76.アウローラと、そして
考えていたことがある。夢の中で、初代アルバ・ローザクローチェ……つまり、アウローラはその身をもって戦争と病を終息させた。
同じことを、ルクレツィアにもできるのではないか?
ルクレツィアはアウローラに比べて魔力が少ないだろう。500年前よりも魔術師の魔力量は減ってきているため、これは確実だ。それに、もう一つの問題はルクレツィアが病を終息させるための魔法を知らない。
だが、両方とも解決できると思った。
今、王都の空気中と地中には大量の魔力が眠っている。それを利用すれば、足りない魔力は補える。
それでも、命がけの魔法になるだろう。ルクレツィアが一度に終息させられるのは病のみ。それでも、しないよりはいい。デアンジェリス全体が戦争対策に乗り出せる。
そして、魔法を知らないことについては。
「……いるんでしょ。『アウローラ』」
春が近づいてきたとはいえ、まだ夜が来るのは早い。薄暗い通りを歩きながら、ルクレツィアは独り言のようにつぶやいた。魔法病が流行しているので、人通りは皆無。誰もいないはずなのに、声は聞こえてきた。
『あら。気づいてたのね』
ルクレツィアの傍らに浮かぶ女性の霊。先月の幽霊事件の時に目撃した女性の幽霊だ。これが、アウローラ。思わずまじまじと観察する。
『何? あなたと似たような顔だと思うけど』
「……しゃべれるとは、思っていなかっただけ」
ルクレツィアは肩をすくめてそう答えた。アウローラはルクレツィアのやや上の方を飛びながら言う。
『あなたも私と同じ決断をしたのね』
「そうするしかないでしょう。そう言う役割なんだもの」
『……ごめんね』
「別に。合理的だとは思う」
初代アルバ・ローザクローチェが杖を残したのは、生贄を選ぶためだ。アルバ・ローザクローチェは生贄なのである。そのため、その正体が明かされることはない。王族から1人、魔力の強いものを選び、そのものに役目を負わせる。有事には、その身をもって国を、世界を救う。それが、初代が自分の杖にかけた、アルバ・ローザクローチェの契約なのだ。
「この疫病を何とかするわ。やり方を教えて」
アウローラは一度、病を終息させている。だから、やり方を知っているはずだ。速足で歩くルクレツィアについて行きながら、アウローラが尋ねる。
『どうして私がやり方を知っていると思うの?』
ルクレツィアは足を止め、アウローラに微笑んだ。
「そうじゃないと、あなたが今になって出てきた説明がつかないわ」
『あら』
アウローラはそれだけ言って肩をすくめるようなしぐさをした。透けているので、いまいちよくわからなかったけど。
アウローラが今になって幽霊として戻ってきたのは、かつて自分が命を賭して終息させたのと同じ病が広がることを予見したからだろう。そのために、呼び戻された。初代アルバ・ローザクローチェの杖が受け継がれる限り、何度でもアウローラは呼び戻されるのだろう。
『鋭い指摘ね。でも、その通りだわ』
再び歩き出したルクレツィアを追いながら、アウローラは言った。
『確かに、私はやり方を知っているわ。でも、高確率であなたは命を落とす。言ってはなんだけど、あなた、私よりも魔力が少ないわ。戦争終結までは無理でしょう』
「それでいい。戦争の方は、みんなが何とかしてくれるわ」
ルクレツィアがいなくなっても、大出力の魔法はヴェロニカが使えるし、魔術師たちの指揮はヴィルフレードが取れる。あまり問題はない。
「私は、私にしかできないことをするの」
『……そう』
どこか悲しいような、そんな印象をおぼえる声だった。アウローラはその声音のまま、ルクレツィアに尋ねる。
『彼を助けたいの? 彼が大事?』
三人称であったが、アウローラが誰のことを言っているのかはすぐにわかった。フェデーレのことだ。ルクレツィアは彼が病に倒れたのを見て、決断したのだ。
「……よく、わからないわ。彼のことは助けたいし、大事で、どちらかというと好きよ」
でも、よくわからない。彼のことをどう思っているのか。自分の心なのに、よくわからない。
思えば、いつだってフェデーレはルクレツィアの味方だった。嫌味を言うことはあっても、それは喧嘩の域を出なかったし、その喧嘩は信頼が成り立っていたからできたことでもあるのだ。
フェデーレは決して、ルクレツィアを貶めるようなことは言わなかった。ルクレツィアが引け目に思っていることをあげつらったりしなかった。彼はルクレツィアを否定しない。必要なときには手を貸してくれたし、いつのまにか当たり前のようにルクレツィアの側にいた。
確かに、留学に行っていてそばにいないことはあった。だが、もう、今では彼がいないことなど想像できない。いるのが当たり前になってしまった。
失うかもしれないと思って、それに気が付いた。
何より、彼はルクレツィアが行くなら、ともに戦場へ行くと言ってくれた。一人でやらなくてもいいと言ってくれた。それが、とてもうれしかった。彼は、ルクレツィアが欲しいと思った言葉をくれる人だった。
アルバ・ローザクローチェである以上、一人でやらなければならないと思っていた。でも、違うのだ。その必要はない。誰かがそばにいてくれると思うだけで、こんなにも心丈夫でいられる。
「それでも……失うくらいなら、いっそ……」
彼に対する感情は言葉にできない。複雑すぎる。だが、断言できる。彼を、フェデーレを失うくらいなら、ルクレツィアは死を選ぶ。可能性があるのなら自分の命を懸けて、彼を救うことを選ぶ。
