79.すでに違和感しかない
今回はフェデーレ視点です。サブタイトルと内容に少々齟齬がございます……。
知らなかった。失うということが、こんなに恐ろしいことだとは。
喧嘩をしつつも、彼女はいつでも近くにいた。男性恐怖症だと言いながら手をつないできたり、思い切り蹴られたこともあったが、まあ、ある意味彼女なりの信頼の証なのだと思う。
彼女がアルバ・ローザクローチェである以上、戦争が起これば彼女は魔術師たちを率いて従軍することになる。ラノキア戦役の時、自分も彼女もまだ子供であったが、当時のアルバ・ローザクローチェが従軍魔術師たちを率いて戦場に向かったことは覚えている。
もしもそこで、彼女を失うとしたら。
失うくらいなら、国など、世界など滅びればいいと思った。
それくらい、彼女を失うことは恐ろしいことに思えた。
だが、同じくらい恐ろしいのは自分が『ファウスト』のようになってしまうのではないかということだ。
アウローラを求め、現代まで生き続けた魔術師。自分も彼のようになってしまうのではないかと思ったら、恐ろしかった。それくらいなら、死んでしまった方がいいかもしれない。
だが、フェデーレは目覚めた。目を覚ましてしまった。
彼は、自分が魔法病に罹患していることを自覚していた。自覚して、隠していた。人から人にうつるものではないし、うつるとしても、『夜明けの騎士団』の職員は、事務員に至るまで魔力が高いので、魔法病には罹患しにくいのだ。実際に、『夜明けの騎士団』の団員で罹患したのはフェデーレを含め数人だ。
倒れた時にはかなり病が進行していたと思うのだが、何故か今は体の調子がいい。と言っても、寝たきりだったので体は重いが。どう考えても病が治ってきていると考えられるのだが、どういうことだろう。フェデーレが知る限り、この病にかかって回復した者はいなかったはずだ。
それは、ヴェロニカやリベラートたち魔法研究家が特効薬でも発見したのかもしれない。とにかく、生きているのなら誰かに聞いてみればいい。そう思いながら、フェデーレは腕をついて上半身を起こす。筋力が落ち、鏡を見なくてもやつれている自覚はあった。
と、そこに部屋の扉が開いた。おそらく、フェデーレが寝ていると思ってノックをしなかったのだろう。ちなみに、ここはラ・ルーナ城の医務室だ。フェデーレも何度かお世話になったことがある。
入ってきたのはルクレツィアだった。いつも通り素っ気ないワンピースに身を包み、少し短くなった銀髪を胸の前で一つに束ねていた。
「……」
「……」
しばらく無言で見つめ合う。すると、見る見るうちにルクレツィアのアイスグリーンの瞳に涙がたまった。
「!? ちょ、ルー、っ」
あわてて声をかけたが、その前にわっと泣き声をあげたルクレツィアがフェデーレに泣きついてきた。おそらく、いつもなら造作もなく受け止められただろうが、寝たきりだったフェデーレは彼女の勢いに押されてそのまま後ろに倒れた。ベッドに逆戻りである。
「!?」
フェデーレは混乱しながら自分の胸の上で泣きじゃくるルクレツィアの肩に手を回した。何が起こっているんだ、いったい……。
すると、今度はノックの音が聞こえた。続いて声。
「何してるんだ」
女性にしては低めの声である。ヴェロニカだ。ルクレツィアを抱えたまま無理やり身を起こすと、ヴェロニカが部屋の入口のところで立っているのが見えた。開いたままの扉をノックしたらしい。
ヴェロニカはピクリと眉を動かすと、無表情のままルクレツィアの襟首を引っ掴んでフェデーレから引きはがした。ほっとすると同時に、少し残念な気もした。
「安心したのはわかるが、フェデーレは病み上がりだからな」
いつもよりやや優しい声で(でも平坦な声音)、ヴェロニカはルクレツィアに諭すようにそう言った。さらにトレーを持ったリベラートが姿を見せる。
「おー、目が覚めたか。よかったよかった」
