89.王と王
6月ですね。そんなわけで、一応、第11章最終話です。
突然来訪したジェイムズ王の騒ぎの2日後、フェデーレは唐突にこんな指摘をしてきた。
「思うんだが、俺はともかく、ジェイムズ王はエルシア王国にいたんだよな。いくらお前の魔法の効果範囲が広いとはいえ、エルシアまで魔法が届くもんなのか?」
「……」
ちょうどバゲットサンドにかぶりついたところだったルクレツィアは、口の中のものを咀嚼して飲み込んでから返事をする。
「それもそうね。あとで魔法の効果範囲を調べてみたけど、確かにデアンジェリス国内を出ていなかったわ」
「と、言うことは……」
2人は目を見合わせた。ジェイムズの魔法陣騒ぎは彼のでっち上げである。もしくは、他にルクレツィアと同じ魔法を使ったものがいた。そのどちらかだろう。
「そう言えば、あなたは背中の異変に気付かなかったのに、彼は気が付いたのね」
「普通、背中なんて見ないだろ」
「着替えの世話とかされないの?」
「自分でできることを他人に頼んだりはしない」
ルクレツィアは肩をすくめた。確かに、その通りだ。自分でできるなら、自分でやった方がはやい。
「背中の魔法陣に気が付いたのは、彼が王だから世話をされていた可能性があるな……」
「自分でつけたのではなければね」
ルクレツィアは用意しておいた冷やしたお茶を飲む。彼女は小首をかしげると、フェデーレに言った。
「気になるなら、聞いてくる?」
「は?」
「あなたが一緒なら行くわよ」
お兄様も呼びましょうか、とルクレツィアが言うと、フェデーレが焦った様子で止めに入った。
「ちょっと待て。お前、本人に聞きに行く気か?」
「当たり前でしょ。他にどうしろというのよ」
「確かに……って、感心している場合じゃない!」
フェデーレとは喧嘩をすることが多かったが、最近の彼はルクレツィアのツッコミに回ることが多い。それだけ、彼女に不審行動が増えたということである。開き直りというのは恐ろしい。
「お前、それでエルシアとの関係が悪化したらどうするんだ」
「それならジル姐さんを……って言いたいところだけど、つわりがひどいみたいだからやめておきます。大丈夫よ。………………たぶんね」
「その間は何だ」
「何してるんだ、君たちは」
澄んだ声で問うてきたのはヴェロニカだ。今更であるが、ここはラ・ルーナ城の食堂である。ルクレツィアとフェデーレは絶賛昼食中だった。ヴェロニカを見たフェデーレがびくっとする。
「なんだ? まだ何か検査をするのか?」
「いや。今日はもうしない」
ヴェロニカの言葉に、フェデーレがほっとした様子を見せた。どうやら、ヴェロニカは彼に恐怖心を植え付けつつあるらしい。
フェデーレの背中には、ジェイムズと同じ魔法刻印がある。他に魔法病に罹患して、治ったものを調べてみても、やはり刻印は存在した。なので、間違いなくこの魔法陣はルクレツィアのせいだろう。害はないらしいが、あって気持ちの良いものではない。
「それで、どうした」
改めてヴェロニカが問うと、ルクレツィアがさらりと答えた。
「いや、なんかフェデーレが、ジェイムズ王に魔法刻印があるのはおかしくないかって」
「今更だな」
「……」
気づいていたなら指摘しろよ。ルクレツィアとフェデーレは無言でヴェロニカを睨んだ。彼女はニヤッと口角をあげて笑った。
「それを指摘するのは、僕の仕事ではないからな」
まあ、それはともかく。
「気づいたら気になるわねぇ」
そう言いつつも、ルクレツィアはのんびりとバゲットサンドをほおばっている。向かい側でベーグルサンドを食べているフェデーレものんびりしていた。
「聞いたところで、『密入国してました』って言われそうだしな」
「……君たちの会話を聞くに、ジェイムズ王は図太い男のようだな」
ヴェロニカが感想を述べた。彼女もちゃっかりルクレツィアの隣に座って昼食を取り始めた。
「でもまあ、やっぱり聞きに行きましょうか。気になるし」
そう言ってルクレツィアは、バゲットサンドの最後の一口分をほおばった。
△
そんなわけでイル・ソーレ宮殿である。一応、15代目アルバ・ローザクローチェとして登城したので、正面から堂々と入る。同行人はフェデーレとヴェロニカの2人だ。おかげで目立つこと。いや、仮面に銀髪のルクレツィア自身のせいである可能性も高いが。
ジェイムズ王は宮殿のゲストルームに滞在している。リベラートが今日も彼の様子を見ているはずだ。リベラートはジェイムズの見張りも兼ねているのだ。
一応、王太子であるアウグストに許可を取り、フェデーレとヴェロニカが一緒なら、ということで許可が下りた。ルクレツィアはゲストルームの扉をノックした。
「どちら様でしょう?」
