精霊と決着
三回戦。それは一回戦や二回戦とは真逆のワンサイドゲームになっていた。
「ふはは! ハムファイト家の長男である私が平民風情に後れをとると思ったか!」
「くっ……!」
見たままを言えば、ツインテ少女はハムファイトという生徒からボコボコにされていた。
上手く致命傷は避けているが、それでも軽くないダメージを続けざまに与えられている。
おかしい……。どうなっている? どこか捻ったのか?
ハムファイトに初撃を避けられたと思ったら、そこから一気に彼女の動きが悪くなった。
しかもその後に追撃をせず、相手から距離を取って様子見をするなんて……。
間を空けて呪文の構築に必要な時間を相手に与えるなど、遠距離からの攻撃手段を持たない彼女たちが一番取ってはいけない行動だ。
事前のミーティングでもそれは何度も確認していたはず。
「これは圧力を使われたかもしれんのだよ……」
「どういう意味だ?」
悔しそうに唇を噛みしめるラルキエリに訊ねる。
「どうもこうも、言葉の通りなのだよ? あのハムファイトとかいうやつが貴族の地位を使って彼女に抵抗しないよう迫ったのではないかという話なのだよ?」
「は? そんなのがアリなら貴族と平民は決闘なんてできないじゃねえか」
「普通だったらありえないのだよ? 伝統ある学園で、それもナイトレイン校長の御前で行われた決闘でイカサマなど前代未聞もいいところなのだよ?」
あのエルフ校長って権威ある存在なんだ……。
そんなすごい人なら異変を見抜いてたりしないだろうか。
僅かに期待して様子を窺う。
お、目が合った。微笑みながら手を振られた。ダメだな、こりゃ……。
どうする? 止めるか?
けど、決闘は対戦者本人の申告以外では降参が認められないルールだし……。
ツインテ少女が自分から負けを認める気配はない。
このまま彼女が傷つけられるのを見ているしかないのか?
「ぷんぷんっ! ちょっとラッセルくんに文句言ってくるよぉ!?」
事態を知って憤慨した女教師がズカズカ歩き、相手の陣地まで抗議に向かってしまう。
証拠もないなかで連中が素直に認めるとは思えないんだが……。
「おい、行っちまったぞ」
「他に手段もないし、とりあえず彼女に任せてみるのだよ?」
まあ、教師である彼女が言うなら多少は変わるかもしれないな。
そういうわけで俺たちはしばらく静観することにしたのだが――
それからの試合は酷いものだった。
ハムファイトは愉悦に満ちた表情で無抵抗のツインテ少女をいたぶっていく。
戦闘不能にさせないよう、少しずつ痛めつける意地の悪い攻撃が連続する。
明らかに勝利ではなく、相手をなぶることを目的とした戦い方だった。
「ま、参り……」
「わはは! プチサンダー! プチサンダー! またまたプチサンダー!」
「きゃああああああっ!」
限界まで痛めつけられ、ツインテ少女がいよいよ負けを認めようとしたタイミングになるとハムファイトはすかさず魔法を放ち、最後まで言わせないようにする。
そういう攻撃を何度も何度も繰り返す。
……ちっ、性根が腐っているにもほどがあるぞ。
ラッセルがいう魔導士の誇りってのは、こういう輩に好き放題させることなのか……?
ふざけんなよ……!
