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チンピラと冒険者ギルド

 御令嬢や騎士の一行と別れて一時間ちょっと。


 時速九十キロで駆け抜けた俺はニッサンの町に到着した。


 やはり馬車でちんたら走るより全然早かったな。


「……ん? おおっ?」


 町に着いた途端、俺は急激な空腹感に襲われて地面に膝を着いてしまった。


 ……まさか、これはガソリン切れか!?


 久しく味わっていなかった感覚に俺は戸惑いを覚える。


 腹の音がグルルと鳴り響き、脳裏に浮かぶは【empty】の文字。


 どうやらこの体においては摂取したカロリーがガソリンと同等の扱いになるようだ。


 仕組みは不明だが、状態が確認できるのはありがたい。


 何も表示がされなかったら何事かと軽く混乱していたところだった。


 あの女神様はいい仕事をしてくれる。


 だが、おかしい点がひとつあった。


 俺は一時間ちょっとで燃料切れになるような燃費の悪さではなかったはずだ。


 うーん……? 


 そこで思ったのはエルフの料理は低カロリーなものが多かったということ。


 里で食っていたものは野菜に木の実、川魚が主だった。


 肉は脂の少ない箇所をあっさりした味付けで稀にしか食していない。


 出立前に食べてきたのも果物とパンだけだったし。


 アブラモノや濃い味付けを好まないヘルシーなエルフの食事文化では俺のスペックを十分に活用するのに必要なエネルギーを賄えないのかもしれない。


 今日はゴブリンや輩どもを追いかけたりしたからな。


 転生後、過去最高の距離を稼いだおかげで今まで露呈しなかった問題点が表面に出てきたのだろう。


 想定外の設定だったが、この段階で把握できたのは助かった。


 もし気軽に栄養補給ができない場面でガス欠になっていたらと思うとぞっとする。


 エルフの食文化に不満はなく、体質的にもちょうどよかったが、これからはカロリーの高いものを意識して摂取するようにしたほうがいいな。


 それから塩や砂糖、ハチミツの類も非常食として購入しておこう。


 手早く補給できる栄養素の所持は必須だ。


 そういえばこの体でガソリンを飲んだらどうなるのだろう。

 

……普通にお腹壊しそうだな。


 そもそもこの世界にガソリンが存在しているのか不明だが。


 まあ、それはそれとして。ひとまず飯にしようかな。



―――――



 町の中央広場にある噴水の縁に腰かけ、母親に持たされた弁当を紐解く。


 母親もニッサンの町で俺がこれを開いているとは思っていないだろうなぁ。


 町までは数日かかるからと干し肉とかの非常食をたっぷり持たされたし。


 弁当の中身はおにぎりと山菜の煮付、カエル肉の燻製だった。


 実にヘルシーで少量なエルフ的献立である。


 ……ご主人はコンビニのホットスナックとカップ麺ばかり食べていたっけなぁ。


 外界に出て、ふと思い出したのは自炊の苦手なヤンキー少女の食事風景。


 あれは健康面でよくないと思っていたが、その後改善はしたのだろうか?


 弁当くらいは作れるようになったのだろうか?


