才媛と塔
扉を開けて塔の中に入る。
塔の内部は意外にも埃はなく、掃除が隅々まで行き届いているようだった。
誰かが定期的に清掃を行なっているのかな。
「エルーシャ。才媛とやらはどこにいるんだ?」
少なくともこのフロアにはいない。
ここにあるのは物置っぽい部屋の扉と使われなくなった椅子や机の残骸だけである。
「ラルの研究室は一番上だよ。まあ、この塔は全部ラルの所有物だけどね」
才媛ラルキエリは生徒でありながら優れた魔術研究者でもあるため、学園から研究する場としてこの塔を丸々与えられているらしい。
よっぽど期待されてるんだな。
イチ生徒にそこまで特別待遇するなんて。
感心しつつ、俺はフロアの端にある階段を上ろうとする。
「あ、まっちまっち。わざわざ上らなくて大丈夫だから。こっちゃきんさいな」
それ、どこの方言?
謎の言葉を発しながらエルーシャは俺を物置と思われる扉の前まで引っ張っていく。
「ふふん、ちょっと見ててよ?」
エルーシャが扉の横に埋め込まれた石に触れると、
――ヴィイイィィン……。
うおっ? なんだなんだ?
チーン。
音がして、扉が左右に開いた。
「ほら、入って。これに乗れば上まで運んでくれるから」
開いた扉の向こうは三畳くらいの小部屋になっていた。
運んでくれるってまさか……。
これって、元の世界にあったエレベーター的なやつか?
物置かと思っていたらとんでもないハイテクだった。
「魔力を感知して動くんだよ。すごいよね?」
慣れた感じでエルーシャは入っていく。
いろんな意味で驚いた俺はリュキアと一緒に後に続いた。
チーン。再び音がして扉が開く。お、着いたか。
「おーい、ラルぅ。連れてきてあげたよぉ」
さて、いよいよ才媛とご対面だ……。
「くぅ……くぅ……」
最上階の部屋では、椅子に座ったまま一人の少女が寝ていた。
瓶底眼鏡にボサボサの桃髪。
人間の顔は覚えづらいのであやふやだが、前会ったときに印象的だった特徴と一致してる。
間違いない。彼女が才媛ラルキエリだ。
「うぎぎ……もうポーションはいやですぅ……」
才媛の足元では、栗毛色の髪の少女がうつ伏せでうなされていた。
…………。どう反応すればいいんだこれ。どんな状況だよ。
「もう! ちゃんとこの時間に会いに行くって言っておいたのに! ラルったら、また遅くまで研究してたのね!」
頬を膨らませるエルーシャ。
……俺は迎えにくるって一言も言われてなかったんですがそれは。
エルーシャは羊皮紙やら試験管やらが散らばった床を器用に歩き、才媛のもとに向かう。
「ラルが会いたがってたグレンっちがきたんだよ! 話したいことがあるんでしょ!」
「う、うぅ~ん? ……なのだぉ?」
エルーシャが揺さぶると才媛は唸り声を上げて目を覚ます。
寝ぼけてるみたいで語尾が少し怪しくなっていた。
「はっ、エルーシャ……? それに君は……!」
俺たちがいることに気付いた才媛は意識を急速に覚醒させる。
「フィーナ、起きるのだよ! 彼が来ているのだよ!」
「ふひぃ……ラル様、まだ全身が痛くて起き上がれませんですよ……!」
うつ伏せのまま悲壮な声を上げる少女。どこか怪我をしてるのか?
だったら無茶をさせるのは頂けないぞ。
「いえ、ただ体中が筋肉痛なだけなのですよ……! ふぇい……」
「うむ、彼女には君が語っていた筋肉魔法強化理論に我輩の着想を交えたものを実際に取り組んでもらっていたのだよ?」
ええ、アレをマジでやったの? あんなデマカセとこじつけを?