そして――
とうとうツインテ少女は立ち上がる力もなくなって倒れ、審判が試合終了を告げた。
「ご、ごめん……グレン君……みんな……あいつが、反抗したらあたしの村を……って……」
ツインテ少女に駆け寄ると、彼女はぐったりしながら申し訳なさそうに言う。
「よく耐えたな、ゆっくり休んどけ」
卑劣な魔法攻撃を何度も浴びた彼女の制服はボロボロだった。
俺は回復魔法をかけながら上着をそっと被せてやる。
身体は回復しても気力は尽きていたのか、ツインテ少女は安心した表情で静かに目を閉じた。
「…………」
「…………」
「…………」
ポーンたちは何ともいえない面持ちになっていた。
先程までの戦勝ムードはどこへやら。
せっかく貴族生徒たちを実力で追い詰めて自信を持ちかけていたのに。
ここにきて抗えない身分の差を見せつけられ、再び負け犬根性が出始めている。
くそっ、やってくれたな。
次の貴族生徒も同じような手を使ってこないとは限らない。
無抵抗で小デブが痛めつけられるなら四戦目は棄権させたほうがいいかもしれん……。
幸い、こっちは二勝してる。
俺が相手の大将ラッセルをブッ飛ばせば最終的な勝利は俺たちのもんだ。
「ラルキエリ、次の試合なんだが……」
「グレン君、アレを見るのだよ?」
「ん?」
ラルキエリに言われて目線をやる。
そこには女教師が飛び跳ね、大きく手を振って呼びかけている姿があった。
審判団も集まって何やら騒々しくなっている。まさか抗議が通ったの? マジで?
◇◇◇◇◇
「つまり、ハムファイト君が負けを強要したと?」
「そうですよぉ、だってあんな一方的で無抵抗なんてぇ、おかしいですもん!」
「「「ふむぅ……」」」
現在、決闘はまたもや中断され審議が行われていた。
「ですが証拠が何もないのでは……」
「ハムファイト君も否定していますしね」
「貴女たちの主観だけでは事実と断定するには弱すぎます」
審判たちは芳しくない反応をする。
まあ、そりゃそうか……。
女教師の尽力で抗議の場を設けることはできたが、ハムファイトが自白でもしない限り言った言わないの泥沼にしかならない
ハムファイトの様子をちらっと見る。
やつはふてぶてしく堂々と立っていた。
このまましらばっくれる気満々だな。
判定用のカメラとかがあればなぁ……。
やっぱりドライブレコーダーは必要ってことだ。
「失礼ですが、貴女は……彼らを信じているのですか?」
審判たちとのやり取りを静観していたラッセルが割って入り女教師に訊ねる。
「そうだよぅ! この子たちはわたしの生徒なんだよぅ!」
「はぁ……仕方がない」
ラッセルは大きく溜め息を吐くと、
「教師である……貴女の言うことでなければ下らないと一蹴していたところですが、この場は僕の力を使って真実を明らかにしましょう。今回の条件なら恐らく何とかなるはず。すべてをはっきりさせたうえで次の試合を行なおうじゃないですか」
ラッセルの言葉に『おおっ!』と審判や女教師たちが声を上げた。
「ラルキエリ、どういうことだ?」
「彼は……寵児は精霊の寵愛を受けて力の祝福を得ているのだよ? 恐らく、周囲に漂っている精霊に当時の状況を訊ねるつもりなのだろうよ?」
精霊の祝福? よくわからんが、遡って事実究明ができるってことか?
なんだよそれ、すごいじゃねえか。
これですべてが明らかになるな、と思っていたところで異議を申し立てる者がいた。
「ま、待ってください! そんなことをする必要はないでしょう!」
必死に止めに入ったのは渦中の容疑者、ハムファイトだった。
「彼らは実力で負けたことを認めたくないだけなのです! 戯言など捨て置きましょう! ラッセル様は私の勝利を疑っておられるのですかっ!?」
「もちろん信じている。だからこそ下らぬ言いがかりはすっかり払っておいたほうがいい。君もあらぬ疑いをかけられたままでは気分が悪いだろう? 心配するな。君の無実は僕が証明してあげるよ」
ラッセルは優しく微笑んでハムファイトの肩に手を置く。
「え、ええ……はい……」
ハムファイトは青白い顔でガクガク震えだした。
もう半分答え合わせみたいなもんじゃねーか……。
ここまであからさまでも自信たっぷりなラッセルは何なの?
もしかして自分たちに都合のいい結果をでっちあげるつもりなのでは?
