目覚めとアイリス
やたらと爽やかな目覚めだった。
そばにあるぬくもりがここちよくて、まだ重い目を開かずに抱きしめる。こどもの、ひなたのニオイを感じつつもそのまま眠りについて……こどものニオイ?
「……」
その違和感に、にわかに意識が覚醒した。
こども?だれの?
おい、ちょっとまて、それは。
「……」
「おはようございます」
腕の中。銀髪のお人形みたいな幼女。
意識が急速に昨日の状況を思い出し、認識を戻していく。
ああ、そうだった。
名前はたしかアイリスと。
「ああ、えっと、アイリス」
「はい、おはようございます。パパ」
「あいや、だからその……パパ!?」
なんだそれ!?
「呼び方を変えろとのことでしたから。問題がありますか?」
「ある!あります!」
「何でしょうか?」
何でしょうかじゃねえよ。
「パパは幼児語だろ?アイリス、君は姿こそ子供だけど会話は大人だから」
違和感バリバリだろうが。
「失礼かと思いましたが、パパの記憶を拝見いたしまして。成人女性が言ってもよいように思えたのですが?」
うわっ!
「それは別のパパ!よけいにだめ!」
「そうなのですか?」
「そうなの!」
それ愛人って意味だろ!ぜったいだめだ!
というかやめてくれ!ロリコン呼ばわりだけは絶対だめ!いろいろと!
「だから名前でいいって。会話を子供ふうに合わせるのはまだ無理なんだろ?」
「……いえ」
アイリスは少し考える顔をして、そして顔を上げた。
「じゃあ、これでい~い?パパ?」
「!?」
うわ、いきなり子供っぽい言い方になった!
言葉だけでなく態度も変わった。
こてんと首をかしげ、にひひと笑い……無邪気な子供そのものだ。
これは、たまげた。
「えっと?」
「えっとね、パパが寝ているあいだに練習したの。どうかな?」
「どうかって」
ちょっぴり頬そめて「どうかな?どうかな?」って。
いや。これでだめって言えるほど俺は堅物じゃないぞ。
「うん、かわいいし、よく似合ってる」
「よかったぁ!ありがとうパパ!」
まあ、これで丁寧な言い方をしても、ちょっぴりおしゃまな女の子で通るだろう。
でも。
「そんなに『パパ』がいいの?口調まで変えちゃうくらい?」
「パパの記憶の中で、パパと呼ばれているおじさんたち、みんなニコニコ笑ってたよ?だから、それがいいなって」
「……そうか」
そう言われると、俺も反対できないな。
「しょうがないな、わかった。パパでいいよ」
「うん!ありがとう!」
満面の笑み。
それは確かに、かわいいものだった。
「ところでアイリス」
「?」
「とりあえず服着なさい」
なんで裸なんだよ?
「え?おねむの時は、はだかんぼになるものでしょ?」
「あー……そういうやつもいるかもだけど、やめといたほうがいい」
「どうして?」
「ここは家じゃない、クルマの中だろ?気温変化も激しいし、外からも丸見えになる。ちゃんと着たほうがいい」
「……そっか。わかった!」
わかってくれたか。
「パパ、えっちなネグリジェほしい」
「……どこで覚えたんだそれ?」
「パパのおもいで」
「忘れなさい」
年齢設定については、しばらく訂正と補助が必要っぽいな。
「ちなみに、脱いでた理由はそれだけ?服のサイズとか寝にくいとか、何か問題はなかったの?」
「うん、問題ないよ」
「そっか。でもなんで、ハダカで寝るなんて?」
「パパの記憶だと、お風呂上りによく寝ちゃってたよね?」
「……」
あー……暖房聞いた部屋で風呂上りにビール食らって、そのまま居眠りってそれ俺のせいかよ!
「アイリス」
「はい」
「俺がいうのも何だが、それは非常に悪い大人の例だ。子供、しかも女の子は絶対まねしちゃいけない」
いや、一人暮らしとか、自分の部屋で裸で徘徊する女性がけっこういるのは知ってるけどさ。リラックスしてるからそれができるのもわかる。
でも。
男としては、その、恥じらいは残してほしいと思うんだ、うん。
「……」
「ああわかった、俺も気をつける!だからおまえもすんな!な?」
「わかった」
そのとたん、アイリスはご機嫌になった。
いや、あのな。
何か「えー、私だけするの?」って不満そうな顔したからさ。
……あ。
もしかして俺、誘導された?
「アイリス」
「はい」
「あのな……あ?」
俺は起き上がり、そしてその臭気に気づいた。
何だこのニオイ?
生臭さと防臭剤の混じったような、この強烈すぎる異臭は何だ?
「な、なあ」
「はい?」
「このすんげえニオイって……」
……まさか!
魚のバケツは、シートの後ろに固定されたままだった。
俺はそのバケツを覗き込んで……そして呆然とした。
なんだこれ?