そんなルクレツィアを、アウローラはどこか悲痛な表情で見つめていた。ゆっくりと口を開く。
『……成功して、彼が助ければ、彼は、あなたを止められなかったことを後悔するわ』
断言した。彼女も、今のルクレツィアと同じ立場だったことがあった。そして、彼女は命を懸けて人々を護った。
『彼が、同じことをしたらどうするの?』
人の名前を言ったわけではなかったが、ルクレツィアにはわかった。アウローラは、フェデーレがファウストと同じことをするのではないかと指摘しているのだ。ルクレツィアは首を左右に振った。
「それはないわ」
『どうして?』
「彼には、魔力がないもの」
そう言うと、アウローラは噴出した。
『魔力がなくても、いくらでもやり方はあるわよ』
例えば、禁忌の魔法に手を出すとか。魔力がなくても、魔法を使う方法はいくつかある。それでも。
「彼はやらないわ。たぶん」
彼は、ルクレツィアを追ってくる。そう言う人だ、彼は。
フェデーレは、ルクレツィアをよく理解していると思った。彼女が欲しいと思っていたものを、言葉をくれる。いつもは腹が立つのに、彼はいつでもルクレツィアの味方だった。
『……本気なのね』
「……当然だわ」
ルクレツィアは本気だ。本気で、この病を終息させる。その方法が禁忌であろうと、結果的にみんなが、フェデーレが助かるのならばそれでいい。
アウローラの透明な手がルクレツィアの頭を通り抜けた。どうやら頭を撫でたかったらしいが、ルクレツィアが感じたのはひやりとした冷たさだけだった。
『その覚悟、受け取ったわ。そこまで言うのなら、私はあなたに手を貸しましょう。元より、そのために眠りから覚めたのだしね』
やはりそうなのか。ルクレツィアは自分より上にあるアウローラの顔を見上げた。彼女は微笑んでいる。
「……ありがとう」
『まさか、こんな後世で私と同じことを考える人がいるなんて思わなかったわ』
「私も、まさか初代アルバ・ローザクローチェが自分に似ているとは思わなかった」
アウローラの方が美人だけど。そう付け加えると、アウローラはくすくすと笑った。
『自分に自信がないのね。それは、どうしてだと思う?』
「どうしてって……」
ほかの兄弟の方が美人だからとか、絶世の美女を知っているからだとか、いろいろ理由はあげられるが、アウローラはそう言った答えを望んでいるのではないのだろう。
『まあ、それは自分で考えなさいな。……それより、今は』
アウローラの目つきが鋭くなる。ふわりと風が吹いた。甘い香りがして、ルクレツィアは口と鼻をおさえた。覚えのある匂い。
『アレを、何とかしないとねぇ』
まるで服のしわを見つけたかのような、そんな口調だった。ルクレツィアはアウローラにつられてそちらを見る。
青年が立っていた。とうに日は沈み、明るい月が青年を後ろから照らしている。逆光で顔は視えないが、わかる。
『ずいぶん姿を変えたようね。その体で何人目かしら』
青年が近づいてくる。彼はアウローラの問いには答えず、ただ静かに口を開いた。
「アウローラ……会いたかった」
ファウストだった。マルツィオの顔をしたマルツィオでない人間が、アウローラに向かって囁く。
「ずっと会いたかった……探していた」
『私を引っ張り出すために多くの人間を巻き込むなんて。私との約束を忘れたの?』
アウローラが鋭い声で言った。実体のあるファウスト。実体のないアウローラ。しかし、その魔力は明らかにアウローラの方が強かった。
「世界を壊したわけではない。依り代に君が移れば、すぐに病をばらまくのはやめる」
どうやら、大量の魔力を放出したのはファウストらしい。どうやって、と思ったが、その瞬間にひらめいた。人工魔法石だ。通常の魔法石と同じく、魔力を増長させる効果があるはず。とすれば、王都の魔力濃度が濃くなった説明がつく。王都には、宝石の代わりに人工魔法石をファッションに取り入れる者が多いのだ。『夜明けの騎士団』で回収しているが、それでも取りこぼしがあるは仕方がないと思ってほしい。
ファウストの言葉を聞いて、アウローラは嫌そうな顔をした。
『見下げ果てたものね。私が死んであなたは悲しんだのに、彼女に私と同じことをしろというのね』
アウローラの依り代になっても、魔法病を収めてもルクレツィアはいなくなる公算が高い。アウローラは、そのことを皮肉っているのだろう。
かつて、アウローラが国のために亡くなったことで、ファウストは凶行に走った。アウローラの存在は歴史の中に消え、今まで誰にも思い出されることはなかった。
ルクレツィアも、そうなるのだろうか。
だが、ルクレツィアはアウローラとは違う。ルクレツィアは、彼女とは違い、歴史の表舞台にも名がある。だから、ルクレツィアがいなくなったとしても、すぐにその名が消えることはないだろう。……たぶん。
「……私は、本当にこの病を止めてくれるなら」
『ちょ、何言ってるの!』
アウローラが待ったをかけたが、ルクレツィアは言った。
「アウローラの依り代になっても、いいわ」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
いい感じにクライマックスなのですが、再び体調を崩す雲居です……。面目ない。
3日以内には続きを更新しようと思っていますが、あまり期待しないでください……。




