ゴブリンと無双
跳ね飛ばした輩どもの亡骸を森の奥へ放り捨てて街道の清掃を済ませた俺は当初の予定通りニッサンの町へ向かうことにした。
結局、奴隷商がどのような手段を用いてエルフが現れる日取りを把握していたのかは不明なまま。
どこの商人が輩どもに指示を出していたのかも聞き出せなかった。唯一の手掛かりは取り引きが町で行われるということだけ。
だが、取り引きのために対象の奴隷商はニッサンの町に潜伏しているのは確実だ。
町に着いたら聞き込みをして、奴隷商についての情報を探るとしよう。幸いにも俺の次に出立するのは早くても二か月後のシルフィが最短である。その間に解決の糸口が掴めなければ出立の日に迎えに行って安全を確保してやればいい。
この事態は下手をすればエルフと人との全面戦争に発展する可能性がある。
もちろんそんなことにならないようには努めたいが……。その辺の問題は里の大人たちと合流してから考えよう。
兎にも角にも、一年は里に戻れないのだ。
俺は俺にできる最低限を地道にやって、これ以上の被害者を出さないことに善処するほかない。
できれば一年を待たずに一人でも多く、早く助けてやれればそれがベストなんだが。
―――――
砂埃を上げて風を切って、元の世界だったら間違いなく切符を切られているスピードで俺は街道を駆け抜けていく。
広く見通しのいい街道を対向車や前の車を気にせずに突っ走る。
速度制限度外視のドライブは元の世界の常識がいい具合で背徳感を引き起こして格別なスリルと快楽をもたらしてくれた。
途中で追い抜かした馬車の御者が見せた驚きの表情は堪らなく愉快だった。
仲間がとんでもない目にあっているかもしれないのに俺の走り屋としての性はこんな時でも疼いてしまう。
エルフになっても根っこの本能は未だに無機物なトラックのままのようだ。
仲間たちがどうでもいいとは思っていないが、走っているとその楽しさのほうに心が行ってしまう。
もうトラックをやっていた年数よりエルフをやっているのにな……。いつまでも感情が車寄りなのはトラックの要素を残して転生させてもらった弊害だろうか。
姿かたちだけ取り繕われても、俺の本質は里の家族や友人たちとは似て非なるものなのかもしれない。
自分は親しい者たちとは違う。そう考えると少しだけ疎外感を覚えて寂しい気もした。
―――――
「なんだあれは……?」
走行を続けていると、俺は前方に広がっている穏やかではない光景に気が付いた。
『グガアアァァアァ』
『ギギャァアアアァァ』
『ガアアァァアアッ』
「お嬢様を何としても守り抜け! テックアート家の騎士の名にかけて!」
「ぐわぁあぁあぁ――っ!」
「ああ、ダイアーンッ!」
見通しのいい街道で、いかにも高貴な身分の者が好んで乗っていそうな装飾がやたらとゴテゴテした馬車がゴブリンとオークの集団に囲われていた。
「くそう、ダイアンが……ダイアンが……」
「諦めろ、デリック。もう手遅れだ……ッ」
一人の騎士がゴブリンの群れに押し倒され、棍棒でタコ殴りにされて頭をかち割られる。
どうやら彼らは野生のモンスターの襲撃にあっているようだ。
鎧を着た騎士たちは四名、先ほど一人やられて現在三名。にも関わらず、ゴブリンとオークは三十匹を超える多勢だった。
「くっ、私を殺すなら殺せ! だがお嬢様には指一本触れさせないぞ!」
一人の女騎士が背後にドレスの少女を匿いながら、自身の倍は丈のあるオークに剣を向けて対峙していた。
しかし力強い言葉とは裏腹に彼女の足はガクガクと震え、剣先は乱れまくっていた。
あれは……くっころというやつだ。
ご主人の弟が俺の中でスマホを使って見ていたアニメで聞いたことがある。
今度こそは間違いない。
「ぐっ……デリック、エヴァンジェリン! お嬢様のことを頼んだぞ――ッ!」
俺がスピードを落としてこっそり接近し、馬車の背後から状況を窺っているとまた一人、巨大なオークに押し潰されて犠牲者が増えた。
「この野郎、隊長をよくも!」
人間にしてはそこそこ美形な顔をしている金髪の男性騎士は仲間がやられたことに怒り、考えなしにオークに突っ込んだ。
「ぐああああっ――!」
「デリックぅ――!」
無謀な男性騎士に向かって叫ぶ女騎士。
