おじさん?
大きくもないクロコ・クマロの塩焼き一匹では、さすがに食事には足りない。
どうしようかと思ったのだけど、そこでアイリスから提案があった。
「お魚、ツリって方法でとったんでしょ?」
ツリ?ああ釣りかな。
「そうだよ」
「パパ見て。ツリで検索したら、こっちがいいって」
「ん?……海か!」
ここは竜王の森、出口に近い場所。
どうも、ラシュトルたちから逃げ回るうちに砂漠とは逆方向にきたらしい。パッと見えるマップの範囲に海があった。
「さらに西、120キロってとこか……むむ」
「?」
「あーいや、こっちの話」
こちら側は砂漠でなく平原らしい。
地図によると海辺には街道もあり、南のほうには町もあるっぽい。うん、悪くないかな?
どのみち、いつかは人間の町にもはいらなくちゃならない。
人間族のことでドラゴン氏にも、オルガにも警告されてるわけだけど。
でも、当然だけど恐れてばかりもいられないわけで。
距離感というか、そのあたりもできれば掴みたいよなあ。
あとは。
「基本、川より海のほうが食料豊富なもんだしな……わかった、行ってみよう!」
「うん!」
うんじゃなくハイでしょ、と一瞬いいたくなった。
でもアイリスの場合、わざとこういう言い方をしているわけだから、ここで訂正するのは野暮ってもんだろう。
出していた荷物を積んだ。バケツは軽く洗い、屋根の上に。
完全にニオイを落とすには、海できちんと洗うしかないだろ。便利な魔法とか使えないしな。
キャリバン号に乗り込んだ。
アイリスも助手席に乗り込んだが。
「アイリス、シートベルト」
「?」
「ほら。これこれ」
わからないようなので、教えてやる。
見よう見まねでアイリスはベルトをするが、もともと大人用だ。なんか首吊りしそうな感じでこわい。
「ふーむ、ちょっとまって……よし」
身を乗り出して調整してやる。
と、そこでアイリスの体臭、なのか?
ああこれって子供のニオイだな。
うむ、なんだかんだでやっぱり子供はこどもかあ。
「……」
そうだ、忘れるとこだった。
今朝の騒動で忘れてたけど、夢であった彼女……オルガだっけ?彼女の警告をアイリスに伝えないと。
「どうしたの?」
「あとで言うよ……エンジン始動」
「!」
キャリバン号がその瞬間、始動した。
「お……お……おおすごい!!」
アイリスは、目をきらきらさせている。
エンジンの始動に驚き、動き出したメーターパネルに目を輝かせ、さらに『ようこそ』とテロップを出したタブレットに至っては興奮状態になった。
ははは、まるで赤ん坊だな。
って、そうか、赤ん坊だよな当然。
「なに?」
「いや……アイリスって、生後一日とかそんなものなんだなって」
「あ、うん。そうだけど、なに?」
「なんでもない。アイリス、楽しいかい?」
「え?あ、うん!とっても!」
「そうか、ならいい」
満面の笑み。
うん、そうだろう。
楽しくないわけがない。
「なあに?パパ?」
「なんでもないって」
「???」
なんでも新鮮。なんでも喜び。
世界はキラキラと輝いて、あるのは未知への期待と不安だけ。
そう。
知らないから。真っ白だから。
だからこそ、初めての旅はなによりも楽しいもの。
そうだよなあ……。
忘れてたよ、そんな大昔のこと。
「?」
首をかしげるアイリスの頭にポンと手をやった。
わからなくて当然だし、君はまだわからなくていい。
「さて行くか。出発!」
クラッチを踏み、ギヤをいれた。
そしてリリース。
キャリバン号は静かに、俺とアイリスを乗せて走り始めた。
再び旅の空。
森を出ると道はなくなった。やっぱりあれ、ラシュトルたちの道だったんだなあ、ははは。
空は晴れ。筋雲がわずかに浮いてるだけ。風はおだやか。
さて、そろそろかな?
「アイリス、ちょっと情報ってーか伝言なんだけど」
「あ、はい。……伝言?だれからの?」
「魔族のオルガって人から」
「!?」
その瞬間、アイリスの態度が急変した。
「……あの、アイリスさん?」
「魔族でオルガ……まさか、オルガ・マシャナリ・マフワン?」
「え、知ってるのって……お、おい」
アイリスが見たことのない顔をしていた。
見た瞬間、心臓が怪物の手に掴まれた気がした。
それは真紅の瞳。
それは異形の、異界の貌。
異界より来たりし異質な存在を、むりやり、ひとの形状に捏ね上げたもの。
そう。あえて言うならば。
異星人の。
異星人による。
異星人のための。
異界の理論で構成された。
異界の思考をなぞるための。
異界の計算機を内蔵した、異質なる……!?
