75.あなたを失うくらいなら
2日たった。この2日の間に、さらに16人が亡くなり、病による死者は19名となった。
原因の目星がつけば、その結果がわかるまではすぐだった。
結果的に言えば、空気中の魔力濃度と地中の魔力濃度が半端なかった。これは完全に呼吸と食事による魔素の過剰摂取が魔法病の原因である。
だが、原因がわかったからと言って、すぐに何とかなる問題ではない。呼吸も食事も、生きるのに必ず必要な要素なのだ。そのため、誰もがいつ発病するかと戦々恐々としている。
ルクレツィアは『夜明けの騎士団』の魔法医療チームが優秀であると思っているが、彼らでも、病の進行を遅らせることはできても、治すことはいまだに出来ないようだった。
そして、患者は増える一方。貴族や『夜明けの騎士団』の団員からも罹患者が現れている。混乱する市民から嘆願書も上がってきており、ルクレツィアは頭を抱える日々だ。
「……空気中と地中の魔力濃度を下げるには、そこに含まれている魔力を使って魔法を使うのが一番手っ取り早いと考えたの」
「……なるほど」
相変わらずみんなが忙しく、ヴィルフレードたちは調査に出向いているので、ルクレツィアの戯言に付き合っているのはフェデーレだった。いや、戯言というより、実験だ。ルクレツィアは宮殿の周囲に魔法陣を描いていた。
「リベルによると、空気中から摂取する魔素の量よりも、食事から吸収される魔素の量の方が多いらしいわ。と、言うことは、地中の魔素をまず何とかする」
食料の大量消費地である王都では、ほとんどの食料をほかの地方から輸送してきている。各地の観測員の報告によると、これだけ魔力濃度が高いのは王都だけのようだ。つまり、問題は王都内を通過する水である。
地中を通る水。魔素を含むのは当たり前だ。特に、王都フィオーレは水の都と言われるほどで、街中に水路がめぐらされている。人が生きるのに最低限必要なのは水だと言われるほど、水は重要。だから、汚染されると最も大きな被害が出る。
「そんなわけで、とりあえず宮殿を囲む結界を地中の魔力を使って形成してみようと思って」
「……確かに、理屈は通っている気がするが、俺にはよくわからないな」
「私もうまくいくかはわからないわね」
「おい」
フェデーレにつっこまれ、ルクレツィアは肩をすくめる。わからないものは仕方がない。しかし、やらないよりはいいだろう。
「それに、ヴェロニカが言ったように元を絶たなければ何度でも繰り返すのよ」
どこかに魔力を大量放出している者がいるのかもしれない。それを見つけ出さなければ、こうして魔力を使い続けても魔力濃度が正常値に戻ることはない。
「……ファウストか」
「えっ?」
つぶやかれた名前に、ルクレツィアは驚いてフェデーレを見上げた。フェデーレも驚いた表情でこちらを見つめている。
「……なんでファウスト?」
「いや……王都内だけとはいえ、フィオーレはかなり広いぞ。この広い王都すべてで魔力濃度を上げようとしたら、相当な魔力がいる。あいにく、俺はそんなバカげた魔力を持っている人間を3人しか知らない」
「悪かったわね、バカげた魔力で」
バカげた魔力を持つ3人のうち1人は明らかにルクレツィアだ。彼女の魔力が呆れるほどなのは確かである。もう1人はヴェロニカ。そして、最後の1人がファウストだ。ルクレツィアやヴェロニカがこんなことをするはずがないので、消去法でファウストと考えたらしい。
「それに、ほら、デアンジェリス独立戦争の時も魔法病が流行ったって言ってただろ」
「うん」
フェデーレの話を聞きながら魔法陣を描く。魔法陣が出来上がっていく様子を見ながら、フェデーレは話した。
「その魔法病と今蔓延している魔法病は、同じものなんじゃないかと思って。当時を知っているファウストなら、どうしてその魔法病が蔓延したかも知っているはずだし……」
さすがに、証拠がないので確かなことは言えないが、フェデーレの言うことは的を射ている気がした。かつて対処法があった病でも、長い時の間で消えてしまったものもある。病が発症しなければ、対処法など必要ないからだ。ファウストは病がなぜ起こるのか知っていて、その方法を試した、と考えることもできる。
「都合の悪いことは全部あいつのせいにしている気もするけどな」
そう言って、彼は肩をすくめた。魔法陣を書き終えたルクレツィアは首を左右に振る。
「そうでもないわ。あなたの意見、結構的を射ていると思うの。だって」
あの時、病を抑え込んだのはアウローラだった。同じ状況を引き起こせば、彼女が出てくるかもしれない。ファウストがそう考えても不思議ではないのだ。
それに、フェデーレに言われて気が付いたが、デアンジェリス独立戦争の時の魔法病と今回のものは同じ種類の病気だろう。あの時も、人々は絶望を見ていた。今回も、患者たちは絶望を叫びながら死んでいくのだ。
もちろん、これらはルクレツィアの夢が正しかったらの話であるが。
「うん。参考になったわ。ありがとう」
「……ならいいんだが」
そう言って、フェデーレも肩をすくめて見せた。
とりあえず実験準備が終わり、後は結果を待つばかり。戻ったラ・ルーナ城は相変わらずバタバタとしていた。最近はよく、廊下に物や書類が落ちている。ルクレツィアの元に届くまでに書類が行方不明になることもざらで、探し出すのが大変である。
「……何とかしなきゃとは思うんだけど」
ルクレツィアにできることなど、たかが知れている。せいぜい、書類を見てまとめて考えるくらいしかできない。思わずため息が出た。
「タネル帝国の方も、状況が芳しくないみたいだし。どうやら女王が出てきてるみたいで……というか、フェデーレ、あなた、大丈夫? 顔色悪いけど」
隣にいるはずなのに反応が皆無のフェデーレが心配になり、ルクレツィアは彼を見上げた。彼はもともと男性にしては色白な方なのだが、色が白いというより蒼ざめて見える。
目は合ったが、やはり反応がない。ルクレツィアが熱を測ろうと手を伸ばすと、その手がつかまれた。男性恐怖症気味のルクレツィアであるが、最近、フェデーレ相手ではあまり発症しない。握られた手が熱くて、これは熱があるな、と思った。
「熱があるわね。魔法病だったらまずいし、魔法医に見せに……」
「いい」
「は?」
「いい。お前の隣にいると言った」
「……それは聞いたけど、それとこれとは話が別で、っ!?」
どうか悲鳴を上げなかったルクレツィアをほめてほしい。フェデーレに力づくで抱きしめられた。城内はばたついているとはいえ、人はいる。人前であることと男性に抱きしめられたことに混乱する。そう。フェデーレは男性だ。今、強くそう認識した。
ルクレツィアより大きな体。力強い腕。高い体温。それらすべてがフェデーレを生身の男だと認識させた。
それでもルクレツィアが彼を振り払わなかったのは、彼の様子が明らかにおかしいからだ。力が強すぎて自力では振り払えなかったともいう。問題は。
い、息ができない……!
