ぽーん
暴力表現があります。ご注意ください。
話をしている間も、ケルベロス(名無し)は気持ち良さげに寝ていた。
「よっぽどお疲れだったんだな」
「そうね」
3つの頭を並べて熟睡するさまは、何とも可愛い。三つ子の子犬みたいだ。
だけど。
傷だらけ、ボロボロの身体が何とも痛ましい。こんなにモフモフで可愛いのになあ。
「どれくらいで治るかな?」
「パパの魔力で満たされてるから、明日にはいいとこ回復すると思うよ」
「早いな」
「うん。ケルベロスはもともと守護の獣だから、護りや回復に強いの」
そっか。
しかし寝ているのをいいことに身体を見たけど、動物の爪や歯のようなものは全くないな。
あるのは妙に鋭利な傷や、焼け焦げたような痕跡。これは……。
「靴で蹴られた痕もあった。ひでえ事しやがる」
「まあ、まちがいなく人間族だと思う。親は殺されたのかもね」
「……」
なんというか、言葉もねえや。
「でも、なんでこんな事を?
いやそもそも、なんでケルベロスを襲う?何か美味しい理由でもあるのかな?」
ゲームじゃあるまいし、経験値がどうのって話はないだろう。
ならば、爪とか牙とか?
タブレットで何か調べていたアイリスが、ぽつりと言った。
「……トロフィー」
「ん?」
「えっとね、ケルベロスを倒すのって、人間族にとっては一種の勲章なんだって」
「……勲章?ケルベロスを倒す、それ自体に意味があるってのか?」
「そう」
アイリスはうなづいた。
「ケルベロスが倒せるってことはつまり、その後ろにいる魔族を捕獲できるってことだから」
「捕獲?」
その不穏な言葉に眉をしかめた。
でもアイリスの返事は、俺の想像以上にひどいものだった。
「魔族は魔力の源として、いいお値段で取引されるんだって。全身魔封じでがんじがらめにして動力源として死ぬまで魔力取り続けて、死んだら死体は魔石の原料にするんだって」
「……なんだよそれ」
ひでえ話だなオイ、象牙の密猟かなんかかよ。
人種差別どころの話じゃない、そもそも同じ生物だと思ってないだろそれ。
イラつかずにはいられない話だった。
「それだけ魔族は希少ってことだよ。
魔大陸の外をウロウロしてる魔族は少ないし、いてもそれは精鋭だったりクセのある者ばかり。人間族に捕まるようなバカはいないってこと」
……そうか。
「こいつの親の詳しい事情ってわかったか?」
「まだ。何かわかったとしても昨日の今日なら」
「そっか、まだニュースにもなってないかもって?」
「うん」
そうか。
波の音。
心地よい潮風。
晴れた空は、だいぶ傾いてきたが夕暮れには少し早い。
でも。
その気持ちよい風が、今は悪意を含んで感じられる。
おっと、そう言えば忘れてた。
「アイリス」
「ん?」
「忘れてた。ここって野営にどう思う?」
スマホの時計は15時半。
異世界なら地球の時計が役立つわけがないけど、太陽はどうやら東からでて西に沈むようだ。位置関係からすると、おそらくこの時計で17時台に日が落ちるんじゃないかと思われる。
どんぶり勘定もいいとこだけど、ま、そう大きくハズレちゃいないだろ。
と、なるとだ。
もし野営地に移動するなら、そろそろ限界だろう。これ以上遅くなると、場所決めとかしているうちに暗くなり始める可能性がある。
「どうって?」
「近くに街道が通ってるだろ?交通量とかこの結界とかさ。ここは安全に野営できるかな?」
「あ、そういうこと?」
「おう」
「ちょっとまって」
アイリスはタブレットを置き、そして立ち上がった。注意深く周囲を観察し始めたんだけど。
「!」
ピク、と突然に反応した。
「お?何かあったか?」
「遠くないところに人間族らしき反応あり」
「!?」
なんだって!?
そう思った次の瞬間、スマホが警報を鳴らし始めた。
(え?緊急地震速報?ここで?)
あの年に関東にいた俺にとって、忘れられない不吉な警報が鳴り出した。
慌てて画面を見て、俺は眉をしかめた。
『警告:悪意の人間集団が接近中』
見回すと、500mと離れてないところに男が数名。たぶん武装して、あきらかにこっちを狙ってる。
なぜ気づかなかった?
タブレットはどうして反応しなかった?
一瞬考えて、その意味に気づいた。
そうだ。
設定を『俺またはアイリスに敵意や害意をもつ者』に限定したんだった!
やつらは別のもの……もしかしたら、この子犬を追ってきた。
そしてキャリバン号に気づき、俺やアイリスを獲物か何かとみなした。
で、その瞬間にタブレットが反応して今にいたるってとこか?
くそ、やられた!
まずいのは、こっちに武器がないこと。
そしてたぶん、動物と違って結界で防げないこと。
今すぐキャリバン号に飛び込めば逃げられる。干しかごに入れている切り身も荷室に投げ込めば無事だろう。
だけど、屋根の上に仮固定している魚は飛んでしまうかもしれない。
それに。
逃げようとした先に、さらに彼らの仲間がいたら?
