成長と旅立ち
俺が転生してから二か月ほど経った。おめでたいことに隣家に住む両親の友人の家でも女の子の赤ん坊が生まれたらしい。
俺は美貌の母親とうんこの時は絶対におむつを取り替えようとしない薄情な父親に抱かれてお祝いの挨拶に向かった。
「ばぶー」
「だだー」
俺たちは赤ん坊同士で対面させられた。
隣の家の赤ん坊はシルフィという名前らしい。
彼女は人間でいう幼なじみというやつだな。エルフだけど。
両親と隣家の家族は向かい合う俺たちを眺めてニコニコしていた。どうやら赤ん坊同士の交流を見て和んでいるようだった。
ひょっとしたら将来運転手として乗せる相手になるかもしれないと思った俺は彼女に簡単なコミュニケーションを試みた。
だが、向こうは俺と違ってただの赤子。ハンドサインで意思の疎通を図ったものの涎まみれの指で顔を引っ張られるだけで終わった。
時間が経ってからすごい不快な臭いがして、近寄らなきゃよかったと後悔した。
―――――
そんな出会いを経ながら、人間の立ち入らない安全な里ですくすく成長した俺は十歳になった。
エルフの里には学校というものがちゃんとあって、俺はそこで同世代のエルフたちと魔法や歴史の勉強、楽器の使い方なんかを学んだりした。
ご主人も俺と出会う前はこうやって勉強していたのかなと思うと自分が同じような場所にいるのは感慨深かった。
女神様が仰っていた通り俺には秀でた魔法の才能が備わっていたが、俺は魔法にはまったく興味がなかったので身体を鍛えることにだけに終始していた。
なぜ鍛える必要があったのか。脚力はトラック時代と何ら変わらなかったものの、この体の腕力は人並みだったのだ。
誰かを乗せるのなら長い時間担いでいられる筋力が必要になる。
おかげで俺はエルフのくせに筋トレばかりしているおかしなやつという評判が立ってしまった。あの時もっと細部を詰めて注文しておくべきだった。
とある日の放課後。学校の庭でのことである。
「いいのグレン? じゃあ乗るわよ?」
隣の家に住む幼馴染みのシルフィは遠慮がちに言って、手足をついたお馬さん状態になった俺の背に跨ってくる。シルフィは白髪のロングヘアーが特徴の猫のようにくりっとした釣り目の幼女になった。
彼女は大人になったら里随一の美人になると酔っぱらったおっさんどもが噂する程度に将来の期待値が高い美幼女になっていた。
涎まみれの手でもみくちゃに触ってきた頃と比べると立派になったものだ。
成長を感じられてお兄ちゃん嬉しいぞ。実年齢は同じだけど。
「大丈夫? 重くない? どうしてもっていうから乗ったけど、これって何かの実験だったりするの?」
背中に乗っかる肉の薄い幼女の尻。シルフィは俺の思考を深読みして小難しいことをあれこれ勝手に想像しているようだった。
「ああ、この誰かを乗せている重量感が堪らないんだよな……」
シルフィの呟きを無視して、俺はご主人がシートに座っていた頃の感覚を思い出しながら恍惚の表情を浮かべる。
今は誰かを担いで走り続ける腕力はないけれど、力がついたら彼女をおんぶして山や森を駆け巡ったりするのもいいかもしれない。
予行練習のつもりで無理言ってお願いをしたが、誰かが乗っているというだけでもう堪らない気持ちになる。
これは早く成長して力をつけないといかんな。
「ごめん、グレン。すぐにおろして……」
俺が浸っていると、シルフィが真っ青な顔で震えながら俺の肩を掴んでそう言ってきた。
本人が降りたいというのならしかたない。
せっかくの充足感はもう終わりか。ところで何かおかしなことでもあったのだろうか。周りにいる同級生たちがなぜかひそひそと俺を見て囁いている。
「じゃ、じゃあね、グレン! また明日!」
俺の背から降りた途端、そそくさと俺を置いて去ってしまう幼馴染み。
いつもは一緒に帰ってるのになぁ。
急用でもあったのかな。だとしたら引き留めて悪いことをした。
俺は軽くなった背中に名残惜しさを覚えつつ、腑に落ちないながらもその日は一人でそのまま家に帰った。
