トラックと転生
俺はトラックだった。
IS○ZUのマークを正面につけて、配送業者の仕事に就いているご主人の金髪ヤンキー美少女を乗せて全国各地を走り回るトラックだった。
ご主人は俺にブラックタイガーという甲殻類みたいな名前をつけて大事にしてくれていた。
俺はそんな彼女と過ごす日々をとても幸せに思っていた。
だが幸せは長くは続かなかった。ご主人と俺は交通事故を起こしてしまったのだ。
それはとある日の午後だった。
俺たちはいつも通り法定速度を遵守して安全運転で道路を走っていたのだが、何をとち狂ったのか歩行者用の信号が赤にも関わらず馬鹿な男子高校生がいきなり前に飛び出してきたのである。
ご主人は慌ててブレーキをかけてハンドルを切ったものの、車体である俺は軌道の制御が利かなくなって電信柱に激突。
衝突した部分のエンジンは破損し、ガソリンが漏れ出て俺の鋼の身体は煙に包まれた。
ご主人は頭を強く打ったのか意識が朦朧としていて発火を起こし始めた俺の中から出ようとしない。
このままではまずい。ご主人が火あぶりか一酸化炭素中毒で死んでしまう。
そう思った俺は業界の掟を破ることにした。自らの意志でドアを開き、ご主人の身体を火の手が回らないところまで弾き飛ばしたのである。
これやったら無機物業界のお偉いさん方に怒られるんだけど、まあ別にいいよな。どうせ俺は廃車確定で死ぬ運命だし。
アスファルトの地面を跳ねて投げ出されるご主人。すまんな、痛いだろう。怪我をさせてしまったな。だけど、死なせたくはなかったんだ。
事故を聞きつけた野次馬が周囲に集まってくる。気を失ったご主人の周りにも介抱しようと人が寄ってきた。これでひとまずは安心だ――
――――――
『おお、トラックよ。私はあなたの主を守ろうとする献身的な態度に心を打たれました』
次に意識が目覚めると俺はなんかキラキラした白い壁の部屋にいた。
目の前にはブロンドの髪をした白衣の美女が佇んでいる。
美女の背には後光が指していて神々しかった。照明係頑張ってんなぁ。
「あなたは一体……ここはどこでしょうか?」
何気なく頭に浮かべた俺の言葉は自然と音になって相手に伝わるように響いた。不思議な感覚だった。
身体は失われているのに意識だけがその場に漂っている感じ。これが俗にいう魂というやつなのだろうか。じゃあ俺の発した声は魂の叫びというやつか?
『私は女神。そしてここは死後、よその世界に転生を希望する者を受け入れるための部屋。本来は人ではないあなたはここへは来ないはずだったのですが、私の裁量で特別にお招きさせていただきました』
俺の問いに美女は答える。なるほどね、女神様ならこの神々しさも納得だ。
言葉遣いも丁寧で清楚な印象。異性の前でも平気で下ネタを言うヘビースモーカーなご主人とは対極に位置する女性だった。
「俺は別に転生を希望した覚えはないのですが……。どうしてまた一体? そういえば心を打たれたとか言ってましたが」
『そうなのです! 愛する主人のために無機物業界のお約束を反故にしてまで尽くすその献身に私の心は震えました。この愛ある行いは人間よりも人間らしい。もしもあなたが人として生き、またあなたのような心を持った人が世界の大半を占めていたら世界はとても平和で素敵なものとなるでしょう』
「そうなんですか?」
『そうなのです』
女神様は謎の自信を持って断言した。正直俺には人間の心というものはよくわからんが。
『そういうわけで。誰よりも人間らしい心を持ったあなたには第二の人生は無機物ではなく、人として迎えられるようにしてあげたいと思うのです』
「俺が人に……?」
『はい、その通りです。ちなみに転生の特典として何かご要望があればお聞きいたしますが、どうでしょうか』
どうしよう。別に人にならなくてもいいんだけど。できることならまたトラックになってご主人のあの子の新車になりたいんだけど。
『合法だから!』って当時付き合っていた彼氏に言われて危ないオクスリに手を出して高校を退学になっちゃうくらい頭の弱いあの娘をまたシートに乗せて走りたいんだけど。
『さあさあ! どんな希望でも構いませんよ?』
俺を人として転生させたくて堪らない様子の女神様を見ているとそんなことはとても言えそうになかった。目がものすごいキラキラしちゃってるもん。
どれだけ俺を人間にしたいんだよ。仕方ないな。まあ一度くらいご主人と同じ人間の身体というものを経験してみるのもいいかもしれない。
次に転生するときはまたトラックにしてもらえばいいんだし。
「それならトラックとしての性能を維持したまま転生をしたいのですが」
『……はて、トラックとしての性能とはどういう意味でしょう?』
女神様は首を傾げ、俺の言葉の意味を訊ねてくる。
「そのままの意味ですよ。トラック時代と同等の速度で走れる馬力、最後の時のように運転手を衝撃から守れる頑強さなどは失わずにおきたいのです」
