73.戦争
時間がないので、ブラウスの上に黒のベスト、さらに黒のロングスカートにブーツという格好で登城したルクレツィアは、フェデーレと共に正面門を突破してきた。黒のマントと仮面と杖をしていたとはいえ、よく正面門を突破できたものだと思う。
「アルバ様」
アルバ・ローザクローチェ=ルクレツィアが公然の事実となりつつ今でも、王太子アウグストは、妹を『アルバ様』と呼ぶ。王太子だからこそ、公私ははっきり区別しなければならない。それは、ルクレツィアも同じ。内心焦りを感じながらも、ルクレツィアは唇に笑みを乗せる。
「こんにちは、王太子殿下。緊急事態とお聞きしましたが?」
「はい。こちらへ」
アウグストが手を差し出す。急いできたので手袋を忘れてきたので、素手でその手を取った。ルクレツィアはフェデーレを振り返り、軽く杖をふってついてくるように指示する。
「失礼ですが、マエストロは?」
「マエストロは現在、王都内を調査中です」
「そうですか……ぜひ臨席していただきたかったのですが」
「テレパシー能力者が呼びかけましたので、そうかからずに戻ってこられると思いますよ」
謎の疫病が流行していることはアウグストも知っている。王太子だから当然だ。彼も、その対応に追われている。
連れてこられたのは宮廷内の会議室だった。アルバ・ローザクローチェであるルクレツィアは何度か足を踏み入れたことがあるが、あまりなじみのない場所ではある。
会議室には、さすがにフェデーレは入れない。議場ではなく、小さな会議室には主だった大臣たちが集められていた。
国王クレシェンツィオ、王太子アウグスト、宰相、宰相補佐のシーカ女伯、内務大臣、外務大臣、軍務大臣など、総勢20名にはなるだろう。ルクレツィアはマントを預けると、迷わず国王の向かい側の席に座った。隣が空いているのは、ヴィルフレードの為の席なのだろう。
「アルバ様。マエストロはいかがされた」
「現在、王都を調査中ですので、遅れてこられるでしょう」
「この重要な時にですか」
ルクレツィアの言葉に反応したのは内務大臣だ。ルクレツィアは小首をかしげる。
「あら。疫病の調査が重要でないとでも?」
「……失礼ですが、王女殿下。あなたには荷が重いでしょう」
「わたくしはアルバ・ローザクローチェです。荷が重いかどうかは、話を聞いてからわたくし自身が判断します」
きっぱりとそう言いきると、次の発言がある前に国王が口を開いた。
「タネル帝国がデアンジェリスに進行してきているそうだ」
「……なるほど」
ルクレツィアは仮面越しにちらりとジリオーラを見た。彼女と、軍務大臣が顔をこわばらせている。この2人はラノキア戦役に参戦した人物だ。
タネル帝国はラノキア戦役の時にも侵攻してきた国家である。ラノキアはデアンジェリスの地方の名前で、タネル帝国と接している。ちなみに、タネル帝国はデアンジェリスの東に隣接している。
今回も、戦争となるのならラノキアが戦場となるだろう。どう考えても、タネル帝国軍がデアンジェリスに進行してくるのなら、ラノキアを通らなければならない。
9年前のラノキア戦役は、タネル帝国の皇帝が亡くなることで終結した。現在は、その娘が女王として即位しているはずだ。
「女王は、自分の息子の花嫁に王女を差し出せと要求してきた」
「……」
なんだか、最近このパターンが多いな、と思った。あれか。ルクレツィアがアルバ・ローザクローチェだと広まっているのか? エルシアのジェイムズ王のときは、フランチェスカが嫁ぐことで落ち着いたが、今回はそうはいかないだろう。
というか、結婚できる息子がいる女王はいったい何歳なのだろうか。
やや現実逃避気味のルクレツィアである。ルクレツィアは目を閉じ、仮面を取った。
「仰せとあれば、わたくしが嫁ぎますが」