次の日、俺はなぜか里一番のドМの変態野郎ということになっていた。
悪い意味で有名人になっていた。
両親はちょっとだけ俺によそよそしくなり、二歳年下の妹は一緒にお風呂に入ってくれなくなった。
わけがわからないよ。
俺が普通のガキだったらショックで家出するところだぞ。
―――――
そんな不幸な誤解で汚名を着せられたりした幼年期を乗り越え、数年が経った。
魔法は才能に任せて適当な感じに卒業できる程度でそこそこ修め、身体を鍛えることに集中した俺は里一番の腕力を持った十五歳の少年に成長していた。
まあ、エルフは強くなりたいなら魔法を練習すればいいという考えで肉体の鍛錬はほとんどしない種族だから里一番だからといっても大した自慢にはならないのだが。
それでも人を担いで山を走り回っても疲労を感じないくらいには鍛えてあるので外の世界に出ても非力な部類には入らないとは思う。
「じゃあ行ってくるよ」
十五歳の誕生日を迎えた俺は旅の支度をして家族や友人たちに見送られながら里の外れに来ていた。
一応断っておくと、別に変態扱いに耐え切れなくなって家出を決意したわけではない。
友人たちから変態だといじられたり、ハイヒールと黒いボンテージが似合う妖艶なエルフ美女から何に使うのか用途不明なカサの出っ張った十五センチ程の棒を誕生日に送られたりした日々であったが、別段逃げ出すほど苦痛ではなかった。
ではなぜ俺は里を出ようとしているか。
俺の生まれたエルフ里では十五歳を迎えると誰もが一度は外の世界に出て旅をしなくてはいけないというしきたりがあった。
そして里を出た後は最低でも一年間は戻ってくることは許されない。
いわゆるライオンが子供を谷に突き落とす方式の社会勉強的なものである。ちなみにここ数十年は外の世界が気に入ったのか、一年を過ぎても帰ってこない若者が増えているらしい。
このエルフの里ってクソ田舎でなんもないもんなぁ。微妙に納得できる。
「ふん! さっさと出て行っちゃえばいいのよ、この変態!」
発育が進んで酔っぱらいのおっさんどもの見立て通りの美人になりつつある幼馴染みのシルフィが腕組みをしながらしばしの別れだというのに俺を罵倒してきた。
十歳の時、校庭で跨ってもらったあの日以降、彼女はどうにも俺への当たりが厳しくなった気がする。
変態は嫌ということなのだろうか。
いつも一緒にいながら誤解を解けなかったのは何とも残念なことだ。
結局、あれを最後にシルフィは今日まで一度も俺に乗ってくれなかった。
なんやかんやで一番付き合いが長い友人だったので、俺は腕力を鍛えてようやく人を運んで走れるようになった頃、いの一番に彼女をドライブに誘ったのだが、顔を真っ赤にして怒りの張り手を食らわせられて拒否された。
『なんてことを言うの!?』とか涙目で言ってやがったが『俺の上に跨って、新しい景色を一緒に見ようぜ?』というオシャレな誘い文句が癪に障ったのかもしれない。
沸点の低い女だ。いや、もしかしたら彼女は車酔いが激しいのかな。それを恥ずかしがって暴力で誤魔化そうとしたのではないか。
どちらにしても理不尽な話ではあるけど。
二つ年上のお姉さんエルフが代わりに付き合ってくれなかったら俺はストレスで発狂していただろう。
そのお姉さんも二年前に旅立ってから一向に里へ帰ってこないので俺は大変フラストレーションが溜まっていた。
ああ、早く森を出てツーリングの旅に出たい。
俺は今回の旅をとても楽しみにしていた。掟とか抜きで外の世界に行って整備された道路を走り回りたいと常々思っていたのだ。
エルフの里の周りは獣道ばかりで全力をだせなかったからな。十五歳になるまでは里を出てはいけないという決まりがなければ速攻で飛び出していただろう。
出て行けという決まりがありながら出て行くなという決まりも同時に存在するとか、これを決めた連中は相当に捻くれている。
「ま、まあ、あたしも二か月後には里を出るわけだし? もしも寂しくて一緒に旅をしたいっていうなら考えてもあげなくないけど? その場合はほら、例のごとく一番近くの町で待っていてくれれば会いに行ってあげてもいいわよっ!?」
