信頼と挽回
寵児の名を持つラッセルに決闘を申し込まれ、それを数日後に控えたある日の朝。
俺は学園の敷地にある森の中を散歩していた。
ふう……たまにこういう緑のある場所を歩きたくなるんだよな……。
ひょっとしたらエルフの身体が本能的に自然を欲しているのかも。
この前は少し壊しちゃったけど。
木々の隙間から朝日が漏れる。
――チュンチュン……
――キシャアアアッ……
――グルルルルッ……
森の動物たちの声が聞こえた。
バキバキッ……。
ミシィミシィ……。
ズシンズシン……。
動物の蠢く音。生命がそこにいる証だ……。森に行くって言ったらメイドさんがあそこは危険な場所だとか、深淵がどうとか言ってたが、いたって普通の森じゃないか。むしろ大自然を間近に感じられて心地がよいくらいだ。まだ浅めの場所だというのに森の深くにいるような懐かしさを覚える。
鼻歌を歌いつつ、たまに飛び出してきた魔物を跳ね飛ばしながら森の散歩を続ける。
むむっ?
誰かが木のうろで丸くなって寝ているの発見した。
「くすんくすん……」
高い声。女性のようだ。泣いているのか? 近づいて顔を覗き込んでみる。
「あれっ、この人って基礎魔法の……」
そこにいたのは基礎魔法の授業を担当していた若い女教師であった。
なんでこんなとこにいるんだ?
「あの、大丈夫ですか?」
普段は手入れの行き届いた艶やかな金髪はボサボサ。
頬や衣服には泥がこびりつき、化粧で塗りたくられていた顔もスッピンで若干幼く見える。
鼻が痛くなるくらい漂っていた香水の匂いもせず汗臭い。
いつも目障りなくらい身だしなみに気を遣っていた彼女がこんな姿で外にいるとは。
「おーい、大丈夫ですかー」
彼女にはあまりよい印象を持っていない。
だが、ここまで平時とかけ離れた状態でいればさすがに心配だ。
「ああ、幻聴が聞こえるよぉ……。こんなところに人の声がするわけないもんね……」
起き上がる体力もないのか、こちらを見ることもせずブツブツ……
そりゃエルフなので人じゃないですが。
ここまでボロボロなのは魔物に追いかけられたりしたのかな。
「ついにお迎えが来ちゃった……うふふ。わたし、ついに死んじゃったんだぁ……」
「おい……」
「ううん、でもそのために深淵の森に入ったんだもん、これでよかったんだよぅ……」
ホント、何があった。
これは穏やかじゃない。
そういえば前世の世界でも自殺の名所として森が人気だったとかそうでないとか。
「悪いことは言いませんから帰りましょう? 道に迷ったなら俺が案内しますよ?」
俺は優しい口調で声をかける。
これから散歩コースになるかもしれん場所で顔見知りの死体が残っていたら歩きづらくてしゃーないしな。
「でもねぇ? 戻っても何もいいことないんだよぅ?」
めそめそ……。
また泣きべそをかきだす。
めんどくせえなぁ。
「わたしねぇ、これでも学校の先生をしてるんだよぅ? でも、生徒のみんなからぁ、なぜかあんまり好かれてないみたいなの……」
なぜか……だと!?
俺は思わず耳を疑った。
「基礎魔法のみんなにはねぇ? わからないことがあったらいつでも質問に来ていいよって言ってたんだよぅ? けど、誰も聞きに来てくれなくてぇ? 最近は……ついに授業にすら来てくれなくなっちゃったの……!」
…………。
彼女は涙でよく前が見えていないのだろう。
俺がその授業をすっぽかした一人であることに気が付いてないようだ。
「おかしいなぁ……これでも頑張ってたんだけどなぁ……どうしてこうなっちゃったんだろ。やっと、先生になれてぇ……みんなと一緒に勉強していけたらいいなぁって思ってたのに。やっぱり失敗ばっかりしてるからぁ……みんな嫌になっちゃったのかなぁ」
失敗とか、そういう次元の話で済むクオリティだっただろうか?