第2王女ルクレツィアとして、同時に15代目アルバ・ローザクローチェとしての言葉だった。みんながルクレツィアの顔を凝視する。
「ダメです」
反対を口にしたのはジリオーラだった。彼女は宰相の隣から、ルクレツィアをまっすぐに見ていた。
「ダメです。あなたが嫁ぐことはまかり通りません。あなたが嫁いだからといって、タミル帝国が攻めてこないとは限りません。そうなれば、アルバ・ローザクローチェたるあなたがいない我が国は、高確率で負けてしまうでしょう」
「女伯」
宰相が咎めるようにジリオーラを注意したが、彼女は聞かなかった。
「9年前のラノキア戦役の時、先代アルバ・ローザクローチェが出陣するだけでどれだけ士気が上がったと思いますか。今は、あなたがその役目を担うのです。我が国からあなたがいなくなることは考えられません」
18歳であるルクレツィアは、九年前の戦役を知らない。優しいジル姐さんが傷ついて帰ってきたことしか知らない。おそらく、戦場は想像もできないほど凄惨な光景が広がっていたのだろう。
その中で、ジリオーラは戦った。先代アルバ・ローザクローチェはその役目を果たした。
アルバ・ローザクローチェがいれば、何とかしてくれる。
普段はどれだけ嫌っていようと、戦争ともなれば力のあるものを頼ってしまうのは当然の心理だろう。アルバ・ローザクローチェはそれだけの力を持つ。初代の杖に選ばれるということは、そういうこと。
「戦争は外交問題ですから、私たちが対応いたします。とにかく、アルバ様には疫病の対策を」
「わかりました」
アウグストに釘を刺され、ルクレツィアはうなずいた。その通りだ。国内でしか力を発揮しないアルバ・ローザクローチェの権力は、外交問題には向かない。彼女は国内に蔓延する疫病を何とかすべきだ。
国王も王太子も、ルクレツィアを国外に出す気はないだろう。その気があるのなら、ジェイムズ王の縁談の時に、ルクレツィアまでその話が回ってきていたはずだ。それがなかったということは、二人とも、彼女を国外に嫁がせる気はないと考えるべきだろう。
とすれば、もし、タネル帝国と戦争になるならば、ルクレツィアはアルバ・ローザクローチェとして従軍しなければならないだろう。こればかりは、国王にも王太子にも止めることはできない。国が危うくなれば、アルバ・ローザクローチェはすべからく手を貸す。それが初代国王と初代アルバ・ローザクローチェの契約なのだ。
「姫様」
会議が終わり、会議室を出たルクレツィアに声がかかる。ジリオーラが自分で車いすを動かしながら近づいてきた。
「少しお話しましょう」
「……ええ」
うなずいて彼女の車いすを押そうとする。だが、その前に待っていてくれたらしいフェデーレがジリオーラの車いすを押しはじめた。
「あら、ありがとう」
ジリオーラが振り返ってフェデーレに礼を言った。彼は外向き用の笑みを浮かべて首を左右に振った。相変わらず外面がいい。ルクレツィアも人のことは言えないけど。
「姫様には少々厳しいことを言ってしまいました。申し訳ありません」
そう言いながらも、ジリオーラは微笑んでいた。ジリオーラ、フェデーレと並んで歩きながら、ルクレツィアは首を左右に振った。
「いえ。シーカ伯爵の言ったことは、事実だと思います。わたくしは、戦争を知らないから」
「そうですね」
ジリオーラはそう言って、車いすに身を預けて少しの間目を閉じていた。車いすはゆっくりと進む。おそらく、フェデーレがルクレツィアに歩調を合わせてくれているのだろう。
やがて眼を開いたジリオーラは話しはじめた。
「私が戦場へ向かったとき、すでに戦争も後半でした。一年というさほど長くない戦争でしたが、多くの犠牲者を出すには十分の時間です。激戦だった……と、思います」
