夕方に東に向かえば
この世界の一日は地球とそんなに大差ないらしい。
ただし違うべきところは違う。
そのひとつの例が時刻だ。
キャリバン号の時計は変わらず24時間で動いてるんだけど、ドラゴン氏いわく、実際の一日の長さは約24時間と2分少々くらいだという。
つまり、ほんのちょっとだけ長いわけだ。
たった一日二分と言うなかれ、それって一ヶ月あれば余裕で一時間以上ずれる事になるだろ?
そして、この誤差は大きい。
一分一秒に追いまくられない旅ぐらしでも、時計はちゃんと役に立つ。
その最大の用途は野営や食事の準備……まぁ日時計的利用だ。
つまり「ああ三時か、そろそろ今夜の停泊地の決定に入るかな?」みたいな目安にするって事。
太陽をあてにするのはいい方法だけど、天気が悪いと太陽は見えない。
昔の映画に出てきたライダーは自由のために腕時計を投げ捨てたが、当たり前だがあれは物語の中の話と考えるべきで、本当に時計を投げ捨てるべきではないと俺は思う。
……まぁ、そういう「真に何も持たない」旅というのもないではないけど、やっぱりそれは上級者むけもいいとこだしなあ。
ま、それはいいか。
そんなわけで俺は逆に、旅のために防水の軍用時計をゲットして使ったわけだ。
繰り返すけど、分秒単位の正しい表示までは旅では必要ない、というか、そんな旅をしてはいけない。
これは日本の長旅でも同じことだ。
フェリーに乗り遅れても待てばいいだけの話だ。
で、もし本当にその便を絶対逃しちゃいけないなら、むしろ万全の準備をして半日前、せめて2時間前には到着しておくべきだ。長距離フェリーなら現地で泊まって待つくらいの勢いでもかまわない。
なんでかって?
旅には常に計算違いがあり、ギリギリの時間枠はいつか必ず大トラブルの元になるからだ。
だから、全ての予定をすませた上で、ちょっと現地で待ちかねるくらいがちょうどいいのだ。
え?知ったようなことを言うな?
いやいや、知ったことだよ。
だってこれは、俺の実体験だからね。
まぁ、その話をはじめるときりがないので割愛するのだけど。
「何があったの?」
「え?」
ふと気づくと、アイリスが俺を見ていた。
そしてなぜかオルガまで俺を見ていた。
「え、なんでオルガまで?」
「ハチ、おまえの言っていることは確かに正しいし、おかしな事でもない。
だが、どうも何か事情があるように見える……違うかねえ?」
「つまり好奇心と?」
「そうだねえ」
楽しそうに笑うオルガに、俺はためいきをついた。
「いいけど楽しい話じゃないぞ?」
「まぁ、いいじゃないか。どのみちタシューナンまではのんびりした道だ」
のんびりねえ。
ま、たしかにこれほどのメンツがそろってて、しかも監視体制もあるわけだしな。
「いいぜ、じゃあちょっと話そうか」
俺は昔、旅先でバイクで事故った事がある。
長い旅に出るための予行練習ということで、予備的にやったゴールデンウィークの短い旅だ。
だがそれは、甘い見積もりと若さによる無理で、大失敗に終わったんだ。
無理な予定にあわせようと、はじめての野宿旅で疲労を無視して走った。
当然のように睡魔に悩まされたあげく、追突事故を起こしてしまった。
激突した車……よりによって車高の低いセダンだった……の上を飛び越えてしまった。
さらに、落ちた上から自分のバイクが降ってきて下敷きになった。
頑丈なモトクロス用装備とタオルや寝袋の詰まったリュックが俺を救ったが、へたすると間違いなくあの場で俺は死んでいた。
バイクはXLR-BAJAで、あの頑丈なBAJAのフレームまで曲がっていた。
下半身はクシタニのフルオーダー品のモトパン……もちろん旅を決意してから作ったものだ……を履いていたが、膝パッドの形そのままに真っ赤な痕が両足にあった。もしパッドがなかったら、間違いなく両足折れていただろうとの事。
これは実際の事件だ。
もし本当か調べたいなら、1990年のゴールデンウィークの頃の、徳島県三好付近の交通事故について調べてほしい。警察にちゃんと調書をとってもらったから、破棄されてなければ必ずデータがあるはずだ。
後遺症もずいぶんとひきずった……というか、この二ヶ月半あとに本番の旅立ちがあったんだけど、最初の一ヶ月くらいまではこの時の後遺症に苦しめられていた。
いや、言わなくてもいい、というか言わないでくれ、わかってるから……情けない話だよ。
言うまでもないが、俺の今までの人生でも指折り……とは言わないが、充分に情けない大失敗だと思う。
……で、その情けない経験から言わせてもらうんだけど。
絶対に無理をしてはいけない。
長旅になるほど、過酷になればなるほどだ。
常に余裕をもつこと。
これは絶対であり鉄則だ。