あの授業じゃ見切りをつけられて当然だとは思うが。
「先生がキレイなほうがみんなのやる気が出ると思ってぇ、毎日お化粧とか髪型とか頑張ってセットしてたんだよぉ。みんなが楽しく勉強できたらいいなって、授業中は明るい喋り方を心がけたりもしてたんだよ……」
…………。
「音楽を聴きながらだと勉強の効率が上がるって聞いたら、自分で考えた曲を鼻歌で流して……いろいろ工夫もしてたのに……。ああ……授業じゃない時間でも頼りにされるような、そういう立派な先生になりたかったなぁ……」
しゃっくりをしながら、女教師は言う。
「わたしって……教師に向いてなかったのかなぁ?」
「…………」
「もう疲れたよ……眠ってもいいかな……」
丸くなって永眠モードに突入する女教師。
いや、まだ死にませんから。
俺はお迎えの声じゃないんで。
アレ、ふざけてたんじゃなかったんだ。
真面目にやってるつもりだったんだ……。
つまりこういうことか? 彼女は頑張る方向性を間違えていただけでやる気自体はあったと。
ならば――
「先生は回復魔法を使えますか?」
「ふえぇ……?」
俺は彼女にやり直す機会を与えてみることにした。
◇◇◇◇◇
数時間後。塔の前にて。
「――というわけで、今日から先生も実験の手伝いをしてくれることになった」
「みんなぁ? よろしくだよぉ?」
俺が紹介し、女教師が挨拶する。
「…………」
「…………」
「…………」
ポーンやツインテ少女たち、筋トレ受講者らは芳しくない反応だった。
まあ、評価は地の底だからな。
妥当というか、然るべき態度というか……。
「み、みんなぁ? 先生もぉ、いっしょに頑張るからぁ? えいえいおぅ? なんだよ?」
シーン……。
見てらんねえ。
「先生、そのノリはダメって言ったでしょ。あと動きやすい格好で来るように伝えたよね。なんでそんなヒラヒラした服なの?」
「ええ? これでもぉ、一番あっさりしたお洋服だよぉ? お化粧もちゃんと薄めにしてきたしぃ?」
レース付きのワンピースを引っ張りながら女教師が言う。
うわぁ……。
「「「…………」」」
ますます冷たくなる生徒たちの視線。
イラッって効果音がここまではっきり聞こえるなんて。
大丈夫かな……。
ちょっと……いや、かなり微妙な雰囲気だけど。
とりあえず頑張ってね。
案の定、女教師と生徒たちの間にトラブルが起きた。
「何よ、さっきから! がんばれ、がんばれって! こっちは最初から頑張ってるっての!」
ブチキレたのはツインテ少女だった。
息を切らしながら怒鳴っている。
「のほほんと見てるだけで! あんた、あたしたちのことバカにしてるんでしょう!」
「そ、そんなことないよう……? ただ応援したくってぇ……」
「あたしたちは真剣に魔法を覚えたいの! あんたのいい加減な授業で無駄にされた時間を取り戻して、期待して送り出してくれた地元の皆に報いたいの!」
「い、いい加減だなんて……」
「だったら、あんたも筋トレやってみなさいよ!