ぶりぶりぶりぶりぶり――ッ
そこそこ美形な男性騎士は腹を棍棒でぶん殴られて吹き飛んだ。そして腹に強い衝撃を受けたせいか脱糞もした。
鎧を着ていてもオークの腕力なら棍棒による攻撃すらお構いなしで貫通するらしい。
それほどまでに規格外の力を持っているのか、オークという種族は。
なんというチートだ。俺は驚いた。
『グギャグギャ』
『アンギャギャギャギャ』
『ギィーギィー』
「ごほっ……おのれ……」
口から血を吐き、痛みで動くこともできない美形脱糞騎士はゴブリンから棍棒での打撃リンチを浴びせられる。
「た、隊長……デリックまで……あぁっ……」
気丈に剣を構えてオークを牽制していた女騎士にも限界が来たのか、足のガクガク具合を加速させてとうとうその場にへたり込んでしまった。
じょわじょわじょわ……
……また人間が漏らしてる。滴るどころではない、溢れると表現したほうが的確な黄色い奔流が女騎士の股座からスプラッシュしていた。
よく見れば女騎士の後ろに庇われているお嬢様も放心しながら座り込み、ドレスをしっとり濡らして水たまりを形成している。
どうなってんだこれは……。もう滅茶苦茶だよ……。
もはやこの街道は人間の血と尿と糞でできていると言っても過言ではない。
そう思えるくらい俺は汚いもので染まる街道を立て続けに見てきてしまった。
前文だけ見ると裏社会について語るハードボイルドな台詞に聞こえたりするから面白い。
文脈ってだいじだね。え? 聞こえない?
ほら、感じ方は人それぞれだから……。トラック的にはそう感じられるんだよ。
閑話休題。
さて、そろそろ静観しているわけにもいかんな。
ゴブリンに殴られ続け、見ていて不安になる感じの痙攣をし始めた美形脱糞騎士。
絶望的な状況に精神崩壊しつつあるお漏らし女性陣。
客観的に見て、かなりやばい絵面である。
ここで彼女らをスルーして町を目指そうものなら輩に言われた人でなしという烙印が事実になってしまう。
まあ、身体はエルフで中身はトラックだから実際に人ではないんですがね。
とりあえず、連中はご主人と同じ金髪だし助けておくか。
ご主人のは染めた偽物だったけど。
俺は肩を回しながら馬車の裏から出て彼女らの前に歩み出た。
「え、エルフだと!? なぜこんなところにエルフが……」
突然現れた第三者の存在に刺激されたのか、女騎士は理性を取り戻した目になって俺をまじまじ見てきた。
なんだよ、エルフがこんなところにいちゃ悪いのか?
「そ、そこなエルフ! 唐突なことで不躾かもしれないが、テックアート家の騎士としてお願い申す!」
腰が抜けて上手く立てないのか、女騎士はズルズルと這うような動作で俺の目の前までやってきて頭を地に押し付けて頼み込んできた。
土下座だった。ジャパニーズドゲザが異世界にも存在していた。
「人間の頼みなぞ、エルフである貴殿には聞く価値もないかもしれない。だが、後生だ……このテックアート家の令嬢をこの場から連れてニッサンの町まで逃げてはくれないだろうか? 一介の騎士である私が言い切れることではないが、引き受けてくれたなら相応の礼が当主から支払われるはずだ。だから、頼む!」
地面にめり込んでしまうのではとこちらが危惧するレベルでごりごりと深く頭を下げる女騎士。
そうまでして主を救いたいと願う気持ちは少なからず共感できる。俺もそうやって死んだわけだし。
よっぽどこの御令嬢が大事なんだなぁ……。
しかし、騎士を有しているって、そんなに高貴な家の娘さんなんだろうか。
「あんたはここから逃げないのか?」
「誰かがゴブリンどもを引き付けておかねばとてもじゃないが逃げきれはしないだろう。騎士として私は最後の盾になるつもりだ」
「……なるほどな」
お漏らしをして震えていたくせになかなか頼もしいことを言うじゃないか。嫌いじゃないぜ、そういうの。
「――っ! ダメです、エヴィ! あなたを……あなたたちを置いてなんて行けません!」
女騎士の必死な態度に感化され、御令嬢も現実に引き戻されたらしい。主のために身を犠牲にしようとする従者の考えを改めさせようと騎士に詰め寄った。
「まあ、そこの騎士さんの気持ちはわからなくはない。俺もかつて似たようなことをした経験があるからな」