ちらちらっと俺の反応を窺うように小刻みに視線を寄越しながらところどころ裏返った声でシルフィは言ってくる。
「いや、大丈夫だ。俺は旅をすることには慣れているからな。多分近くの町はすぐ通り過ぎて数日で王都まで行くと思う」
俺はシルフィの煽りを適当にいなして予定している旅程を話した。俺はそんなに寂しがりに見えるのだろうか。
確かに里の中で恋仲だった連中は片割れが誕生日を迎えるまで近くの町で相手を待って、合流後にハネムーン感覚で二人旅を満喫したりもするらしい。
俺の両親もそうやって二人で世界中を何十年も周ってから里に帰ってきたと惚気て何回も自慢していた。
まあ、ロマンがあってそれはそれでいい話だと思うけど。
その一方で相方を待っている間に町で浮気をするやつもいるらしく、恋人を信じて会いに行ったら間女との情事の真っ最中に出くわしたなんてことも珍しくないのだとか。
ソースは俺の担任だった女教師エルフの体験談。
ちなみに浮気をするのは高確率で男の側らしい。
エルフは基本的に人間と比べて容姿端麗に生まれ育つ。
里では平均並みの容貌でも外へ出れば信じられないくらいモテモテになって、女性が光に吸い寄せられる蛾のように集まってくるのだとか。
遠くの美人より近くのなんとやらで、やばいと思っても迫られたら欲が抑えきれず手を出してしまうのが男というものなのだ――と、女教師エルフを裏切った元恋人の現在引きこもりのダメ男エルフは言っていた。
ちなみに町の浮気相手とは経済的甲斐性のなさを理由に全員からフラれたらしい。
『女を傷心させた男が傷心で里帰りか? この恥知らず!』と彼が針のムシロになっていた当時を懐かしく思い出す。
「とにかく大丈夫だから。お互い気を遣わず、それぞれ自由に旅を満喫しようぜ。お前が寂しいなら付き合ってやるけど」
「ぜ、全然寂しくなんかないし!?」
俺たちのやり取りを見て、母親や妹はなぜかやれやれと苦笑していた。
―――――
里を出てから数時間。
ようやく森を抜け、開けた道に出ることができた。
エルフの里から森を出るまで半日以上はかかると大人たちには言われていた。
これは距離以上に複雑な獣道に足を取られてしまうことが理由なのだが、俺は足元の障害物を容易く踏み潰して進める脚力を持っていたおかげで通常より早いペースで来れたようだ。
「法定速度もないだろうし、初っ端から九十キロくらいだしちゃおうかな……」
街道をまっすぐ辿って行けば最初に訪れることを勧められた町に行けるはずだ。どこまでも続いている整地された道路をキラキラ眺め、走り出す前に屈伸や前屈などの準備運動を行う。
ストレッチを終え、無限の彼方にさあ行こう!
……俺が気持ちを高揚させた直後である。
「ふひひっ。来たな、若いエルフだ。今回は随分早いお出ましじゃねえか」
「男じゃオレたちのお楽しみは少ねえが、美形揃いのエルフはそっちの趣味がある貴族に高く売れるからな」
「この赤髪エルフはいくらで売れるかねぇ!?」
下卑た笑いが聞こえ、何事かと辺りを見渡してみると、里ではついぞ見たこともないような醜悪な顔面を持った男たち十数人が俺を囲んでいた。
「うわっ、ぶっさ! おえぇっ!」
俺はあまりの不細工具合に胃液を吐いた。
元の世界では割とよくあった顔面レベルだと思うのだが、エルフ基準に慣れてしまった俺にとって彼らのクレーターのようなボロボロ肌やバカでかいニンニク鼻は見るに堪えない代物となっていた。これじゃ女は浮気なんかそうそうしないだろうなと変に納得した。
「てめーらエルフは人の顔を見ると毎回ゲロ吐きやがって!」
「ちょっと美形揃いだからって馬鹿にしてんじゃねーぞおら!」
「野郎の嘔吐シーンなんか見ても嬉しくないんだよ!」
激怒する男たち。その中にこっそり女ならアリみたいなことを言ってるやつがいた。
そいつ、隔離したほうがいいですよ。っていうか、みんな吐いてるのかよ。まあ、そりゃ吐くか。里を出て緊張してるのに早々こんな顔を見せられたら。
……ん、毎回だと?