確かに流行らせようとしてたけど……。
こんな限界まで追い込んで実践するやつらが早々にでてくるとは思わんかったわ。
「君に早く結果を報告したくてな。ポーションを絶え間なく飲ませて疲労を急速回復させ、通常三か月分のメニューを四日間に詰め込んで実行したのだよ。おかげで在庫のポーションがすっかり消えてなくなったのだよ?」
わははと笑う才媛。なんてマッドな女なのだ……。
三か月分のトレーニングを四日でやらせるとかヤベーだろ。
「とりあえず、我々の成果を見てほしいのだよ? フィーナ、早くするのだよ?」
「ラル様ぁ……無理なのですよ……脚とか腕とかバキバキなのですよ……」
「我慢するのだよ……フィーナ? もうポーションはすべて使ってしまったのだ。次の支給があるまでは自然治癒しかないのだよ?」
「うええ……」
うーん、これはちょっと可哀想。
俺にも原因の一端はあるし、こっそり回復魔法をかけてやろう。
ほいさー! ビビビッと魔法を放つ。
「……!? あれぇ? なんかいきなり身体が軽くなったのですよ!」
元気になった途端、彼女はマッスルポーズをとってアピールしだした。
筋肉が超回復して覚醒したのか?
この鮮やかな爽快感を他の学生にもぜひ味わってもらいたいところだ……。
「むむっ? 今のは……!」
才媛の目がギラッと光った。俺の魔法に勘付いたのか?
まあ、なんも言ってこないしスルーで。
「なあ、あんた大丈夫なの?」
復活した少女にそれとなく訊いてみる。
扱いとか見てるとイジめられたりしてんじゃないか心配になんだけど。
「心配はいらないのですよ! 正直、めちゃくちゃ辛かったですが、これはわたくしも望んだことだったのですよ!」
「そうなの?」
「はいですよ!」
疲れが取れたせいか、語尾がハキハキしてきた。
いいことしてやったわ。久々に徳を積むことをした気がする。
「元気になったようだし、フィーナ、頼むのだよ?」
「はい、ラル様。お任せなのですよ! むむっ……プチファイア!」
眉間に皺をよせ、真剣な表情で呪文を唱えるフィーナ。
すると、彼女の指先に微量な炎がほんのり灯った。
一体……?
「ぐぎぎぎ……限界なのですよ……! ふうふう……」
早えな、おい。
で、これがなんだというのだ?
魔力があるなら魔法を使えるのは普通じゃないか?
俺が疑問を持ちながら目線を送ると、
「君も知っていると思うが、魔力の操作は身体が成長してからコツを掴むのは大変難しい」
ラルキエリが眼鏡をクイッと上げて説明を行う。
……ああ、そういうえばそういう話もありましたね。
「フィーナは魔力があるから我輩の従者をしつつ学生としても学園に籍を置いている。だが、彼女は平民出身で幼少期に魔力を循環させる教育を受けていなかったのだよ? おかげで今日までロクに魔法を使えていなかったわけだが……」
「ふふ、この数日間、ひたすら無茶苦茶な量の鍛錬を行った結果! なんとわたくし、僅かですけど魔力の循環を感じ取ることができたのですよ! 筋肉が発達するとともに……こう、不思議と全身をわぁーっと何かが駆け巡る感覚が押し寄せてきたのですよ!」
力こぶを見せつけるように腕を曲げながらフィーナが興奮気味に言ってきた。
マジで? マジなん?