 すでに確かめる術はないので、その答えは永久に闇の中だ。


「……いただきます」


 ちょっとだけもの悲しくなりながら俺は両手を合わせて食前の挨拶をする。


 当分はお別れになるお袋の味である。この味付けが食えるのは早くても一年後。


 しっかり堪能しておくとしよう。


「うまそうな、にく」


 弁当に手を伸ばしかけたところで目の前に佇む人の気配を感じた。


 目線を上げると俺の前に幼女が立っていた。


「…………」

「…………」


 幼女の視線は俺の弁当のカエルの燻製に一直線だった。


「……肉が食いたいのか?」

「おなか、減った。にく、食いたい」


 片言で答えながら激しく首を縦に振る幼女。さながらヘッドバンドのような勢い。


 そんなに空腹なのだろうか。


 親は何をしているのだろう。身なり的に浮浪児ということはなさそうだが。


 親の怠慢か、もしくはこの子のワガママか。


「カエルの肉だけどいいのかい?」


 可能性をいろいろと思考しつつ、とりあえず間を取る意味合いを含めて訊いてみた。


 すると、


「…………」


 幼女はピタっと動作を停止させ、


「ヤッ!」


 逡巡の間を置いた後、キレのいい拒絶をした。


 カエルの肉は嫌だったらしい。美味いのになぁ。


 俺は母親の手料理が否定されたような気がして少し切ない気持ちになった。


『ニクニクニクニク……』


 好みの肉を求めて去っていく幼女。


 なぜか町の人間たちは悲鳴を上げながら幼女を避けて道を開けていた。


 すまんな。次に会うときは君の眼鏡にかなう肉を用意しておくよ。


 俺はそう思ったり、思わなかったりした。



―――――



 昼飯を食べ終えた俺は立ち上がり、さて、これからどうしようか。


 御令嬢からは夕刻になったら領主の家に来てくれと言われたが、果たして言葉通り厄介になるべきだろうか。


 もしも奴隷商が大規模な組織なら対峙する際の後ろ盾として身分が高そうな彼女らと懇意になっておくのは十分にメリットのあることだと思う。


 しかしエルフの奴隷について人間の常識がどうなっているのかがわからない。


 連中がわざわざ網を張ってエルフを捕まえに来ているのはそれを買う輩がいるからだ。



『美形揃いのエルフはそっちの趣味がある貴族に高く売れるからな』とは輩どもの言葉である。



 つまり貴族にはエルフの奴隷を買う一定の層がいるのだ。


 しかも高く売れるという話だから恐らく高級品扱いをされている。


 そっちの趣味がある貴族限定で需要があるのかもしれないが、そこら辺はややこしくなるので今は考えないでおこう。


 もし拉致して強引に奴隷に貶める手段が世間的に黙認されているのなら御令嬢たちを信頼するのは難しい。


 命を助けて恩を売ったとはいえ、貴族の中でエルフが価値あるものなら己のステータスのために義理人情を捨て置いて騙し打ちで俺を捕えようとしてくるかもしれない。


 捕まってしまえば俺も晴れて奴隷の仲間入りだ。


 魔法が施された首輪をつけられて強制的に隷属させられてしまう。


 俺が捕まったらこれから里を出る同世代のエルフたちの保護もできず、負の連鎖を阻止することができなくなる。


 そうなることは一番避けたい事態であった。


 もちろん俺が穿った見方をしていて、御令嬢は純粋に感謝の気持ちで招いてくれたのかもしれない。


「……よし」


 俺はもう少し市勢を見てから御令嬢たちと関わるかを判断することにした。できることなら人のよさそうな彼女らを信じたいからな。


 とりあえず今は仕事を探すかね。一応、里を出る前に両親から路銀をいくらか手渡されているが無駄遣いはできない。


 金は使えば消えていくものだ。働いて稼がなくてはいずれ無一文になる。


 ……やるなら運送業がいいな。


 ただ、シルフィや後続のエルフたちを放っておくわけにもいかないので拠点はここに置くことになるだろうけど。


 あとは奴隷商のことも調べなくてはならない。情報取集も兼ねてまずはこの町にある冒険者ギルドに足を運んでみるとするか。


 仕事を探すなら最初にそこへ行けと両親からは言われてあった。


 そして、様々な人がいるから色んな話が聞けるだろうとも。




 歩きながら町の景色を眺める。石畳の道にレンガ造りの家。


 木造住宅ばかりが並ぶエルフ里よりは文明が進んでいるみたいだ。


 もちろん現代日本と比べれば月とスッポンだが。


 こうやって歩いている限りでは奴隷商らしき店は見当たらない。


 奴隷商らしさが何なのかはわからないが。


