えていたら。
「お」
「……パパ?」
突然の例の感覚。
気づくと、かたわらにバーベキューセット的な野菜と、それから牛肉ブロック。
「ありゃ」
「……呼び寄せちゃった?」
「かな。あれ、でも?」
よく見ると何か変だった。
バーベキューセットは見覚えのない器に入っていた。でも同時に懐かしいものでもあった。
これ、ガキの頃おふくろが使ってたホーローのトレイじゃないか?
ああ、やっぱり。
羊羹作ったり巻きずし冷やしたり、しめサバ作ったりしてたやつだ。懐かしいな。
おふくろの笑顔を思い出して、ちょっと優しい気持ちになった。
あれ?
でも、よーく見ると。
「商品名のシール?」
隅っこに小さいシールがついてる。オリジナルにはそんなものなかったぞ。
それに、何か書いてあるんだけど……読めない。
「なんで読めないんだ?」
「そりゃ、パパのイメージがぼんやりしてるからだよ」
「???」
俺が首をかしげていると、アイリスがためいきをついた。
「パパ……キャリバン号でわかると思うけど、これらはパパの心を通して呼ばれるんだよ。
だから元と一緒ってことはないの。パパの心を反映して改造されたり、場合によっては全然別のものになりはてることもあるの」
「全然、別のもの?」
思わずキャリバン号を見てしまった。
確かにそうだ。
ガソリン車で、ただの軽四だったキャリバン号は、魔力で動くナゾのファンタジー車に変貌してしまった。
これがつまり……俺の心を通して呼ばれたからか?
俺の心を反映して、このトレーの商品名シールみたいに改変されたと?
「なるほど、すんげー理解できた」
「そう?」
「おう」
俺の心を通してる。
たったそれだけで、得体の知れない現象が逆に、とても頼もしいものに思えてきた。
「武装したい?」
「おう」
俺の言葉を聞いたアイリスは、いぶかしげに俺の顔を見て、そして身体を見て。
「……なんでそう、残念そうな顔をする?」
「なんでもなーい」
いちいち反応が可愛くなったのはいいが、この態度は可愛くないぞ。
「パパに戦いは無理だよ。だいたい昼間だって吐いてたでしょ?」
「吐いてない」
「口までせり上がってたら、それは吐いたでいいと思う」
バレてたか。
「だいたい体力的にも、ここいらじゃそのへんの子供にも負けるじゃん」
「いやしかし、子供に戦わせて俺が後ろなんて」
「無理」
アイリスは吐き捨てた。
「なら飛び道具はどうだ?これなら直接戦えなくても」
「で、前衛を後ろから撃っちゃうの?」
「!?」
誤射でアイリスに当たる構図が、一瞬で脳裏をかすめた。
「……その問題があったか」
「わかってくれた?パパ?」
「いや、まてまて」
だからって引き下がるわけにもいかない。
でも。
「そもそも、パパは戦う以前の問題なんじゃないかな?」
「戦う以前?」
「生き物が死ぬことに慣れてないでしょ?」
「魚はいっぱいさばいたぞ、生きてるやつをな」
「じゃあ、足のついてるやつは未体験?」
「……」
その通りだった。
「そうか。まず、そこから慣れないとだめか」
「うん」
当然といえば当然か。
伝え聞くところでも、さっきの感じでも「話せばわかる」がダメなのはわかる。ここは日本じゃないんだ。
俺は「死」になれなくてはならないらしい。
「……」
ためいきをついた。
ナボコフの小説『ロリータ』ですが、実はヒロインの名前はドロレスで、母親は愛称のローで呼んでます。ロリータと呼ぶのは主人公ですね。
主人公はナボコフのファンですが、この名前が誤解をうけやすいことを知っているので忌避しました。




