82.結婚するということ
たぶん最終章です。
春が近づいてきた。ということは、もうすぐデアンジェリス王国第1王女オルテンシアが、ブルダリアスのジョスラン王太子に嫁ぐことになる。
まだ肌寒いこの時期であるが、春に行う結婚式の前にオルテンシアがブルダリアスに慣れるため、早めに嫁ぐこととなっていた。
だが、ジョスラン王太子が迎えに来るとか、聞いてないから!
本日突然出現(来訪)したジョスランに挨拶するために、ルクレツィアはラ・ルーナ城からあわててイル・ソーレ宮殿に戻ってきた。戻ってくるまでには水路を使った。ゴンドリエーレはフェデーレである。
「来るなら前触れくらい出しなさいよ!」
「いや、来ていたがお前が知らなかっただけかもしれないぞ」
「……それは否定できないわね」
フェデーレにつっこまれ、ルクレツィアはうなずいた。確かに、その可能性はある。何しろ、ルクレツィアはほとんどをラ・ルーナ城で過ごしているため、情報がなかなか入ってこないのだ。いや、緊急の情報は入ってくるのだが、なんというか、正直どうでもいい情報は入ってこない。
ジョスラン来訪はそのどうでもいい情報に分類されていたということだ。
ゴンドラを発着場に付け、先に降りたフェデーレが手を差し伸べてくれる。ルクレツィアはその手を取って岸にうつった。
男性恐怖症で知られる第2王女ルクレツィアであるが、最近はその兆候がなりをひそめている。完全に直ったわけではないだろうが、家族や友人など親しい人間が相手だと、発症しないようになっている。
やっぱり、マルツィオを殴り飛ばしたのが良かったのかしら。
魔法病事件の時に保護した、ルクレツィアが男性恐怖症になった原因の青年。彼が目覚めると、ルクレツィアは彼をぶん殴り、さらに彼女がラノキアに行っている間に、彼は再び王都追放となっていた。
まあ、殴り飛ばしたことですっきりしたのは事実だ。かわいそうな気はしたが、自分が殺されかけたことを思い出すと、これでも足りないだろうとも思う。
何となくフェデーレにエスコートされたまま城内に入る。貴族や官吏、使用人たちが二人を見て、さっと視線を逸らした。これにもさすがにもう慣れた。
こうなったのは、結構前の話だ。ラノキアでのタネル帝国との交渉が終わり、王都に帰ってきたころ。だから、3週間ほど前の話だ。
ラノキアへの行きは『キーラ』を飛ばしたが、帰りは馬車でゆっくり帰ってきた。ジリオーラの体調が悪そうだったし、行きはヴェロニカが死にそうな顔で相乗りしていたからだ。
そして、7日かけて王都に戻ってくると、マルツィオはすでに再度追放されたあとだった。『夜明けの騎士団』のみんながおびえていたので、ヴィルフレードとアウグストが何かやらかしたのだろう。この二人、何気に似ているのだ。まあ、叔父と甥と考えれば似ていても不思議はない。
それで、だ。ヴェロニカの不調は慣れない『キーラ』での移動の為だったが、ジリオーラの不調は遠出の為ではなかった。
彼女は妊娠していた。現在3か月である。彼女の不調は妊娠初期症状だった、というわけだ。当然、腹の子の父親はヴィルフレードであるが2人は結婚していない。というか、そういうことに疎いルクレツィアですら気が付いた2人の関係だ。むしろ、なぜ結婚していないのか。妾の子であるとはいえ、ヴィルフレードはサンクティス公爵家の出身だ。異母姉は王妃だし、伝統あるシーカ伯爵家に婿入りするには問題ない。
そんなわけで、オルテンシアに先立ってジリオーラとヴィルフレードが結婚したというわけだ。
それで、ルクレツィアが若干怖がられている理由であるが、これは全般的にルクレツィア自身のせいである。ジリオーラの妊娠が発覚したとき、ルクレツィアはヴィルフレードを責め立てた。しかも、イル・ソーレ宮殿内で自分より背の高い彼の襟首をつかんで揺さぶるというおまけつき。