おそらく身長差のせいだろうが、肺が圧迫されて息が苦しい。呼吸ができないことに蒼くなるべきか、フェデーレの熱い吐息が首筋にかかることに赤面すべきか迷った。
本格的に息が苦しく、たぶん蒼ざめているだろうな、と思いながら、そろそろ魔法を使って突き飛ばしたほうがいいだろうかと思った。そうしないと、ルクレツィアが気を失う。
「……お前を失うくらいなら」
耳元でしゃべられて、ルクレツィアははっとした。その言葉に反応したのだ。もしかして、彼はルクレツィアが考えていたことに気付いているのだろうか。
「……世界なんて、滅びてしまえばいい」
「!」
ルクレツィアは慄然とした。同じだ。
同じだ。フェデーレは、ファウストと。
ファウストも、思ったはずだ。アウローラを失うくらいなら、世界なんて滅んでいいと。
それでも、アウローラは世界を救うことを選んだ。彼女が望んだから、ファウストは世界を壊さなかった。その代り、彼女を再び手に入れようとしている。
理解できた気がした。何故、ファウストがアウローラに執着するのか。守れなかったからだ。彼女のことを。そのことを、きっと後悔しているのだ。
たぶん、フェデーレもルクレツィアが死んだら後悔するのだろう。彼は、彼女の隣にいると言ったのだから。
ルクレツィアはフェデーレの背に手をまわして軽くたたいた。
「大丈夫よ。私が死ぬときは、あなたも道連れよ」
半分笑うように、冗談めかして言った。フェデーレが軽く笑うのがわかった。
「……そうか」
ガクッとフェデーレの体から力が抜けた。今度こそルクレツィアは悲鳴を上げる。自分より体格の良い彼の体を支えきれず、ルクレツィアはその場に座り込んだ。
「どうした!?」
誰かが呼んできてくれたのだろうか。リベラートが駆け寄ってきた。ルクレツィアはフェデーレの頭を自分の膝に乗せながら振り返る。
「それが、よくわからなくて……」
「フェディ。お前、今すごくいい状況だぞ……」
「人の話を聞きなさいよ」
呆れながら、ルクレツィアはリベラートにツッコミを入れる。それからふと思い立ち、フェデーレのシャツのボタンをはずしはじめた。
「ちょ、未婚の娘が何やってんだ!」
「別に脱がせるわけじゃないわよ! ……やっぱり」
腹のあたりまでボタンをはずしてシャツをめくると、フェデーレの左肩のあたりに赤紫の痣があった。これは完全に魔法病にかかっている。ルクレツィアは唇をかんだ。
「こりゃ罹患してるな……しかも、結構進んでる」
フェデーレの容体を観察しながら、リベラートが言った。ルクレツィアは驚きの声を上げる。
「こうなるまで、我慢してたってこと?」
「たぶんな。心配かけまいとしたんだろ」
誰に? たぶん、ルクレツィアに。
「……あなたを、失うくらいなら……」
震える声を絞り出す。リベラートが心配そうに声をかけてくる。
「おい。大丈夫か?」
ルクレツィアはうなずいて、目を閉じた。頬に涙が伝った。
目を開いた時、ルクレツィアは真剣な表情だった。リベラートが知らず息をのむ。
「リベル。フェデーレをお願い。行くところができたわ」
「あ、ああ……って、1人で行く気か!? ヴェラを呼んでくるか?」
「いい。1人で。大丈夫よ」
フェデーレを引き受けてくれたリベラートに返した言葉は、くしくもアウローラが思っていた言葉と同じだった。
「……帰ってこいよ」
歩き出したルクレツィアに、リベラートが声をかけた。彼女は杖を持った手を上げることでそれに答えた。
「あなたを、失うくらいなら……」
世界なんて、滅べばいいなんて、ルクレツィアには思えない。それでも、あなたを失うくらいなら。
自分が死んだ方がいい。そう思った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
さすがに、連続投稿もここで打ち止めですね……。連休は素晴らしい。資格の勉強もしなきゃですけど……。