 連中は看板とかを出して堂々とアピールしているのだろうか。


 ひっそりと裏路地で経営されているとかだったら誰かに訊かないと見つけられないよなぁ……。


 こういう常識面をフォローしてくれる情報通の相方が欲しいものだ。


 そう考えると御令嬢たちとの繋がりを絶ってしまうのは惜しいことのように思える。


 ギルドでいい仲間と知り合えればいいのだが。


 俺は偶然目線があった町人A的な町娘に声をかけてギルドの場所を聞き出すと、適当に進めていた足先を明確な目標に定めて踏み出した。




―――――



 冒険者ギルドは石造りでできた三階建てくらいの建物だった。


「…………」


 ガヤガヤと激しく人が行き交うギルド内の光景。


 その騒々しさに圧倒されて入り口で棒立ちになっている俺。


 イカンぞ。田舎暮らしに長く浸り過ぎたせいで都会の文明的なスピードについていけなくなっている。


「あの……」


 声をかけようと思っても冒険者たちは俺の言葉が届く前に足早に横切って目の前を通過していってしまう。


 意気揚々と門を叩いたはいいが、早々にとてつもない困難にぶち当たっていた。


 くっ……シティボーイだったあの頃を思い出せ。高層ビルが立ち並ぶ都会の街を俺はブイブイ走り回っていたじゃないか。


 まあ、走っていたけどトラックだったんで誰かとコミュニケーションをとっていたわけじゃないんですけどね。


「…………」


 ぽつねんと立ち尽くしたまま座りの悪い心地で前に踏み出せない。


 所在ないとはこのことかと人混みの奔流を前にして俺は初めて実感した。


 おかしいじゃないか。


 なんで町の空気はゆったりしているのにギルド内はこんなにガヤガヤしてるんだよ。


 町の忙しなさがこの建物の中に集約されているのではないか。


 職員のいるカウンターはあれど、それも複数箇所あって各々に長蛇の列ができているせいで気軽に自分が並ぶべき場所を確かめることができない。


 ギルド内にいる連中は常連という空気をビンビンに漂わせて内輪で盛り上がっており、初見が図々しく声をかけられないバリアを張っていた。


 いや、実際には張っているわけではないのだろう。だが俺にはそう感じられた。


 閉鎖的な里に籠っていた弊害だ。限られた人間関係の中で完結していたから新たなコミュニティに飛び込んでいく社交性が未発達なのだ。


 俺はこんなにも社交スキルが低かったのかと思い知らされて落胆した。


 いくら前世の記憶があるとは言ってもトラックだったからなぁ。


 ここら辺のコミュニケーション能力は外界に触れていくなかである程度養っていくしかない。


 前途の多難さを感じた。



 

 どうやらここは酒場も併設されているみたいだ。


 注文を受け取っているウェイトレスの格好をした女性がちらほらと歩いていることからそのことを理解した。


 その中で昼間からジョッキを片手に飲み交わしている連中と偶然にも目が合った。


「オイオイオーイ? 兄ちゃん、ギルドは初めてかい?」


 すると、そのうちの一人が俺に近寄ってきて馴れ馴れしく声をかけてきた。


「ギルドの勝手がわからないんだろ? そんならオレが案内してやるよ」


 話しかけてきたのはくすんだ金髪の男。彼は俺の状況を完全にお見通しだった。


 俺が入り口で右往左往している様を見ていたのかもしれない。


 オロオロしている醜態を観察されていたとか恥ずかしくてたまらんねぇ。


「登録の手順とか割のいい仕事の見つけ方とか、いろいろ教えてやるよ。その代わり受付のほうまで荷物を運ぶのを手伝ってくれねえか?」


 くすんだ金髪の男はテキパキとした手際で大きくて重量のある壺をぽいっと渡してきた。


「おお、結構重いな……」


 ずっしりと両腕にかかる重みにバランス感覚が揺らぐ。


 そして重さ以上に高さと幅のある壺を抱えていると視界が塞がれて目の前がよく見えない。


 足元が確認できないのはどうにも拙い心地だ。


「受付まで持って行けばいいんだな?」


 丁寧な口調で話してきた御令嬢には自然と敬語が出てしまっていたが、相手がチンピラ気味のやつなら畏まる必要はないだろう。


 俺は豪気な運ちゃんの愛車だったのだ。この手の輩の相手はお手の物である。


「どうだい、重いだろ? 非力なエルフには運ぶのはきついんじゃねえか? その壺は高価な代物だから落とさないように丁寧に扱ってくれよ」


 くすんだ金髪男は隣について歩きながらそう言った。


 男は何も持っておらず、手ぶらだった。


 手伝えというからにはお前も少なからず手を貸すべきではないのか?


