84.嫁ぎ行く姫君
自国の王族とその婚約者が並んでいるのを見て、まず動いたのはフェデーレだった。
「オルテンシア殿下、ジョスラン王太子殿下。このたびはご結婚おめでとうございます」
「ありがとう。でも、まだ結婚したわけではないわよ」
オルテンシアが眼を細めて優しく微笑んだ。通常ならここでオルテンシアの手を取って口づけでもすべきなのだが、隣にジョスランがいるので遠慮した様子。フェデーレは右の掌を胸の上の位置に当てて軽く頭を下げるという礼をとった。
少し遅れてルクレツィアも続く。
「お姉様。ご結婚おめでとうございます。お姉様が幸せそうで、わたくしもうれしいですわ」
こちらも微笑み、右掌を左胸の上に当てて軽く膝を折る。多用される正式な礼だが、オルテンシアは驚いた様子を見せた。
「どうしてあなたもその礼をするの?」
「このドレスでは、淑女の礼ができません」
「……確かに、そうね」
オルテンシアは自分が選んで着せたルクレツィアのドレスを見る。体のラインが浮き出るマーメイドラインのドレスは、上半身から膝のあたりまでは体にそっている。そのため、スカートをつまむという淑女の礼が取れない。そのため、ルクレツィアはフェデーレと同じ形の礼をしたのだ。
「良く似合っているけど、それが難点ね」
「お姉様が着せたんじゃないですか」
「いいじゃない。わたくしからの最後の我がままよ。聞いてくれてありがとう、ルーチェ」
その言葉を聞いて、ルクレツィアは思わずうつむいた。その言葉が、オルテンシアは本当にいなくなってしまうのだと思わせた。
一度目を閉じ、気分を切り替える。隣にいるフェデーレの手を握ると少し落ち着いた。顔を上げる。
「お姉様、ジョスラン殿下。どうされたんですか? わたくしたちに、何かご用でも?」
公爵家の人間であるフェデーレに用がある、と考えるより、オルテンシアの妹であるルクレツィアに用があると考えたほうが自然だろう。
「用と言うほどじゃないけど、一応、妹に挨拶をしておこうと思って。わたくしがいなくなったあとも、しっかりするのよ」
「はい」
「そのうちフランも嫁ぐわ。あなた一人になっても、頑張るのよ」
「はい。お姉様も、おひとりで嫁ぐのですから、お気をつけて」
「あら。ありがとう」
オルテンシアは微笑んで妹を見上げる。泣くのをこらえているようにも見えるルクレツィアに、ジョスランは言った。
「ルクレツィア殿下。安心しなさい。彼女のことは私が責任を持って護る」
「……よろしくお願いします」
思わず睨むようにして言うと、無表情だったジョスランが少し笑みを浮かべた。
「気がお強いようだな、ルクレツィア殿下」
「噂が真実とは限りませんから」
自分について、臆病である、とか気弱である、という噂が流れているのはし知っている。最近は、ヴィルフレード恐喝事件のせいで気が強い、と認識が改められているようではあるが。
「敵に回すと恐ろしそうだな、殿下は」
「そう思うのであれば、お姉様を大事になさってください」
「そうしよう」
少々恐ろしい内容の会話を、ルクレツィアは無表情で行った。単純に、姉の夫となる男性にどんな表情をむければいいのかわからなかったのだ。
「じゃあ、わたくしたちはフランたちにも挨拶に行くから。セレーニ伯爵。妹をお願いね」
「はっ」
条件反射でフェデーレが騎士の礼を取る。こういうところはさすがだ。ちなみに、先ほどの貴族の礼とは違い、騎士の礼は右こぶしを左胸に当てる。剣を佩いていれば、左手は剣の柄を握ることもある。
オルテンシアが手を振って離れて行くので、ルクレツィアも軽く振り返した。2人の姿が人の波に消えたところで、ルクレツィアはため息をついた。
「自分の姉妹が相手なのに、表情が硬いな」
フェデーレに指摘され、ルクレツィアは「わかってるわ」と苦笑した。
「嫁ぎ行くお姉様に、どんな顔をすればいいのかわからないの」
そんなルクレツィアの言葉に、フェデーレはたっぷり間を置いてから「そうか」と答えた。
△
「ルーチェお姉様。今日は一緒に寝ましょう」
愛用の枕を抱え、キラキラした目を向けてきたのはフランチェスカだ。白いレース飾りのついたネグリジェ姿でふわりとしたストロベリーブロンドの髪を腰まで垂らしている。
「たまには姉妹水入らずもいいでしょう」