信頼できる大事なご主人を乗せて道路を走るあの快感。
あれは人間になったとしてもぜひ味わい続けたいものだ。そして万一の事故から搭乗者を守るために鋼の装甲は必須である。
『なるほど。わかりました。速く走れる足と丈夫な体をご所望ということですね』
うんうんと女神様は頷き『さすがです!』とまた感激していた。この人、今なら俺がやることすべてに共感してくれるんじゃなかろうか。
その場のノリに酔ってる感じ、あります。
興奮しているときって普段だと考えられないことでも当たり前のようにやれちゃうからな。
普段は愛想のないご主人も徹夜が続くとハイテンションになって大声で歌いだしたり、泣きながら車内で自慰を行ったりしていた。
『では、トラックのブラックタイガーさん。あなたはこれから今までとは違う世界で人間として……あれ、人間は枠が一杯だわ。……どうしましょう』
「何か問題があったのですか?」
『こちらから提案しておいて申し訳ないんですが、人間の枠は立て続けに転生者が出ているせいでねじ込むのが難しいようでして……』
「はぁ、そうなんですか」
『最近はどうも若い男性の転生者希望者が多くて困っているんですよねぇ。なぜか自ら命を絶つ人が増えていて』
もしかして俺の前に飛び出してきたあのクソガキも異世界に転生することを夢見ていたのだろうか。
そういえば飛び込んでくるとき彼はなぜかとても晴れやかな笑顔を浮かべていたような気がする。
ニキビが目立つブサメンの気持ち悪い笑顔だったので記憶にへばりついてしまっていた。
ご主人のハンドル捌きによって九死に一生を得たようだったが、そういう目論見があったのなら彼は懲りずにまた同じようなことをして死のうとするかもしれない。
もし転生後の世界で会ったら超重量級トラックアタックを食らわせてやる。恐らく免停になってしまっただろうご主人の恨みと無念を晴らしてやる。
『耳の形はちょっと違うんですけど、体の構造は大体一緒のエルフなら大丈夫そうなんですが……。それでもよろしいでしょうか?』
「エルフですか……」
トラックのエルフとかなんかちょっと危ない気がするけど。
商標登録とか必要そうな感じがするし。
『寿命はエルフのほうが長いですし、お詫びに魔法の才能もちょっとだけおまけで加えさせていただきます。それに特典で与えられた能力もエルフであれば不審に思われることも少なくなくなりますから、悪いようにはならないと思うんですが……』
「まあ、俺は誰かを乗せて走れるのならなんでも構いませんが」
俺が言うと女神はほっとしたように息を吐き、よかったと声に出した。そして、
『では、私からの精一杯の祝福を込めて送り出させていただきます。あなたの第二の人生が素晴らしいものになりますように!』
万物を癒すような、女神に相応しい柔らかな微笑みを浮かべて俺に両の掌をかざした。
こうして俺はトラックから生まれ変わってエルフとして異世界で生きることになった。
―――――
俺の有機物としての新しい命はとある森の奥にあるエルフの里の若夫婦の長男として始まった。
車だった俺には決められた性別などなかったのだが、一人称を『俺』と呼称していたことで女神様が男を選んだようだ。
関節があって皮膚がある。口があって喉があって、声が出る。呼吸をする。何もかもが初体験で不慣れな肉の身体に俺は最初こそ戸惑いを覚えたがすぐに順応した。
尿意や便意などの排泄欲も感覚こそ違うがマフラーからガスを排出するのと似たようなものだと解釈してからは特に気にならなくなった。
「ばぶー!」
「はいはい、グレンちゃん。お乳が欲しいのね」
俺の泣き声で母親がやってくる。
俺の新しい名前はグレン。
紅蓮のように赤い髪をしていることからそう名付けられた。両親も赤髪なんだけど、そこらへんはどうなんだ。
赤毛が生まれるたびにそれにちなんだ名前をつけていたら数世代後にはネタ切れするぞ。
ひょっとしたらもうネタ切れしていて先祖に同じ名前が三人くらいいてもおかしくない。
「はい。たっぷりお飲みなさいね」
俺は母エルフから差し出された柔らかい乳房に手を当てて母乳を吸い出す。
母エルフの乳房は小さいながらもご主人のシートに触れた尻の感触よりも柔軟だった。まあ、こっちは完全に脂肪の塊だから当然と言えば当然か。
凹凸の少ない、ほっそりとした体つきの美人エルフな母親。
エルフは基本的に余計な肉はつかない種族らしく、彼女が別段貧相な体形というわけではないらしい。
年齢も見た目は二十代そこらだが、人間と同じように老けるわけではないのでこれでも結構な年を召しているのだとか。
ちなみにこれらは両親の会話に聞き耳を立てて仕入れた情報である。
母乳を飲み、排尿し、時にうんこを漏らしながら俺の哺乳類ライフは順調に開幕した。
エルフを哺乳類と表現するのが的確なのかは専門家でないので知ったことではない。