64.愛とは
剣を拾い上げたルクレツィアは、その剣を試すすがめつしつつ何度か振るった。剣術の訓練を受けているし、ドレスでの格闘も習ってはいるが、実際に行うのは初めてである。
ルクレツィアが女性でドレスを着ている以上、明らかに不利である。しかし、バルトロもそんなに剣術が優れているわけではない。彼は基本的に魔術師なのだ。攻撃魔法以外の補助魔法ありなら、ルクレツィアとバルトロは互角くらいかもしれない。
貴族たちの中には、これが大掛かりな芝居だと思っている者もいるようだ。できれば、この間に貴族たちを避難させたかったのだが、いまいち上手くいっていないらしい。まあ、ルクレツィアが戦う、というのであれば、珍しいので見学したくなる気持ちはわからないわけではない。
「では、わたくしが審判を務めましょう」
そう言って進み出たのはシーカ女伯ジリオーラだ。かつてヴィルフレードに次ぐと言われていた剣術の腕を持つ彼女なら、審判として不足はない。
女伯爵であるジリオーラは、車いすであるがドレスをまとっていた。パールグレーの淡い色のドレスが彼女をはかなげに見せていた。バルトロも否を唱えなかったので、そのまま彼女が審判となる。
ルクレツィアがまとっていたドレスは特殊で、巻きスカートのようになっている。ドレスの膨らんでいる部分を外し、現在は部屋着のようなふくらみの少ないドレス姿となっていた。さらに、黒い手袋を取って素手で剣を握った。
しっくりこない。
やはり、ルクレツィアは杖を握っている時間が長いからだろう。剣の柄は手にしっくりこなかった。
「閣下。本当によろしいのですね?」
念を押すようにジリオーラが尋ねてきた。ルクレツィアはうなずく。
「ええ。これが一番平和に解決できるでしょう」
国王には事後承諾となるが。あとで怒られる覚悟はある。
ジリオーラはため息をつくと、細い手をあげてルクレツィアとバルトロを交互に見た。
「2人とも、よろしいですね」
続く「開始」の合図とともに2人は動いた。ルクレツィアもバルトロも、剣術は修めているがそれほど腕はよくない。考えてみれば恐ろしい戦いであるが、そのために短期決戦となるだろう。もともとの技術がないので、短時間で終わらせなければ決着はつかないと思われる。
金属同士がぶつかり合う高く澄んだ音が聞こえるが、どこから出ているのだろう、という変な音も聞こえる。おそらく、ジリオーラをはじめとする剣士たちははらはらと見守っていることだろう。おそらく、彼女らなら一撃目で決着をつけることができるのだ。
バルトロの剣を避け、剣を振り下ろして切り結ぶ。ルクレツィアが大きく足を踏み込むと同時に、バルトロも足を踏み込んで剣を突き出してきた。この距離では避けきれない。そう思い、ルクレツィアは首を傾けて直撃を避けた。
だが、バルトロの剣はルクレツィアの頬を切り裂き、仮面をむしり取った。ルクレツィアの剣はバルトロの襟を切り裂き、首筋に血を流させた。
「そこまで!」
ジリオーラの声が飛ぶとともに、ルクレツィアの顔から落ちた仮面が音を立てて床に落ちる。ルクレツィアはとっさにバルトロから距離を取り、腕で自分の顔を隠した。仮面が落ちた『十五代目アルバ・ローザクローチェ』の顔を見ようと視線が集まるのを感じる。
ルクレツィアは内心焦った。この後、どうすべきか? 彼女の中で結論を出す前に、バルトロが口を開いた。
「往生際が悪いですよ、姫様」
「……」
15代目でもアルバでもなく、バルトロは姫様と呼んだ。『姫様』と呼ばれるのは、通常若い女性。この場合では王女である3人のうちだれか。そして、今、バルトロはルクレツィアに向かって『姫様』と呼んだ。
つまりは……そう言うことだ。
正体を現せばルクレツィアの負け。そして、何も言わなくても人々の中には疑念が残る。アルバ・ローザクローチェは何者か。何か隠しているのではないか、と。
ルクレツィアは何も答えなかった。顔を隠し、ひたすら黙っているだけ。バルトロがいらだつ。