そう言ったのはオルテンシアだ。彼女もネグリジェ姿である。こちらは大人っぽいデザインで、何となく色っぽい。こちらもプラチナブロンドを腰まで垂らしている。
「……」
姉と妹の言葉に沈黙を返したルクレツィアは、いつも通りシャツにスラックス。くすんだ茶髪は緩く三つ編みにし、胸の前にたらしている。そこはかとない残念さが漂う恰好であった。
ちなみに、ここはルクレツィアの部屋である。オルテンシアとフランチェスカは、呼んでも来ないであろうルクレツィアの部屋に押しかけることにしたようだ。
「……突然なんなのですか」
やっとそれだけ言うと、フランチェスカが唇を尖らせた。
「だって、シアお姉様は明日で嫁がれてしまうのですよ。最後くらい、一緒に寝たいです」
17歳になったフランチェスカは、唇をとがらせて言った。そんな様子も愛らしい。
「嫌なの?」
「……いやではありませんけど」
じゃあ問題ないわね、とオルテンシアはルクレツィアの腕を取って勝手に彼女の寝室の方に向かった。1人で寝るには広いベッドだが、3人で寝るには少々せまかろう。
「それよりあなた、その格好、何なの?」
オルテンシアがルクレツィアの残念な寝巻を見て言った。ルクレツィアは頭を掻きながら言った。
「いや、私、夜中にたたき起こされることが多いんで」
いつでも駆け出ることができるようにこの格好なのだ。非常時には靴を履いたまま寝ることもある。
「まあ、合理的ではあるけど、今日はネグリジェに着替えましょう」
「! 何するんですか」
オルテンシアにシャツをはぎ取られそうになってずさっと後ずさった。さすがに深窓のお姫様であるオルテンシアと、戦闘訓練を受けているルクレツィアでは、ルクレツィアに軍配が上がり、彼女は姉の手を逃れた。
「着替えさせようと思って。1人だけその格好は変でしょう」
「……」
駄目だしされた。いや、この格好が残念であることはわかっていたが、この格好、すごく楽なのだ。
オルテンシアどころかフランチェスカも参戦しそうな勢いだったので、自分で着替えた。あまり着ないネグリジェは、ひらひらしていて心もとない。ついでに何か言われる前に髪もシルバーブロンドに戻す。
薄い夜着姿になるとよくわかるのだが、何故姉妹なのにこんなにも体格が違うのだろうか。主に胸のあたり。ルクレツィアも決して小さいわけではないのだが、この二人を見ていると血がつながっていることを不思議に思う。そう言えば、エミリアーナも巨乳である。ルクレツィアは完全に父親似なのかもしれない。
ルクレツィアの悩みとも僻みともとれる思いはともかく、三人はルクレツィアのベッドに並んで横になった。オルテンシアをルクレツィアとフランチェスカがはさむようにして寝転んだ。
「こうして三人で寝るのも久しぶりねぇ」
「小さいときは、よく一緒に寝ましたよね」
オルテンシアとフランチェスカが和やかに会話している。三姉妹が一緒に眠らなくなった原因の一端はルクレツィアにある。8歳になったころ、ルクレツィアの魔法騎士としての訓練が始まったためだ。そのせいで、姉妹で過ごす時間が減ったのだ。
それでも、フランチェスカが10歳を越えるくらいまでは一緒に寝ていた。こうしていると、小さいころを思い出す。
あのころからずいぶん変わった、と思う。ルクレツィアたちはもう結婚してもおかしくない年齢で、オルテンシアは嫁いでしまう。彼女が嫁いだら、次はフランチェスカだ。
訓練中の魔法騎士だったルクレツィアは15代目アルバ・ローザクローチェとなり、14代目は亡くなってしまった。
いるのが当然だと思っていた人がいなくなってしまう。死も、結婚することも、きっと同じ。
しかし、結婚ならば今生の別れというわけではない。それでも、さみしいと思ってしまう。
「ルーチェ、起きてる?」
「……起きてます」
まったく会話に参加してこないルクレツィアが眠っているのではないかとオルテンシアは声をかけた。ルクレツィアはばっちり起きている。
「ねえルーチェ。あなたには迷惑をかけっぱなしだったわね」
「……お姉様に迷惑をかけられた覚えはないんですけど」
「王族の中から『夜明けの騎士団』に一人派遣されるのはいつものことだけど、そのせいであなたは苦労したでしょう?」
「まあ、苦労しなかったとは言わないですけど、楽しいですし」