それホントに筋トレのおかげなの? 嘘だろ……。
「実験期間中は本気で死ぬかと思ったのですよ! 意識を失うたびにラル様からポーションをぶっかけられて起こされ、失っては起こされを繰り返し。眠くなってもこれまたポーションで眠気を取り払って睡眠時間までを鍛錬に宛がって……」
その時のことを思い出したのか、彼女はぶるるっと身を震わせた。
うーん、よほどハードなキャンプを繰り広げたっぽい。
ようやるもんだわ。俺が言うのもあれだけどw
「ま、要するにだよ? フィーナの実験結果によって、身体の強度を上げることが魔力操作や能力の向上と関わりがある可能性がありえなくなくなったのだよ?」
才媛の表情は冗談を言っているようには見えない。
……ネタではないのだ。
学園の空気を変えるためのデマカセがガチになっちまった。
なにこれこわい。
「我輩はもとより魔力の増幅や制御を後天的に鍛える方法はないのか研究していたのだよ? 術式の構築を研究するだけでは魔導士そのものの成長は見込めないからな。だが、イマイチ発想に行き詰っていたのだ……。しかし君の筋肉を鍛えるという言葉を聞いてこれだとビビッときたのだよ!」
「でもお前、授業を見に来なかったじゃん」
「わ、我輩があんな大勢の前に出ていったら注目の的なのだよ? 陰口を叩かれるのは目に見えているのだよ? そんなのは怖いじゃないか……物陰からこっそり窺っていたに決まっているのだよ……」
ラルキエリが指先をつんつん合わせながらしどろもどろに言い訳する。
そういえばこいつって有名人なんだっけ。
いろいろ大変そうっすね。でも、陰口とかはきっと自意識過剰なだけだと思うよ。
「……あなたも相当話題になっているのですよ? 生徒としてエルフが学園にきたというのは学園内外を問わず噂になっているのですよ?」
フィーナに指摘される。あ、そうなの? まったく気づかなかったわ。
「はあ……我輩も君やエルーシャのような無神経さが欲しかったのだよ?」
森育ちの繊細なエルフをつかまえて何言ってんだ?
まあ、とにかく。
どうやら本当に筋トレには何らかの効果があるらしい。
一体どうしてこんなことになったのか。
「これはまだ仮説なのだが、フィーナが魔法を使えるようになったのは身体が強化されたことで強い魔力を流すことに耐えられる肉体になり、魔力操作が覚束なくとも魔力量で強引に押し切れるようになったのが原因だと思うのだよ?」
完全に脳味噌筋肉なやり方じゃねーか。筋トレだけに。
けど、燃費が悪かろうが魔法を使えなかった者が使えるようになるのだ。
この際、効率云々は気にしなくていいのかもしれん。
「あと、身体の強化に伴い貯蔵できる魔力量も増えていく兆候があったのだよ? だから、もしこの理論が確立されれば幼少期に指導が受けられなかった平民の生徒だけではなく、魔力量が少ないせいで魔導士として落ちこぼれの烙印を押された貴族の子弟たちも努力次第では挽回することができるようになるかもしれないのだよ?」
よくわからんが筋トレで救われる連中が出てくるということでいいのかな。
筋トレで誰もが幸せになれるならいいことだと思うよ。
知らんけど。
「しかし、フィーナだけでは十分なサンプルとは言えないのだよ? 確実な理論として発表するにはもっと大勢の実験動物……じゃない、被験者で個々のパターンや効果的なメニューの組み合わせを検証してみる必要があるのだよ」
……これは筋トレを一気に学園に広めるチャンスではなかろうか。
才媛の異名を持つラルキエリの名前で推奨されるなら、この前の授業で興味を持ちながら二の足を踏んでいた連中も一気に呼び込めるかもしれない。
しかも嘘じゃないなら後ろめたさを感じず布教が行なえる。
「よし、任せろ。俺が協力してくれそうなやつに声をかけてやるよ」
多分、フィーナと同じ立場にいた基礎魔法のやつらなら何人か乗ってくれるはず。
「おおっ、頼もしいのだよ!」
ラルキエリは小躍りして喜んだ。
余談だが。
ラルキエリの話に速攻で飽きたエルーシャとリュキアはいつの間にか部屋の隅にあったジェンガっぽい玩具を見つけて二人で遊んでいた。
◇◇◇◇◇