「いい加減に……っ!」
剣と剣がぶつかり合う音がした。ルクレツィアは自分の手から剣がもぎ取られているのに気が付いた。誰かがルクレツィアの剣を奪い取り、バルトロを打ちあったのだろう。
そして、この状況でそんなことができる人など一人だけしか思い浮かばない。
「私は、そこまで、と言ったはずです」
硬い声音で言ったのはやはりジリオーラだ。車いすでドレス姿であっても、彼女は剣を持たせれば強いのだ。最も、今は立っているが足を引きずっている。
「……女伯。あのままわたくしが斬られれば、王族を殺傷した罪で捕らえられたのに」
「……残念ですが姫君。今のあなたは『閣下』です。政務執行中の労働災害扱いになるかと」
「それもそうですね」
死んだとなれば話は別だが、アルバ・ローザクローチェが怪我をしたくらいで相手を罪に問えるわけがなかった。死ぬ気もあったルクレツィアは、ジリオーラの言葉を聞いて少し肩を竦め、いい加減疲れてきた手を下ろした。ついでに頬を流れる血をぬぐう。目元の泣きぼくろの化粧が落ちたが、ルクレツィアには見えなかった。
「女伯。あなたは審判のはずだ!」
「無抵抗なものが斬られるのを、黙って見ているわけにはいかないので」
微笑んでそううそぶいてみせるジリオーラは美しかった。戦役を経験したものだからこそ、彼女はとっさの判断ができたのだろうと思う。
目の当たりにした瞬間、ジリオーラは競り負けるだろうと思ったが、彼女はなかなか耐えていた。自由の効かない足がかくんと力を失い、ついに彼女は倒れた。ルクレツィアはとっさに前に出て、素手でバルトロの剣をつかんだ。これには敵側であるバルトロも驚く。
「何を考えているんだ、姫様!」
「あなたには言われたくありませんね」
ニコリと笑ってルクレツィアは言った。剣の刃はルクレツィアの手には触れていない。空間を固定し、その場にとどめているだけだ。これは持続性がないのが玉にきず。
と。
ルクレツィアは自分とバルトロの間に鎌鼬がよぎるのを感じ、ジリオーラを引っ掴んで後ろにさがった。近くに待機していたヴェロニカが鎌鼬の前に立つ。
「……面白い趣向だ」
常に無表情の彼女は、不気味ににやりと笑った。手を前にだし、徳の火炎魔法をぶつけ、鎌鼬を相殺した。
強い魔力を持つヴェロニカは、常に持っている杖が魔法抑制効果をもたらしている。その制限がないので、ヴェロニカはより好きにできるようだった。それにしても、男装がよく似合っている。
「ジル姐さん、大丈夫?」
「ええ。手間をかけさせたわね」
「まあ、助けてもらったし」
ジリオーラと微笑みあい、ルクレツィアは彼女とそろって鎌鼬の放たれた方向を見た。赤いドレスを着た妖艶な女性が立っていた。ディアナだ。彼女は割れた人垣の間を悠然と歩いてくる。
「ごきげんよう、15代目」
「……ごきげんよう。お久しぶりね」
「……そこは張り合わなくても」
肩を貸されているジリオーラが、ルクレツィアにツッコミを入れる。なんだかだんだん魔法戦争になってきた。
こうなると、客たちを早く逃がしたいところだが、下手に動けば逆に危ないだろう。
「あなたに招待状は届いていないと思うのだけど」
こちらも余裕を見せる口調で言ってみせるが、正直手一杯である。いかに被害を最小限にとどめるか、ルクレツィアの思考はそちらに向いている。
「楽しそうだから、もぐりこませてもらったの。わたくしも仲間に入れてほしいわ」
嫣然と微笑むディアナ。彼女ほどの魔女ならば、気づかれずに会場にもぐりこむのは難しくないだろう。ルクレツィアは目を細めた。
「さすが、とほめておくべき? あなたを見逃したのは、アルバ・ローザクローチェたる私のミスね」
「……あなたに、アルバ・ローザクローチェを名乗る資格はない」
これはバルトロだ。おそらく、バルトロとディアナは共犯だと思うのだが、実際はどうなのだろうか。バルトロが危ないと思い、ディアナが手を出してきたのだ。