ジリオーラがラノキア戦役に参戦したとき、彼女は24歳だった。当時シーカ伯爵令嬢であり『夜明けの騎士団』の魔法剣士であった彼女は、14代目アルバ・ローザクローチェの護衛の1人として戦役に参戦したのだ。ちなみに、当時を知る人間によると、彼女はヴィルフレードの恋人だったらしい。今はどうかわからないけど。
だから、彼女は目撃したのだ。
「わが軍は疲弊していました。それは、敵軍も同じだと思いますが、私は味方の方しか見ていませんから。とにかく、疲弊していたわが軍は、先代アルバ・ローザクローチェの到着を見て、湧き上がりました」
士気が上がった。負けるかもしれないと思った戦争。結局、決着はつかずに終わったが、デアンジェリスは事実上勝利しているとも考えられる。それくらい、アルバ・ローザクローチェが人々に与える影響は大きいのだ。
「だから、私はあなたの存在の大きさを理解していると思います。若いあなたには、酷な話だとも思います。ですが、姫様。あなたは、自分の存在が人々に与える影響をもっとよく知るべきなのです」
「……そう、ですね」
アルバ・ローザクローチェは必ずいるわけではない。ルクレツィアは14代目が倒れた後、すぐにアルバ・ローザクローチェとなったが、14代目のときは20年以上、アルバ・ローザクローチェがいなかったそうだ。
アルバ・ローザクローチェは国王と同じなのだ。いなくなれば、人々に不安が広がる。死したのではなく、何の前触れもなくいなくなれば、なおさら。
顔をこわばらせたルクレツィアを見て、ジリオーラが彼女の手を取った。それを見たフェデーレが車いすを止める。引き留められるようにルクレツィアも足を止めた。
「大丈夫です。陛下も、戦争にはしたくないでしょう。いざという時は私がタミルの女王を説得しに行きます」
「……それ、大丈夫なの?」
思わず素に戻って尋ねてしまった。ジリオーラは頼もしく微笑んだ。
「大丈夫です。今の女王とは顔見知りでして。ラノキア戦役で剣を交えた仲です」
なんでも、ジリオーラが車いすで生活せざるを得なくなった怪我を負わせたのは女王らしい。そんな相手の元に行こうとするジリオーラの度胸は尊敬に値する。
「あ、ちょっと遅かったかな」
「……遅いですね」
今頃になってやってきたのはヴィルフレードであった。遅かったが、それでも急いできたのだろう。外套の下は動きやすい恰好のままだ。
「……マエストロ、詳しいことはシーカ伯爵から聞いてください。私は陛下の所に行ってきます」
さしで国王と話がしたいと思った。それに、ジリオーラの方が詳しいことを知っているはずだ。マエストロには彼女から話を聞いてもらうべきだろう。この二人なら、気心も知れているだろうし。
「……ルクレツィア」
みんなが集まっているであろう王族のプライベートスペースに足をむけようとしたルクレツィアを、フェデーレが呼び止めた。
「何よ、改まって」
名を呼ばれたことで、ルクレツィアは自分が仮面をつけ忘れていることに気が付いた。だが、まあ、もう遅いだろう。
フェデーレは、ルクレツィアをルーチェと呼ぶ。もしくは、アルバ様と呼ぶこともあるが、これは公の呼び方だ。ルクレツィア、と彼に呼ばれることは少ない。
「俺は……お前が、戦場に行くというのなら、俺も一緒に行く。必ず隣にいるから」
「……どうしたの、突然」
ルクレツィアは首をかしげてフェデーレを見上げた。なんだか泣きそうな顔をしている気がした。
「……だから、1人でなんでもしようとするな」
フェデーレの言葉に、ルクレツィアは目を見開いた。それからふわりと微笑む。
「わかってるわ。ありがと」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
あれですね。私の悪い癖、話が重すぎて書けない……が発病しそうです。