65.月と夜明けと炎の魔女
人が死ぬ描写が出てきますので、苦手な方はお控えください。
「ほら」
「あら、ありがと」
無造作に差し出されたのはルクレツィアの……問題の、初代アルバ・ローザクローチェの杖だった。それがルクレツィアの手に渡るのを見てバルトロが顔をしかめた。
「それは……」
「私の物よ。あなたがなんと言おうとね」
先手を打って、ルクレツィアはそう言った。バルトロが顔をしかめた。ディアナはヴェロニカとにらみ合ったまま。ジリオーラはリベラートに助け起こされている。
そこで、ルクレツィアはこれまでしたくてもできなかったことを言った。
「アウグスト殿下」
お兄様、とは呼ばない。今は、15代目アルバ・ローザクローチェとして話しかけている。少し離れたところにいたアウグストは、一歩前に出て「なんでしょうか」とやはり他人仕様で尋ねた。
「みなさんの避難をお願いします。……巻き込まれますので」
「わかりました」
アウグストがテキパキと指示を出しはじめる。貴族たちは興味深そうにこちらを見ながらも、巻き込まれたくはなかったのだろう。我先にとホールを出ていく。
ルクレツィアは視線を戻してけん制し合うヴェロニカとディアナを見る。ディアナとヴェロニカの魔力は互角。経験ではディアナに分があるだろうか。とすれば、この二人がまともにぶつかりあうと、ヴェロニカが負ける可能性がやや高い。そして、被害が尋常ではなくなる可能性も高いだろう。
ならば、やることは決まっている。
「フェデーレ。バルトロをお願い。私は、ヴェラと一緒にディアナを倒す」
「……二人でいいのか?」
「ほかに来られても邪魔だわ」
ルクレツィアとヴェロニカの魔力は伯仲している。だからこそ、互いに気兼ねなく動ける。本来なら、ルクレツィアがバルトロの相手をするべきなのだろうが、適材適所だ。
「わかった」
フェデーレがうなずいたのを見て、ルクレツィアは数歩前に出る。それから、もう一度フェデーレを振り返った。
「そう言えば、助けてもらったわね。ありがとう」
微笑んで礼を言えば、フェデーレがわずかに目を見張った。しかし、すぐに彼も微笑んだ。
「……ああ」
微笑みあう2人は、はたから見ればかなりいい雰囲気だが、幸い、それを見ている人間はいなかった。
フェデーレは騎士として優秀である。魔法破壊でルクレツィアを助け出したくらいだ。だが、彼は魔力が少ない。対するバルトロは魔力が高いので、心配ではある。だが、ここは任せるしかない。リベラートもジリオーラを連れて行ってしまったので、ここには戦闘員が少ないのだ。
「ルーチェ。勝てよ」
「あなたもね」
最後にそう微笑みあい、ルクレツィアは杖を前に出すように腕を伸ばし、魔法式を展開した。そのまま魔法が組み立てられ、ルクレツィアが指定した空間が現実世界から隔絶される。
その現実世界と似て非なる世界には、ルクレツィアとヴェロニカ、ディアナの3人だけ。ここなら、どれだけ暴れても現実世界には影響しない。ルクレツィアが作り上げた空間だからだ。
「……さすがね、15代目。見事な魔法だわ」
「それはどうも」
敵であるディアナに褒められ、ルクレツィアは少し返答に困った。確かに、空間認識能力のいるこの手の魔法は難しいと言われている。ルクレツィアはあっさりと使って見せるので、それは我ながらすごいかもしれない、とは思う。
ルクレツィアはこの空間を保ちながら戦うことになる。ヴェロニカだけでは、おそらくディアナには勝てない。だから、ルクレツィアも戦わなければならない。だが、ルクレツィアが倒れればこの空間は崩壊する。つまり、ルクレツィアは倒れるわけにはいかない。
「ルーチェ。僕の杖は?」
「ごめん。持ってない。でも、ここならどれだけ暴れてもいいから」
「……気が利かないな」
「うるさいわ」
ルクレツィアもフェデーレから杖を受け取ったのだ。ヴェロニカの杖は誰が預かっていただろうか。リベラートか?
