81.エジェ
第10章最終話。山なしオチなしです。
「名乗るのは初めてですわね。私はもちろん、あなたを存じていましたが、あなたは私をご存じないでしょう」
はかなげな外見と釣り合うおっとり気味の口調でジリオーラを言った。そのおっとりした口調が似合わなくて、ルクレツィアはぶるりと身震いした。何故か悪寒がしたのである。そして、震えたのを見ていたクレシェンツィオに心配された。とりあえず、大丈夫と答えておく。
現在タネル帝国の女王と向き合っているジリオーラは、自立が難しいためか杖をついている。いや、おそらく、自力で立つことは可能なのだ。それでも、話が長引けば足に負担がかかる。それを見越して杖を持参したのだろう。ルクレツィアとヴェロニカが身の丈もある杖を持ち込んだことを考えれば、通常の歩行用杖など短いものである。
「いや……確かに名は知らなかったが、あんたのことはよく覚えているよ。とても強かったねぇ」
「ありがとうございます」
そんな2人の会話を聞いて、ルクレツィアは思う。もし、ジリオーラが戦争で怪我を負うことはなく、今でも剣を握っていたら、フェデーレはヴィルフレードに次ぐ剣士、と言われるようになっただろうか。
まあ、考えても詮無いことである。ただ、体がもう少し丈夫だったら、ジリオーラはおとなしくしているような女性ではないだろうなぁ、と思った。
「女王。あなたは9年前の戦役で、軍を引いてくださいました。ですのに、何故再び我が国へ侵攻するのです?」
単刀直入にジリオーラが尋ねた。国王も王女もいるのに、彼女が口を開いたことで、ジリオーラが交渉役であることが伝わっただろう。女王は面白そうに笑みを浮かべた。
「どうしようと、私の勝手だろう? 9年前は、突然父上が身罷り、戦争を続けられなくなっただけだ」
「ですが、あの時は、あなたは戦争反対の立場にあったはず」
それなのに、戦場に出てきた。そして、それは今回も。
タネル帝国は広大な領地をもつ。しかし、決して強大な国ではない。デアンジェリス成立以前の大帝国の流れをそのまま引いていると言われるが、だからこそ、国内に多数の民族がいる。それはつまり、内部分裂を起こしやすいことを意味するのだ。
つまり、タネル帝国は内乱が起こりそうな状況なのかもしれない。共通の敵は、仲間意識を強める。そのために出兵したのではないだろうか。
初めから、王女を一人嫁がせろ、などという要求が通るはずがないということがわかっていたはずだ。いや、場合によっては通じたかもしれないが、現在のタネル帝国にそこまでの価値はなく、というか、それ以前に、女王の子供は三人いるが、男児はまだ十歳である。ちょっと年齢的に釣り合わない。
ジリオーラと女王がにらみ合う。眼力ではやや女王に軍配が上がるが、ジリオーラも負けていなかった。
「……そちらが、王女を寄こさなかったからだ、と言ったら?」
その発言がすでに、本気で王女を望んでいなかったことを意味する。ジリオーラは「そうですね」と頬に手を当てて考える。
「我等には、貴国に王女……ひいてはルクレツィア姫様を差し出さなければならないいわれはない、とだけ告げさせていただきます。あなたの子は、まだ10歳のはず。決して珍しくない年の差ではありますが、少々難がございましょう」
冷静に、ジリオーラは事実のみを述べる。確かに、8歳差でしかも女性の方が年上……という例は皆無ではない。しかし、今すぐ差し出せ、というには少々無理がある。だって、ルクレツィアが嫁いだとしても、すぐには結婚できないだろうから。
「……面白い子だが、かわいくないね」
「あら。ありがとうございます」
苦虫をかみつぶしたかのような女王の言葉に、ジリオーラはにこにこと礼を言った。ここで、クレシェンツィオが一歩前に出た。
「詳しいことは、お聞きしない。だが、ここで引いて下さらないのであれば、我等にも考えがあります」
そのために、ルクレツィアが、ヴェロニカが連れてこられた。ルクレツィアはただの使者ではないのだ。重要な戦力でもある。
女王は隣国の王を見上げ、唇の端を吊り上げた。にやり、としか形容できない笑みである。
「ほう? 面白い。そなたらは、我らタネル帝国軍に勝てると思っているのか」
「そうですね。少なくとも、負けることはないでしょう」