「精霊の言葉を歪めて騙ったとなれば、彼は精霊からの祝福を失うかもしれない……。そんなリスクを犯してまで事実を隠蔽するとは考えにくい。そこは信頼していいと思うのだよ?」
へえ、そういうもんなんだ。
じゃあ、ラッセルってもしかして……。
「というか、こういう話はエルフである君のほうが本来詳しいはずではないのかだよ?」
「…………」
そういや里の学校で習った気もしないではないね。
まあいいじゃないか。
「風の精霊よ。僕に真実を教えておくれ……」
ラッセルが手を前方に伸ばしながら囁いた。
輝く粒子が溢れて彼の全身を覆いつくしていく。
綺麗な光だな……。女神様がいた部屋を思い出す優しい光だ。
「ふむふむ……なるほど……」
目を閉じて見えない何者かと対話するラッセル。
こっちには何も聞こえないが。
祝福を受けている彼にはいろいろ聞こえているのだろう。
やがてラッセルの輝きが収まった。
「どうでしたかな?」
審判の一人がラッセルに訊ねる。
「まさか……ハムファイト君が不正をしていたなんて……」
精霊からすべてを聞いたらしいラッセルは頭を抱えながら崩れ落ちた。
あの落ち込み具合からして彼は関与しておらず、ハムファイトが独断で決めたことのようだ。
明らかに不自然なキョドリっぷりを見ていながらよく信じていられたもんだよ。
やっぱり、ラッセルってバカだったんだな……。
「なんと! これは由々しきことですぞ……」
「とりあえずナイトレイン校長に報告を……」
「まったく、とんでもないことをしでかしてくれたもんだ……」
事実を聞いた審判たちが対処のため速やかに動き出す。
おうおう、大事っぽい感じになってきたじゃないの。
つか、精霊が言ってたよってだけで証拠になるのか。
それも不思議な気分だな。
「当然なのだよ? 精霊は神にも通ずる高尚な存在。その寵愛を受けた者が名代として告げた言葉は何よりの信憑性を発揮するのだよ? そもそも精霊というのは天界の――」
「とにかく信頼度抜群ってことなんだな?」
「…………」
なぜかムッと黙り込むラルキエリ。
さては簡潔にまとめた俺の頭脳に嫉妬したな?
「ハムファイト君……どうやら嘘つきは君だったようだね。実に残念だ。君がこんなことをする人間だったとは……」
ハムファイトとラッセルが揉めている。
気まずい雰囲気が二人の間に漂っていた。
「違うんです! これは何かの間違いなんです!」
「何も違わないだろう、言い訳はいらん!」
「わ、私はあなたのために……! あなたが余計なことをしなければ丸く収まったのに!」
「相手がどんな愚者であろうと、我々が道理を曲げることは許されない。君の行ないは魔導士として、貴族として、学園の生徒として恥ずべきことだ。もちろん、君の本質を見抜けず代表に選んだ僕にも責任がないとは言えないがね……」
おい、愚者ってなんだ。
喧嘩売ってんのか? いや、喧嘩になったから決闘やってんだったな。
「すまないが、卒業後に用意していた君のポストは考え直させてもらうよ」
「あぁ……そ、そんな……くそ……くそ……こんなはずでは……!」
ラッセルに冷たく突き放されたハムファイトは顔面を蒼白にさせて後退りする。
そして、
「お、お前らさえいなければ――ッ! 私の将来は安泰だったのに――ッ!」
ハムファイトは口から泡を飛ばして叫び、俺たちのほうに突進してきた……が、
「う、うわっ! あれっ!? なんだっ!?」
次の瞬間、ハムファイトは空中で逆さ吊りにされていた。
ヒュウヒュウと吹く風。これは魔法によるものか? 一体誰が?
「さっきから見てたらよぉ、まったく気に入らねえ野郎だ……」
観客席の向こうからルドルフがのそのそ歩いてくる。
どうやら魔法を放ったのは彼のようだった。
性格に反して器用なこともできたんだな。
「オレは特権意識でお高くとまってる貴族が何より嫌いでよぉ……」
ルドルフはイラついた様子でハムファイトに詰め寄る。
「権力ってのはやりたい放題やった最後にケツを拭く程度のもんだろ。血筋でテメェが強くなったつもりか? 勘違いしてんじゃねえぞ。同じように権力で潰してやろうかァ?」
「ひいいっ……!」
じょばばばばばぁ……。
うわ、ばっちぃ!
