十日目
十日目
今日は夜が明けきらぬうちからそそくさと起きだした私である。
まだ時刻は午前四時。時刻は早すぎるほどだが、昨日八時前に寝ただけあって、頭はすっきりしている。
さて、いったいなぜこんなに朝早く起きだしたのかといえば。実はにゃいぜんさんと待ち合わせの約束をしているのだ。
昨日の夜、寝る前に、いわゆるテレパシーというやつでぜひ会ってほしい人がいるのだと、連絡をしてきたにゃいぜんさん。さすが妖怪。
布団からはみ出して、部屋の隅に転がっているビー玉に一瞥をくれると、起こさぬようにそっと着替えて部屋を抜け出す。出来ればハンは連れて来ないで欲しい、とのことだったので。
ゆっくりと廊下を進み、祖父母を起こさぬようこっそり家を出る。祖父母には今日朝早く出かけることはすでに伝えてあるから問題ない。
というわけで、私はハンに見つからなかったことに気をよくして浮かれ気分で待ち合わせの場所へ向かう。
待ち合わせをしているのは、数年前に廃校になったという近くにある元小学校だ。ハンに出会った場所の近くである。なぜそんなところで待ち合わせをしているのかといえば、まあ、わかりやすいからだ。
ぶっちゃけ、この辺りは田んぼと畑ばかりで、待ち合わせには向いていない。なぜなら目印になるものがないからだ。
「遅れた?」
小学校校庭の前にはすでににゃいぜんさんが待っていた。相変わらずかわいい猫顔である。もふもふしたい。ああ、猫飼いたいなあ。
「大丈夫にゃ。ワシもたった今来たばかりにゃ。朝早くからすまんにゃ」
「それは大丈夫だけど」
こんなに早くに待ち合わせたのは、今から会いに行くというにゃいぜんさんの友人(もちろん人間ではない)が朝七時から夜中の三時まで眠っているからだという。
一日の大半を寝ているというその人は、にゃいぜんさんに言わせると「あやつももういい歳だからにゃ」ということらしい。
「歩くの?遠い?」
最近よく歩いて鍛えられているとはいえ、そこまで体力がついたわけではなく、連日の遠出は私の足には負担が大きい。はっきり言ってインドア派な私としては長時間歩くのは避けたいところである。そのココロが分かったのか、にゃいぜんさんも苦笑している。
「大丈夫にゃ。ちょっとそこまでにゃ。全然遠くないからにゃ」
笑顔のにゃいぜんさんに癒されつつ歩きだした私は、しかし甘かった。蜂蜜を付けた金平糖よりも甘かった。
そう、にゃいぜんさんの「ちょっとそこまで」は私の想像をはるかに超えていたのだ。
「ま、まって」
日が昇ってきたころ、私の息は上がり、足はがくがく。今にも倒れそうである。
「全然ちょっとじゃないよう」
泣き言全開の私がいつ着くのかと聞けば、やはり笑顔で「もうすこしにゃ」と言い続けるにゃいぜんさん。鬼か!……そもそもにゃいぜんさんはいったい何者なんだろうか。今更ながらに少し気になってきた。だいだい、一歳くらいの幼児体型で足が短いくせに私より早いし息も切らしてないとか意味わかんない。
にしても、ハンやクエは妖怪って感じなんだけど、にゃいぜんさんはどっちかと言ったらなごみ系だし、妖怪というより妖精って感じだよね。かわいらしい猫が羽織袴を着て二足歩行してるんだよ?猫好きにはたまらないよね!とりあえずモフモフしたいよね!などと意味の分からないことを考えつつひたすら歩く。
「お嬢、大丈夫かの?」
どれくらい歩いただろうか?いつの間にか傍らに十歳くらいの着物を着た女の子がいて、私の横にぴったりついて歩いていた。
「おや、桂殿。このようなところまで出てこられるとは珍しいにゃ」
「ふふ、そなたは意外にスパルタだからの。あまりいじめてはお嬢がかわいそうであるぞ?」
「失礼だにゃ。別にいじめてはないにゃ。桂殿があのようなところにいるのがいけないにゃ」
「それこそ失礼かの。我はそなたが生まれるより昔からあそこにおるでの」
「それはそうだにゃ」
失礼したにゃ、と猫顔をくしゃりと崩して笑うにゃいぜんさん。うん、何でもいいけどとりあえず自己紹介しようか?汗だくになりつつなんだか一人取り残された気分の私なのだった。
いつの間にかそばにいた少女は、桂といい、まんま、大桂の木の精霊だという。
「女性の歳は聞くものではないかの」
にっこりと寒々しい笑顔で言われて、一体いくつなのかと聞く勇気はもちろん私にはない。
彼女は疲れ果てた私をどういった原理かはわからないが、あっという間に本体だという大桂のところまで連れて行ってくれた。いわゆる瞬間移動というやつだ。さすが樹齢何百……ゲホゲホゲホ。
「それで、要望通り会いに来たわけだけど、これからどうしたらいいの?」
「うむ?」
「にゃ?」
私の問いに、首をかしげる少女とにゃいぜんさん。
いやいやいや、本当に会うためだけにあんなに苦労してきたのかい!まさかね。
……そのまさかでした。
「顔合わせは済んだから、これで今日の要件は終わりにゃ」
「なんですと!?」
私ここまで来た意味ありますかー。
つい遠い目になってしまったのも無理はあるまい。というわけで、納得できない私はにゃいぜんさんと大桂の精霊に粘り強く交渉して、いざというときの足を手に入れたのだった。
ほら、こういうとき妖怪(妖精?)ばりの瞬間移動とかできたら便利じゃない?とか思っていたけれど、それにはいろいろ制約や条件があるらしく、そうそう使うことはできないんだとか。残念。
その代りに、にゃいぜんさんとの連絡手段を取り付けて、必要な時でにゃいぜんさんの手が空いているときは車を出してもらえることになりました。……免許も車も持ってたんだね、猫なのに。というか、足、ブレーキとかアクセルとかに届くのかな?ムリだよね?うわ、どうしよう。突っ込みどころと不安材料しかないわ。
せっかく交渉したけど、なんとなく暗くなる私なのだった。
「今日は早起きをさせたお詫びに、このまえのところでラーメンをおごるにゃ」
新作が出たらしいから、と誘ってくれるにゃいぜんさん。確かに話をしている間に大分時間が経ってしまったし、朝を食べてきていないからお腹がすいた。食事を抜くなんて成長期にあるまじき事態。ここは好意に乗って遠慮なくおごってもらうことにしよう。
桂の木の精霊はいつもの寝る時間を大幅に過ぎているとかで、かなり眠そうである。
私はにゃいぜんさんについて、なんと意外に近いところに止めてあった車に乗り込むとラーメン屋さんへと向かったのだった。って、車ここまで来れるならなぜ歩かせた!