 丸投げというのはどうなのだろう。


 親切心で話しかけてきた割に誠意のない男の対応に違和感を覚える。


「……兄ちゃんはエルフのくせになかなか力があるんだな」


 平然と運んでいる俺の姿を見て、くすんだ金髪男は表情を若干引き攣らせてそう言った。


「まあ、そこそこ鍛えてるからな。これくらいなら運べるよ」


「エルフは非力な種族って聞いてたからてっきり受け取れずに落としちまうかと思ったんだがなぁ……」


 高価な壺なのに受け止めきれない可能性がある相手にポンと渡してきたのか。危機管理意識が足りていないな。


 保険で補償は降りても美術的価値のある作品は蘇らないのだぞ。


 保険がこの社会にあるとは思えないが。


「まあ、落とさずに運んでくれればそれでいいさ。壊しちまったらとんでもない額の弁償をしないといけなくなっちまうからな」


「お、おう。そうなのか……」


 男がいたテーブルの仲間たちがニヤニヤと遠巻きにこっちを見てきているのが少々気にかかる。


 ああいう下種な笑い方をする連中は総じてロクなことを考えていないものだが……。


 いや、疑ってかかるのはよくない。


 笑い方が特殊なだけで新米の冒険者を微笑ましく思っているだけかもしれないじゃないか。


 俺は壺の陰から顔を覗かせるようにして僅かな視界を確保しながら受付までよたよたと歩いていく。

 すると、


「ああ、よっこいしょ!」


 テーブルで酒を飲んでいたスキンヘッド男がいきなり大声を上げて椅子を大きく引いて立ち上がった。


 俺が足を出すタイミングとほぼ同時だったため、俺の足は椅子にぶつかる。



「…………」



 まあ、ぶつかっただけだったが。


 俺を凝視してくるスキンヘッドは気まずそうに言葉を失っていた。


 俺の体重自体は平均的なものだが重心の座り具合はトラック相当なのだ。


 そうでなければゴブリンやオークを跳ね飛ばすことなどできない。


 したがって、これくらいのもので足を取られることはないのである。


「何か?」


「あ、いや。すまんかったな……」


 スキンヘッドは小声で謝罪し、身を縮こまらせて再びテーブルに着いて酒をちびちび飲み始めた。


 この男、わざとだろうか?


 もしそうなら度し難い悪ふざけだが。


 人が壊れ物を取り扱っている最中にそんな狼藉を働くとはどういう魂胆があってのことだろう。


「ちっ」


 俺が疑惑の視線をスキンヘッドに向けていると、くすんだ金髪男が舌打ちをした。


「え? なんて?」


「あっ、いや、なんでもねえぜ! おいこら、ハゲェ! 危ないだろうがや!」


 聞き間違いかと疑問符を投げると、くすんだ金髪男はとってつけたように怒りを露わにしスキンヘッド男の襟首を掴んで怒鳴り始めるのだった。


「す、すまん……すまんかったって……」


 …………。


 なんだか茶番っぽいキナ臭さがうっすらと見え始めてきたなぁ……。




「おおっと失礼!」


 それからまた数歩進むと、今度は大きな声を上げて正面からぶつかってくる眼帯の男が現れた。


 そいつは俺の身体に弾き返されるとテーブルの角に頭をぶつけ、痛みに苦しんで床の上で転げ回った。


「…………」


 くすんだ金髪の男は冷めた目でその眼帯男を見下ろしていた。何がしたかったんだこいつは……とそんな感じで。俺も同じような気持ちだった。


 俺は呆れかえりながらそいつの横を通り過ぎた。




「ぐぎゃああぁっ!」


 枝が折れるようなポキッという音が足元から聞こえた。


 横たわっていた男が野太い悲鳴を上げる。


 何気なく足元を見てみると俺は眼帯の男の足首を踏んでしまっていた。


 恐る恐る足をどかしてみる。うわぁ……。


 男の足首は前衛的な感じに湾曲していた。


 ああ、やっちまったぜ。エルフの森の獣道をものともしないトラックの馬力で人間の脆い骨を踏み砕いてしまった。


 

