60.売られた喧嘩は言い値で買う!
ついに60話目。通算61話だけど。
オルテンシアとフランチェスカに着せ替え人形にされた挙句に、母エミリアーナまで乱入してきたため、結局3人もルクレツィアの私室で着替えた。母娘とわかるくらい似ている3人の姿を見ていると、ルクレツィアはちょっと疎外感を覚えた。
オルテンシアとフランチェスカが見立てたのは、ブルダリアスから入ってきたマーメイドラインのドレスである。社交シーズンに何度か着たのも含めて、ルクレツィアも何枚か持っているが、身内の晩餐で着るのはさすがに初めてである。
淡いブルーのそのドレスは、おそらくルクレツィアの地毛が銀髪であることを前提に作られたのだろう。現在の茶髪では似合わないわけではないが、おそらく、銀髪の方が似合うのだろうと思われた。
エミリアーナは濃い紫の落ち着いた印象のドレス。オルテンシアは深緑のドレスで、フランチェスカは淡い黄色。3人とも、ふわりと裾が広がるタイプのドレスだ。
やはり、体形からしてルクレツィアはこの3人と似合うものが違うのだろう。外見も体形も、ルクレツィアはあまり母親似ではないのだ。
「今日はみんな気合が入っているね」
長兄アウグストは、着飾った妹3人を見て微笑んでそう言ってのけた。ジェレミアも「おきれいです」とうっとりした表情でほめる。何故うちの兄弟はこんなにも兄弟に甘いのだろうか。というか、ジェレミアに至ってはそこはかとなく女たらしの印象を受けるのだが、気のせいだろうか。
晩餐会の並び順としては、やはりルクレツィアはアウグストとジェレミアの間になる。上座に国王クレシェンツィオ、その右隣に王妃エミリアーナ、左隣に王太子アウグスト。エミリアーナの隣にはオルテンシア、フランチェスカと並び、アウグストの隣にはルクレツィア、ジェレミアと並ぶ。つまり、ルクレツィアはオルテンシアの向かい側だ。
給仕がいるので、不用意にルクレツィアと15代目アルバ・ローザクローチェのつながりを連想させるような発言はできない。魔術の話がなければ、ルクレツィアは基本的に聞き役だ。柔らかな肉にナイフを入れてその味をゆっくりと堪能していると、不意にエミリアーナが言った。
「陛下。さすがにそろそろ、ルクレツィアの処遇も決めたいと思うのですが」
突然名を出されたルクレツィアはびくりと震える。クレシェンツィオは「そうだなぁ」と悩むそぶりを見せる。
「結婚したくないなら、修道院にでも行くか?」
「……ご命令とあれば、嫁ぎます」
重い口調でルクレツィアは答えた。なんだか一気に食欲が失せた。半分ほど残したメーンディッシュを下げられ、代わりにデザートが出される。温かいカスタードを添えたアップルパイだった。
それをもそもそと咀嚼しながら考える。フランチェスカの婚姻が決定したので、ルクレツィアに話が回ってくるのは時間の問題だろう。妹姫であるフランチェスカの方が先に婚約が決まったので、世ではルクレツィアは『売れ残り』と言われているそうだが、もう王女は彼女しかいないので、求婚するのならこれ以降はルクレツィアになる。
しかし、彼女はデアンジェリスを出ることはできない。そのため、結婚するのなら降嫁となる。それか、嫁がずに一生を終えるか。王女であるルクレツィアなら、結婚しなくても女大公として臣籍降下することも可能だ。だが、独身を貫くとなれば、おそらく、名前だけでも修道院に入れることになるだろう。
嫌なわけではないのだが、むむむ、となるところはある。なら、自分はどうしたいのかと聞かれたら答えられないけど。
ルクレツィアはもう18だ。姉のオルテンシアは来年の春になれば嫁ぐ。フランチェスカも、それから間を置かずに嫁ぐだろう。兄のアウグストは男なので今すぐ結婚しなければならないということはない。