「樹は少し歩かにゃいとだめにゃ。体力と筋肉をつけるにゃ」
そうかもしれないが、優しそうな顔をして意外にスパルタかつ鬼畜なにゃいぜんさんなのだった。
あと、車はもちろん、手も足も届いていませんでした。どうやって動かしているのか、聞く勇気はなかったよ。
「あっさり塩味かあ」
しかも豪華にエビが三種類も入っている。かいわれもなかなかいい味出しているし、これは美味しいデスネ。
私はしっかりご飯も頂きながら、ラーメンを汁まですする。
「さすがは成長期。見事な食欲にゃ」
感心しているにゃいぜんさんだって同じくらい食べているじゃないか。まあ、彼はブルーベリー農園近くの喫茶店でもものすごい食べてたし。この辺は妖精だから?それともただ単に容量が大きいだけなのか。
ともあれおいしいのは間違いない。私はおごり、ということもあり遠慮なく最後まで食べつくすと、食後のコーヒーまでおいしくいただきました。
「樹はこれから用事はあるかにゃ?」
「ううん、特に何も予定はないねえ。それにここのところ暑いから日中は動きたくないの」
「それならプールに行かないかにゃ?まだ昼前だし、今から行けば十分遊べるにゃ」
「プール?」
真夏にプール。それは夢のような誘惑である。誘われて断ることなどできようか、いや出来まい。
「行く行く」
この町には夏は無料で開放されている町民プールがあるらしい。しかもあまり利用者がいないとかで、いつでも貸し切り状態なのだそうだ。……猫なのに、水、嫌いじゃないんだ?と思いきや、にゃいぜんさんは泳がないらしい。暑そうな羽織袴も脱がないとか。いやいや何でプールに誘ったんだ?まあ、行くけど。暑いし。
家から歩くには遠いが、にゃいぜんさんが車で送ってくれるなら、断る理由などない。手足がまったく届いてないことはキニシナイ。キニシナイのだ!
早速家に帰って水着を取ってきた私は浮かれ気分で助手席に乗り込むのであった。
「うう、痛い」
「自業自得だね」
布団の上でうめく私に、冷たい言葉をかけたのは、誰あろう今日一日家に置いて行かれたハンである。
プールに浮かれ切った私は日焼け止めすら塗らず遊びまくった結果、ばっちり日焼けしたのだ。
遊んでいる間ってあんまり気にならないんだよね。でも夕方になって家に帰ったとたんに痛み出し、今こうして布団の住人になっているという次第。全身冷え冷えに冷やしているが、日焼けってやけどみたいなものだからねえ。痛いのは道理である。今日一日家に置いてきぼりにされたハンは拗ねているらしく、なんだか冷たい。
でもねえ、たまには私だって一人になりたい時もあるんだよ。実はここのところ四六時中ハンにくっつかれていたので、何気にストレスが溜まっていたのだ。にゃいぜんさんはそれもあってハンは置いてくるようにと言ってくれたのだろう。一番の理由は桂さんがハンが、というよりビー玉三兄弟が苦手、ということらしいが。
ともあれ、今日はもうお風呂はやめた方がいいかも。熱も少し出てきたようで全身がほてっているし。
私はうつらうつらしているうちに、桜色のきれいな着物を着た少女が、楽しそうに大桂の精霊と手を取り合ってくるくる踊っている夢を見た。その傍らには小さな白い子猫。くしゃ、と崩れたその顔は、なんとなくにゃいぜんさんを彷彿とさせる。
全然知らない光景なのに、なんだか懐かしいような気になる。夢だから、そういうものなのだろうか?
なんとなく、楽しそうな彼女たちにまざりたくて思わず手を伸ばしたのだが、その手が届くことはなかった。
「約束であるぞ?」
桂の精霊が言えば、小さい少女もうなずく。
「ええ、やくそくよ」
「忘れるでないぞ」
「忘れないわ。生まれ変わっても、きっと約束は守るわ」
「生まれ変わっても、か。姫は面白いことを言いよるの。我はそなたが気に入ったぞ」
会話はだんだんと小さくなり、その姿も遠ざかっていく。
「約束?」
手が届かない、ともどかしい思いのままはっと目を覚ました。
「……最近意味深な夢見る気がするな」
ここにきていろいろ妖怪と出会い、今日も顔合わせのためだけに、にゃいぜんさんに連れ出された。
何となく、誰かが意図的に私の行動を誘導しているような気がしてならない。というより周りの妖怪たちかもしれないが。でも、妖怪たちに出会ったのもまた、誰かの意志なのかも。
その夜、私は熱に浮かされているせいか、柄にもなく考え込んでしまったのだった。