「そんな!」
俺の言葉に御令嬢はショックを受けた表情になる。ここで無理やり連れて行こうとしても抵抗が激しくて面倒くさいだろうな。
アレやコレやで濡れてるから触りたくないし。
「だが……。別にあれを倒してしまっても構わんのだろう?」
俺はどっかで聞いた台詞を流用してゴブリンたちを指さした。御令嬢は驚いた顔をした。女騎士も驚いていた。
そもそも逃げるという選択肢は最初から俺の中には含まれていない。
「馬鹿な……っ。これほどたくさんの敵を相手に勝てるとでもいうのか!?」
「まあ、多分大丈夫なはずだ」
「多分!? 多分ってなんだ!?」
女騎士がなんかキャンキャン言っているが放っておこう。女っていうのは興奮すると耳が痛くなる高音で叫んでくるから困る。
妹やシルフィも不意に機嫌が悪くなる時期があって、うっかり触れると感情的に怒鳴ってくるもんだからよっぽど耳栓を欲しいと思っていた。
――と、そんなことより。
輩どものときはかなりのオーバーキルだったからな。ゴブリンやオークは頑強そうだが、果たしてトラックの強度と比べてどうなのか。
モンスター相手に文明の力が通じるのか試させていただこう。トラックは人を轢くためにあるわけじゃないけど。
「危ない!」
俺が余所見というか、他のことを考えていたのがまずかったのだろう。
『グガガァ!』
女騎士のよく通る張りのある声が響くと同時に俺の頭部に鈍い痛みが走った。不意打ちで一匹のゴブリンがこっそり近づいて棍棒による一撃を見舞ってきたようだった。
「痛ぇなこの野郎!」
――ドガァッ!
『ギャピィッ!』
「あっ、やべっ」
うっかり『衝動的トラックアタック』を食らわせてしまった。もっと威嚇になる先手を打つつもりだったのに……。
俺の『衝動的トラックアタック』を食らったゴブリンは輩の頭目と同じように弾け飛んで一匹のオークの足元に転がった。
そんなに速度は出ていなかったが、当たり所が悪かったのだろう。転がったゴブリンは身動き一つせず、息絶えていた。
幸いなことにオークやゴブリンたちは仲間の即死を目前で見て少なからず動揺してくれたようだった。
美形脱糞騎士のリンチに夢中だったゴブリンズも動きが止まってこちらに視線が釘付けになっている。
一斉に向けられた視線に恐怖し、御令嬢と女騎士は震えあがって身を抱き寄せ合う。
怯え具合的にまた大地を潤しかねない勢いだ。
俺は打撃を食らった箇所を軽く撫でてみる。
棍棒の材質はヒノキ辺りだろうか。
この体になってから自分の強度を確かめたことはなかったが、木製の武器なら大したダメージにはならないみたいだ。
輩どもの時は一撃も食らわずに済んだからイマイチ確認できなかったが、大体把握できてきたぞ。
俺をへこませたければコンクリートを持ってこいってことだな。
『ギャギャガギャ』
『グガガガガッ?』
『ギガヤギャギャグア』
騒ぎ出すゴブリンたちにじろりと睨みを送り付ける。ゴブリンたちはたじろぐように全員が一歩退いた。効いてる効いてる。なかなか愉快な反応だ。
「ゴブリンどもよぉ!? お前らの血の色は何色だぁ!?」
俺は心の中でアクセルを踏み込み、ゴブリンとオークの群れに飛び込んでいった。
気分は軽く、獲物を屠るイェーガーであった。
―――――
赤色だった。
何の話かといえば、それはゴブリンの血の色であり街道の色であり、そしてまた妹の好むパンツの色であった。
ゴブリンの血で真っ赤に染まり、肉片飛び散る街道を見渡すと、またもやり過ぎたなという思いが募る。
ああ……日に二回もトマティーナを開催してしまった。
こう立て続けだと当分はトマトなんか食えたもんじゃねえな。見るだけで気分が悪くなりそう。
オークからは何発かもらってしまったが、大したダメージにはならなかった。
せいぜい車体に軽いへこみができたくらい。ガードレールに擦ることが日常的だったご主人の雑な運転に慣れた俺には無傷に等しい。
鋼鉄の身体による時速百キロでの体当たりは、生身の有機生物に対して今のところ無敵だった。
「信じられない……あれほどのオークとゴブリンをたった一人で……。一体どんな魔法を使えばあんな肉体強度と移動速度を維持し続けられるのだ……」