リベラートの声だ。ルクレツィアは「アルバ・ローザクローチェです」と名乗る。ルクレツィア、と名乗ってもよかったのだが、立場としてはアルバ・ローザクローチェであるのでそちらを名乗る。すぐに扉が開いた。
「うおっ。そろってるな」
扉を開けたリベラートが3人を見て言った。そのまま体をどかし、3人を中へ入れる。
「ごきげんよう、ジェイムズ陛下」
「こんにちは、王女様。今日は何のご用かな」
満面の笑みを浮かべ、しかし、ジェイムズの眼は笑っていない。ルクレツィアは形ばかりの笑みを浮かべた。
「お聞きしたいことがあります。あなたの背中に、彼と同じ刻印があるということは、わたくしの精神感応系魔法の影響を受けた可能性が高いはずです。しかし、わたくしの魔法の効果範囲は、最大でもデアンジェリス国内を出ません。ひと月前、あなたはどちらにいらっしゃったのですか?」
斜め後ろにいるフェデーレが「直球だ」と少し呆れた調子でつぶやくのが聞こえた。
「やはり指摘されたか。聞かれるだろうとは思っていた」
「そう思ったのに、この国に来たのですか」
理解できない、という口調でルクレツィアは言った。ジェイムズはやはり笑っている。
「ああ。確かに、王女様の言うとおり。俺は、ひと月前、デアンジェリス近くの海にいた」
さらりと暴露したジェイムズに、ルクレツィアたちは目を見開く。確かに、デアンジェリスの南部は海に面しているが。
「海、ですか」
「ああ。海だ。ちょうど、この国の様子を見に来ていた」
「何故?」
魔法病が流行っていたという事実は隠されていた。というか、知っていたら国王であるジェイムズがわざわざ様子を見に来たりはしないだろう。
首をかしげたルクレツィアを、ジェイムズが手招きした。ルクレツィアはフェデーレとヴェロニカを見上げ、フェデーレを連れてジェイムズの近くに寄った。
「誰かが、この国で反乱を起こそうとしている」
「! なんですって?」
小さく囁くような声で言われた言葉に、ルクレツィアは瞠目する。
しかし……言われてみれば、心当たりはある。
てっきりファウストが支援していたと思っていた、ちょうど一年ほど前に起こった惚れ薬事件、その後の人工魔法石による詐欺事件で消えた金が、まだ見つかっていない。おそらく、技術提供を行ったのはファウストだが、主犯は別にいるのだ。
その主犯たちが、反乱を起こそうとしているのだろう。反乱を起こすには金がいる。その金を長い時間をかけて集め、そして、決起しようとしているのか。しかも、ジェイムズが海から様子を見ていたというのなら、南方で反乱がおこる可能性が高い。
「……しかし、それとあなたがこの国の様子を見に来たことに、何の関係が?」
「おそらく、俺があなたの妹と婚約したからだろうが……うちの国の馬鹿どもが、この国で内乱を誘発しようとしている」
「ああ。うちの国の馬鹿どもに、貴国の馬鹿どもが支援を持ちかけたということですか」
「……まあ、そう言うことだな」
ジェイムズがうなずいた。確かに、ジェイムズに娘を嫁がせたいエルシアの貴族ならやるかもしれない。デアンジェリスで内乱が起これば、フランチェスカが嫁ぐまでの期間が延びる可能性が高い。そうなると、三十路近いジェイムズは、早急に嫁を取れと迫られるだろう。もしもジェイムズが押し負けた場合、彼はフランチェスカとの婚約を解消し、自国の貴族の娘と結婚する可能性がある。誰も、不安定な国と縁を結ぼうとは思わないだろうからだ。
「それで、こっそりうちの馬鹿どもの後をつけて、接触する相手を見つけてやろうと思ったんだが……この国、結構混乱しててな」
「申し訳ありませんでしたね」
ルクレツィアがむっとして答えた。ジェイムズはデアンジェリスの橋にいたらしいが、そこでまさかの魔法病に罹患。そして、自覚症状がないままにルクレツィアの精神系魔法によって完治、ということらしい。何だそれ。
「今回、疑われる危険を冒してこの国に来たのは、それを忠告してやろうと思って」
だが、問われなかったら言わないつもりだった。ジェイムズはからりと笑って言ってのけた。
「それと、俺の縁談を断った王女様を見てやろうと思って」
「……」
ルクレツィアは仮面の奥で目を細めた。この男、まだ言うか。
「でも、君が俺との縁談を断ってくれてよかったと、今は思っている」
肩をすくめてジェイムズは言った。どういう意味かと問いかけると、彼は衝撃な言葉を吐いた。
「王女様。君は王だ」
「……は?」
さすがに訳が分からなくてぽかんとすると、ジェイムズはそんな彼女を気にもとめずに言う。
「君は、王なんだ。誰がなんと言おうと、君は魔術師たちの王だ。その風格を持っている。そして、俺も王だ。だからこそ、ともにいれば必ず敵対する」
外見は好みなのになぁ、とうそぶくジェイムズである。正気かこの男。
