06.王妃の庭園
体調不良により、ダウンする私……。
2日後。相変わらず、王女らしからぬ地味な恰好のルクレツィアである。昨日のうちにフェデーレに伝言を送っておいた。温室のある庭で合流予定だ。問題は、近くの、通称『王妃の庭園』は貴族たちに開放されており、今日も多くの人の出入りがあることだ。
ルクレツィアが待ち合わせ場所に行くと、フェデーレがすでに待っていた。あら、と思う。
「ごめんなさい。待った?」
「遅れてきたら言ってやろうと思ったことはいくつかあるが、そんなに待たなかったからやめておくか」
「謝ったでしょうが!!」
厭味ったらしいフェデーレの言葉に、思わずルクレツィアは叫ぶが、すぐにはっとして口を手でふさいだ。フェデーレが周囲を確認し、「大丈夫だ」とうなずく。
「馬鹿か、お前は」
「……自分でも思ったから放っておいて」
ルクレツィアはつんとして顔をそむけた。さて、言い争っている場合ではない。
「じゃあ、温室を調べるわよ。お母様に貸し切ってもらえるように頼んだから、大丈夫よ」
「無駄に行動力があるな、地味姫」
「うるさいわ。魔法でぶっ飛ばすわよ」
ルクレツィアはフェデーレを睨み付けると、早速温室に入った。ガラス張りの温室は、様々な植物であふれていた。
「なるほど。甘い香りがするな」
ルクレツィアに続いて温室に入ってきたフェデーレが言った。ルクレツィアはそんな彼に、ヴェロニカに言われた言葉を伝える。
「ヴェラ曰く、普通の植物の中にも甘い香りを発するものはあるけど、魔法植物が発する香りとは少し違うんだって」
「そんなこと言われても、俺にはわからん」
「でしょうね。あなたはただ、甘い香りのする植物を探してくれればいいわ。私が確認するから」
「癪だが、その方が安全だな」
「あなたはいちいち発言がむかつくわね……さあ、始めましょうか」
そこから先は、2人とも無言で温室を歩き回った。背の高い植物や、明らかに熱帯にしか生えないであろう植物。それに、果物。オレンジが植えられているのは、最近の流行らしい。
ルクレツィアはいくつか甘い香りを発している植物を発見したが、どれも普通の植物だった。大体、魔法植物はどんなものにも多少の魔法効果があり、危険だと言うことで通常の温室にはおかれないはずなのだ。
「おい、ルーチェ」
少し離れたところからフェデーレの声がした。呼ばれたので、「ルーチェと呼ばないで」と言いながらそちらに向かう。近づいてきたルクレツィアに、フェデーレは無言で一つの鉢植えを示して見せた。ルクレツィアはその鉢植えの前に膝をつく。
「おい、スカートが汚れるんじゃないか?」
「いいわよ。汚れても」
「……まあ、汚れてもわからないような色だけどな」
「ちょっと。本気で口をふさぐわよ?」
二言目には嫌味のフェデーレにいらだちつつ、ルクレツィアはその花を観察した。青い花を咲かせる小さな植物だ。そう。スミレ、に似ているが、少し違う。香りをかぐと、甘い香りがした。
「……これかもしれないわね」
「そうなのか?」
フェデーレが後ろから覗き込んできたので少し避けつつ、ルクレツィアはうなずいた。
「少し、くらっとする香りだわ。ヴェラが精製される前の香りはボーっとする作用しかないと言っていたし……」
「普通の植物に見えるが、魔法植物かもしれないのか」
「そう言うことね」
ルクレツィアがうなずいた。一応、もう少し条件に一致する植物がないか探すが、フェデーレが発見したスミレもどきしか発見できなかった。
「……とりあえず、これを調べてもらいましょうか……」
「そうだな……」
探し疲れ、ルクレツィアもフェデーレもぐったりしていた。と、唐突に、温室の外から華やいだ声が聞こえてきた。背の高い気の影から見ると、3人の令嬢が温室の近くまで来ていた。
「……貸し切りにしたんじゃないのか」
「そのはずなんだけど」
王妃である母に頼んでおいたのだが、もしかして触れが出回っていなかったのだろうか。やはり、『貸し切り』の札を下げるべきだったか? あまり人目を引かない方がいいと思ったのだが……。