女騎士は茫然としながらぶつぶつ呟いている。ちょっと派手にやりすぎたか。冷静になったら不審がられるかもしれないな。
「二人とも、大丈夫か?」
後のことは後で考えるとして、俺は二人にすべてが終わったことを確認させる意味合いも含めてそう言った。
「あ、ああ。助かった。君は命の恩人だ」
「本当にありがとうございます。なんとお礼を言ったらいいのか……」
怖がられるかと思ったが、そうでもないようだ。
二人は口々に感謝の言葉を述べてくれた。
心なしか、主人よりも女騎士のほうが偉そうな物言いである。
性格の問題だろうか。
「うっ……」
御令嬢は青い顔をしながら口元を押さえて俯く。
「お嬢様! どこか怪我でもなされたのですか!?」
「申し訳ありません。ちょっと気分が悪くなってしまって……」
お漏らしをしたから水分が足りなくなったのかな。人体の七割は水でできていると聞く。脱水状態が続くのは危険だろう。
「そうだ。ちょうどいいものがあるんですよ。よろしければ、どうぞ」
俺は先ほど輩から奪ったトマトを鞄から取り出した。暴れまわったせいでちょっと潰れていたが、品質にそこまで影響はないだろう。
「……っ! これは……」
お嬢様がヒッと声を出し、目を大きく開いて戦慄く。
「どうかしましたか?」
「おげええええええええええええ――――ッ」
お嬢様は頬を膨らませて一瞬だけ堪えた後、口からもんじゃを噴射した――さながらマーライオンのように。
晴れた空に虹がかかり、赤一色の街道に黄色いアクセントがついた。
……名も知らぬ輩よ、やっぱり女性の嘔吐でも汚いものは汚いと思うぞ。
―――――
「いや、すいませんね。まさかお嬢様がそこまでトマトが嫌いだったとは思わなくて」
「……そういうわけではなかったんですが」
お嬢様は口元をハンカチで拭いながら気まずそうに答える。
「この真っ赤に染まった光景を見たらとてもじゃないけどしばらくはトマトを食べる気になれなくて。もらってくれたら無駄にならなくていいと思ったんですけど、残念です」
「…………」
俺が言うと、お嬢様はジト目で俺を見てきた。
あれ、なんだろう。彼女から感じられる温度がすごい下がったような気がするんだけど。
「デリック! デリック! お前、息があるのか!?」
他の騎士たちの様子を確かめていた女騎士が突如、歓喜の声が上げてそう言った。
「よかった、無事だったんだな! 私たちは助かったんだぞ!」
「うう……おぉ……」
デリックという脱糞美形騎士は顔がパンパンに腫れあがっていたり、足や腕が歪な方向に曲がっていたりと重傷であったが、なんと生きていた。
あれだけボコスカ殴られていたくせになかなかタフなやつである。
「エぶぁんジェひン……ほじょぅはま……」
殴られて顎か歯でも砕けたのだろう。彼は上手く喋れないようでモゴモゴと女性陣の名を呼んでいる。見ているだけで痛々しい。
一応、回復魔法でもかけておいてやろう。俺の覚えてる初級魔法じゃ応急手当てくらいにしかならないと思うけど。
「ふんっ!」
頭の中で呪文を唱え、脱糞美形騎士改めデリックに魔力を送り込む。
「「「「…………!?」」」」
デリックの顔面の腫れはみるみる引いていき、変な向きに折れていた手足は逆再生でも見ているかのようにするすると正常な位置へ戻っていった。
魔法をかけて数秒経たず、痛みすら麻痺するレベルの大怪我を負っていたデリックはすっかり健常な状態になっていた。
「まさか貴殿の魔法によるものなのか……?」女騎士は目を丸くした。
「すごいです……」御令嬢は感嘆の声を上げた。
「おお……マジでか」俺もびっくりしていた。
「……まるで怪我をしていたのが嘘みたいだ……」
デリックは自らの身に起こった奇跡に呆けていた。信じられないといった様子である。
俺だって信じられないよ。
なんでこんなにすごい回復してんだよ。超回復かよ。女神様、確かに魔法の才能をくれるとか言ってたけど、ここまで桁外れのもんだったのか。
里では練習でも試験でも掠り傷程度しか治さなかったからなぁ。自分の魔法が低級なものでもここまで効力があるなんて知らなかった。
これならあの輩も治してやれたかもしれない。すまんな。
でも治せるのを知っていても魔法はかけてやらなかったと思うけど。