『そう言う可能性があるなら、先に言ってくださいよ! 戦場に連れて行っちゃったじゃないですか!』
彼女はヴィルフレードを責めたが、一番腹を立てたのは何も気づかなかった自分自身に対してである。あろうことか『キーラ』に乗せて強行軍に参加させてしまったではないか。うっかりタネル帝国の女王と戦わせなくてよかった。
すぐにアウグストとフェデーレによって拘束されたため、ルクレツィアの乱心はすぐに鎮静化したが、宮殿内で大声を出したため、多くの人間に目撃された。大勢の前でぶちぎれたため、ルクレツィアはみんなに若干引かれているのだ。
そもそも、ルクレツィアがキレるということ自体が珍しいのだが、未婚で身ごもったジリオーラにも恥をかかせてしまって申し訳なかった。彼女には誠意をこめて謝っておいた。
だがまあ、だいたいの貴族たちは『やっぱりな』という思いだったらしい。なので、ジリオーラとヴィルフレードについては『やっとか』という思いの方が強く、ルクレツィアの方に注目が集まってしまったというわけだ。
「うーん。目立たないように生きてきたのに」
「完全に自業自得だろうが」
「わかってるわ」
ルクレツィアは肩をすくめて言った。周囲に若干引かれつつもフェデーレにエスコートされていたルクレツィアは、王族のプライベートスペースに近づいたあたりで立ち止まった。
「ここまででいいわ。ありがとう」
さすがに姉の夫となる男性に、普段着のまま会うことはできない。ラ・ルーナ城からそのままやってきた彼女は、動きやすいワンピース姿なのだ。最近は抜け道ではなく堂々と正面口から出入りすることが多い。
というわけで、部屋で着替えるべくここまで来たのだ。フェデーレはここから先にはめったに入ることができない。
「いや。お前は危なっかしいからな」
今までなら腹を立てていたフェデーレの憎まれ口であるが、ルクレツィアも何となくわかってきた。これは、彼の照れ隠しなのだ。たぶん、彼は素直ではないだけだ。
だからルクレツィアはにっこり笑ってフェデーレに手を振った。
「じゃあ、また明日……になるかしらね」
おそらく、ここから先はルクレツィアは王女として宮殿に拘束される。ジョスランが来たので、今夜は晩餐会が開かれるはず。明日は夜会か。だから、まあ明日になると思われる。
「……ああ」
さすがに、今年て20歳になったフェデーレは手を振りかえしてくれなかった。
△
濃い紫のドレスに着替え、ルクレツィアはみんなが集まる鈴蘭の間に向かった。ルクレツィアが最後だったようで、他は全員そろっていた。
「お待たせいたしました。申し訳ありません」
「いや。それほど待っていない」
クレシェンツィオはルクレツィアに座るように指示する。妹のフランチェスカの隣だ。向かい側ではアウグストが笑みを浮かべており、その隣にはジェレミアがいる。そして、並んで座った国王と王妃に、オルテンシアとジョスランが向かい合っていた。うん。ジョスラン王太子のアウェー感がやばい。
「お久しぶりです、ルクレツィア殿下」
「はい。お久しぶりです、ジョスラン王太子殿下」
ルクレツィアは軽く頭を下げてあいさつをする。じっと観察するように見られたが、ルクレツィアは気づかないふりをした。
主にしゃべっていたのはクレシェンツィオとアウグストで、ルクレツィアたちはただ黙って座っていただけだ。ちなみに、やはり、今夜は晩餐会らしい。
「シアお姉様、嫁いでしまうのですね……」
鈴蘭の間を出たフランチェスカがさみしそうに言った。それを見て、ジェレミアが元気づけるように言う。
「大丈夫ですよ、フラン姉上! 会えなくなるわけではありませんし、シア姉上は幸せそうでした! 笑顔で送り出してあげましょう!」
うん。ジェレミアにしてはいいことを言った。ルクレツィアも賛同するようにうなずいた。
「そうだね。お姉様が嫁ぐときは、笑顔で見送ってあげよう」