 俺が現行でやらかしてしまった所業にテヘペロしていると、くすんだ金髪の男はぬるっとしたスピード感で眼帯の男に駆け寄っていった。


「おい、アンディ! なんてことだ! これはヒデェ! 折れているじゃねえか! ちくしょうめ!」


「ル、ルドルフ……。いてえよいてえよ……」


 くすんだ金髪男は眼帯の男の手を取って大げさな調子で声を荒らげる。


 怪我の具合からしたら大げさじゃないけど、なんか芝居がかってるんだよなぁ。


「このエルフ野郎! やってくれたな!」


 くすんだ金髪男の怒鳴り声と足を押さえて呻く眼帯男の相乗効果で周囲の視線がこちらに集中する。


 乱雑に散らかっていた喧噪が凝縮されたひっそりとしたざわめきに変貌を見せて俺たちの周辺で漂う。


 くすんだ金髪男は先ほどまでのへらへらした態度から一転、俺を睨み付けてくる。


「エルフの兄ちゃんよぉ。この落とし前はどうつけてくれるんだ!? オオイ? ここは怪我に見合った慰謝料を払うのが筋だよなぁ!」


 くすんだ金髪男は妙にイキイキとしながら凄んできた。


 まるでやっと目論み通りに事が進んだと喜んでいるような振る舞い方だった。


 もはや話しかけてきたときにちらつかせていた善人の陰は皆無である。


 こちらの恫喝する姿がこの男の真の姿なのだろう。


「……えーと。おたくら知り合いだったの?」


 壺を丁重に床に置いてから俺は取り直して二人に訊いた。


 恐らくこの壺も俺が落とさせて賠償をせしめるための小道具だったに違いない。


 さっきのハゲもこいつらの回し者だろうな。


 俺が視線を送るとスキンヘッドはビクッと背中を震わせた。


「そんなんはどうでもいいだろうが! お前は俺たちに金を払えばそれでいいんだよ!」


 くすんだ金髪の……ルドルフ? とか言われていた男はテーブルをバンバンと叩いて威嚇しながら俺に要求を突き付けてきた。


 ちなみにギャラリーは面倒ごとに巻き込まれたくないのかヒソヒソと囁く野次馬に徹して一向に介入してこない。


 困っている他人を平気で見過ごす区分のきっちりした都会らしい処世術を誰もが心得ているようだった。


 素晴らしいことだよ、まったくね。


「オラオラ、見ろよ。アンディの痛がりっぷりを! ひでえやつだ!」

 

