幼女と出立
便箋を懐にしまい、溜息を吐く。
軽い息抜きでクエストを受けたらとんでもないものを拾ってしまった。
テックアート家に発見されたって、これ、きっと奴隷商に関係するやつだよな……。
なぜこんなところに無造作に落ちていたんだ? 周りには誰もいないようだし。密書っぽいのに扱いが雑すぎるだろ。
しかし王立魔道学園には奴隷商の協力者がいるのか。
学園には少しだけ興味があったが、こういう形で関わってくるとは。
この手紙は御令嬢に見せるべきだろうな。
「……お兄さん、何が書いてあったの?」
リリンが顔をひょっこり下から覗かせてくる。
「知りたいか?」
「う、うーん。やめとこうかな?」
何かを察したらしく、リリンはあっさり引いた。そうだな。そうしたほうがいい。知らないほうがいいことが世の中にはあるのだ。
「さて、と……」
「ねえ、本当に開けちゃうの?」
リリンは馬車の中身にビビっているようだった。
大丈夫だよ。多分、お前の思っているようなもんは入ってないから。
……その代わり、他の胸糞悪いものは入ってるかもしれんが。
本音を言えば、俺だって見たくない。
だが、確認しないで帰るという選択肢は選べない。
「リリン、ちょっと後ろ向いててくれ」
「うん、わかった」
リリンは素直に後ろを向いた。そして、耳を塞ぎながら
「わたしは何もミテイナイ……わたしは何もキイテナイ……見たのはエルフのお兄さんだけ……だから関係ナイ……」
「…………」
ある意味、清々しい生き様だな。いろんな意味で感心した。
「ああ、くそ、やっぱりかよ……」
馬車を開けると、中にいたのは衰弱した奴隷たちだった。
また、捕まっていたのはエルフだけではなかった。
ダークエルフに加え、牛のような角が生えた少女、翼と角、さらに鱗に覆われた尻尾が特徴的な……うわ、幼女といっていい歳の子まで……。
くそったれが。なかなか手広く商売をやっていやがる。
だが馬車の中には俺の里のエルフはいなかった。
ほっとすべきなのか、残念に思うところなのか。複雑なところだ。
「お兄さん、終わった?」
「ああ、いいぞ」
とりあえず扉を閉める。
見たところ奴隷たちは首輪の効果でジンジャーと同じく意識が曖昧になっていた。
この場で解放してもいいが、森の中でパニックを起こされても困る。
となれば、まずは領主のところに連れて行くのがいいだろう。
「……ねえ、なんで馬車を持ってこうとしてるの?」
「助けるためだ」
「お兄さん。馬車の中身って……」
「聞きたいか?」
「……やめとく」
大体察してるんだろ? もうあきらめろよ、リリン。
俺は奴隷たちを乗せた馬車を引っぱって森道を歩いていた。
馬ではなく、エルフである俺が大きな馬車を引いている。
傍から見ると線の細いエルフが虐げられているような光景だ。
御者台に座るリリンはさしずめ悪の女主人といったところか。
そんな悪の女主人が心配そうに訊いてくる。
「お兄さん、重くない?」
「全然問題ないぞ」
俺の鍛え上げた肉体とトラック相当の脚力はこれしきで音を上げたりしない。
「はへぇ。最近のエルフってすごいんだねぇ……」
リリンが驚きに舌を巻く。
彼女にとってエルフの基準が俺になりつつあるようだった。
どうか一生そのまま勘違いしていてほしい。
イチイチやることなすことに突っ込みを入れられたら面倒だからな。
それにしても奴隷商人はどういう意図があって奴隷たちをこんなところに放置したのだろう。
まだ確定したわけではないが、彼女らはニッサンの町の奴隷商から連れ出された非合法の奴隷で間違いないはずだ。
証拠品であり、商品でもある彼女らを監視もつけずほったらかしとは。
証拠隠滅のために捨てて行ったにしてもお粗末すぎる。
確かに自由に動けなかった奴隷たちはかなり衰弱していた。あと一日、発見が遅れていたら危なかったかもしれない。
だが、確実に処分しなければ意味がない。現にこうやって俺が見つけてしまった。これまで実在する痕跡を一切残さずにやってきた連中にしては杜撰すぎるやり方だ。考えられるのは何か想定外のアクシデントが起こり、それどころではなかったということだが……。
「おにーさん、何か考えごとしてるの?」
頭を整理するのにちょうどいいタイミングでリリンが話しかけてきた。
こいつとのコミュニケーションもだいぶスムーズになってきた。
最初の出会いからは考えられない進歩だ。
「いや、この馬車の持ち主は積み荷を置いてどこへ行ったのかって思ってさ」
「ひょっとして、キメラに襲われたとか?」
「キメラって今探してるやつか? なぜそう思うんだ?」
「だってキメラって罪を犯した人間の肉を好んで食べる習性があるっていうじゃん? あくまで噂だけど」
「キメラが? なんだその話は」
もしかしてこいつって案外物知りなの?