そうなったらもう本当に最悪だ。
迷っている間にも敵は近づいてくる。
見れば、彼らはファンタジックな鎧を着ていた。まるで洋ゲーみたいだ。西洋人風の風体なのもあって、それはよく似合っていた。
武器は剣と、それから槍か?
ふむ、あれが人間族ってやつか。
「お?」
とうとう声の届く距離に来た。大声で、何か親しげに話しかけてくる。
全然わからない言葉なんだけど、ひとつだけわかる言葉が混じってる。というか、それを何度も繰り返してる。
『ナマエ』
何故か、そこだけ日本語?
うん。
たぶんやっぱり「名前」なんだろうな。名前を言えと?
笑顔と身振り手振りで友好的に見せているが……。
残念。
君らの悪意をスマホも、そしてタブレットもがっつり嗅ぎつけてんだわ。警報でまくりだよ。
よくて騙すつもり。
最悪、名前を聞いて呪縛か何かの手段があるんだろう。
さて、どうしたもんか?
「パパ」
アイリスが立ち上がった。
「一つお願いがあるの」
「何だ?」
「あいつらを退治するけど、終わったら魔力チャージさせて。残り少ないから」
「わかった。でも、できるのか?」
「もちろん。これでもグランドマスターの眷属だから」
「そうか」
そういやそうだ。
可愛らしい外観にだまされるけど、ドラゴン氏いわく、アイリスは「ひとの姿をしたドラゴン」だそうだから。
「わかった、悪いけど今回はたのむ……気をつけろよ?」
「うん」
俺はそう言ってアイリスを送り出した。
そして俺はすぐ、その選択を後悔することになった。
アイリスは普通に歩いていった。
男たちはアイリスを見て、そして俺を見た。
年長者の俺が動かず、子供のアイリスだけが近づいてくるのに不審を抱いたようだけど、すぐに下卑た笑いに変わった。アイリスをとらえて、彼女を人質に俺もゲットする気なのだろう。
そして、男たちの手がアイリスに伸びて……。
「え?」
俺は一瞬、自分の目を疑った。
だって。
アイリスの細い手が冗談のように揺れたと思ったら、男の一人の首が、ぽーんと、おもちゃのように飛んだ。
(……え?)
何が起きたのか、一瞬わからなかった。
そして状況が理解できたら、さすがに血の気が引いた。
ぽーん、ぽーん。
見ている間に男たち全員の首が飛んだ……もちろんまちがいなく死んだろう。
冗談みたいになくなる首。吹き出す血潮。
さらにアイリスは、その男たちの死体を海にぽい、ぽいとカンタンに投げ込んでいく。
(……これは)
正直に言えば、全力で腰が引けた。
自分が嘔吐しなかったのがむしろ驚きだ。ウエッとなったけど、何とか踏みとどまった。
どうしてかって?
だってさ。
だってそうだろ?
アイリスはたしかに、男たちをカンタンに皆殺しにした。
でも、それは俺が命じた事だろうが。
その彼女見て吐く?
ばかやろう、そんなの最低だろうが!
「パパ」
「おう」
気がつくとアイリスが戻っていた。疲れた顔だった。
おどろくほど返り血はすくないけど。
さすがに飛沫までは避けられなかったんだろう。かわいいオーバーオールが血まみれだった。
だから、素直な言葉がでた。
「ごめんな」
「え?」
アイリスは不思議そうな顔をした。
「なんでパパがあやまるの?」
「君の手を汚させちまった。あいつらの狙いは俺だったのに」
「それはそうだけど、でもパパは」
戦えないのでしょう?アイリスはそう言った。
その言葉は俺の心をやさしく、ざっくりとえぐった。
ああ、そうだ。ここは日本じゃない。
やらなきゃ、やられる。
戦わないわけにはいかないんだ。
ごめんアイリス。
アイリスを抱きしめた。
「ごめんよ、ほんとうにごめんよ」
俺は最低だ。
アイリスは確かにドラゴン氏の眷属だろうけど、生まれて2日未満の赤ちゃんなんだぞ。
そんな子に人殺しをさせて、俺は離れた場所から見てたなんて。
そして飛んでいく首に、血しぶきに吐き気をおぼえて。
バカ野郎。
本当に最低だ、俺。何やってんだ。
ボロボロ涙が出た。
「……パパ?」
もっと強く、したたかにならないと。
基本、しなくていい戦いはしないけど。
でも、避けられないなら、がっちり戦えるようにしたい。
強くならなくちゃ。
ずっとあとになって、思った事がある。
この「アイリスぽぽぽーん事件(仮)」が俺の異世界生活を決定的に変えたんだろうって。
でも、この時はただ、子供の影に隠れて逃げ回るようなのはだめだって。強くならないとって。
そう心に誓ったのだった。
「パパ……いただきます♪」
カプッ!
な、なんだ!?
抱きしめてたら突然、アイリスが首筋にカプッと!?
「うわ、く、首、」
ぎゃああ、血、血吸われてる、血ぃー!?




