プロローグ
開始しました。
とりあえず今日は三話まで。(1/3)
仕事が終わったのは、もう深夜にかかりそうな時間だった。
空はあいにくの雨だった。
だけど大雨というほどでもなかったし、日々の生活にお疲れな身としては、たとえ大雨だろうと出かけるつもりだった。たとえそれが、行って帰るだけの外出になったとしても。
会社の補助と名前で借りている部屋。なんと東京のどまん中にある。
だけどここは平日の寝場所にすぎないのだけどね。
「ふう」
ためいきをひとつついて、坂をくだる。
途中にある、えらい高額の有料駐車場。
今日はたまたま、そこに俺の愛車を駐車してあった。
都会がきらいなわけじゃないけど、俺は根っこが田舎者。
子供のころの趣味は動物観察で、大人になったら遠くにお出かけするようになった。
とはいえ貧乏人の俺、さいしょはちっぽけなバイクだったんだけど、旅先で出会ったひとが軽四の旅を教えてくれた。車中泊なんて言葉のなかった昔のことで、数年後、休日の友はこいつになった。
今の職場になったとき、手放すことも考えた。職場も寝場所も都会のど真ん中だったから。
でも必死に置場を探して、郊外に何とか安価な置場を確保できた。
手放さなくて本当によかったと思っている。
まあいい、いこう。
ここは本来のクルマ置き場じゃないわけで、けさ早く郊外まで取りに行って、ここに移動しておいたんだ。週末に伊豆に行きたかったけど、今夜のうちに小田原の向こうまでは行きたかったから。
このあたりは、超絶金持ちの外車か営業車しか停めないようなとこだ。ただ、近くにお寺と石材屋があるので、たまに法事の客が利用する。だから俺のポンコツもそれほど目立たない、と、思う。
無人機で精算を済ませた。
千円札二枚でも足りなかったのは痛いが、ま、ここはめったに使わないからな。ただ今日はどうしても必要で、出勤まえに郊外の駐車場にとりに行ったんだ。終電を逃すととりに行けないからなあ。一応自転車はあるけど片道30kmだし。
愛車は雨の中、静かにたたずんでいた。
年季のはいった外装は、いかにも古めかしい。メーカー不明の安いルーフキャリアは五年くらい前、実はスチール製だとばれた。幾度のさび止めにも負けず、しっかり赤サビ色。ボディーの一部に観光地のステッカーが並んでるところも、実は塗装のハゲ隠し。
うん、元気にポンコツしているな。
安物のスチールのドアを開き、乗り込んだ。
電子機器の入ったかばんを助手席に投げ出し、折りたたみ傘は畳んで下に。ドアをバタンとしめると、フロントガラスの日除けを外して後ろに放り込んだ。
ああ、いちおう紹介しておこう。
スズキの軽ワゴン車『キャリイバン』年式は不明。
まぁ、とんでもない大古車なのは間違いないと思うんだけどね。
え、なんだそれって?
いやいや、ホントに不明なんだよ。こいつは。
廃車予定だったのを超格安で売って貰ったやつで、色々とあってね。
まあ、おいおいそれは紹介するよ。
クラッチを踏み込み、左手でシフトレバーを左右にふってみて、フリーであることを確認する。
このあたりはクセみたいなもんだ。
右手でキーをひねり、エンジンをかけた。
ミスファイヤのひとつもなく普通に一発始動。
ま、音がちょっとうるさくて怪しいが、そりゃポンコツなんだからお約束。
古き良き震動にウンと納得。
ブレーキを踏みつつハンドブレーキをリリース。またクラッチを踏んでギアを左上、すなわちローに叩き込み、そしてリリース。少し吹かしつつ、とりあえず発進させた。
すぐに二速に入れつつ左右を確認。ここお寺のそばで見晴らしはいいんだ。
右に曲がりつつ道路に出る。
職場の前を通過して信号に。左に行くと飯田橋へ、まっすぐは新宿。右に向かうと新大久保に向かう。
ここで右に入るけど、もちろん新大久保に行きたいわけじゃない。
すぐのところ、商店街の進行方向左にコンビニがある。ここはちゃんとした駐車場がないけど、ちょっと駆け込んで買ってくるくらいなら怒られない。
で、さらに進むと裏街道をぬけで団地のそばをすり抜け、渋滞せずに明治通りにでられる一種の抜け道なんだ。ま、この時間では明治通りもたいして混まないが。
