83.夜会
第11章ですが、章タイトルが『生誕祭』になっていたのを、『復活祭』に変更しました。
晩餐会の翌日、ルクレツィアはラ・ルーナ城にいた。そこにちょうどヴィルフレード・ディ・サンクティス改めヴィルフレード・デ・シーカがいたので、ちょっと聞いてみる。
「マエストロ。結婚するってどんな感じですか?」
この質問に、さしものヴィルフレードも驚いたようだ。
「……突然どうしたんだい? 結婚の予定でもあるの?」
「……ないですけど」
たが、オルテンシアが不安みたいだから、どんな感じなのだろうと思っただけだ。
たぶん、オルテンシアは妹たちを動揺させたくなくて、不安を隠している。なんとなく、そんな気がする。まあ、言われたところで結婚予定のないルクレツィアにはマリッジブルーなど理解できないのだが……。
「うん。それ、ジルに聞いた方がいいんじゃない?」
「でも、ジル姐さんはもともと伯爵で、マエストロが婿入りしたことになるじゃないですか。ジル姐さん、元気?」
「あー、確かにそうだね。うん、ジルは元気だよ。今夜の夜会には参加しないけど」
「そうですね。その方がいいと思います」
ジリオーラは妊娠しているのだから、夜会なんかに参加している場合ではない。
「話がそれたけど、結婚するってどんな感じなんですか?」
「うーん……難しいこと聞くよね。単純に『幸せ』ってだけじゃないというのは確かだけど……僕の場合は、『自分なんかと結婚して、ジルは不幸にならないだろうか』って思ったね」
「へえ。もしかして、関係がこじれたのってそれが原因?」
「察しがいいね。求婚しようかなぁ、って思ってたらジルが戦場で怪我をするし、そのまま言いそびれている間に女伯になって、今に至るんだ」
「……マエストロ。自分の師範に言いたくないですけど、あえて言います。甲斐性なし」
「うん。それは否定できないなぁ」
いつもの笑顔でヴィルフレードはのたまった。ルクレツィアは少し呆れた。
「まあ、ありがとうございます。一応参考になったということにしておきます」
「ああ。一番理解する方法は、自分が結婚してみることじゃないかな」
「そんな予定ないので、無理ですね」
けろりとルクレツィアはそう言ってのけた。とりあえず、結婚する前は男女ともに不安になるということで間違いなさそうだ。
「……じゃあ、お姉様も不安なのかな」
「そうかもしれないね」
ヴィルフレードがルクレツィアの頭をなでた。
「でも、あまり気を遣いすぎるのもよくないよ」
「うん」
ルクレツィアはこくりとうなずき、たまっている事務仕事を片づけに執務室に向かった。
△
夜になれば夜会である。この時期は夜になると肌寒い。夜会が開かれる大広間の近くの控室で待機していたルクレツィアは身震いし、開いていた窓を閉めた。そこにノックがあった。
「どうぞ」
「すまない。少し遅れた」
そう言って入ってきたのはフェデーレだった。ルクレツィアの今夜のエスコート役である。
「急にだったんでしょ。仕方がないわ」
そう言ってルクレツィアは肩をすくめた。
ルクレツィアのエスコートは、もともとアウグストが務める予定だった。これはいつものことである。しかし、アウグストは母親であるエミリアーナをエスコートすることになったのである。母をエスコートする予定だった父は、ジョスランにオルテンシアを引き渡すという演出を行うために、一番上の娘をエスコートしているのだ。
そんなわけで、あぶれたルクレツィアはフェデーレがエスコートすることになった。別に一人でこっそり入ってもよかったのだが、せっかくなのでエスコートしてもらおうではないか。
貴族男性の正装をしているフェデーレは、窓のそばにいるルクレツィアを眺めると、言った。
「寒くないか?」
「寒いわよ」
即答した。寒くて、窓を閉めたくらいだ。何故、この時期に自分はこんな格好をしているのだろうか。
最近はやりのマーメイドラインのドレスだ。着る人を選ぶ形だが、長身のルクレツィアにはよく似合っている。色は青で、スカート部分は膝から裾に向かって広がっている。二の腕までの手袋にショールを羽織っているとはいえ、寒いものは寒い。しかも。
「っ! お前にしては珍しいデザインだな……」
「私の趣味ではありません」
カーテンを閉めるためにフェデーレに背中を向けたルクレツィアであるが、その背中を見てのフェデーレの発言である。前から見ると首元まで覆っているように見えるこのドレスだが、後ろは大胆に開いていた。シンプルなデザインを好むルクレツィアには珍しい。
「お姉様が、『最後のお願い』とか言わなかったら着ないわよ」
「……ああ、オルテンシア殿下の趣味か……」
ほっとしたようにフェデーレは言った。オルテンシアが着ても似合いそうだが、ルクレツィアも良く似合っている。髪を結い上げたうなじが色っぽい。ルクレツィアから色気を感じるなど、青天の霹靂である。
一方のフェデーレはルクレツィアに合わせたのかわからないが、青みがかった黒いスーツに、何故かタイは濃い緑。髪はなでつけ、黙って立っていると見目麗しい貴公子にしか見えない。
こんな美形の隣に、自分が並んでもいいのだろうか……と思いつつ観察していると、ふとフェデーレの装飾品がすべて銀とエメラルドで構成されていることに気が付いた。改めて自分を見直す。