 ルドルフは声高く叫んでアピールし、事情を知らない冒険者たちに印象付けを行う。


「…………」


 先手を打たれた俺は閉口する。


 ここで取り乱したらルドルフの思惑通りだ。勝手にぶつかってきたのはそっちだろとか。お前らグルなんだろとか。


 いろいろ言ってやりたいことはあるが、それを言い出したらきっとどちらも引っ込みがつかなくなる。


 最悪の場合、取っ組み合いの喧嘩に発展しかねない。


 昼間から町中でトマティーナ開催とか確実に逮捕案件である。


 そうなったらまだ登録もしていないギルドを出入り禁止にされてしまう。


 だが、こいつらだってギルドから仕事がもらえなくなるのは困るだろうし、本当にこの場でやり合う気はないと思う。


 きっと連中は俺が駆け出しの田舎者エルフだから強気で押せば屈すると思ってハッタリをかましているのだ。


「……要はそいつが怪我をしたのが問題ってことなんだろ?」

「そうだよ! だから治療費と慰謝料を払うんだよ、おら早く!」


 俺は辟易しながら息を吐く。


 こういう場合はどちらかが引いて鞘を納めなくてはならない。


 社会では往々にしてこういう思考が理解できない民度の低い輩に遭遇することがある。


 その際に試される折衝能力とは、言いなりにならず紳士的に譲ることだ。


 紳士になり過ぎてもいけないし、かといって相手と同じレベルで御託を並べてごねても泥沼になるだけ。


 だから俺は――


「断る!」


 はっきりとそう宣言した。


「んだとぉ……!?」


 ルドルフの不機嫌そうな声に呼応し、テーブルからやつの仲間が立ち上がってぞろぞろ詰め寄ってくる。


 まずいな、とっとと済ませて場を納めないと。


「……ふんっ!」


 俺は眼帯男の足に向けて回復魔法を放った。


「お、おおお?」

「なんだッ!?」


 時間を巻き戻すように修復されていく男の足首。


 呆気にとられながらチンピラどもは治癒の光景を見送っていた。


 すっかり元通りになった足を見て、眼帯男はポカンと口を開けている。


「これでいいだろ。もうあんたの案内はいらないから壺はここに置いておくぞ」


「ぐぬぬ……」


 彼は仲間が怪我をしたことに焦点を当てていると言った。なら怪我がなかったことになればもう手打ちにするしかない。


「くっ、エルフの回復魔法の力を侮っていた……!」


 ルドルフはギリギリと歯噛みをして仲間の完治を悔しがる。


 そこは喜んでやれよ。ひどいやつだ。


「あーあ。どうやら今回はあんたの負けみたいだね」


 やんちゃそうな八重歯の少女がトコトコやってきてルドルフの肩にポンと手を置く。


 そうそう、ついでにもうこんなことをするんじゃないよとそいつに言ってやれ。


「ほら、今回はダメでも次の獲物を見つければいいじゃん」


 ……おい、そっちの方面で慰めるな。


 獲物を見つけさせようとするな。


 ネバーギブアップの精神は大事だが、この方面では発揮しちゃいけないだろ。


 この女、ダメ男を育てるマシーンか。クズを甘やかすんじゃないよ。


 ご主人の友達にもいたっけなぁ。


 自分は風俗で働き、パチンコ狂いの男に貢いで『次は勝てるよ!』とか謎の励ましをしてる女の子が。


「ごめんねー、エルフのおにーさん」


 少女は運転手がよくやるチョップの形で手の平を立て、ペロリと舌を出しながらウィンクを飛ばしてきた。


 ……この子はそういうタイプじゃなさそうだな。


 どちらかというと、アホな男を泳がせて道化のように踊る様を見て楽しんでるっぽい。


 きっと悪女だ。悪い女だ。どちらにしてもロクでもないな。


「覚えてろよ……必ずお前から慰謝料をもぎ取ってやる……!」


 女とは対照的にルドルフはギロリと怒りのこもった視線を力強くぶつけてくる。


 お前は慰謝料大好きか。


 なんなのだこいつらは……。人間の闇を体現して生きているような連中だな。


 正直、二度と関わり合いになりたくない。


 俺は社会の淀みたちから目を背け、身を翻して一人で受付へ向かった。



―――――



 どこが初心者向けのカウンターなのかわからなかったので俺は適当に真ん中を選んで進んでみる。


 すると列を作っていた冒険者たちは類まれな一体感を出してモーセの十戒のように散って道を開けた。


 なぜだ? このギルドでは初心者を優先する決まりになっているのだろうか。


 それとも譲り合いの精神の権化が集まってるのかな? 正当な並び順を明け渡すのは優しさとはちょっと違うと思うぞ?


 まあ、せっかく譲られたんだしここはフリーパスで行かせてもらうけど。


「ギルドに登録をしたいんですけど」


「ヒィ……!」


 俺が要件を述べると受付のお姉さんは悲鳴を上げて椅子から転げ落ちた。


 そしてそのまま業務をほっぽり出して後方の扉の向こうにある事務室へ逃げていった。


「…………」


 俺のギルドへの登録は……? おいおい、真面目そうな人に見えたのに職務放棄か?


 釈然とせず首を傾げていると背後から声が聞こえてくる。



『あいつ終わったな』『そりゃ逃げるぜ』『素直に金を払っておけばいいのに』



 …………なんのこっちゃ。


 振り向くと未練がましく視線を送ってきているルドルフ一味の姿が。


 こいつらのせいかよ……。まだ俺に執着していたのか。


 どれだけ粘着質なのだ。


 構っても仕方ないと思い、俺は無視を決め込むことにする。


 ルドルフはそれが癪に障ったのか、その辺の椅子を蹴り飛ばしていた。


 俺には関係ない。関係ない。


 ギャーテーギャーテーハーラーギャーテーハラソーギャーテーボージーソワカ……。


 俺は無心を心がけて連中を意識の外に追いやった。




 それから渋い顔をしてやってきた年配の職員によって俺のギルド登録手続きは滞りなく行われた。


 ただし職員の対応は終始素っ気ないものだった。まるで厄介者はもう来るなと言わんばかりの塩対応であった。


 俺は厄介な連中に目をつけられた厄介者の同類と見做されたようだった。


「…………!」


 他の冒険者と視線が合うと素早く顔を背けられる。ルドルフたちの睨みが効いているらしかった。


 どいつもこいつもチンピラ風情にビクビクしすぎではないか? くすんだ金髪の一味はそんなにやばい連中なのか? 


 見る限りでは俺を捕えようとしてきた使い走りの輩どもとどっこいどっこいの小物臭しかしないのだが。


 いや、人間社会ではこういう何をしでかすかわからない小物中の小物みたいな連中こそが一番恐ろしいものなのかもしれない。


「…………」


 どうにも居づらい雰囲気が漂っていた。


 居たたまれなくなった俺はそそくさとギルドの建物内から退散することにした。


 ロクでもない連中に絡まれたおかげで良き出会いもクソもあったもんじゃない。


 金輪際、胡散臭いと直感で感じたやつとは取り合わないようにしよう。


 俺は心が荒んで嫌な方向に自分が一歩逞しくなったのを感じた。


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