「あう……」
「グレン君が言わなきゃ、あんたが近くにいるだけで我慢ならないっていうのに……」
女教師を庇う生徒は誰もいない。
気まずそうに目を逸らす者はいるが、ツインテ少女を諭す者は皆無だった。
つまり、女教師が目障りだというのは彼女らの総意なのだ。
「できないでしょ? お高くとまってるあんたに、才能のないあたしたちと同じ泥臭いトレーニングができるわけ――」
「や、やるよぅ! 先生もぉ、みんなと一緒に筋トレェするよぅ!」
「はっ? あんた、ほ、本気なの……?」
「ほんきだよぉ!?」
そういうわけで、女教師も筋トレをすることになった。
拡がっていく筋トレの輪。
いい汗かいてくれよ。
◇◇◇◇◇
そして、いつも通り深夜遅くまで筋トレは続き――
「がんばれぇ……先生もがんばるからねえ……うっ……」
バタッ。
肉体的な疲労は回復魔法でリカバーしていたが、精神のほうが限界を迎えて女教師は倒れた。
彼女は倒れるまで……最後までトレーニングについていったのである。
「…………」
「…………」
「…………」
生徒たちは気迫に圧倒されて何も言えない様子だった。
彼らは徐々に量を増やしてきて今日のメニューまで至った。
女教師はそれを最初からこなしたのだ。
◇◇◇◇◇
回復魔法で癒せるのは肉体的なものに限られている。
精神的な疲れ――要するに脳の疲労まで取ることはできない。
よって、トレーニング終了後は最低限三時間の睡眠を取らせるようにしていた。
今はインターバルの時間帯。
生徒らが休息している間、俺たちはラルキエリの研究室に集合していた。
「うう……皆がなかなか心を開いてくれないよう……」
バテバテで床に寝転び、呻く女教師。
すっかり消沈しているな。
「信頼は得ることは難しいが失うのは容易い。失い続けて底を突き抜けたあなたの評価は易々と覆らないだろう……なのだよ?」
試験管を磨きながらラルキエリが呟く。
さり気に含蓄のあることを言うではないか。
「まあ、一日二日でどうにかなるもんじゃないよな」
とはいえ、今日の執念を見て彼らも少しは見直したと思う。
「ぐうぐう……」
俺の慰めが届いたのかどうか。
女教師は爆睡していた。
◇◇◇◇◇
翌日。
「いちにーさんしーとーらっく!」
「にーにーさんしーとーらっく!」
「さんよんーさんしーとーらっく!」
掛け声に合わせてグラウンドの外側をランニング。
「よし、この次の周でひとまず休憩だ!」
俺は彼らの後方をついて走り、数分おきに回復魔法をかけてやっていた。
これなら膝や腰を痛めずに長時間走ることができる。
もうすでに何十キロ走っただろうな……。
女教師も死にそうな顔になりながら最後尾をヘロヘロくっついていた。
今日はちゃんとジャージを着ている。
購買で買ったんだろうか。
ちょっとずつ受け入れてもらえるといいよな。
「次に前回の授業で僕の考案した魔法式の改良系を――」
「その術式の属性付与の記号には非合理的な要素が含まれるのでは――」
グラウンドの中心では魔法実技の授業が行われていた。
いつか自分たちもあそこに……そう思いながら平民生徒たちは身体を鍛えてるのだ。
ランニングを終え、グラウンドの隅っこで休憩中。
「ふん、落ちこぼれどもが学園の品格を貶めるような真似をいつまでやるつもりだ?」
授業を終わらせた魔法実技の教師が絡んできた。
今日も変わらず髪の毛がべたっとしている。
「はあ、ここはなんだか臭いな。魔術を極める者として、知性の欠片もない連中はこうも野蛮な汗を滴らせているものなのか」
魔法実技の教師は鼻を摘まみながら嫌味全開で嘲笑ってきた。
運の悪いことに、ラルキエリもルドルフも違う班を見ていてこの場にいない。
エルーシャも自分の授業を受けているので不在。
ひょっとしたら、だからこそ魔法実技の教師はあえて今突っかかって来たのかもしれない。
「…………」
「…………」
「…………」
ポーンたちは沈黙を貫いていた。
彼らには逆らって怒らせてはまずいという意識が働いているようだ。
口を閉ざして魔法実技の教師が離れていくのをただ耐えていた。
「こんな粗暴な真似を恥ずかしげもなくできるとは。落ちこぼれは心まで卑しいのだな?」
クククッと気味の悪い笑い声を上げる魔法実技の教師。
この前まではこれほどあからさまに馬鹿にしてこなかったのだが……。
ラッセルが筋トレ理論に真っ向から不快感を示したことで強く出てもいいと思ったのかね。
決闘に臨む前に彼らを精神的に潰されたらたまらない。
直接の暴力は働けないが少し黙らせるか。
俺がゆっくり立ち上がると、
「お、落ちこぼれなんてぇ、言っちゃダメなんだよぅ!?」
女教師が叫んだ。
え……ここであんたなの?