そう言って、入ってきた彼は扉を閉めた。
とりあえず、一言言ってやろう。
「意味が分からないんだが……」
確実に死んだと思ったのに生きているし、ルクレツィアは泣きついてくるし、もはや意味が分からない。リベラートは笑ってトレーに乗せたオートミールの皿を差し出した。とりあえず食べろということらしい。常識人に見えるが、なんだかんだ言って彼も変人魔術師の一人だった。
腹が減っていたのも事実なので、フェデーレは皿を受け取ってとりあえず食べ始めた。腹が減るということは回復してきている証拠だ。
その間に落ち着いたルクレツィアはベッドサイドに置いてあった丸椅子に腰かける。さばさばしているので忘れがちだが、この中ではルクレツィアが一番身分が高い。
「ん、まあ、食べながら聞け。まず、お前を治したのはルーチェだ」
説明役に回ったヴェロニカの言葉に、フェデーレは口の中のものを吐き出しそうになり、あわてて飲み込んだ。むせるフェデーレにルクレツィアが無言で水の入ったグラスを差し出した。その中身を飲みほし、フェデーレは水を差しだした少女を見た。
「……ルーチェが? しかし、お前は治癒術がほとんど使えないだろう」
大きく分けて、治癒術は二つの種類がある。外傷を治すものと、病を治すものだ。ルクレツィアは外傷を治す治癒術を多少使えたはずだが、病に関する治癒術はほとんど使えなかったはず……だ。
フェデーレの視線を受けたルクレツィアはニコリと笑い、こともなげに言ってのけた。
「だって、その病を治すには、治癒魔法は必要なかったもの」
必要だったのは、精神感応魔法であるらしい。こちらも、ルクレツィアにはないはずだ。
「まあ、簡単に言うと、あの魔法病は人に絶望を見せ、自分で自分を殺してしまうんだな。どうなっているのかは僕にもわからないが、とにかくルーチェが魔法病を終息させた。よかったな、死ななくて」
「そうね」
ヴェロニカがルクレツィアに向かって最後の一言を放つと、彼女は目を細めてうなずいた。フェデーレはまじまじとルクレツィアを見た。
「あー、どうやら多大な心配をかけたようで、申し訳ない」
「……うん。まあいいわ。私もいろいろ無茶したし」
「その点に関してはどっちもどっちだな」
リベラートが苦笑気味にそう言うと、ルクレツィアが気まり悪そうな笑みを浮かべた。この女、いったい何をしたのだろうか。
この時、フェデーレは、彼女が命を賭して彼を助けようとしたことを知らなかった。
「それじゃ、病は終息したってことでいいんだな」
病人食を食べ終えたフェデーレが尋ねると、ヴェロニカがうなずいた。落ちてきた眼鏡のブリッジを押し上げる。
「そちらは大丈夫だな。結果だけ報告すると、魔法病によって死亡した人数は総計26名。まあ、あれだけの規模でこの人数なら、少ない方だろう」
三ケタに乗らなかっただけましだ。罹患者は優に四ケタに乗っていただろうが、それは考えないことにする。少なくとも、『夜明けの騎士団』が入手した情報によると、ルクレツィアが病を終息させた後に亡くなった人はいないらしい。
「空気中と地中の魔力濃度も正常に戻ってきている。ちなみに、今日はお前が倒れてから4日目だ。それと、ファウストが『消え』て、マルツィオを保護した」
つらつらと報告をしてくれるヴェロニカだが、最後にとんでもないことを言った気がした。
「……は? なんだって?」
「だから、魔力濃度が元に……」
「いや、それはいい。それじゃなくて、最後。何? マルツィオを保護したのか?」
ちらっと気にするようにルクレツィアをうかがうフェデーレだ。彼女はマルツィオに殺されかけたことがある。それがきっかけで、彼女は男性恐怖症になった。今はだいぶ落ち着いてきているが。何しろ、フェデーレに抱き着いてきたくらいだ。