いやまて、ちがう、ちがう!
落ち着けバカ、落ち着け俺!
そう、そうだ!そうだよ!
これはそう、あれだ、そうだよ!
ドラゴン氏と同じ目だ!
ばかばか、何ボケてんだ俺!
「お、おいアイリス」
「あ!ご、ごめんパパ!」
一瞬で元の銀髪幼女に戻ったアイリスは、ぺこぺこと頭を下げた。
ふう……何だったんだ一体。
俺、まだ疲れてるのかな?
「いやいい。それよりオルガのこと知ってるのか?」
「あ、うん。知ってる。情報だけなら。それで伝言って?」
「えっとね、中央大陸のほとんどの国がきみの出現をもう知ってて動き出してるって。厳重注意よろしくって眷属さん、つまりアイリスに伝えてくれって……アイリス?」
「……」
アイリスは腕組みをして、少し考え込んだ。
「パパ。その伝言、どこで聞いたの?」
「ゆうべ」
「ゆうべ?」
「夢に出た」
「……」
アイリスは俺の方を呆れたような目で見て、そしてためいきをついた。
「つまり、夢を通して接触してきたってこと?」
「え、そういう事なのか?」
「……うん」
こくんとアイリスはうなづいた。
「パパ」
「ん?」
「そのまま運転してて。読み取るから」
「読み取る?」
「うん。そのまま」
「お、おう」
何かわからんが、そのまま前向いて運転を続ける。
景色は野原のまま続いているんだけど、地面の起伏が大きくなってきた。
そろそろ地形を見つつ動く必要がありそうだな。
そんなことを考えていたら、
「うん読めた、もういいよパパ」
「お、おう、どうだった?」
「……んー」
アイリスはちょっと悩むように、少しうつむいて考えていたが、
「とりあえず問題ないと思う」
「そうか?」
「うん。警告は妥当なものだし、おかしなことも言ってない。
グランドマスターの分析だと少し不審な点があるらしいけど、ある条件下において問題ないかもだって」
「ある条件下?」
どういうことだ?
だけど俺はその後のアイリスの言葉に、思わずフリーズすることになった。
「アプローチじゃないかって」
「アプローチ?何の?」
「交尾の」
「…………はい?」
「だから交b」
「まてやおい!」
俺はアイリスの言葉をさえぎった。
「えっと、わからなかった?まぐわ……」
「言わんでいい!」
止めた。
「??」
「いや、あのな。子供がそういう事いうんじゃない」
「あー、そういうこと?」
「そういうこと」
「わたし、たしかに子供だけど。見た目だけだよ?」
「その見た目が問題なんだろが」
思わず、ためいきをついた。
「まあ、いい。要はそういうサインだってのか?」
「うん。オルガ・マシャナリ・マフワンが、パパに」
「……いや、ないない。それはないだろいくらなんでも」
ためいきをついた。
「どういういきさつがあるのか知らないけど、あんな美人だぞ?何が悲しくて、こんなオヤヂに欲情すんだ?ありえねえっつの」
自分で言ってても情けないばかりだが、本当のことだ。
俺はもう、若者でもなんでもない。おっさんと言われる年代だ。
どんな奇跡があろうと、あんな美人にモテるとかありえん。
それでもモテるのなら……きっとそれは、大人の事情ってやつだろうさ。俺自身の魅力とは関係ないとこで、何かが動いてるだけ。
ははは……自分で言ってて情けないけどな。
だけど。
「おやじ?だれのこと?」
「……は?」
アイリスの反応は予想外のものだった。
「俺以外にだれがいる?おやぢだろうが」
自分を指差すけど、アイリスは怪訝そうな顔をするだけだった。
「おじさん?パパが?」
「え?」
「ちょっとまって……あ、はい。うん、うん」
ん?誰と話してるって、ドラゴン氏しかいないか。
「パパ」
「何だ?」
「グランドマスターがね、自分の姿を鏡で見てみなさいって」
「……なんだそれ?」
「いいから」
「あー、うん。わかった」
言われるままにルームミラーをいじり、自分の顔を見た俺だったが、
「……は?」
自分のツラを見て、絶句することになった。