王宣言にルクレツィアが反応を示す前に、ジェイムズは話を変えた。
「さて。魔術師の王よ。この国で反乱が起こりかけていると知った君は、いったいどうする?」
「……」
ルクレツィアは、ジェイムズを睨みあげた。
△
つい十日ほど前にも、花嫁行列がイル・ソーレ宮殿から出発した。あの時の花嫁はオルテンシアだったが、今回の花嫁はフランチェスカだ。
フランチェスカが嫁ぐのは夏の予定だったが、大幅に前倒しされた。デアンジェリス国内で反乱が起こりそうだからである。
反乱が起こる前に、フランチェスカを嫁に出す。そうすれば、ジェイムズはエルシア王国内にいるフランチェスカとの婚姻に反対している勢力をあぶりだすことが容易になる。目標であるフランチェスカが、自分から手の届くところにやってきてくれるからだ。そんな魔の手から、ジェイムズならフランチェスカを護りきれるだろう。
どう考えても、ジェイムズに有利な条件であるが、フランチェスカを嫁に出せなくなるのは正直困るのだ。一度結ばれた縁談が破談になるのは、体裁的によくない。
まあ、フランチェスカは気にしないだろうが……ただ、彼女が嫁ぐことで、デアンジェリス側でもなにか動きがあるかもしれない。そのために、ルクレツィアはヴェロニカとエラルドの二人を出張として花嫁行列に同行させることにした。もちろん、エルシアまで行くのだ。
エラルドは「とばっちり!」とか騒いでいたが、ヴェロニカは見たことのない国に興味津々だ。戻ってこなかったらどうしよう。
ヴェロニカは強力な魔力を行使する魔女として有名だ。彼女がいなくなるのなら、国王側の戦力が下がったとみて、反乱勢力が動く可能性が高い。
つまり、この花嫁行列は大掛かりな罠なのだ。
急遽決まった輿入れであるので、フランチェスカは両親にすがって泣きじゃくっていた。それでも、行かない、と言わない辺りはさすがである。エミリアーナも泣いているし、クレシェンツィオも涙ぐんでいる。
ルクレツィアも泣きそうだが、ぐっとこらえた。妹の婚姻をはやめた張本人である彼女に、妹の前で泣く資格はない。
両親と兄、弟とあいさつを終えたフランチェスカは、やはり『十五代目アルバ・ローザクローチェ』として花嫁行列を見送るルクレツィアのそばまで来た。
「……ひどいですわ」
「ごめん。でも、こうするのが、一番いい方法だったんだ」
「……わかってますわ。お姉様は、本当にひどい人。いくらでも冷酷になれて、だからこそ、あなたはとても優しい」
フランチェスカは微笑もうとし、失敗した。その歪んだ顔のまま、彼女はルクレツィアに抱き着いた。
「大好きです、お姉様!」
「……私もよ」
空いている左手をフランチェスカの背中に回し、軽くたたいた。フランチェスカが少し身を離す。
「嫁ぎ行く姫君よ。旅路を行くあなたに、どうか幸多からんことを」
祝福の言葉をつむぎ、ルクレツィアはフランチェスカの両頬にキスをした。フランチェスカはギュッと唇を引き結び、泣きそうな声で「ありがとうございます」と答えた。
「アルバ殿。厚遇、感謝する。フランチェスカ様、まいりましょう」
ジェイムズはルクレツィアに簡単に礼を述べると、フランチェスカに手を差し出した。彼女は、その手を取るのを少しためらったように見えた。彼の手を取ってしまえば、もう、この宮殿に戻ることはできないのだ。
ルクレツィアは一度、目を閉じた。ゆっくりと目を開くと、左手を正面門方へ向けた。
その瞬間、風が吹いた。ルクレツィアの力では、攻撃できるほどの風魔法を使うことはできないが、これくらいは。
ちょうど咲き誇っていた花々が、風にあおられて舞い上がる。その光景は幻想的で、とても美しかった。
「お姉様の馬鹿! 大好きですわ!」
フランチェスカはもう一度そう叫ぶと、ジェイムズと共に歩いて行った。
「……嫁ぎ行く姫君よ……」
ルクレツィアは唇を引き結ぶ。限界だった。人目があるのはわかっていたが、仮面をとり、零れ落ちた涙を乱暴にぬぐった。
ぐっと強い力で肩を抱き寄せられた。いつの間にそばまで来ていたのだろう。フェデーレだった。彼は嫁ぎ行く姫君の方を見ていて、こちらを見ていなかった。そこに、ルクレツィアの泣き顔を見まいという不器用な心遣いを感じて、彼女は彼の肩にかじりついて泣いた。
嫁ぎ行く姫君よ。旅路を行くあなたに、どうか幸多からんことを。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
終 わ っ た !
いや、よかったです。伏線回収しきれてない気もするので、読み返しつつ改稿作業をしていきます。
終わったと言いつつ、エピローグがありますので、よろしければどうぞ。
投稿がいつになるかわかりませんが……。