令嬢たちは「でも、温室って今日は貸し切りではありませんでしたか?」「でも、誰もいないじゃない。少しくらい平気よ」「そうよ。あとから人が来て騒いでも、いなかった方が悪いのよ」などと常識はずれな会話を繰り広げている。思わず、ルクレツィアとフェデーレは目を見合わせた。
この温室の出入り口は二つ。令嬢たちがいる、庭の方から入ってくる扉と、もう一つ、宮殿内部につながる扉がある。どちらも使えない。宮殿内部に続く扉に行くには、令嬢たちの前を横切らなければならないのだ。
もちろん、2人ともここに入れる正当な理由と身分がある。面倒くさいのは、2人一緒に見つかった場合だ。主に、フェデーレに人気がありすぎるせいであるが。ルクレツィアとフェデーレは小声で会議を始めた。
「別に、普通に横切って行けばいいんじゃないか?」
「嫌よ。あなたと一緒だと、どれだけ嫌味を言われると思ってるの」
この状況は、高確率で密会だと思われる。それはまあ、百歩譲っていいとしよう。一番問題なのは、ルクレツィアが『夜明けの騎士団』の関係者だと気付かれることである。身動きがとりづらくなるうえに、すり寄ってくる族が増える。
「いいわ。私が何とか追い出すから、その間にそのスミレもどきをヴェラに届けてくれる?」
令嬢たちの華やいだ声を聞きながら、ルクレツィアがフェデーレに言った。彼は眉をひそめた。
「お前が行くくらいなら、俺が行く」
「頼りなくて悪かったわね。あなたが出ていくと、いろいろ面倒だわ。確かに、話は早そうだけど」
令嬢たちは、フェデーレに誘われれば簡単に庭に戻るだろう。しかし、彼女らは彼が温室で誰かと会っていたのではないかと勘繰るかもしれない。そうなったら、簡単にルクレツィアが割り出されてしまう。今回、ルクレツィアの名前で温室を貸し切りにしたからだ。
と言うわけで、ここは正当な借主であるルクレツィアが行くのが一番いいのである。
「……お前が気を引いているうちに抜け出すのは難しそうだから、何とかして追い出せ」
「あら。意見があったわね。頑張ってみるわ」
『届けてくれる?』と言ったのはルクレツィアであるが、そんなことは忘れたかのような口調で彼女は言った。長めの前髪をてぐしで適当にすかして目にかかるようにし、心もちうつむいて令嬢たちのもとに向かった。
「あ、あのっ」
勇気を振り絞って声をかけました、と言った感じを醸し出しつつ、ルクレツィアは声をかけた。令嬢たちは驚いた様子で振り返る。一番手前の金髪の令嬢は、シェルヴィーノ侯爵の娘。その隣の褐色の髪の令嬢がテナン伯爵の娘。一番奥の黒髪の令嬢がモンテ伯爵の娘。……だと思う。後でフェデーレに確認しておこう。
「まあ、ルクレツィア王女殿下。どうしてこちらに?」
一番身分の高いシェルヴィーノ侯爵令嬢が尋ねてきた。ルクレツィアは「えっと」と前置いてから話し出す。
「今日は、わたくしがこの温室を貸し切っていて」
「そうなんですの? でも、先ほどまでいらっしゃいませんでしたわよね? 今までどちらに?」
テナン伯爵令嬢はルクレツィアの相変わらず冴えない格好を鼻で笑いながら言った。かくしているつもりだろうが、バレバレである。やるならいっそのこと隠さないか、もっとうまく隠すかどっちかにしろ。
「奥の方で花を見ていて……1人でゆっくり花を見たいんです。その、申し訳ありませんが……」
「ですが、見ているだけなんですよね? わたくしたちも騒ぎませんわ。ですから、わたくしたちもご一緒していいですわよね? お優しいルクレツィア王女殿下のことですもの。断られませんわよね」
シェルヴィーノ侯爵令嬢が確信ありげに笑って言った。敬っているようで敬っていないこの言葉はさすがだと思う。鋭いところをつかれた! と思ったルクレツィアが黙り込む。そこに、黙っていたモンテ伯爵令嬢が連れ2人に声をかけた。
「ねえ、2人とも。ルクレツィア様が困っていらっしゃるわ。また別の日に来ませんか?」
彼女は意外と良識があるらしい。普通は、貸し切りになっていればほかの人間は遠慮するものだ。それも、貸し切っているのが王族であるのなら、なおさら。
常識をぶつけられたシェルヴィーノ侯爵令嬢は嫌そうな顔をしたが、一瞬で引っ込めた。おそらく、彼女は地味姫と呼ばれているルクレツィアから、『特別』を奪い取りたいだけだ。本当に花を見たいわけではないだろう。