まあ、ないものは仕方がない。ヴェロニカが魔法式を展開し、ルクレツィアが指定して作り上げた空間が一気に炎に包まれる。一瞬で骨に変わるほどの火力を発生させることができるヴェロニカだが、この炎は赤いのでそこまでではないだろう。いわば、ルクレツィアが作った空間に、ヴェロニカは自分のステージを作り上げたのだ。
一瞬で骨になるほどではないとはいえ、炎に囲まれている。つまり。
「……暑いわ、ヴェラ」
「死なないから我慢しろ」
そう言われてルクレツィアは肩をすくめた。たとえ、ヴェロニカの魔法が暴走したとしても、ルクレツィアの魔法なら生き残ることができる。問題ない。
ヴェロニカの魔法がディアナを襲う。しかし、炎の中でも平然としている彼女はそれが自分に届く前に打ち消した。
さらに、ヴェロニカの魔法により温められ、熱風となった鎌鼬が襲ってくる。ルクレツィアは杖を真横に振って魔法障壁を出現させ、鎌鼬を受け止めた。魔法障壁にひびが入る。さらに杖をふって障壁を消した。
「すごい威力ね」
「お互い様でしょ。受け止められるとは思わなかったわ」
ディアナが面白そうに言った。
目に見える分ましだが、魔法同士の戦闘は地味である。互いが相手からの距離を保ち、魔法のみで応戦する。ヴェロニカの白い炎、ルクレツィアの召喚魔法、ディアナの風を主とした魔法が入り乱れ、かなり混とんとした状況になっていた。
ヴェロニカの炎とディアナの障壁魔法がぶつかり合い、その威力は伯仲している。ルクレツィアはそれを見て、胸の前で両手で杖を握った。
空間の頭より上の部分に魔法陣を作り出す。ヴェロニカが上を見てぎょっとした顔になった。魔法陣がびりっ、と光を放つ。
「紫電よ、落ちろ!」
その空間を揺るがすほどの巨大な雷が落ちた。空間を指定して、その空間内でなら自由に召喚魔法を使用できるルクレツィアは、この空間内では雷も召喚できる。この空間において、ルクレツィアは最強と言ってもいいのだ。
だが、それが通じないほどディアナは強かった。
炎と風、そこに雷が加わり、大爆発を起こした。魔法で防御したが、耐え切れずに吹き飛ばされる。そばに立っていたヴェロニカも吹き飛ばされ、空間の床に衝突した。彼女が気を失ったためか、炎が一時的に暴れ、ルクレツィアの銀髪に火が付く。彼女はためらいなく火が付いた部分をナイフで切り取った。
炎が静まると、離れたところに焦げたドレスをまとうディアナが立っているのが見えた。息を荒げ、美しい顔には煤がついている。
「見た目によらず、過激ね。仲間も巻き込むなんて」
ディアナの口元がゆがむ。いや、ヴェロニカが気を失ったのは計算外だ。そう言えば、彼女は肉体的には弱かったか。
「ヴェラ。ヴェロニカ」
呼びかけるが、返事はない。本当ならすぐにでも蘇生術を使うべきなのだろうが、あいにくそんな暇はなかった。
ルクレツィアは手を伸ばす。空間を保ちながら戦っているのだ。魔力はあまり残っていない。できれば、これで決着をつけたいところであるが……。
ディアナも手を前に伸ばした。2人の手のまわりを、魔法文字が螺旋状に浮かび上がった。そのままそれは魔法陣となる。
同時に魔法を撃ちだした。そして、それらがぶつかり合い、黒煙を上げる。ルクレツィアは杖を手放すと魔法陣から剣を取り出し、黒煙を突っ切ってディアナに肉薄した。
「これで!」
低い体勢から、ディアナに向かって剣を振り上げる。両手で柄を握ったルクレツィアは、渾身の力でディアナの肉体を斬りつける。魔術師には多いのだが、彼女もヴェロニカと同じく肉体的にはそれほど強くないようだった。
「……顔や力は似ていても、剣術の腕は違うようね……!」
腹部を斬られたディアナは、それでも凄絶に笑った。誰と比べているのだろう。もちろん、初代アルバ・ローザクローチェ、つまり、アウローラだ。残っている初代の肖像画は、剣を持って描かれている。彼女の手がルクレツィアの頭をつかんだ。その瞬間、ルクレツィアの頭の中で、鐘がなるように大きな音が響いた気がした。正確には、脳が揺さぶられたのだろう。ルクレツィアは剣を手放し、頭を押さえた。視界がぶれ、ルクレツィアが作り上げた空間が崩れかける。
「ルーチェ!」
ヴェロニカの声だ。目を覚ましたらしい。彼女の魔法がルクレツィアの頭上を通過し、ディアナを襲った。ルクレツィアに至近距離から魔法を行使しようとしていたディアナは、ヴェロニカの魔法をもろに食らった。
「……っく!」
まだ頭の中で鐘が鳴っているような気がしたが、ルクレツィアは先ほど取り落した剣を拾い上げた。
「はぁっ!」
今度はディアナの心臓に向けて剣を突き立てた。さらに魔法を展開し、その魔法の効力でルクレツィアの力でもあっさりと人体を貫くことができた。だが。
「!?」
どろりと、ディアナの体が溶け、銀色の液体に変化した。ルクレツィアの足元に銀色の……おそらく、水銀の水たまりができる。
「……何、これ」
「水銀、だな」
「あ、やっぱり?」
ルクレツィアが手放した杖を支えに近づいてきたヴェロニカが覗き込んでそう言った。ルクレツィアは苦笑したが、ディアナの魔法の影響か、まだ頭が痛い。
「……これ、ディアナは死んだのかしら」
「……わからないな。僕も、こんな事例は見たことがない。……とにかく」
ヴェロニカはルクレツィアを見た。
「片付いたなら、この空間から出たいんだが」
「……そうね」
ヴェロニカもかなりつらそうだが、膝をついたルクレツィアもかなりつらい。どちらにしろ、そう長くこの空間を保っていられない。彼女は眉間を揉むと、ゆっくりと魔法を解除していった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
結構いい感じに更新できている気がします……。あと2話くらいでこの章は終わりますかね。次はフェデーレ視点の予定です。