クルマを待機させて飛び出し中に入ると、明るい店内にBGMが流れている。
客は数名。
ここは元スーパーで、今はコンビニと薬局が並んでいる。商店街にあるのはそのためだけど、商店街をうまくやるためもあるのか、昼間は店の一部がフリースペースになっている。
今は夜間なので閉鎖されているが。
耳に心地よいレベルに押さえられた音楽を右から左に聞き流しながら弁当のコーナーに行くと、チキンカツカレー弁当がひとつ残っていた。
冷たいウーロン茶の500mlと共に購入。精算は電子マネーで。
わずかな違和感にああと気づく。
時間帯のせいなのか、店員が日本人のおばさんだった。珍しいな、ここ最近外人さんばかりなのに。
あたためてもらったチキンカツカレー弁当を受け取った。ウーロン茶はドリンクホルダーに差し込むから、袋は一緒で。
「ありがとうございました」
その声を横で聞きつつ、暗い外に出る。
雨はだんだん、雨音が聞こえるほどの強さになっていた。
む、ちょっとまずいかな。
まあ、いつもの場所までは問題ないだろう。明日は休日だし、荒れるような話もなかったはずだ。
そんな事を考えながら、その一歩を踏み出した。
外にでた瞬間、暗かったはずの外が急に明るくなった。
雨音も、いや、クルマや人の音も全て掻き消えた。
その強烈な違和感に思わず思考を中断して顔をあげたら。
そこは、何もない砂漠のど真ん中だった。
「……は?」
最初に口からでたのはたぶん、そんな間抜けな言葉だった。
なんだこれ?
車道がない。歩道がない。町がない。
そんなばかな。
まばたきをして、そして目をこすって見直した。
「……!?」
後ろを振り返った。
そこにあるはずのコンビニも、コンビニの収容されている建物も、影も形もない。
360度、見渡すかぎりの砂の砂漠。
その中に、俺はポツネンと立っていた。コンビニから出てきた格好のままで。
足は素足にかかとつきのサンダル。ユニクロで買った最大サイズのデニムパンツ。アマゾンでまとめ買いした丸首の黒シャツ。左手にスマートウオッチ。コンビニの袋まで持ったまま。
「……な」
なんだよ、これ。
しばらく呆然としていた。
でもそのとき、鼻をかすめたカレーのニオイでハッと現実に返った。
そ、そうだ、そんな場合じゃない!
「クルマ!クルマどこだ!」
あとで冷静に考えると、なんともマヌケな話ではあった。
ただ、この意味不明の状況み追い込まれた俺は、亀がビックリして甲羅に引っ込むみたいに、とにかくクルマの中で落ち着きたかったのも事実だ。
この、わけのわからない場所じゃなくて。
そしたら、まさにその瞬間だった。
「んな!?」
極めつけの異常現象がその瞬間、目の前でおきた。
なんと。
突然に何もない空間が揺らいだかと思うと、そこに俺のキャリバン号が、幻のように揺らぎつつ出現したんだ。
……なに、これ?
俺、夢か何か見てるのか?
たっぷり二秒も俺は固まっていただろうか?
だけどハッと我に返った瞬間、俺はドアを開けてキャリバン号の中に飛び込んでいた。
そしてバタンとドアを閉めて、さらにシートベルトまで閉めた。
「ふう」
キャリバン号の中は、さっきまでと何も変わらない気がした。
後ろを見ても、いつものとおりに荷物があるだけだ。さっき投げ込んだ日除けまでそのまんまだった。
何一つ、かわらない。
だけど。
窓の外はやっぱり人工物も何もない、何もない砂漠だった。
そんなばかな。
さっきまで、たった今まで東京にいたんだぞ。
あのコンビニは仕事場のすぐ近くでな、新宿区のしかも東の方にあるんだ。ちょっと気の利いたスポーツ自転車でもあれば、防衛庁やら靖国神社やら、果ては皇居にだって簡単に行けるような場所だったんだぞ。
それがなぜ?
「……」
狭い車内に、カレーのニオイ。
ひどく現実的な刺激臭。
でもそれが、思考の迷路に落ちかけた俺を再び現実に引き戻した。
そうだった!
俺は仕事あがりで腹をへらしてて、そしてチキンカツカレー買ったんだった。
……窓の外は、砂漠でしかも真っ昼間だけどな。
よし、まずは食おう。
食いながら、この状況をじっくり確認しようじゃないか。