視界の隅で、フェデーレが動いた気がした。このままでは彼が出てくる気がする! お願いだから、このまま出て行って! と祈ったルクレツィアは、再び温室の庭側の扉が開く音を聞いた。
「どうしたの、ルクレツィア」
「あ……お姉様」
入ってきたのは第1王女のオルテンシアだった。他力本願にはなりたくないが、王女としてのルクレツィアの威厳はほとんどないに等しいので、ちょうどよくやってきたオルテンシアに任せてしまおう。
オルテンシアは3人の令嬢を睨むように一瞥すると、言った。
「今日はルクレツィアが温室を貸し切っているはずだけど。あなたたちは、どうしてここにいるのかしら」
「いえ……わたくしたちは」
もごもごと、鋭いオルテンシアの視線にさらされながら、シェルヴィーノ侯爵令嬢が言い訳しようとする。そこで口をはさんだのはモンテ伯爵令嬢だった。
「申し訳ありません、オルテンシア様。温室が貸し切られていることを知っていたのに、誰もいないと思って中に入ってしまいました。お許しください」
「あら。あなたはちゃんとしているのね」
オルテンシアはモンテ伯爵令嬢に笑いかけると、残り2人を睨む。
「彼女に免じて、今回は許して差し上げます。しかし、もうこんなことがないようにしてほしいですわね」
「も、もちろんです」
テナン伯爵令嬢が声を上ずらせながら言った。3人は深々と頭を下げると、庭の方に出て行った。扉が閉まる音を聞いて、ルクレツィアは息を吐き出した。
「助かりました、おねえさ、いたっ!」
オルテンシアの扇で頭をぶたれたルクレツィアが悲鳴を上げる。オルテンシアは妹をたたいたその扇を広げて優雅に仰ぎながら言う。
「まったく。本当ならあなたがやらなければならないのよ。顔を覚えられたくないからって、あの態度は相手にも悪いわ」
「ご、ごめんなさい」
「お前……魔法関係以外では使えないな……」
呆れた様子で木々の影から出てきたフェデーレにも言われ、さすがにしょげるルクレツィアである。ちょっと泣きそうなルクレツィアを見て、フェデーレがあわてた。
「いや、責めているわけではない! 事実を確認しただけだ!」
「同じじゃないの~」
正直この男に弱みを見せたくないが、もう嫌と言うほど知られている気もしたので、今更か。オルテンシアはのんきに「あら、密会だったの?」などと言っている。それは強く否定させていただく。
「それで、この花はどうする」
フェデーレが持っていた鉢植えを見せた。普通の鉢植えなのに、彼が持つとおしゃれに見えるので腹が立つ。
「フェデーレがラ・ルーナ城まで持って行ってくれる? 私はお母様にその鉢植えのことを報告してくるから」
「わかった。それがいいだろうな」
フェデーレはルクレツィアに向かってうなずくと、オルテンシアに向き直り、社交向けの甘い笑みを浮かべた。
「では、オルテンシア様。失礼させていただきます」
「ええ。妹に付き合ってくれたみたいで、ありがとう」
「いえ。仕事ですからね」
オルテンシアには甘い笑顔を向けたフェデーレであるが、ルクレツィアに向かってはぞんざいに「じゃあ、またな」と手を振っただけだった。よほど背中から魔法をぶつけてやろうかと思ったが、彼は鉢植えを持っているので我慢した。代わりに彼の背中を睨んでおいた。
宮殿側の扉から出て行ったフェデーレを見送ったオルテンシアは、ルクレツィアを見上げた。
「あの鉢植えのことは、『騎士団』のことだろうし深くは聞かないけど」
「な、なんですか」
少し身構えながらルクレツィアが尋ねると、オルテンシアは人の悪そうな笑みを浮かべた。
「男性恐怖症だと思ってたけど、セレーニ伯爵とは普通に話せるのね」
「基本的に『騎士団』のみんなとはこんな感じですけど……というか、フェデーレは腹の立つことしか言わないし」
ルクレツィアがそう言うと、オルテンシアは「ふーん。へ~」と意味ありげにつぶやいた。ルクレツィアは「え、なに?」と尋ねたが、人の悪い姉は答えてくれなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。