ね、とルクレツィアはフランチェスカの華奢な肩をたたいた。フランチェスカは「はい」と小さくうなずき、ルクレツィアを見上げた。
「……さみしいですね。家族がいなくなるのは」
「……そうだね」
ルクレツィアは小首を傾げて少し笑った。
でも、それでも。
本気で失うかもしれないと思うよりは、嫁ぎ行く姫君を見送るのは気が楽だ。だって、死んでしまうわけではない。逆に、生きているからあきらめがつかないのかもしれないけど。
オルテンシアは、婚約者のジョスラン王太子とクレシェンツィオ、エミリアーナ、アウグスト共に結婚式の話をしている。参列するのは、おそらく兄のアウグストになるだろう。ルクレツィアは国を離れられないし、国王夫妻も国許を離れないだろう。そうなると、おのずと選択肢が縮まる。
もちろん、オルテンシアの結婚式はデアンジェリスではなくブルダリアスで行われる。だから、正確には、彼女らは『オルテンシアを見送るとき』の話をしているのだろう。
ああ。そう思うと、ルクレツィアも泣いてしまいそうだ。
そのままフランチェスカたちと別れ、晩餐会の準備をする。紫のドレスからアイスグリーンのドレスに着替えた。おそらく、オルテンシアは花嫁を連想させる白系のブルダリアスで流行りの型のドレスを着るだろう。フランチェスカは、いつも通り、ふんわりした温かい色合いのドレスを着るはず。エミリアーナは落ち着いた濃い色合いのドレスを好む。たぶん、色はかぶらないだろう。
カルメンたちに髪を結ってもらい、ちょうど化粧も終えたところにアウグストがやってきた。彼がエスコート役にやってくるのは、わりといつものことである。身長の関係で兄か父くらいしかルクレツィアをエスコートできない。いや、正確にはできるが、見た目がおかしくなってしまう。
「こんばんは、ルーチェ。今日もきれいだね」
「……ありがとうございます」
ルクレツィアも、社交辞令を受け流せるくらいにはおとななつもりである。アウグストの妹びいきは今に始まったことではない。
彼にエスコートされて連れて行かれたのは、この宮殿で一番上等な食堂だった。さほど広くはないが、意匠を凝らしたつくりとなっている。
やはり広くないテーブルに、いわゆるお誕生日席にクレシェンツィオ、その向かい側にジョスラン、その左隣にオルテンシア、その隣がルクレツィアでさらに隣がアウグスト。オルテンシアの向かい側がジェレミアであり、ルクレツィアの向かい側はフランチェスカ。アウグストの向かい側はエミリアーナとなっている。
和やかに晩餐会は進んだが、ルクレツィアを含め年少組は黙ったままだ。特に、フランチェスカとジェレミアが居心地悪そうに助けを求める視線を向けてくるが、私にどうしろと。
「――――というわけなのだけど、ルーチェはどう思う?」
突然話をふられて、ルクレツィアはまばたきした。ちょうどシャンパンを一口嚥下したところだった。
「あなた、話聞いてなかったでしょう」
オルテンシアがくすくす笑って言った。うん。楽しそう。姉の為の集まりなので、彼女が楽しいならそれでいいだろう。
「わたくし、幸せになれるかしら」
直球な言い方にジョスランの顔が強張っているが……いや、無表情なのはいつものことか。ルクレツィアは数度瞬きして隣に座るオルテンシアの顔を見た。
「……お姉様は幸せになれるでしょう。誰もがお姉様を敬愛し、あこがれるようになります」
魔術師の直感は当たる。だから、アウグストもルクレツィアに話をふったのだろう。というか、これ、いまここで必要なことだったか?
「そう。ならよかったわ」
オルテンシアが安心したように笑った。その表情を見て、オルテンシアも不安だったのだな、と何となく思った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
この章は番外編的なノリになると思います。糖度高めでお送りしたいと思います。……たぶん。