「ちょっとあんたら、今までにここを通ったエルフとも会っているのか?」
魔力が人間よりも高く、高度な術を使えるエルフたちがならず者どもに後れを取るとは思えないが、この連中が懲りずにここに留まっているということはそれなりの益になるということである。嫌な予感しかしない。
「そいつをお前が知る必要はねえぜ。まあ、捕まえてから町に行くまでの馬車で暇があったら気まぐれに聞かせてやるよ」
この一団のリーダーらしき頬傷のあるヒゲ男が自信たっぷりに言った。
……こいつらからは魔力の気配はない。つまり魔法の使い手ではない。
おかしい、いくら人数差があろうとただの人間が高位の魔術を操るエルフ相手にここまで余裕を持っているなんて。
「悪いけど俺は自分の足で走りたい主義なんで、馬車に乗るのは遠慮させてもらう」
いろいろと訊きたいことはあるが、何を隠し持っているかわからない現状では隙を見て逃げ出すのがベストだろう。俺はあえて挑発的に言って相手の反応を窺った。
「お前が自分の意志で走ることなんてもう二度とないんだよ! オレたちに捕まって一生奴隷になるんだからなぁ!? おい、やれ!」
頬傷の男が指示すると、背後に控えていた痩せぎすの男が抱えていた袋から銀色の粉を辺り一面に撒き散らす。
「!?」
もくもくと舞う謎の粉。毒の可能性も鑑みて俺は咄嗟に口元を塞いだが、輩どもが平然としているので直接害をなすものではなさそうだ。
「まさか、粉塵爆発か……!?」
俺が身構えて驚愕すると、輩どもはぽかんとして互いの顔を見る。
「何言ってんだこいつ?」
……どうやら違ったらしい。
やべえ、ちょっと恥ずかしいんですけど。だってご主人の弟が俺の中で見ていたアニメでそんなんがあったから……。
「こいつは魔力の流れを狂わせる粉でなぁ……。この粉を浴びたらお前らお得意の魔法はしばらく使えねーんだぜ? くくっ、試しに使って見ろよ」
頬傷の男は勝ちを確信した表情で俺に粉の正体をばらした。
「魔法が使えないだと……?」
そんな技術というか封じ技があるなんて学校では聞いたことがなかったぞ。俺が覚えてないだけかもしれないけど。
「いいねえ! その驚いた顔! どいつもこいつも『そんな馬鹿な!』って叫んで何もできず、オレたちにボコボコにされて泣きながら奴隷の首輪をつけられるんだ。恐怖のあまり小便を漏らしたやつもいるなぁ!?」
ギャハハと笑う醜男の集団。
酒で焼けたガラガラ声が一斉に声をあげると吐き気を催す不協和音に聞こえた。
エルフはみんな美声で歌が上手いからさ……。無菌状態で過ごすと耐性がなくなって逆に危険だってことが身に染みてわかった。
「お前らエルフは魔法しか能がない貧弱野郎どもばかりだもんなぁ! 魔法がなけりゃなにもできねえだろ!? この対エルフには効果てき面の秘密兵器を前にして、どう惨めったらしく足掻いてくれるんだ?」
……ん? これが秘密兵器? ひょっとしてこれ以上は何もないとおっしゃる?
魔法を使えなくするだけ?
「…………」
俺はすぅーっと胸いっぱいに息を吸い込んだ。
――ドゥルン……ドゥルン……
神経を研ぎ澄まし、集中力を高める。
一点だけを見つめ、姿勢を前傾させて足の裏で地面をしっかり掴む。
「――――ッ!?」
次の瞬間、余裕をぶっこいて立っていた頬傷の男は全身をぐしゃぐしゃになった状態で数十メートル離れた位置まで吹き飛んで肉塊となって転がっていた。
「な、なにをしたんだお前……!」
さっきまで仲間が立っていた場所に代わりに佇んでいる俺を見て輩どもは怖気づいていた声を上げた。
「お頭がミンチだ! ミンチになってやがる!」
「なんでこいつ魔法が使えるんだ!?」
輩どもの間に動揺が広がっていく。おいおい、すっかり立場が逆転しているようだぜ?