ルドルフに恫喝されて縮み上がるハムファイト。
なんか憤ってるけど……お前もニッサンの街でいろいろやってただろが!
知らない? ああそうですか……。
やっぱり、こいつ無茶苦茶だわ。
最近は馴れ合ってたけど適切な距離を置くことを忘れてはいけないやつだと思いました。
ハムファイトは警備の騎士に引き連れられてどこぞに消えていった。
この後、彼にはどんな処分が待っているのだろう。
まあ、そこらへんは俺の関知するところではない。
「で? この落とし前はどうつけるつもりなのだよ?」
「そんなものは決まっている。僕たちの反則負けだ。特に先ほどのハムファイト君の狼藉は申し開きのしようもない」
ラッセルは思いのほかあっさり頭を下げた。
俺たちに突っかかってきた最初の高圧的な態度を考えると相当な肩透かしである。
「まったく不本意な終わり方なのだよ……」
ラルキエリは口を尖らせて不満そうに愚痴る。
しかし、それ以上は何も言わない。
合理的な彼女はラッセルを責めたところで得るものは皆無とわかっているのだろう。
全面的に謝罪しているのだから、もはや俺たちの勝利は揺るぎない。
だが、このままラッセルたちの反則負けで終わらせていいもんか?
周囲を見渡してみる。
会場の客たちは長い中断にすっかり冷めた空気を醸し出していた。
こんな雰囲気で勝ちが決まって、それで筋トレ理論を浸透させることに繋がるのか?
正直、微妙な気がする。
もっとセンセーショナルに筋トレがスゴイと印象付けなくては意識の変革は起こせないんじゃないかと思う。
決闘で勝っても、成果を勝ち取れなくては意味がないのだ。
だから……俺はラッセルにひとつの提案をすることにした。
――ここはいっちょ、俺とお前の直接対決で最後の勝敗を決めてみないか? と
◇◇◇◇◇
俺とラッセルはフィールドに二人で向かい合って立っていた。
歓声も再び沸いて、いい具合で場は温まっている。
「本当によかったのかい? あのままなら君たちの勝利で終わっていたはずだ」
「俺たちは形だけの勝利が欲しいわけじゃない。あんな勝ち方じゃ意味がないんだよ」
独断で決めたのはちょっと横暴だったかもしれんけど。
ラルキエリや女教師、ポーンたちも事後承諾で賛成してくれたから問題ない。
「お前こそ、えらく負けを許容してるじゃないか」
「我々に非があったのだから甘んじて受け入れるのは当然だろう。君たちの戦い方には思うところがたくさんあるが、審判が認めた以上は正攻法と見做すしかない。だが、階級を使った負けの強要は明確なルール違反だ」
ほう、意外と殊勝な考え方をしているんだな。
ちょっとだけやつの認識を改めてやる必要があるようだ。
「さて、真剣勝負なら手加減は一切しないぞ? こちらは負けるはずのところから勝ちを拾わせてもらえるので助かるが……今ならまだ取り消しを認めてもいい」
ラッセルは舐めているのではなく、俺たちのために言っているのだろう。
だが、そこは余計な世話ってやつだ。
「俺はお前を倒して勝利を掴み取る。悪いが、お前には実力で負けたという事実を大衆の前で晒してもらう」
「ふっ、大層な自信だ。けど、そうか、ならば何も言うまいよ……せめていい勝負ができることを祈るとしよう」
どことなく楽しそうにラッセルは言う。
「そういえば、まだ君の名前を訊いてなかったね。よければ教えてもらえないか?」
「俺はトラック……エルフのグレンだ」
おっといけない、また間違えた。
「そうか、トラックエルフか……君は新種のエルフだったのだな……」
ラッセルが得心顔で頷いた。やれやれ、今回も誤って覚えられちまったか。
「では、僕も改めて名乗ろう。僕はラッセル・マーサカリィ! マーサカリィ侯爵家の長男にして、数多の上級精霊から祝福を授かりし者!」
大仰な言い方でラッセルは俺に名乗った。
ラッセル・マーサカリィ、精霊の祝福を受けた男。
……って、ラッセルの家って侯爵かよ。
上から二番目くらいにすごいんじゃなかったっけ?