青いドレスに、サファイアのネックレスと金のブレスレット。見えないが、耳元を飾るのは金とラピスラズリのイヤリング。髪飾りも全体的に青系でまとめられている。
……図られた……。
とっさにそう思った。ルクレツィアに青が似合うのは事実であるが、青と金はフェデーレの『色』だ。金髪碧眼の貴公子はそれに気が付いただろうか。
逆に、銀と緑はルクレツィアの『色』である。フェデーレはそれらを身に着けていた。もちろん、ルクレツィアはいつも通り茶髪なのだが。
「……行くか」
「そうね……」
フェデーレもその事実に気が付いたのか、少し疲れた口調で言った。ルクレツィアはあまりためらわずに彼の腕に自分の手を絡ませた。世のご令嬢から恨まれそうな気がする。みんな、彼の中身が残念なことに気が付いていない。
大広間に入るときはかなり注目された。だが、すぐに国王が娘を婚約者に引き渡す、という演出が行われ、注目はそちらにそれた。しかし、ルクレツィアは開いた背中にかなりの数の視線を感じた。思わず身震いし、フェデーレの腕を強くつかむ。
「……痛いんだが」
「ごめん……背中に、視線が……」
「ああ、まあ、それだけ背中が開いていればな」
背中に怪我がなくてよかったな、とフェデーレは平然とのたまった。他人事だと思って、この野郎。
そのままオーケストラが音楽を奏ではじめる。国王が王妃の手を取る。ジョスランはオルテンシアを、アウグストは血縁のあるサンクティス公爵家の女性の手を取った。もう少し詳しく言うと、従妹だ。ジェレミアはフランチェスカと。
「お前も行くか?」
フェデーレにささやかれたが、ルクレツィアは首を左右に振った。衆人環視の中で踊れるほど、ルクレツィアはダンスがうまくなかった。アウグストがエスコートしてくれるときはそのままダンスに入ることもあるが、アウグストは慣れているので踊りやすい。ちなみに、フェデーレとは踊ったことがない。
一曲終了すると見守っていた貴族たちもダンスフロアに足を踏み入れる。すると、ルクレツィアと共にダンスフロアの方を見ていたフェデーレが声をかけてきた。
「……ルーチェ。一曲お相手願えないか?」
差し出された手を見て、ルクレツィアは目をしばたたかせた。
「……踊りたいなら、あなたと踊りたそうにしているご令嬢、たくさんいるわよ」
先ほどから視線を感じる。周囲の令嬢たちがフェデーレに声をかけようと機会をうかがっているのだ。今は王女であるルクレツィアが隣にいるので、声をかけられないのだろう。若干恨みのこもった視線を感じるルクレツィアである。女性の恨みは買いたくないものだ。
「俺は、ルーチェと踊りたい」
思わず目を見非たいた。フェデーレは公式の場では『私』という一人称を使うことが多い。ルクレツィアが『わたくし』と公の場で使うのと同じだろう。だが、いま彼は『俺』と言った。それだけ真剣で、せっぱつまっているのだと感じられた。
ルクレツィアはふっと笑みを浮かべた。
「わかった。でも、一曲だけね」
「ありがとう」
ほっとした様子で、しかし嬉しそうにフェデーレはルクレツィアの手を取った。そのままフロアにいざなわれる。
さすがに踊り慣れているというか、フェデーレはリードがうまかった。着なれない形のドレスを着て、慣れないステップを踏むルクレツィアをうまく誘導してくれる。ダンスというのは、男性が上手ければ女性は基礎を知っていればだいたい踊れるものである。逆に、男性が下手だと女性がどれだけうまくてもうまく踊れないのだ。
「……もう大丈夫そうだな」
「何が?」
ステップを間違えないように気を付けながら、ルクレツィアは少し顔を上げてフェデーレの端正な顔を見上げた。こいつ、近くで見ると本当に嫌味なくらい顔が整ってるな。
「いや、男性恐怖症」
フェデーレがそう答えたのを聞いて、ルクレツィアは「ああ」と一つうなずいた。
「少なくとも、あなたが相手だと大丈夫みたいね」
「そうなのか?」
「ええ。だって、あなた何もしないでしょ」
「……」
あ、少ししょんぼりした。最近、フェデーレの素が見えてきたが、彼は本当にメンタルが弱いな。言い争いをすることはまだあるが、ルクレツィアの一言に彼ががっくりすることが増えた。
まあ、ルクレツィアがここまで彼にずばずば言えるのは、彼女が彼を信頼しているからだ。絶対に本人には言わないけど。
「ちょっと。素が出てるわよ」
笑みを浮かべてそう言うと、フェデーレの顔にも笑みが浮かんだ。その外向き用の笑みに、ルクレツィアがどん引きする。いや、フェデーレに腰を支えられているから、引けなかったけど。
「それはそれで気持ち悪いわね」
「お前、俺にどうしろと?」
「うん。やっぱりそんな感じでいいわ」
顔をしかめたフェデーレを見て、ルクレツィアはうなずいた。顔をしかめられて喜ぶ娘もどうかと思うが、外向きの笑顔を見せられるよりはましだ。
彼の素顔を知っているということは、自分はだいぶ彼と打ち解けていたのだな、と今更ながら思う。
ダンスを終え、お互いに一礼したとき、声がかかった。
「2人とも、楽しそうね」
オルテンシアとジョスランが近くまで来ていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
この章はゆるゆると進んでいく予定です。とても書きやすいです(笑)