姉と妹がいなくなった宮殿で、ルクレツィアは日々を過ごすことになるのだろうか。それとも、修道院に身を寄せるか。臣籍降下するか。その選択を迫られる日も、刻々と近づいてきている。
ルクレツィアがデザートを食べる手を止めたのを見て、アウグストが眼を細めて微笑む。
「ルーチェ。あまり1人で考えすぎない方がいいよ。君はなんでも抱え込んでしまうからね。他人に相談することも大切だよ」
「あ、はい」
こくん、とルクレツィアはうなずいた。その時。
「ぅぐ……っ」
うめき声をあげたのは上座に座るクレシェンツィオだった。体を折り曲げ、のどに手を当てて苦しんでいる。
「陛下!」
エミリアーナが椅子を蹴倒す勢いで立ち上がりながら叫んだ。誰もが呆然とする中、ルクレツィアだけが機敏に動いた。
彼女は立ち上がって父の元に駆け寄ると、その口の中に指を突っ込んだ。強制的に吐かせるのだ。クレシェンツィオの様子は、毒を飲んだ時の様子と酷似していた。
胃の中のものを強制的に吐かされたクレシェンツィオは、苦しげに息をしたが、何とか落ち着いた。ほっとしたのもつかの間、ジェレミアが声をあげた。
「姉上!」
名を略していたため、誰を呼んだのか定かではないが、この状況からして呼ばれたのはルクレツィアだろう。しかし、声に反応してそちらを見たのは、クレシェンツィオ以外の全員だった。
『次はお前だ、光の王女!』
国王の席の向かい側の壁に、赤色のペンキで書かれていた。
光の王女。デアンジェリスの王女は3人。第1王女オルテンシアは花の名前。第2王女ルクレツィアと第3王女フランチェスカは、伝説上の偉大な女性からとられた名だ。
しかし、愛称にすると光の意味を持つのはルクレツィアのみ。『ルーチェ』とは光を意味するのだ。
となると、このメッセージはルクレツィアに向けられたものの可能性が高いだろう。すっとルクレツィアの眼が細められる。
「私に喧嘩を売るとは、いい度胸ね」
返り討ちにしてやるわ、と低くつぶやいたルクレツィアに、オルテンシアとエミリアーナは戦慄を覚えた。弟妹達はキラキラした目でルクレツィアを見つめている。
「ルーチェお姉様、かっこいいです」
うっとりとした口調で言うフランチェスカに、さしものルクレツィアもあきれて苦笑を浮かべる。そこに、低いうなり声のような声が響いた。
「お前たち、私のことは無視か……」
椅子の上でぐったりしている国王を見て、妻であるエミリアーナは悲鳴をあげた。あわてて使用人を呼びつける。子供たちも俄かに不安そうになったが、アウグストとルクレツィアは「大丈夫ですか?」と声をかけるにとどまった。
呼ばれてきた使用人が驚いているのを見ながら、アウグストが手を伸ばしてクレシェンツィオが使っていたグラスに手を伸ばした。レモン水が半分ほど入っている。
その水のにおいをかぎ、さらには少し水をなめてみたが、アウグストの舌は何も感知できなかったらしい。
「まあ、私たちは毒物に耐性があるから、単純な毒を使用したとは思えないんだけど……」
「なら、私の領分ですね」
アウグストの隣からひょっこり顔を出したルクレツィアが言った。ちらっと介抱されている父を見る。
「吐き出したら落ち着いたわけですし、そんなに強い毒物ではなかったんですよね、たぶん。それに、私たちに通常の毒物への耐性があることを考えれば、おのずと呪毒に絞られますけど」
王族であるルクレツィアたちは、毒物に対して耐性がある。幼いころから少しずつ毒を含み、そう簡単に毒殺されないようにしているのだ。そのため、ルクレツィアたちもクレシェンツィオも、毒には強いのだ。
となると、耐性のない毒を使われた可能性が高い。しかも、吐き出させたら収まったところから見て、致死量ではなかったと考えるのが自然であろう。ルクレツィアの対処が早かっただけと考えることもできるが。