「ふっ魔法なんて使ってないさ。俺はやつを轢いただけさ」
調子に乗った俺は少し気取った喋り方をした。
シルフィに聞かれたら間違いなく気持ち悪いと言われ、妹に見つかったら洗濯物を一緒に洗うことを一生拒否されるそんな喋り方を。
俺はイメージのなかで目一杯アクセルを踏み、頬傷の男に突撃したのだった。
速度の調整とかは考えず直進で全力だったから相当のスピードが出ていただろう。男は一瞬で全身の骨を砕かれてあの世に召された。
一方で俺は傷一つ負っていない。よほどのことでは痛みを感じない鋼のボディは健在だった。よきかなよきかな。
走る凶器と呼ばれた自動車の中で、より凶悪なトラックの破壊力を舐めんなよ?
近現代の3Cに属する文明の力を思い知ったか。
「ぶつかっただけで人があそこまで飛ぶわけがねえだろ。お前さっきぶつぶつ何か呟いていただろ!」
輩の一人が恐怖でズボンをぐっしょり濡らしながら俺に指摘してきた。そいつは野郎の嘔吐シーンは嬉しくないと言った男だった。
「それはエンジン音だ」
俺はクールに答える。やべえ、超ニヒルに決まった。
「えんじん……おん……?」
意味がわかっていないようで、輩たちはさらに困惑の表情を浮かべる。
「理解できないのならしなくてもいいさ。なぜならお前たちにはもう必要のない知識だからな」
「「「「…………っ!?」」」」
輩どもを少しだけビビらせようと思った俺の言葉は想像以上に効いてしまったらしく、不細工な男どもの八割が尿を漏らして大地を潤した。激しく汚い。
妹のおしめを取り替えたときはちっとも不快ではなかったのに。
「ひとつだけ訂正しておこう。俺はただぶつかっただけじゃない。さっきのは……超怒級トラックアタックだ!」
「な……とらっく? わけわかんねえこと言ってんじゃねえ! お前ら、やっちまうぞ!」
数刻後。
街道は真っ赤な液体で染め上げられ、ブニョールのトマト祭りみたいになっていた。
無論、この赤は輩どもの血の色である。果肉っぽいのは……想像に任せる。
これ以上はちょっと言えない。規制に引っかかるからな。
……やれやれ、汚ねえトマトだぜ。
当初はやけくそ混じりで襲い掛かってきた輩どもだったが、次々俺に跳ね飛ばされる仲間を見て徐々に戦意を失っていき途中からは誰もが逃走を図るようになっていた。
そんな逃げ惑う輩どもを俺は時速百キロで容赦なく追い回し、一人残らず跳ねて行った。
その結果がこうして真っ赤に染まった街道だった。
「さて、戦利品というか、何か連中に関するヒントみたいなものはっと……」
輩どもはエルフを奴隷にするとかしたとか、無視せずにはいられないことを言っていた。俺は情報を探るため輩どもの手荷物を漁ることにした。
「おっ、これは……」
タイムリーにトマトが何個か出てきた。……一応もらっておくか。今は食べる気しないけど。
後で腹が減るか喉が渇いたときに頂くとしよう。
「うーん、まずったなぁ」
馬車の中にある荷物にも目を通してみたものの、この一団の発言を裏付けるものは特に見当たらなかった。
うっかり全員殺してしまったのはまずかった。一人くらい生かしておくべきだった。
俺が自らの軽率さを反省していると、
「う、うぅ……」
トマト畑の中から苦しそうな呻きが聞こえてきた。おお、生き残りがいたのか!