さらりとクレシェンツィオが言った。タネル帝国軍は人数は多いが、魔法を使える軍人は少ない。西洋国家では魔術師の待遇を見直し、国家で保護しようという動きが強まっているが、やや考え方の古い東の方の国ではそう言った行動は少ない。もちろん、魔術師や妖術使いなどは存在する。しかし、それらは民間の物であって、国家に対する責任を持ち合わせていないのだ。
だから、勝つことはなくても、少なくとも負けることはない。その気になれば、一つの街くらいは簡単に滅ぼせるだろう、と言われる魔力を持つ魔女が二人も従軍しているのだから。
「だが、ここには国王であるそなたも、魔術師の責任者だという王女もいる。さすがに、その人数で我等には勝てぬだろう」
女王の背後には三十人弱ほどの兵士の姿がある。彼らは女王が命令すればすぐにでも動くだろう。おそらく、この中で一番強いのが女王だ。だから、三十人の兵士がどう動こうと、女王をおさえてしまえばどうとでもなる。
だが、万が一。
「もし、私とルクレツィアが死ぬような事態になっても、まだ王都には私の息子と魔術師の指揮官を担う者がいます。すぐに報復活動が行われるでしょう」
にこやかに、クレシェンツィオは言った。さすがのルクレツィアもちょっと引いた。だが、タネル帝国の女王は強かった。
「なるほどな。王都に保険を残してきたか。確かに、お前の言う通りなのかもしれないな」
「ご理解いただけたようで何よりです」
なんなのだろうか。王になる人間は、どこかしら思考回路が他人とずれているのだろうか。
「女王。我らはあなたたちとの戦いを望みません。できることなら、あなた方とは良き隣人でありたいものです」
ジリオーラがやはりおっとりした口調で言った。少し、彼女の顔色が悪くなってきている。立っているのがつらいのかもしれない。ルクレツィアが思わず女王の方を見ると、何故か彼女と目が合った。
「なら、あの子をくれるか?」
「無理に決まっているではありませんか」
ジリオーラはころころと笑って答えた。女王に示された張本人であるルクレツィアより素早い反応だった。
「そもそも、王女殿下はああ見えてよく訓練を受けた魔法戦士です。取り込んだが最後、内部から破壊されるかもしれませんよ」
いや、さすがの私もそんなことしないから。そこ、疑わしそうな視線を向けるな。
ジリオーラの言葉により、クレシェンツィオやフェデーレたちからも不審げな視線を受けることとなった。頼むからジリオーラ。もう少し言葉を選んでくれ。
「わかっている。言ってみただけだ。……しかし、要求がのまれないことを理由に侵攻するのは、さすがに無理があったか」
そう言って、女王は苦笑した。あとでジリオーラが調べてわかったことであるが、この時、タネル帝国は本当に分裂の危機であったらしい。共通の敵は仲間意識を強める、というところまであっていたので、ルクレツィアは自分の勘も捨てたものではないな、と思った。
「このまま進軍されるとおっしゃるのでしたら、わたくしにも考えがあります」
「ほう? なんだ?」
口を開いたルクレツィアに、女王が面白そうな視線を向ける。こうしてみると、むやみに戦争を起こすような人には見えないから不思議だ。
「タネル帝国軍を、壊滅させます。わたくし一人で」
おそらく、ルクレツィアの魔力のすべてを注げば、現在ラノキアに展開している帝国軍に大打撃を与えられる。そうすれば、タネル帝国軍は引かざるを得なくなる。
まあ、それをしたらルクレツィアも今度こそ死ぬだろうし、タネル帝国の分裂が早まるだろうから、いいことはないのだが。
「……それは困るな」
まったく信じていない口調で女王はそう言った。ルクレツィアはちょっとすねる。本気なのに。
「まあいいだろう。本当は、私も戦争がしたいわけではないからな」
なら来るなよ。
おそらく、デアンジェリス側の全員がそう思った。だが、国内で高まった意見に、君主が押されてしまう、ということはよくあることなのだ。一概に女王を責められない。タネル帝国は男尊女卑の思想が残っているので、女性である女王にとって統治しづらい国なのだろう。
「だが、ただで引き下がるわけにはいかない」
女王は腰から剣を鞘ごと取り外し、その剣をルクレツィアの方に向けた。
「デアンジェリスの姫君よ。私と剣で勝負をしよう」
「……はい?」
なんだと?