テックアート家の名前出さなくてよかったわ……。
レグル嬢の家は伯爵だもんな。危うく迷惑かけるところだったぜ。
審判の合図が告げられ、試合が開始する。
『精霊から祝福を受けた彼の精霊魔法は他の魔導士の魔法とは性質が違う。いくら君がエルフとはいえ、油断は絶対にするのではないのだよ?』
直前でラルキエリに言われた注意を思い出す。
油断するな……か。
一体どうすれば油断してないことになるのだろう。
俺が逡巡していると『何やってるのだよ!?』とラルキエリが悲鳴に近い声で叫んでいた。
何って、ちゃんと油断しない方法をだな……。
「精霊たちよ! 僕に力を!」
前を見ると、ラッセルがすでに詠唱を終えて魔法を放つ準備を整えていた。
うむ、早い。今までのやつらとは格が違う。
先手を取られてしまったか。油断する暇もなかったな!
「僕の魔導士の誇りにかけて、君を正しき道に導いてやろう……」
ラッセルは不敵に微笑みながら俺に杖を向けてくる。
この澄み切った魔力の質は……。確かにルドルフや他の魔導士たちのものとは全然違う。
さて、どんな魔法を使ってくるのだろう?
「『スピリチュアル・バレット』」
カッ! ラッセルの指先から眩い光球が発射され――ぽしゅんっ。
「…………?」
ラッセルの魔法は俺にぶつかる直前で消失した。
なんだよこれ。期待させておいて。身構えてたのに届いてすらこないじゃねえか。
「あれ? 精霊たちよ、なぜだ!? ……は? なんだと? やつは女神様の……!?」
ラッセルが一人でなんか言っている。
精霊の声は俺に聞こえんのでラッセルが取り乱している理由は不明だ。
「そ、そんなになのか……? では彼は……だが、今は勝負中であってだね……」
何かしらのトラブルがあったことは間違いなさそうだが。
ふーむ……。
待っていてもラッセルは狼狽えているだけ。手を出してくる気配はまったくない。
これ以上は時間の無駄か。
「そっちがこないならこっちからいくぞ?」
「わっ、ちょっと! ま、待ってくれ! 少しだけ精霊と話す時間を――」
「問答無用!」
ウォーターバレット! ドバァ――ッ! ザバーンッ!
「う、うわああああああ――っ! ぴぎゃっ!」
俺のかなり手加減したウォーターバレットはラッセルをフィールド上から吹き飛ばし、そのままの勢いで観客席手前のフェンスに叩きつけた。
「馬鹿な……こ、この僕が――こ、これが女神様に選ばれた者の力……素晴らしい……」
フェンスにめり込んだラッセルは最後に何か呟き、ガクリと気絶した。
ちょっとあっさりすぎたか。もっと苦戦したほうが演出としてはよかったかも。
「俺の勝ちだよな?」
「えっ、あっ!」
茫然としていた審判に確認を取ると、慌てて俺の勝利を告げる。
それに合わせて俺は拳をぐっと掲げた。
会場は大いに盛り上が――
『…………』
『…………』
『…………』
客席は静まり返ったままだった。おい、ちゃんと勝ったんだが?
もっとこう、湧き立ったりしないの?