は、一般常識? 俺が無知なだけだと?
そんなわけあるか。きっとエルフには伝わっていない話なんだよ。
そう言ったら白い目で見られた。リリンのくせに生意気だ。
「この馬車の人たちっていわゆる悪人だったんでしょ? だからありえない話じゃないと思うんだよね」
どうやらキメラというのはかつて国の治安維持や罪人の処刑に用いるために作られたものだったらしい。
役割を円滑に果たすため、キメラには罪人の匂いを嗅ぎ分ける能力が備えられ、さらにその匂いで食欲が増進する本能を植え付けられているのだとか。
「小さい頃はよく悪い子だとキメラに食われるぞーって怒られたりしたもんだよ」
日本でいうナマハゲみたいなもんか? キメラって民間伝承なの?
……話半分に聞いておくとして。実際のところ、どうなんだろ。
悪人を食わせるという発想で作られた生物というのはぞっとしない話だが、現状と照らし合わせると可能性は無きにしも非ず。
罪深き商人たちはキメラに食われ、奴隷は悪人ではないから見逃された……。
でも悪人だけを都合よく狙うならギルドで討伐隊なんか組む必要ないよな。あ、手を付けられないから処分されたんだっけ。
キメラの生態系とか知らんしな。領主は詳しかったりするだろうか。
あのおっさんは一応貴族だし、町娘のリリンより深い知識を持っているかもしれん。
帰ったら奴隷たちを預けるついでに訊いてみるか。
俺はコロコロ馬車を引っ張りながら考えた。
森の出口、街道にでそうなところまであと少し。
結局、キメラについては何も掴めなかったな。
鳴き声が聞こえた場所を伝えるだけでも一応報酬はもらえるらしいが……。
そんなんでいいのか? まあ、ギルドへの対応はリリンに任せるとしよう。
「おや……?」
ふと、俺は森の空気が変わったことに気が付き立ち止まった。
エルフ特有の森に対する嗅覚っていうのかな。
他の連中よりは鈍いが、俺にもそういう直感のようなものが備わっているのだ。
――ガサガサ
――メキメキ
『ギィギィ……!!』
『ガァガァ……!!』
森の奥から木々が揺れたり折れたりする音が響く。
次いで、魔物の逃げ惑う声があちこちから聞こえた。
森が不穏な空気を発している。
経験上、こういうときは森のヌシが行動を起こしている場合が多い。
「なに!? キメラがきたの!?」
「…………」
俺は立ち止まって音のする方角を眺めた。
喧噪が徐々にこちらへ近づいているような……?
まさか、キメラとご対面か?
しっかり準備しないと倒せないらしい化け物を二人で相手にしないといけないのか?
俺はごくりと唾を嚥下する。
――がさがさっ
そして、茂みから森道に小さな影がひとつ飛び出してくる。
「ひいっ!?」
リリンが小さな悲鳴を上げて俺に背後から抱き着いてきた。
この野郎、俺を盾にするつもりか!
「むっ……?」
出てきた影の正体を見て、俺は首を傾げる。
「んにっく……」
茂みを掻きわけて森の中からでてきたのはエメラルド色の髪をした幼女だった。
「うー」
頭についた葉っぱを邪魔そうに払っている。
なんだ、ただの幼女か……。
「…………」
幼女が猛禽類に似た個性的な黄色い瞳でこちらを見つめてくる。
どうにも既視感がある目の形だな……。
俺は過去の記憶を探ってみる。
真っ白い簡素なワンピース。肩のあたりで揃えられたミディアムヘアの子供……。
やがて、頭の片隅で埃をかぶっていた記憶の断片がゆっくり引き出されてきた。
『カエルの肉だけどいいのかい?』
『ヤッ!』
ニッサンの町を訪れて最初に行なったやり取りが思い返される。
そうだ、彼女は――
「おお、肉の幼女じゃないか!」
カエル肉の燻製を分けようとしたら拒否されてしまった幼女……肉の幼女だ!