そんなこんなで翌週の基礎魔法の時間。
「うふふぅん? 今日もぉ、みんな、お疲れ様だよぅ? わからないことがあったらいつでも講師室にきてねぇ?」
ぷるんぷるん。ぽよよん。ガラガラ、ピシャッ。
女教師はスキップをしながら出て行った。
やれやれ、相変わらずヒデェ授業だった。
いつも通り諦観した表情で次の授業に向かう準備を始める基礎魔法の生徒たち。
もう半分くらい魔法を習得することを諦めてしまっているのだろうか……。
だが、今日はそのまま帰したりしないぜ。
「みんな。ちょっと話があるんだが。少し聞いてくれないだろうか?」
俺は立ち上がり、彼らを見回して声をかけた。
集まる視線。
俺はラルキエリの名前を出して筋肉強化理論の説明を始めた。
なんのため? そりゃもちろん、お前ら、一緒に筋トレしない? って誘うためさ。
数日後――
ラルキエリの塔は、むんむんした汗の熱気と声で満ちていた。
「うおおおおおおお!」
「どりゃあああああ!」
「ふんふんふんふん!」
一階から最上階まで、階段ダッシュで駆け上る生徒たち。
他のフロアでは別メニューで筋トレに精を出す者もいる。
実に盛況。筋トレ理論の参加者で塔は大賑わいであった。
いやぁ、まさか教室で声をかけた連中全員が参加するとは思わなかった。
よっぽどあの授業に嫌気が差していたんだろうな。
この実験が始まってから、彼らは基礎魔法の授業に出ないことを決めた。
開始数日で僅かながらの成果が出たのも大きいだろうが、他に選択肢がないから仕方なく参加してたってのがよくわかる見切りっぷりである。
あの女教師の面子を潰すような真似をしたのは悪かったかもしれん。
だが、こっちだって無意味に精神を削られに行く変態趣味はないのだ。
人間にとって時間は有限。俺以外のやつらは人生もかかっている。
そういうわけで、勘弁してほしい。
「グレン……頼む……ゼエゼエ……やってくれぇ……」
最上階まで駆け上がってきたポーンが息を切らしながら前にきた。
「ほいさー!」
ポーンに頼まれ回復魔法をかけてやる。
ラルキエリはフィーナに回復魔法をかけたのをやはり見抜いていて、足りないポーションの代わりをこうして俺に頼んできた。
まあ、これくらいでいいならいくらでも協力してやるさ。
「よし、元気になった! また十往復してくる!」
疲れ切っていたポーンはスッキリ元気爽快。
再び階段を勢いよく下りて行った。
こうやって休息の時間を短縮し、鍛練の密度を上げることで大きな成果を短期間で得ることができる。
俺だから一人で回していられるが、普通なら大量のポーションか複数の人員を必要とする強引な方法である。
データが揃って実用化が見込まれるまでは俺が規格外さをフル回転させてコスト軽減に尽力するつもりだ。
「あ、あたしにも回復魔法を……」
げっそりしたツインテ少女が救いを求めるように手を伸ばしてくる。
俺は横に控えるラルキエリに確認を求めた。
「ダメなのだよ? 君はまだ五往復しかしてないのだよ? あまり頻繁に回復をしても筋肉強化の妨げになるだけなのだよ?」
ラルキエリが首を横に振ったので俺もそれを肯定するように頷く。
「う、うぐぅ……そんなぁ……」
ツインテ少女は吐きそうな顔をしながら階段を下りて行った。
お前のためだ。俺も心をオーガにするのはつらいんだぞ。
「つか、お前、よく一人一人の回数を覚えてられるな。俺は顔すらあやふやなのに」
「我輩は研究者なのだよ? それくらい覚えられなくてどうするのだよ?」
座って本を読みながら平然と言ってのけるラルキエリ。
はえー。研究者ってすっげえ……。
ラルキエリによってしっかりと理論立てて行われる筋肉強化論の検証は順調だった。
やはり個人差はあるが、基礎魔法学に参加していた生徒たちはこれまでの時間がなんだったのかと思えるくらいに次々と魔法を習得していった。
もちろん、まだその威力は貴族の生徒たちの足元には及ばないが。
それでも大きな進歩、驚異的な成長速度なのは間違いない。
最近では他の時間に基礎魔法を取っていた平民生徒たちが噂を聞きつけて参加を願い出てくるほどである。