「何故、14代目は死んだんだ! 何故、あなたがアルバ・ローザクローチェなんだ! 15代目が現れたということは、もう……!」
そこで、バルトロは泣きそうな表情になった。バルトロとルクレツィアが向き合い、それと垂直にディアナとヴェロニカが互いをけん制している。ちらりと見ると、こちらに来ようとする国王と王妃をヴィルフレードが留めていた。
15代目アルバ・ローザクローチェが現れたということは、十四代目は本当にいなくなってしまったのだということ。バルトロは何よりも、それが悲しくて仕方がなかったのだろう。
「あなたがアルバ・ローザクローチェとならなければ、14代目は帰ってこられたかもしれない!」
その瞬間、ルクレツィアはディアナがバルトロに手を貸した理由がわかった気がした。似ているのだ。バルトロは。ファウストと。ただ、バルトロの場合は愛する人間ではなく、心から尊敬する相手が対象だっただけだ。
バルトロは、涙を流したまま微笑んでいた。
「だから姫様。死んでください」
くい、とバルトロは指を下に向けた。ルクレツィアにすさまじい重圧がかかる。ルクレツィアは支えていたジリオーラを突き飛ばし、片膝をついた。経っていられないほどの重力。これが、バルトロの能力、重力操作である。このままでは、ルクレツィアは押しつぶされるだろう。
ただ、ルクレツィアが死ねば、アウローラの依り代たり得なくなる。肉体が死ぬからだ。ファウストは生きた依り代を望んでいるはずで、そんな彼と協力しているはずのディアナは、ルクレツィアの死を避けたいのではないかと思った。
だが、世の中そんなに甘くないらしい。
「15代目。わたくし、あなたのことは気に入っているの。でも、このままでは、あなたは本当に依り代となってしまう……わたくし、それは耐えられないの」
ああ、と何かが腑に落ちた。そう、きっと。
きっと、ディアナはファウストが好きだったのだ。でも、ファウストが見ているのは、いつだってアウローラだった。
だから、ルクレツィアが気にいったけど、同時に憎らしくもあった。彼女は、いずれアウローラの依り代となるから。
好きだからこそ、ディアナはファウストに協力した。彼女はファウストに協力しただけであって、アウローラをよみがえらせるつもりはなかったということだ。それは、恋敵であるアウローラによみがえってほしくないから。
でも、自分でルクレツィアに手を下せば、ファウストに嫌われるかもしれない。だから、ルクレツィアを憎むバルトロの心に付け込んで、手を下させようとしている。最初からバルトロはルクレツィアに対して思うところがあったのだから、憎しみを増幅させるのはたやすかっただろう。シェルヴィーノ侯爵令嬢イリスと同じだ。ディアナには精神魔法の心得があるのだろう。
愛とは、それがたとえただの敬愛だったとしても、こんなにも人を追い詰め、狂わせてしまうのか。ルクレツィアは、かつて自分を愛していると言って、そして殺そうとした男を思い出した。
あの時は、幼くて彼の思いを理解できなかった。でも、今ならわかる気がする。誰かが、自分の名を呼んでいる。
アウローラの依り代になるくらいなら、死んでしまった方がいいのかもしれない。そう考えてしまう。でも。
すさまじい重力を受ける体に、届く声がある。彼女は言った。心から呼べば、その声は必ず届くのだと。
「ルーチェ!」
公の場では、彼にその名を呼ばれたことがなかった。はっきりとその声が聞こえると同時に、重圧から解放される。ルクレツィアはよろけながらも立ち上がった。
「……ルーチェと呼ぶなって言ってるでしょ」
そう言うと、フェデーレが笑った気がした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
とりあえず、ここまでかけた自分を誉めたい……!500字しか書いてなかったのに!金曜ロ○ドショー見ながら書きました(笑)
何かよくわからないことになってますが、要するに逆恨みです。たぶん。