「なるほど、それはいい経験をしたねえ」
「死にかけたけどな」
「結果よければすべてよしとは言わないさ。
だが、そんな失敗を二度と繰り返したくはないだろう?」
「当然だ」
「だから、いい経験なのさ。得難いことじゃないか、違うかねえ?」
「……たしかにそうだな」
オルガの言うことはもっともだった。
「ところでオルガ」
「ん?」
「飲んでるな?」
「まぁいいじゃないか。今日やるつもりだった事は終えたしな!」
「な、じゃねえよ」
まったく。
酒の匂いがこっちに来ないようにしているのは配慮なんだろうけど……琥珀色の液体がなんともうらやまし、いやいや、うーむ。
ま、俺は運転中には飲みたい気持ちにならないけどな。
これはドライバーというより趣味人のサガみたいなもんだ。
なんでもそうだけど。
何かを夢中でやる時、酒って基本的に邪魔なんだよな。
「学者って、年がら年中調べものしたり理論をひねってる生き物だと思ってたよ」
「人にもよるねえ。
フィールドワークこそ身上という先生もいれば、デスクワークが中心の方もおられる。
もっともそれは専門分野によるけどねえ」
「専門分野?」
「うむ」
オルガはうなずいた。
「比較魔導学と魔導機械が中心のわたしの場合、現地移動中は書類整理と準備が仕事になるからねえ。
終わったら疲労した脳にオイルをくれてやるのも仕事のうちさ!」
「何が、うちさ!だ……飲み助が」
「ふふふ、うらやましいかねえ?」
「俺のぶんまで飲むなよ?」
「うむ、わかっているとも」
オルガは微笑みながら、さらに続けた。
「話を戻すんだが。
ハチはそこまで余裕をもてと言うわりには結構、神経質に時計を見るねえ?」
「ん?ああ、そりゃ性格的なものもあるけど、指針にもしてるからな」
「指針?」
「要は行動の目安にしてるってことさ。そろそろ昼時とか、そろそろ寝床探しか?なんてね」
「なるほど、しかし太陽や周囲の明るさで判断つかないか?」
なぜか楽しげなオルガに俺は言い切った。
「まだ四時にもならないのに薄暗くなった空や、夕日が落ちたなーと見ていたら夜八時を回っていたとか、そういう経験をしてからその考えは捨てたよ」
「ああなるほど、長旅の経験なんだな」
オルガは一発で理解してくれたようだ。
実のところ、旅に時計はいらないよ。
だけど、でも時計は必要だ。
矛盾している?でもそうなんだよ。
だって、太陽はいつも出ているとは限らないし、いつでもどこでも同じ時刻に出て沈むわけではない。
俺は日本の旅ですらそういうのを見てきた。ひどい目にもあった。
だから俺は思う。
太陽や明るさだけを指針にすると、ひどい目にあうって。
話を戻そう。
旅の空でもずれない時計が大切なのはわかってもらえたと思う。
でも現実には、地球とこの星では一日の長さが違うので、毎日少しずつずれてしまうわけで。
キャリバン号がこれをどうやって解決しているかというと……なんと、キャリバン号の時計の進みは微妙に遅くなっているんだそうだ。
つまり、約24時間と2分ちょいかけて24時間ピッタリを回しているんだと。
24時間っていえば八万秒以上だ。それをたった120ないし130秒ばかり伸びたのを微調整って……どうやってんだよ。こういう微調整ってむしろ難物の極みだろ。
そんな世界の中、キャリバン号は順調に走り続けている。
今日の走りは順調だ。
晴れてて穏やか、午後もだいぶ遅くなった。
太陽は西で、東に向かっているので当然眩しくはないのだけど。
……ひとつ問題が発生した。
「まいった」
「どうしたの?」
「まぶしい」
「え?」
「陽光でミラーが見えづらいな」
「……あ、そうか」
アイリスが俺を見て、サイドミラーをみて、そして後ろを見て納得した。
夕方に東に向かうのだから、当然起こるはずなのに……失念してたよ、まいった。
時間がおそくなり、ちょうどミラーが太陽の光が反射している。
これがまぶしい。
荒野にまっすぐな道の弊害か、サイドミラーから真後ろが非常に見づらくなっていた。
「背後が見えにくいな。
悪いけどみんな、後方にもし何か反応出たら教えてくれ」
「わかった」
「ワンッ!」
「了解した」
「オンッ!」
時計の重要さについて。
日の出・日の入りの時刻は季節だけでなく地域でも大きく変わります。
それにたとえば、分厚い雪雲に覆われた薄暗い空の下では明るさや太陽の位置で判断はできません。
ゆえにハチは、太陽や空で時刻を視覚的に判断するのはナンセンスだと考え、旅する時は時計を常に使っています。
なお、近年はスマホの時計で代用していますが、これは車に乗るため。
オートバイに乗る時はこれに時計を積むか、夜光塗料でいつでも時刻の見られるアナログ時計をつけていました。