俺だけじゃここまでできなかったな。
◇◇◇◇◇
本日は午前中のトレーニングを済ませた後、皆で集まって昼食をとることにした。
こういう交流の時間は大事だぜ。
王立魔道学園の食堂は貴族の子弟が多く通っているだけあって、出てくる食事の内容は一級品である。
しかもほとんどタダでいい大盤振る舞い。
こういうところには金をかけてるんだよなぁ……。
「はぐはぐ……もぐもぐ……」
正面に座るツインテ少女はやたらカロリーの高そうなメニューばかりをチョイスして皿に盛りつけ大量に口へ運んでいた。
「なんでそんなにいっぱい食べてんだ?」
「うっ、グレン君……」
俺が訊ねると言葉を詰まらせるツインテ少女。
見た感じ苦しそうに食べてるし大食いってわけじゃなかろうに。
「なんかね、ここのところたくさん筋トレしたせいで腹筋が割れてきちゃったんだって。でも筋トレの量は減らせないから食べて脂肪をつけることに――」
「このデブゥ――ッ! 余計なこと言ってんじゃないわよッ!」
「ぶひぃ! ごめんなさい!」
勝手に喋った小太りの男子生徒は脛を蹴り飛ばされて泣いた。
それを見て他の生徒たちは愉快そうに笑っていた。
そういや、このデブは筋トレして走ってるのに全然痩せないな。
ある意味で才能だ。
と、まあそんな感じで、彼ら彼女らは心なしか以前より生き生きとした表情を見せるようになっていた。
徐々に、それでも確実に成果が出ていることで自信というものを持ち始めたのかもしれん。
緩やかな雰囲気。閉塞感のない和気あいあいとした会話。いい傾向じゃないか。
こんな光景があちらこちらで見られるようになれば、俺もこの学園に来た甲斐があったというものだ。
……ん? 俺はこんなことをしに来たんだっけ?
自分の行動に少々疑問符を掲げながら俺はフォークに肉を突き刺した。
ザッザッザッ――
…………!?
和やかな団欒。
そこに揃った足音を立てて謎の集団が近づいてきた。
逆三角形になるような列を組み、こちらに向かってくる。
お、先頭のオールバックのデカい鼻は見覚えがあるぞ。
どこで見たのかは忘れたが。
彼らは俺たちのテーブル付近までやってくるとピタっと停止をした。
なんだ? 俺たちに用事か?
「君たち。聞いたよ。平民のくせに我々と同じ学び舎に通うことを許されている立場で、随分と勝手なことをしているそうだね?」
集団の先頭にいたオールバック鼻でか金髪が口を開いてそう言った。
おいおい、こいつ、せっかく可能性の光が見えてきたやつらに因縁つけようっていうのか?
「学園が落ちこぼれどものために用意してやった慈悲、基礎魔法の授業を集団でボイコットしたというのは由々しき事態だよ?」
ぎろりと鋭い視線で金髪オールバック鼻でかは平民たちを見回す。
「そ、それは……だって、あんな……」
ポーンが代表して異を唱えようとするが、
「ほう、この学園のカリキュラムに何か不満でもあるのかな? それなら僕が直に学園長に君たちの声を伝えてやろうかい?」
「……っ」
平民であるポーンは権力をちらつかせた脅しの前には何も言えない。
ここは俺が言うしかないか?
いざとなったらテックアート家の名前を出すことも考えよう。
ただ、こいつの家が伯爵より偉かったらどうにもならん。
使いどころを間違えるとレグル嬢たちに迷惑をかけてしまうことになる。
「一体何の騒ぎなのだよ?」
どう出るべきか、対応に悩んでいると食堂にラルキエリがやってきた。
みんなで食ってるから来いと声をかけたのだが、珍しく乗ってきたようだ。
きっと隣に並んでいるエルーシャやフィーナが引っ張り出してきたのだろう。
「およ? なんか思ったより大勢いるね?」
「ふむ、ひょっとして新たな実験体……被験者希望かな、なのだよ?」
暢気な二人。
似た者同士だから惹かれ合ったんだろうな。
「才媛に……ニゴー子爵令嬢……」
金髪のデカッ鼻は苦々しい表情で彼女らを睨んだ。
「君たちはエルフと結託して学園の方針とは異なる何かをやっているそうだな。いくらなんでも驕りが過ぎると思わないか?」
早速の喧嘩腰ですわ。
さあ、ラルキエリ先輩、エルーシャ先輩、言ってやってください!