「呪毒だとして。私も水をなめたのに、効かなかったのはなぜだい? 服用した量が少なかったからかな」
「それもあるかもしれませんが、呪毒というのは、対象人物を特定することでより強く効果が表れるんです。まさか、目の前でやられるとは思いませんでしたが……」
と、ルクレツィアは顔をしかめる。呪毒にも種類はあるが、今回の場合は水を媒介にした呪毒だったのだろう。なので、水を吐き出させたらある程度回復したのだ。
イル・ソーレ宮殿には強力な結界が張られている。その結界を越えるのは至難の業で、しかも、どこかでルクレツィア以下魔術師の誰かに気付かれる可能性が高い。とすると、結界の内側から呪術が使われた可能性が高かった。
「……私の領域で、やってくれるじゃないの……!」
怒りもあらわにルクレツィアは吐き捨てた。それを見て苦笑いを浮かべたアウグストが、ふと言った。
「そう言えば、容赦なく父上の口に指を突っ込んだね」
「毒を含んだ時には、吐かせるのが一番ですからね。私もやられたことがあります」
まあ、小さい時だけど。あの時、ヴェロニカは容赦なくルクレツィアの口に指を突っ込んで吐かせた。さっきのルクレツィアよりも容赦なかったと思う。さすがはヴェロニカ。期待を裏切らない女。
それはともかく。
「ルーチェ。あの壁、どうしましょう?」
エミリアーナが困った様子でルクレツィアに話しかけた。クレシェンツィオは運び出されたのだが、エミリアーナはついて行かなかったようだ。
「ただの念写ですから、魔術師に頼めばすぐに消せます」
ルクレツィアも魔術師だが、そういう能力はない。ヴェロニカかリベラートあたりを呼べば、すぐに消してくれるだろう。
「それと母上。父上のことは、箝口令を敷きましょう。生誕祭が近いですから、貴族たちに不安を与えないように」
「……そうね」
微笑んで言ったアウグストの言葉に、エミリアーナはうなずいたが、彼の述べた理由に納得はしていない様子だ。国王が倒れたために一時的にその場を取り仕切る力を得たアウグストは、母と弟妹達を追い出した。……ルクレツィアを残して。この場合は、ルクレツィアではなくアルバ・ローザクローチェになるのかもしれない。
「さて。ルーチェ。どうしようか」
そううそぶいてくる兄に、ルクレツィアは苦笑した。
「もう決まってるじゃないですか。箝口令を敷いたということは、私をおとりに使う気なんでしょう?」
「……さすがだね。ごめんね。必ず、私が君を護るから」
美しい青年に言われるセリフとしては悪くないが、あいにくと、アウグストはルクレツィアの兄だった。しかも顔が似ている。ときめきもしない。
「心配ご無用ですよ。呪術は、宮殿内で使われた可能性が高いです。なので、信用のおけるものにだけ事実を伝えておきましょう」
「と、君が言うということはシーカ女伯?」
「ま、そうですね」
この場合、ルクレツィアは宰相ですら信用できない。宰相は優秀だと思うが、彼の性格を全く知らないからだ。そのあたりの判断はアウグストに任せるが、ルクレツィアが内政を担うもので最も信用しているのは、国王とアウグストをのぞけばシーカ女伯爵ジリオーラだろう。
「それと、『夜明けの騎士団』から魔法医とあれを消せる魔術師を派遣しますね」
「助かるよ……ねえ、ルーチェ」
疲れたように笑うアウグストに「なんですか」とルクレツィアは返す。彼は何か言おうとしたが、すぐに首を左右に振った。
「いや。何でもないよ」
「?」
察しの悪いルクレツィアには、彼が何を言おうとしたのかわからなかった。
尊敬すべきこの兄が、彼女が誤解されたまま一生を終えるのを悔しく思っていることなど、理解できるはずなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
3日に1話分くらいは投稿したいなぁと思いつつ、できてない……。