「むっ? 君は基礎魔法の……なぜ君が落ちこぼれたちと混じっている? しかもその恰好は……魔導士にあるまじき汗や泥に塗れて――」
「みんな頑張ってぇ? 頑張ってるんですよぉ!?」
ぷるぷる震えながら女教師は魔法実技の教師に詰め寄っていく。
「わたしもぉ? 昨日から参加してるケドォ! すっごくきつくて大変でぇ!」
「うわっ、なんだ!? なにをする!」
「これからなんですぅ! みんな、まだまだこれからなんですよぉ!?」
ぺちぺち。ばしばし。
女教師は魔法実技の教師を弱々しいパンチで叩いていく。
…………。
「がんばる方法がわかってればぁ……成長できるんですぅ! えいえい、ぽかぽか!」
「いたっ、やめろ! 叩くな! ちっとも痛くないけどやめろ! 鬱陶しい!」
相変わらずブリブリなのはうざったいが、それでも基礎魔法の生徒たちを庇っている。
ポーンやツインテ少女ら、生徒たちは困惑して眺めているだけしかできない。
「今まで結果がでなかったのはぁ……全部ぅ、わたしが悪かったんですよぉ? だからみんなを責めないでぇ……わああぁん……」
めそめそ、しくしく……。
女教師は泣き出してしまった。
どうすんだよ、これ……。
やがて、騒ぎを見つけた他の生徒たちが野次馬のように集まってくる。
「おい、あの先生、泣いてるぞ」
「もしかしてゼブルス先生が泣かせたの?」
「あの陰険な男、やっぱりそういう性格だったんだ」
「自分より若い女教師をいじめるとか趣味悪くねーか?」
ヒソヒソヒソ……
「なっ、私は……!」
魔法実技の教師は一瞬で悪役にされていた。
やっぱり見た目の清潔感とかって大事だよね。
若くて美人な女教師と髪がべたべたした不潔な男。
傍目から見てどちらが悪に見えるかと言えばまあ後者なのである。
次々と刺さっていく非難の目線。
「崇高な魔術を研究している私に基礎魔法のヘボ講師ごときが恥を……っ!」
怒りに任せて実技魔法の教師は手を振り上げる。
その手は言わずもがな。女教師を叩こうとしていた。
しかし、その手は途中で止まる。
「……!? 貴様ら……」
筋トレ受講者の生徒たちが女教師を取り囲むように集まって実技魔法の教師を睨んでいた。
一人ずつでは弱い立場でも、これだけ団結して寄れば脅威として映るのだろう。
「ぐぬぬ……」
無言の圧力に押し負けて魔法実技の教師は手を下ろす。
「いいか! 今度の決闘で君たちが敗れることがあれば、その時は君のことも理事長に報告して責任を追及してやるからな!」
捨て台詞を残して魔法実技の教師、ゼブルスは去って行った。
プライドの高い男だ。
いつか筋トレをやらせて改心させねば……。
「み、みんなぁ……」
生徒たちが自分を庇ってくれたことに気が付いた女教師は目をウルウルさせた。
だが、
「別にあんたのこと先生と認めたわけじゃないからね……勘違いしないでよ!」
「う、うん……そうだねぇ……」
女教師は昨日のラルキエリの言葉を思い返しているのだろうか。
目を伏せて寂しそうに頷いた。
「……でも、筋トレを一緒にする仲間だってことは認めてあげる」
「…………!」
ツインテ少女、それはツンデレというやつだな。
「よし、休憩も済んだし、次はサーキットの筋トレだ!」
「「「はい!」」」
俺の号令で動き出す生徒たち。
「うふふぅ? 疲れたらぁ、わたしがぁ、みんなに回復魔法かけてあげるんだよぉ?」
「だから、そのふざけた喋り方をどうにかしなさいよ!」
「ふぇえん……普通にぃ? してるんだよぅ?」
笑いに包まれる一同。
女教師は少しだけ、信頼を取り戻せたってことでいいのかね。
雨降って地固まる?
やはり筋トレは心を澄ませ、わだかまりを取るのだ。
けど、ドライブはもっといいぞ。
いつかみんなと青空の下を走ってみたいものだ。
そのためにはもっと鍛えてやらないと。
そんな感じで、ちょっとだけ人間関係に変化を加えながら時は過ぎ――
いよいよ、決闘の日がやって来た。
本当は次の話もできてから連続更新にしたかったんですが……。
間が空き過ぎてやばいので投稿。
次話は近いうちに投稿できるよう書いてます。