「隊長は……ダイアンは!?」
傷が癒えたデリックは御令嬢と女騎士が無事なことに安堵すると、先にやられた二人の騎士に意識を回した。
最初のほうで潰されていた隊長とダイアンとかいう騎士はゴブリンたちからも放置されて地面に横たわっていた。
ダイアンというやつは頭がパカーティでグロイ感じになっているが、隊長のほうは一見目立った損傷はない。
むしろデリックのほうが重症に見えたほどだ。
きっと表に見えない内臓部分にダメージを負って息絶えたのだろう。人間の身体って内側の損傷のほうが厄介らしいし。
俺たちは沈黙して亡骸を見下ろす。重い空気が立ち込める。全く知らない連中だが、悲しんでいる人たちを間近で見ると胸がもやっとする。
外の世界では死者に合掌をする文化があるのだろうか。エルフの里ではそういう決まりはなかったけど。
どう反応すればいいのか俺が決めあぐねていると、不意を突くように隊長の身体が痙攣し始めた。そして、
「ぐふっ……ごがっ……」
咳き込み始めたとともにおびただしい量の血液を口から吐き出した。
「隊長……? まさか、息がある!?」
女騎士はしゃがみこんで顎鬚がワイルドな隊長とやらの呼吸を確かめる。
生きているのならなんとかなるかもしれない。
「ふん!」
俺はまたも頭の中で呪文を唱えて魔法をかけた。
……この隊長さん、ご主人にいやらしい目を送ってはたびたびセクハラをしていた運送会社の先輩オヤジに似ているなと思いながら。
苦しそうにもがいていたおっさんも次第に呼吸が和らぎ、ゆったりと息をし始める。
「お、オレは生きているのか……?」
結構失礼なことを考えながら放った回復魔法だったが、おっさんは何事もなく無事に目を開けたのだった。
「わたくしはテックアート家の長女、レグル・テックアートと申します。おかげで犠牲も少なく窮地を抜けることができました。まさかエルフが我々を助けてくださるとは。あなた方は我々人間のことをあまりよく思っていないと思っていたので意外でした。もしよろしければお名前をお聞かせ願えませんか?」
御令嬢ことレグル・テックアートはスカートの裾を軽く持ち上げながら丁寧な会釈をしてきた。
三人の騎士は御令嬢から一歩下がった位置に控え、膝をついて頭を垂れている。
おい、股座を排泄物で汚した連中にしっかりした作法で礼を言われるとなんだか笑えてくるからやめろ。
「俺はグレンといいます。里の掟で外の世界を見て回る旅をしている身の者です」
俺は吹き出しそうになるのを堪えながら自己紹介をする。
ところでエルフが人間を嫌ってるって、そんな話はどっからきたのだろう。男連中は町の人間女性と浮気するくらいだし、そういう風潮は里の中にはなかったと思うが。
外にいるエルフの誰かが彼女らに嫌がらせでもしたのかね。どこがソースなのかは今後の身の振り方にも影響してくるので少々気になる。
「ぜひともこの恩のお礼をしたいところなのですが、我々は一度どうしてもニッサンの町に向かわなくてはならないのです。我が家の当主である父の命を受けて、領主と会談の約束を取り付けておりまして……」
御令嬢は恐縮そうに言って上目遣いで俺を見てくる。
「別に構いませんよ。そもそもお礼とかは気にしてないですし」
単純に放っておけないから手を貸しただけだ。あれこれ要求するのは褒められた行動ではないだろう。
古今東西、欲の皮の突っ張った人間はロクな死に方をしないと聞くからな。
まあ人間じゃなくてエルフなんですけどね。
定型に入ってきたギャグを脳内で反芻し、突っ込みのいない寂しさを感じる孤独な自問自答していると、
「ところでグレン殿はどこへ向かうつもりなのですか? もしも道中が同じならばわたくしどもの馬車でお送りさせていただけませんか?」
令嬢は目を輝かせてそんな提案をしてきた。ええ……。
「自分はニッサンの町へ行ってしばらく滞在する予定でしたが……」
「ふむ。それなら馬車を使えばもうあと半日も経たずに到着できるでしょう。ぜひ我々と一緒に乗っていってくだされ」
レグル嬢と合わせてゴリラな隊長まで親切の押し売りをしてくる。
なんと迷惑な。俺は自分の足で走ることを最高の楽しみにして旅に出たというのに。
大体、半日って俺が本気で走ればもっと早く着くし。