俺はそいつを締め上げて情報を吐かせることにした。
―――――
「オレたちは下請けなんだよぉ。ガキのエルフが森から出てくるタイミングになるとこの森の出口付近で網張っとけって奴隷商のやつらに言われるんだ」
「どうしてそいつらはエルフが出てくることがわかるんだ?」
ヒューヒューと呼吸が怪しい感じになりつつある男の襟首を持ってガクガクと揺さぶる。
「そ、そこまでは詳しく教えてくれない……。だけど確かな情報筋だって話してた。これまで向こうから指定された日にエルフが現れなかったことはねえ……」
若者エルフが里を出るのはそれぞれの誕生日だ。記念日のように毎年一定なら風習の日程をサーチされて網を張られていただけということで済んだだろう。
だが、この件はそうではない。年度によって異なる、その年に十五歳を迎えるエルフの誕生日が逐一奴隷商人に漏れているのだ。
顧客情報の流出? いや、インターネットなんかこの世界にはないし。
……里に内通者がいるっていうのはあまり考えたくない話だな。
「お前らは何年前からここで仕事をしているんだ? 今までにどれくらいの人数のエルフを捕まえて奴隷商に引き渡した?」
「ここ十年はもう何人も捕まえて売り飛ばしてる……」
なんてこった。それじゃあ俺のドライブに付き合ってくれていたあのお姉さんエルフも奴隷として売っ払われた可能性があるってことじゃねえか。
その他にも狭い里だけあって、知り合いは複数いる。ちょっと考えたくない事態になっているな。
この数年、帰還率が著しく低下していたのはこうやってならず者どもに攫われていたからだったってことかよ。
エルフは人と比べて長寿だ。捕まれば人の奴隷よりも長い時間苦しみが続くということになる。これはまずい。すごいまずい。
俺の手でどうにかなる範囲を超えている。
だって十年だぞ。その間に里に帰ってきていないエルフの大半が無理やり奴隷になっていると考えたらとてつもない人数になるだろう。
奴隷として売られたエルフらは恐らく国中に散らばっているはずだ。
中には不幸にも命を落としてしまった者もいるかもしれない。その全員の行方を今から探し当てるなんてどれほど気の遠くなるような難易度だと思っている。
今すぐに里に帰って報告をしたいが、出立の前に里の大人たちから総掛かりで道を惑わせる魔法をかけられたため一年が経つまでは帰ることができない。
戻ろうとしても森の中で方向を見失って里まで行きつけないのだ。
くそ、厄介な決まり事を作りやがって。俺が大人になったらまずはこのガバガバな決まりを変えるとしよう。
「俺を捕まえたら奴隷商と落ち合うつもりだったんだろ? とりあえずその集合場所を教えろ」
何にしても問題を看過して暢気に旅をするわけにはいかない。俺の後には同世代のエルフたちが控えているのだ。
輩どもは潰したとはいえ、所詮は末端。
また新たな使い走りが雇われてやってくるとも限らない。これ以上の犠牲者を出さないためには本営を叩いておくしかないだろう。
「ぐっ、なんでそこまで話さなきゃ――」
俺は恐らく折れているだろう輩の肋骨付近をふにふに押した。
男は悲鳴を上げて脱糞した。
「こ、ここから一番近いニッサンの町ってこと以外は知らねえ……。引き渡しはお頭と幹部だけしか行かないんだっ……! 下っ端なオレは何にも聞かされてねえんだよぉ……」
先手を取るために頭を最初に潰したのは失敗だったようだ。今後の教訓としておこう。
「頼む……助けてくれ……回復魔法をかけてくれ。エルフならできるだろ?」
瀕死の輩は救いを求めて俺に手を伸ばす。
「すまん、俺って魔法は面倒くさいから全然呪文を覚えてねえんだよ」
「そ……んな……人で……なし……!」
俺の言葉を受けた男は悲壮な表情を浮かべ、無念そうに息を引き取った。……いや、意地悪で言ったんじゃなくてマジなんだよ。
ちょっとした擦り傷を治す初級魔法なら覚えてるんだけど。ここまでズタボロなやつを治せる高位回復は呪文が長くて無理。
「南無三……」
俺はくたばった輩どもに合掌した。次に生まれ変わるときは真っ当に生きろよ。
お勧めはトラックになることだ。
次話『ゴブリンと無双』一週間後ぐらいに更新予定。
―――
トラックエルフ必殺技辞典vol.1【超怒級トラックアタック】
超怒級トラックアタックとは、長い間ドライブを禁止されていた走り屋がようやく自由に走れると思った矢先、意味もなく妨害行為をしてきた不逞の輩に対して抱いた怒りを込めた聖なる突撃。