あのときは容姿に注目をしていなかったので思い出すのに時間がかかってしまった。
肉の幼女に再会できたのならば、あれをしよう。
「今日は君が好きそうな肉があるんだ。干し肉だけど、食べてみないか?」
「いまはオナカいっぱいだからだいじょうぶ!」
領主から貰った豚の干し肉を取り出そうとすると笑顔で断られてしまった。
うーむ……心の中で密かに誓った約束を果たせると思ったんだが。
「飯を食ったばっかりだったのか?」
「うん、たくさんたべたよ! おいしかった!」
食後なら仕方ない。また別の機会を狙うことにしよう。
あれ? なんで俺は彼女に肉をくれてやることに固執してるんだっけ。
「ところで、君はどうしてこんなところにいるんだ?」
森に暮らすエルフと違い、人間の子供が一人で森に入るのは危険ではないか? そう思い訊いたのだが、
「ここにおいしいモノがいっぱいあったからきたの」
「ふむ?」
美味しいモノ? 森の果実とかだろうか。
「一人で危なくはないのか?」
「ううん。いつもヒトリだからしんぱいない」
当然のように言われる。
まあ、人間でも平気な子は平気なのかもしれないな。
「だが、今は森に危険な生き物が潜んでいるらしいぞ? 討伐されるまでは危ないからあまり近づかないほうがいい」
「ふーん? そうなのー?」
幼女はよく意味がわかっていないようだった。
こういうのは普通、親とかが注意しそうなもんだが……。
エルフでも危険な魔物が増えている時期はさすがに立ち入りを制限していた。
「ね、ねえ……お兄さん。その子、知り合いなの?」
俺の背後に隠れ続けていたリリンが恐る恐る顔を出して肉の幼女を見つめた。
「ああ、ニッサンの町にきた直後に少し話をしたんだ」
「そ、そうなんだ……じゃあ気のせいかな? でもあの目は……」
急に思案顔になってぶつぶつ呟き始めた。よくわからん女だな。というか、いつまでくっついてるつもりなんだコイツは?
まあ別にいいか。
俺は肉の幼女に向き直って声をかける。
「一緒に町まで帰ろう。馬車に乗っていいぞ。せっかくだし、送ってやるよ」
「まちにかえる? なんで?」
「なんでって、ニッサンの町の住人なんだろ?」
「ちがうよ? このへんにはあそびにきただけ」
にこりと純真無垢な笑顔で幼女は言った。……は? 町の住人じゃない?
「ええと。君の親は行商か何かなのかな?」
「おやはいないよー。ひとりだよー」
あっけらかんと答える幼女。ううむ、悪いことを訊いてしまったか……。
「ずっとひとりー。ひとりでいろんなところをまわってるのー」
「な……」
こんな子供が一人で旅をしているだと? ひょっとして人間じゃないのか? エルフみたいに見た目と外見が見合わない種族とか?
しかし、その割には振る舞いが外見相応に幼い。俺があれこれ考えを巡らせていると、肉の幼女が高く手を挙げる。
「まちにはすんでないけど、せっかくだからついてく!」
彼女の顔には好奇心のようなものが含まれていた。いや、ただ町まで行くだけだから何かを期待されても困るんだけど……。
「わたしはリュキアっていうの。えるふさんのおなまえは?」
「リュキアか。俺はグレン。里の掟で世界を旅する者だ。それでこっちは――」
「……あたしはリリン。ニッサンの町の冒険者よ」
リリンは相変わらず表情が硬い。こんな子供相手に人見知りか?
そういう性格じゃないと思っていたんだが。
彼女はどうも肉の幼女に苦手意識を持っている感じがある。目がどうこうとか言ってたが、何か関係あるのだろうか?
気にしてもわからないことだし、とりあえず町に戻ろう。
町に着くとリュキアは『わあーい!』と声を上げて一目散に走り去ってしまった。
ええ、そんなぁ……。
同行するのは町までという話だったから別に構わないんだが……。ちょっとだけ寂しい。
人混みに消えていく幼女の背中を静かに見送る。
彼女を見た町の通行人たちがなぜか次々悲鳴を上げているんだが、なんなんだろうな?
幼女を怖がるとかこの町の連中は少し変わっている。
そういえば、初めてリュキアと会った時も同じような反応をしていたっけ。
「……あたしたち、やばいのを町に連れ込んじゃったのかも」
「お前、さっきからちょっと変だぞ?」
挙動不審なリリンは置いといて、とりあえず先に領主のところに行こう。
冒険者ギルドに奴隷たちを連れてくわけにはいかん。
ささっと解放して、領主に保護してもらおう。
ちなみに保護と書いて、押し付けると読む。
ゆっくり馬車を引いて町を歩いていると、周囲の視線は俺たちに集まっていた。
「ねえ、お兄さん。なんかさっきから周りの人がこっちをちらちら見てるような気がするんだけど……」
リリンは俺の行動に慣れ始めてきてるから今の状況に違和感を抱いていないんだろうな。
ただ、町の住人たちはビギナーさんなわけですよ。
だから、
『まあ、なんて惨い……』
『非力なエルフにあんな大きな馬車を引かせて……』
『奴隷かしら? あの女の子、酷い扱いをするわね……』
「!?」
囁かれる声を聞き、リリンはようやく自分がどう見られているかに気付いたらしい。
「あ、あたし先に冒険者ギルドに行ってるから!」
テンパったリリンは居たたまれなくなって御者台から飛び降り、足早に退散していった。
なんか濡れ衣を着せちゃったみたいで申し訳ない。
まあ、こうなるのは予想できてて黙ってたんだけど。
「また後でな!」
俺の声はリリンの背中に届いたのか、否か。
あ、報酬はちゃんと受け取りに行くぞ。ネコババは許さん。
森で保護した奴隷たちは思った通り、奴隷商に無理やり捕まえられた非合法奴隷であった。
なぜあんなところに放置されていたのかは、やはり首輪のせいで記憶が曖昧になっていて確かなことは聞きだせなかった。
ただ、奴隷商人たちは何かに襲われていたらしい。
その正体は不明のままだが、やはりキメラだったのだろうか?