怪我をするし夜中にたたき起こされるし魔術師は変人ばかりだし死にかけるし、思えばろくなことがなかったように思うが、それでも、ラ・ルーナ城で過ごす時間はルクレツィアにとって楽しい時間だった。王女として振る舞わなくてもいい、素の自分でいていい時間。
「いつから、あなたはわたくしたちに対して他人行儀になってしまったのかしらね……。ねえ、気づいてる? そんなあなたが、一番自然にいるのは、セレーニ伯爵といるときなのよ」
「……」
それは、遠回しにルクレツィアが短気だと言っているのだろうか。いや、否定はできないが。
オルテンシアが言うように、いつの間にかルクレツィアは姉妹に対して他人行儀になってしまった。姉妹でありながら似ていない容姿や、彼女たちは守らなければならない対象である、という思いが強かったのかもしれない。
「大丈夫。あなたは頑張ってるわよ。でも、頑張りすぎてはダメよ。自分だけでどうにもならないときは、ちゃんと相談しないと」
その言葉を聞いて、ルクレツィアは、オルテンシアはもっと自分に頼ってほしかったのかもしれない、と気が付いた。
「……肝に銘じておきます」
そう答えると、「堅いのよ、あなた」と苦笑が返ってきた。
△
その翌日。昼になる前に、オルテンシアは正面門から宮殿を出ていく。多くの貴族や臣下が見守る中、花嫁行列がブルダリアスに向けて出発する。さすがは水の都というか、その行列はゴンドラを使って水路をめぐるものとなる。
宮殿の玄関から出てきたオルテンシアを見て、玄関先で待っていたルクレツィアは右拳を胸に当てる礼を取った。
「ご結婚、おめでとうございます。オルテンシア殿下」
「あら。ありがとう」
ルクレツィアの姿を見て、やや驚いたようにオルテンシアは礼を言った。ルクレツィアは仮面を身に着け、銀髪をなびかせ、黒のドレスとマントを着て『十五代目アルバ・ローザクローチェ』として花嫁を見送るところだった。
「……欲を言えば、妹として見送ってほしかったわ」
「アルバ・ローザクローチェが嫁ぎ行く王女を見送るのは慣例ですので」
少し首をかしげて口元に笑みを浮かべる。オルテンシアは「そうだったわね」と微笑んだ。
「フランのこと、お願いね」
先ほどから兄のアウグストにすがって泣きじゃくっているフランチェスカをちらっと見て、オルテンシアが言った。ルクレツィアは「お任せを」とうなずく。そこに、ジョスランが近づいてきた。
「これは。アルバ殿、だったかな?」
「ご記憶いただき、光栄です」
ルクレツィアはジョスランにも頭を下げる。ジョスランは彼女の姿を眺め、言った。
「……最後によろしいか。あなたは、第2王女殿下か?」
ルクレツィアはふっと笑った。
「だとしたら、あなたに何か不都合がありますか?」
いつかと同じ返答。これを聞いたことで、ジョスランは15代目アルバ・ローザクローチェがルクレツィアであると確信しただろう。彼は、他人に吹聴するような性格ではないので、問題ないだろう。
「それもそうだな。……では、オルテンシア」
「はい、ジョスラン様。アルバ様」
ジョスランの手を取ったオルテンシアは、ルクレツィアは振り返る。何でしょうか、とルクレツィアは微笑んだ。
「最後に祝福を授けてくださる?」
「もちろんです」
ルクレツィアはうなずき、杖を両手で持ち、目を閉じた。
「嫁ぎ行く姫君よ。旅路を行くあなたに、どうか幸多からんことを」
祝福の言葉をつむぎ、ルクレツィアはオルテンシアの頬にキスをした。これが異性同士であると手を取ってそこにキスをするが、ルクレツィアとオルテンシアは女性で、しかも姉妹だ。
「ありがとう。あなたにも、幸せが訪れますように」
「ありがとうございます」
ルクレツィアはニコリと微笑んだ。オルテンシアとジョスランは最後にクレシェンツィオと言葉を交わし、ゆっくりとゴンドラに向かって進んでいく。
ルクレツィアはそっと手を差し出した。春と言ってもまだ寒い。そのため、飾られている花のほとんどはつぼみだ。
でも。
オルテンシアたちが進むにつれ、次々と花が開花していく。ルクレツィアが魔法で花の開花を速めたのだ。わっと歓声が上がる。
満開の花の中を歩く嫁ぎ行く姉は、とてもきれいで幸せそうに見えた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
最終話っぽいですが、まだ続きます。