「……お嬢様、それに隊長も。僭越ながら申し上げさせていただくと、グレン殿は恐らく馬車よりも早く移動できる手段を持ち合わせているはずです。無理強いはかえって無礼にあたるのではないでしょうか?」
ちらりと俺に視線を寄越しながらそれまで無言を貫いていた女騎士は言った。よくわかっているじゃねえかこの女騎士。
名前はなんだっけ……忘れたけど。でも、いいやつだ。俺が感謝を込めてにっこり微笑みかけるとサッと視線をそらされた。うん、失礼な奴だ。
「……そうですね。確かにあれだけの速力をもってすれば馬車などでは及びもつかないでしょうね。浅慮な物言いでした。ならば、気が向いたらで構いません。我々も今日の夕刻までには町に入る予定ですので、陽が落ちましたら領主の邸宅にまでお越しください。精一杯のもてなしができるように取り計らっておきますので」
レグル嬢は残念そうに言って、俺を見つめ、長いストレートの金髪を揺らした。
女騎士はクールな感じで目を伏せ、ゴリラな隊長は年長者らしい落ち着いた笑みを浮かべ、美形な脱糞騎士はやたらと白い歯を見せつけながらウィンクしてきた。
だけど彼らの下履きは汚れているのだ。なんとも締まらねえよなぁ。お漏らしだけに。
「ふん!」
御令嬢が汚れた衣類を召し換えるために馬車に入ったのを見届けると、俺は頭の中身がオープン御開帳になって死んだ騎士に回復魔法を送ってみた。
だが、騎士の身体はうんともすんともいわなかった。
やはり死者の蘇生まではできないか……。
「無理か……」
余計な期待をさせないように御令嬢がいない隙を見計らってやってみたが、言わなくて正解だった。
「仕方ないですよ。本来なら全員死んでいたかもしれないんです。お嬢様を救っていただけで十分すぎるくらいです」
いつの間にか隣にはそこそこ美形な脱糞騎士が佇んでいた。ゴリラな隊長は馬車の入り口の前で番をしている。
「ええと、あんたは確か脱糞の……」
「はい、僕の名前はデリックと言います。よろしければお見知りおきを」
ああ、そうだ。そんな名前だったね。美形脱糞騎士のデリックは蘇生に失敗した俺を気遣うように声をかけてくれた。
糞漏らし呼ばわりしたのに爽やかな相好を崩さず丁寧に応対してくるあたり、このデリック君はいいやつっぽいな。
ちなみに彼はとっくに着替えを済ませている。
何を恥じらうものかという屋外でのフル脱衣は優男の風貌に似つかわしくない彼の訓練を積んだ戦士らしい野性味を感じさせて好感を持てた。
女騎士も最初は外でやおら脱ぎ始めたのだが、令嬢に止められて今は馬車の中で令嬢とともに着替えている。
「……まあ、そのすまんな」
「魔法で死者を生き返らせることなんて不可能なのですから。グレンさんが謝ることなんて何もないじゃないですか」
一応、どんな高位の使い手でも死者の蘇生など夢のまた夢というのがこの世界の常識である。
だが、俺の回復魔法は初級レベルであれだけ治ったのだ。上級の回復魔法ならひょっとしたら生き返らせることもできたかもしれない。
俺の授かった才能だったらその常識を打ち破る効力を発揮できたのではないか。俺の言葉には怠惰だった自身への後悔も含まれていた。
「ダイアンが先陣をきってゴブリンの注意を引き付けなければグレンさんが来るまでもたせることもできませんでした。あいつは騎士として役目を果たして立派に散りました。悲しいことなんて何もありません」
……実は最初のほうは様子見をしてましたなんて絶対に言えない。二重に後ろめたくなってきた。
俺の内心も知らず、デリックは俺が気負わないように柔らかく微笑むのだ。その笑顔は悲しみの心を押し殺しているのが丸わかりだった。
輩の時とは違い、俺はもう少し魔法についても真剣に取り組んでいればよかったかなと、僅かながらにそう思ったのだった。
トラックエルフ必殺技辞典vol.2【衝動的トラックアタック】
衝動的トラックアタックとは、不意に誰かとぶつかったり、小突かれたりした際、大して痛くもないのに『いたっ』と言ってしまうように、目の前に誰かが飛び出して来たらブレーキを踏んでしまうように。心無い危害を加えられて防衛本能が働き、条件反射で繰り出してしまった大型車の衝動的な突撃。