領主に訊くと、王立魔道学園ならキメラに詳しい者がいるだろうから訪ねてみるといいと言われた。
彼も一般常識以上のことは知らないらしい。
役に立たないおっさんだ。
奴隷たちについてだが、彼女らは一部を除いて領主のもとで一時的に食客待遇を受けて過ごすことになった。
一部を除いてと表現したのは二名ほどが解放直後に逃走したからだ。
逃げたのは鱗の尻尾を持った幼女と牛の角の少女の二人。
『妾を奴隷にしようとした連中は許しておけぬ! ぶち殺しにいくのじゃ!』
『あれ? 逃げてもいいの? よーし! 家に帰るぞー!』
彼女らは説得をする暇もなく屋根や窓を破壊して逃げていった。
まったくとんでもないやつらである。また捕まっても知らんぞ。
残ったエルフやダークエルフたちは領主と一緒に王都に行くと約束してくれた。
同じエルフである俺がいたのも大きいと思うが、すんなり同意してくれた。
ジンジャーたちと同じく、重要な証人となってもらおう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数日が過ぎ、俺がニッサンの町を離れる日がやって来た。
「はぁ、お兄さんもルドルフもいないんじゃ退屈だなぁ」
町の外れまで見送りにやってきたリリンが愚痴っぽく言う。彼女の母親であるマリサはあれから体調を崩すこともなく、元気に働きに出れるほどにまでなった。今日も朝から仕事に向かったらしい。ルドルフに聞かせてやれば喜ぶことだろう。
「退屈ならお前もついてくるか?」
「うーん、せっかくお母さんが元気になったばっかりだしね。しばらくこの町から離れるつもりはないよ」
「そっか。なら仕方ないな」
ものの試しに訊いてみたが、あっさり断られてしまった。まあ、どうせシルフィを迎えにすぐ戻ってくる予定だ。そこまでしんみりすることもないよな。
「むう、あっさり引かれるのはそれでムカつく……」
「俺はどう反応すればいいんだ?」
ダブスタとか面倒くさい女だな。これだから人間は……。
「ばいばーい。お兄さん、また会おうねー!」
手を振るリリンと別れて俺は街道を走り始める。
領主も後日、奴隷だった者たちを連れて王都に出立する予定だ。
ダイアンの襲撃によって受けた被害の後始末をハイペースで片付けたため、想定より早く出発できることになったらしい。
『これが愛の力だ』
『はあ、そうっすか……』
目の下に隈を作った領主にキメ顔で言われ、困惑した俺がいたとかいなかったとか。
さて、ここから王都までしばらくは運転席に誰もいない一人ドライブだ。
少し寂しいな。そんなことを思って走っていると、
「あれ、リュキア……? どうしてこんなところに?」
街道のど真ん中に腕組みをした白ワンピースの幼女が立っていた。緑色の髪がふわふわと風になびいている。
森で出会った日以来の再会だ。彼女も見送りにきてくれたのだろうか? 出立する日は伝えていなかったと思うんだが……。どうやって知ったのだろう。
肉の幼女、リュキアが口を開いた。
「グレンといるとおもしろそうだからいっしょについてく!」
おいおい、一緒にってどういうことだ?
そんなフラグ立ててたっけ?
「そろそろね、ちがうところにね、いこうっておもってたの」
とてとてと近づいてきて、無垢な表情で俺を見上げる。彼女の猛禽類のような瞳はそこに吸い込まれてしまいそうな何かがあった。
これは断れないな……。いや、もともと断るつもりはないけれど。
「……なら、背中に乗ってくか?」
「のるー!」
俺が背中を指さすと、リュキアは勢いよく飛び乗ってきた。俺はハイエースじゃないぜ。トラックだぜ? そこんとこヨロシクな。
新たな旅のお供を乗せ、人間の黒い欲望が渦巻く(勝手なイメージ)王都へ。
いざ行かん。