「うわぁ? すごいんだよぅ!?」
「いや、圧勝しすぎなのだよ?」
「あの寵児を一撃とは驚きなのですよ……!」
ラルキエリたちのほうを見ても無邪気に喜んでいるのは女教師だけだった。
おかしい……納得がいかん。何はともあれ。
こうして俺たちはラッセル一派に勝利した。
◇◇◇◇◇
ラッセル一派との決闘から一週間後。
「ほらほら! もっとスピードを上げて走るのだよ!」
『いちにーさんしーとーらっくー! にーにーさんしーとーらっく!』
うららかな日差しの午後。
列を作って学園内を走る生徒たちを監視しながら読書をするラルキエリを見つけた。
「よう、ラルキエリ。研究はどんな具合だ?」
「ふむ、なかなか順調なのだよ? 研究費も五倍に増えることが決まったしね?」
そういえば決闘前にラッセルとそんな約束してたな。
ちゃんと果たされるのか。
それはよかった。
「ところで、トレーニングの成果をさらに上げるため、騎士がやっている重い砂袋を担いで持ち歩く鍛練を参考にしようと思ったのだがね? あれは実に非効率だと思うのだよ? もっと理にかなった動作で特定の部位に負荷を与えるようにすれば筋肉を効率よく鍛えることができるはずなのだよ? 今はその運動を行なうための専用器具を作れないか、人体の構造を分析しつつ模索しているのだが――」
「…………」
考えているらしいアイディアをベラベラ喋り出すラルキエリ。
ひょっとしてこいつ、現代にあったウエイトマシンの概念を自力で思いついたのか?
俺は何も言ってないのに。すごい発想力だな……。
ラルキエリの天才性に感心していると、ランニングの列で先頭を走っていた金髪が駆け寄ってきた。
「やあやあ、グレン君じゃないか!」
ラッセルだった。
走っている集団はラッセル一派であった。
彼は決闘で敗北した後、なぜか取り巻きを連れて筋トレ理論の実験に積極的に参加するようになっていた。
「グレン君、今度一緒に食事でもしないかい? 女神様に選ばれた君が広めようとしている魔法の理論を僕はもっと知りたいんだ!」
汗に濡れた前髪を流しながらラッセルが微笑む。
ラッセルは決闘でブッ飛ばした後、気持ち悪いくらい友好的になった。最初は頭をぶつけたショックでおかしくなったかと思ったのだが、どうやら彼は俺が女神様に気に入られていたことを知ったようで、そこで何か感情の変化が起こったらしかった。
そういえば精霊とか神様に対してやたらリスペクトしてる感じだったもんな。
けど、筋トレは女神様と関係ないんだよなぁ……。
ま、侮辱だなんだとうるさく言わなくなったのは楽だし黙っておこう。
『いちにーさんしーとーらっくー! にーにーさんしーとーらっく!』
「ほ、ほら、もっと声出して走るんだぁ」
「スピードが遅くなっているのですよ!」
ポーンやフィーナたちには筋トレ理論の先輩ということで新参のラッセルや貴族生徒たちを指導する側に回ってもらっている。
ポーンは性格的に厳しくすることに抵抗があるみたいだが、身分に関係なくビシバシやれと言ってあるのでそのうち慣れるだろう。
「くっ、わたくしを負かした平民の男に命令されるなんて何という屈辱……でも彼の言葉に逆らえないッ……はあ……はあ……」
「ちっ、従者の女ごときが偉そうに指示を……けど、あの女に殴られたときの痛みを思い出すと胸がモヤモヤする……なんだこれは……」
一部の貴族生徒は悔しげな言葉とは裏腹にどこか喜んでいるような?
……気のせいかな。
そんな感じでランニングを行なうラッセル軍団。
そういえば集団のなかにハムファイト君の姿がない。
校内でもあれから一度も見かけていなかった。
彼はどこにいったんだろう……。まあ、深く考えてもしょうがないか。
あれから、学園は少しだけ変わった。
どこら辺が変わったかというと、青白い顔で本を読む生徒が減り、代わりに敷地内で運動をする生徒が多く見られるようになった。
発達してきた筋肉を互いに見せ合う生徒たちの微笑ましい光景もよく目にする。
制服の代わりに動きやすいジャージを普段着にしている者も増えた。
売店では回復ポーションの売れ行きが伸びているとかいないとか。
汗を流して己を鍛えるようになったモヤシ生徒たちを見ると成し遂げた気がしてこそばゆい。
……あれ、ちょっと待て。
俺ってこんなことをしにきたんだっけ?
「なあ、俺って今までなにやってたんだろうか……」
「え、今頃なのですか?」
寮の部屋に戻って相談すると、メイドさんは驚いたように目を見開いていた。