「なあ、アイリス?」
「なあに?」
「俺……なんて言って頼んだっけ?」
「釣ったお魚が腐る、だめになっちゃうって」
「……あー……たしかに」
「あの」
「ん?」
「ごめんなさいパパ、なにか失敗した?」
「アイリスのせいじゃない。これは俺のせいだ」
思わず脱力した。
バケツの中は。
腐ってないかもしれないが異様な色彩に染まった魚たちが、防腐剤みたいな白い塊と得体のしれない液体の間に浮いていた。
俺は、魚を解体して処理してほしかった。
でもそれをちゃんと口に出して説明しなかった。
で、アイリスは魚の解体という概念がなくて……結果がこれだ。
つまり。
きちんと説明せずに寝てしまった、俺が全面的に悪い。
「なあ、アイリス?」
「はい」
「この防虫剤みたいなのは何?このクルマには無かったよね?」
「えっとね。
腐敗を防ぐ方法がわからなくて、それから、防腐の魔法を使うだけの魔力もなかったの。だからマスター……グランドマスターに通信で質問して、防腐効果のある薬草探して、抽出魔法で成分を少しづつもらって、それで」
「あーなるほどわかった。ごめんよ大変だったろ」
とんでもない光景だが、怒るわけにはいかないだろう。アイリスはちゃんと仕事をしたんだ。
むしろ、自分の体調管理も忘れていた俺がバカなだけだ。
しかしこれは。
「残念だけど、これは食べられないな。すてるのもあんまりだし、埋めてやるか」
食うのが供養とは思うけど、これはちょっと無理だと思う。
「アイリス、そこのプラケースの中にスコップ入ってる。開け方わかるか?」
「あ、はい……これですか?」
「うむ、それがプラケースだ。それを開ける」
「開ける?これのどこをですか?」
そこからか。
よし、ひとつひとつ教えていこう。
解説しながら、魚たちを埋めてやった。
あと、最初に解体した魚は内臓・うろこ・ぬめりを取ってあったし、パックに入れてあったのが幸いしてアイリスも触れてなかった。大丈夫そうだったので、軽く水洗いしてから、これもアイリスに見せながら塩焼きにしてみることにした。
「なるほど、これが正解かあ。ごめんなさい」
「あやまることはない、知らなかったんだから。次は一緒にやってみような?」
「はい!」
「うん、元気でよろしい」
反応もだんだん角がとれて、本当に子供っぽくなってきたなあ。すごい速さで成長してるな。
今後のことを考えると、口調ももっと子供っぽくするべきだけどね。なんせ見た目が幼稚園児か、せいぜい小学校低学年ってかんじだし。
子供が大人のふりをするのは無理がある。
だけど、大人が子供のふりをするのは可能だと思う……俺にはむりだけど。
アイリスならできそうだ。
ま、それはおいおいか。
しばらくたつと、魚は焼きあがった。
「おお」
「こんなものかな。
この魚、クロコ・クマロは俺の世界にはいない。だから今回、初めて焼いてみたってことになる」
「うん」
「本来、こういう塩焼きは直接かぶりつくのが豪快でいいんだけど、今回は確認しながら食べてみるよ」
「うん!」
「アイリス、お皿くれる?そこのケースにある……ああそれだ」
「はい」
アイリスのとってくれたアルミ皿の上で、ナイフで魚を真っ二つにした。
「……どう?」
「見た目もそうだけど……やっぱりカサゴの仲間に似てるな」
「カサゴ?」
「俺の世界の海水魚の一種さ。一部、川に上ってくる種類もいるんだけど」
このサイズが川にいるってのが、なんともすごいな。
少し取って食べてみた。
「……味付けが塩だけだから、こんなものか。ちゃんとやれば美味しくなりそうかな?」
淡白な味。いいかも。
「食べてみる?」
「うん!」
食べさせてみた。
美味しそうに食べるなあ。なんか可愛いぞ。
「……まてよ」
そうか、そうだな。
ふとアイリスを見て、思いついた事があった。
「アイリス」
「はい」
「ダッシュボードのところ……ほれ、これを大きくしたようなのがあるだろ?」
ポケットからスマホを出して見せて、それでタブレットを指さす。
「はい、あれですね?」
「うん。あれを使うと情報を検索できるんだ。持ってきてみな?」
「はい!」
アイリスは、タタッとキャリバン号の前部座席にはいりこむと、ダッシュボードのタブレットを手にした。
「動かないですー」
「上にずらすようにスライドすると外れる」
「えっと……はずれた!」
よしよし。
嬉々として持ってきたのを見て、俺はスマホを手にもち、同じように両手でもてという
「はい」
「ちょっと画面見てな。……オーケー」
「あ」
手の中のタブレットの画面が変わったのを見て、目を丸くした。
「クロコクマロ」
「あ……すごい!」
検索が走り、クロコ・クマロのデータが現れたのを見て歓声をあげた。
「アイリス、字は読める?」
「はい、このくらいなら何とか」
何とかか、ふむふむ。
「どうだ?学習しながらでもいい、それ使える?」
「え……いいの?」
これ使っていいの?という顔。
迷わず俺は言ってやった。
「移動中、俺は運転しなくちゃいけないから、そいつの操作はできないんだ。
だからアイリス、どんどん使って使い方をマスターしてくれ。ダメなら文字の勉強だけでもいい。
できたら、それでいろいろ調べてほしい。頼めるかな?」
実際、いくらボイス対応でも直接操作には勝てない。
ナビ席で検索やってくれたら頼もしいだろうさ。
そんな気持ちで頼んだのだけど、
「わかった!やるよパパ!」
「お、おう」
すごい気迫で返答されたのだった。