「そちらの女伯爵でもいいが、彼女は足が悪いのだろう。ならば、姫君しかおらぬ」
確かに、ジリオーラのほかに女性はルクレツィアだけ……いや、ヴェロニカがいるが、外見的に青年っぽいし、そもそも剣で勝負などできる女ではない。肉体的な弱さには定評のあるヴェロニカなのだ。
最近、このパターン多いな……。
そう思うことも、最近多い。
「わかりました。いいでしょう」
「ルーチェ。大丈夫なのか?」
「平気です」
クレシェンツィオに笑顔で答え、ルクレツィアは持っていた杖をあろうことかその国王に押し付けた。自分の父とはいえ、国王に自分の荷物を持たせるとはいい度胸である。
「先に言っておきますが、私、剣術はそんなに強くありません」
先に言っておく。正直、ジリオーラに障害が残るほどの怪我を負わせた女王に勝てるとは思えない。だから、彼女もルクレツィアが勝つことを望んでいるわけではないのだろう。
「ああ、そうだろうな。見れば何となくわかる」
「……」
何、そんなものなの? ルクレツィアは驚き、軽く目を見開いた。だが、すぐに表情を引き締めて女王と向き合う。
どちらからともなく、地を蹴った。刃同士がぶつかる金属音が響く。背はルクレツィアの方が高いのに、力で押された。ルクレツィアはあわてて距離を取るが、すぐに間合いを詰められる。
「ああ……」
ジリオーラの残念そうな声が聞こえた。たぶん、今の一瞬の間に、ジリオーラなら攻撃することができたのだろう。型にははまっているが、実戦経験の乏しいルクレツィアに、勝てるはずのない相手なのだ。
というわけで、最終的にルクレツィアは地面に膝をついた。タネル帝国軍が歓声をあげたが、女王は地面になついたルクレツィアを見て剣を鞘に納めた。
「なるほど。確かに、うまくはないな」
「ご期待に沿えず、申し訳ありませんね。必要なら、代役を立てますけど」
嫌味っぽくルクレツィアは言った。もちろん、この場で一番強いフェデーレをぶつけてやる。
すると、女王は笑った。
「いや。その必要はない。この調子なら、デアンジェリスには攻め込むだけ無駄だな……」
って、西がダメなら、東か南に攻め込むってこと、ないですよね?
ルクレツィアは俄かに心配になったが、つっこまないでおいた。
その後、ルクレツィアの不安は的中し、女王は東の大国に攻め込み、そして敗戦した。
タネル帝国の分裂は、さらに進み、国境の警備のために足りない魔術師を割く、という何とも言えない結果となった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
ばっちり山なしオチなしでした。この後、タネル帝国は崩壊していきます。いくつかの国に分かれることになりますね。女王は、「この国、もうだめだわ~」と思って国を滅ぼすために戦争しまくるんですね。
そんな女王の裏事情。