何の因果か、ファウストはマルツィオの体を依り代として使用していた。ファウストがいなくなったということは、今のマルツィオは『マルツィオ』本人なのだろう。
フェデーレの視線に気が付いたルクレツィアはキョトンとした表情で首をかしげている。この様子を見るに、彼女はマルツィオとまだ接触していないのだろう。
「ああ。ルーチェなら心配するな。そいつ、すでにマルツィオをぶん殴ってるからな」
「!? そうなのか!?」
リベラートの言葉に愕然とするフェデーレだ。苦笑いを浮かべるルクレツィアを見て、『こんな娘だったか……?』とフェデーレは思った。なんだか性格が変わったというか、開き直っている気がする。
「いやぁ。目を覚ましたっていうから見に行ったんだけど、顔見てたら腹が立ってきて」
けろりとした調子でルクレツィアは言った。殺されかけたと思えば、殴るくらいでは足りないと思うが、それでも彼女はそんな子じゃなかった……。
「……まあ、お前が気にしてないならいいけど」
「うん」
笑顔でうなずかれ、やはり違和感を覚えるフェデーレだ。何だろう。ルクレツィアとは、喧嘩をしていることの方が多かったからだろうか。
「まあ、マルツィオの体力が戻り次第、やつは王都追放だ。ルーチェが許したとしても、やつは王女に手をかけたのだからな」
くくっ、とヴェロニカが引き笑いを浮かべた。他の3人はどん引きである。めったに表情が動かないヴェロニカだが、これは完全に怒っている。よほど腹に据えかねていたらしい。彼女にとって、ルクレツィアは大切な存在なのだろう。妹のような存在なのかもしれない。並んでいると、まるで恋人同士のようにも見えるが。
「でもまあ、その前に私が王都を出るかもしれないわねぇ」
「はっ!?」
のんきな口調で言ったルクレツィアに、フェデーレだけではなく、ヴェロニカとリベラートも驚きの声をあげた。みんな初耳らしい。
「どういうことだ!?」
「お前、まさか嫁ぐとか!?」
「くっ、どこの馬の骨だ……!」
3人の反応を見て、ルクレツィアは呆れた表情になる。
「……誰も結婚するなんて言ってないわよ」
それを聞いて、フェデーレは心の底からほっとした。ちなみに、最後のセリフを無表情で地を這うような低い声で吐き出したのはヴェロニカである。
「タネル帝国が、すでにラノキアに展開しているらしくてね。3日後には出立だわ。陛下とジル姐さんと一緒に、ラノキアまで行ってくる」
「マエストロは?」
「私に何かあったとき、マエストロまでいなかったら混乱するでしょ」
からからと笑って、ルクレツィアはリベラートの質問に答えた。つまり、置いて行くということだ。
「……戦場に行くのか」
今度はフェデーレが問いを発する。ルクレツィアは彼に視線を移した。そして微笑む。
「ラノキアは、まだ戦場ではないわ。タネル帝国の遠征軍には、女王が同行しているの。話をしに行くだけよ」
だから、国王も一緒なのだろう。ジリオーラはタネル帝国の女王と面識があるし、ルクレツィアはデアンジェリスの魔術師代表としてついて行く。紛れもなく、彼女は国家の代表の一人なのだ。
話しぶりからして、使者三人が死んだ場合の子とも考えられている。国王の代わりは王太子、ルクレツィアの代わりはヴィルフレード、ジリオーラは伯爵であり、抜けたところで問題はない。
問題はない、が。
到底、容認できるものではなかった。フェデーレは即座に腹を決めた。
フェデーレはルクレツィアの手を取った。振り払われるかと思ったが、彼女はおとなしく手を握られていた。彼女のアイスグリーンの瞳を見つめ、フェデーレは断言した。
「わかった。なら、俺も一緒に行く」
だいぶ間をおいて、ルクレツィアの「はあ?」という気の抜けた声が上がった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次はルクレツィア視点に戻ります。早ければ、次で第10章も完結……しますかね?