「むむ、君は……」
ラルキエリが神妙そうな態度で眼鏡を上下させる。
「君は一体誰なのだよ?」
そして首を傾げてそう言った。
「ら、ラッセルだ! ラッセル・マーサカリィだよ! 寵児の名で呼ばれる僕をなぜ君が覚えていないッ!?」
ラルキエリに覚えられていなかったことに取り乱すデカっ鼻。
ほう、この金髪が噂の寵児というやつだったのか。
「ああ……すまないのだよ? いや、我輩、必要のないことには記憶を割かないようにしているのだよ? 研究者として覚えておくべき大事なことが他にあるのでね」
そういえばルドルフとネタにして笑ったのもこいつだったっけ。
なんでかなぁ、あんまり記憶に留めておく気になれないやつなんだよな。
「こ、これまで何度も顔を合わせているというのに君はッ……。もういい! 口で言っても聞くつもりがないなら決闘だ! 僕の創設した倶楽部のメンバーと、君たちの代表者をそれぞれ五人ずつ出して魔法による試合を行なおうじゃないか! 僕たちが勝てばその王立魔道学園の品格を落とす見苦しい研究をやめてもらおう!」
「……おい、見苦しい研究だと? 君は我輩の研究を見苦しいと抜かすのか……なのだよ?」
寵児ラッセルの言葉にラルキエリが珍しく怒気のこもった声を出す。
研究を馬鹿にするのは彼女の怒りのポイントだったらしい。
「君らがやっているのは野蛮な兵士がする、みっともない鍛練の真似事だろう? 高貴なる学園の誇りと伝統を汚す行為と言って差し支えないよ」
「言ってくれるのだよ……。いいじゃないか! その決闘、受けてやるのだよ?」
ええっ!? という声がポーンたちから沸き上がった。そりゃそうだろ。
なんで当人たちの確認を取らずに受けちゃうんだよ。
「その代わり、我々が勝利したらこの実験に費やせる経費を五倍に増額するよう、君の実家の名前で学園に進言するのだよ?」
だから勝手に……もういいや。
どうせラルキエリがいなきゃまともに始まらなかった実験だし。
好きに決めてくれ。
「ふっ、よかろう。そんなことは万が一ないだろうが、あれば父上に話を持っていってやるさ。詳しい日程は追って伝える。……いいか、何があっても逃げようとするなよ? 僕は魔術の誇りを冒涜した君たちを許しはしないからな?」
バサァッとローブをはためかせて去って行く。
「ふん、持って生まれた才能だけで苦労を知らない坊ちゃんが。彼には泥臭く足掻かなければならない人間の気持ちが理解できんのだよ」
ラルキエリは忌々しいとばかりに寵児の背中を睨む。
お前も同じような天才じゃないの?
まあ、研究とかで忙しそうだし。
多少は大変な思いをしてるから違うのかな。
打倒ラッセルという目標を掲げることでより一層、熱が入るようになった平民たちの筋トレ。
「おらおら、この雑魚ども! もっと早く走らねーと回復魔法を有料にすんぞ!?」
決闘の噂を聞きつけたルドルフは面白半分でコーチとして実験に顔を出すようになっていた。
あいつも俺ほどではないがそれなりの回復魔法が使えるので班分けした生徒たちを見る役目を任せている。
鬼畜すぎて平民生徒たちから相当恐れられているようだが。
まあ、効率がよくなるのはありがたいことだ。
ラッセル一味との決闘は一週間後。




