57.行方不明の真実
初めての! フランチェスカ視点です。
「今日も関所が封鎖されているか……」
隣の部屋から漏れ聞こえてくる会話を聞いて、フランチェスカは顔を上げた。
彼らの計画では、フランチェスカを連れて昨日のうちに王都を出る予定だったらしい。しかし、フランチェスカがいなくなった後、即座に王都から外に出る道が封鎖された。
もともと、王都を出るためには関所を通らねばならない。その関所で検問が設けられ、その審査に通過したものしか通ることができなくなっている。
検問をもうけたのは『夜明けの騎士団』。つまり。
お姉様だわ。
フランチェスカがいなくなったことに気が付いた姉のルクレツィアが、『夜明けの騎士団』を動かして王都から簡単に出られなくしたのだろう。だとしたら、魔術師たちがフランチェスカを探してくれているはず。王都を出られないのであれば、見つけてもらえるのも時間の問題だろう。
もともと、フランチェスカがここに来たのは、自分からだった。
2日前、侍女のダリラから手紙を受け取った。一般的な白い封筒に入っていたのは便せん一枚。
『あなたの姉姫の秘密を知ってしまいました。誰にも話されたくなければ、大聖堂前の広場の噴水まで来て下さい』
そして、押されていたのがフォルキット侯爵家の家紋だった。
フランチェスカの『姉姫の秘密』と聞いてまず思い浮かぶのは、『15代目アルバ・ローザクローチェ』であるルクレツィアだ。古くからの決まりで、彼女は自身がアルバ・ローザクローチェであることを隠している。
フランチェスカは、自分の2人の姉が好きだった。下の姉、ルクレツィアに対しては憧憬を抱いていると言っても過言ではないかもしれない。
いつもは隠している美しい銀髪に、氷の裂け目のようなアイスグリーンの涼やかな瞳。すらりとしていてしなやかな体躯。オルテンシアのような華やかさや、フランチェスカのような愛らしさは確かにない。だが、女性が『こうなりたい』と思う理想を詰め込んだような女性がルクレツィアだった。
なのに、本人は自分があまり美人ではないと思っている。フランチェスカは下の姉の怜悧な顔立ちは素敵だと思っているのだが、こればかりは感じ方の違いだろう。おそらく、ルクレツィアの理想はフランチェスカのようなかわいらしい容姿なのだ。
だから、姉の秘密が知られたと聞いて、冷静でいられなかった。落ち着いて考えてみれば、フランチェスカより数段頭の切れるあの2人の姉が、秘密を暴露されたところでそうそう動じないだろう。
わたくし、馬鹿だわ……。
この屋敷に閉じ込められて、フランチェスカはしゅんとしていた。
手紙をもらった翌日、友人2人とお茶をした後、フランチェスカは侍女たちに『一人にしてほしい』と頼み、ドレスを着替えて宮殿を出た。
イル・ソーレ宮殿にはたくさんの抜け道が存在している。この隠し通路を多用しているのはやはりルクレツィアであろうが、フランチェスカも場所は知っていた。彼女の私室には抜け道につながる扉がないので、一番近くの入り口まで移動し、彼女は宮殿の外に出た。
場所は知っていたが、通るのは初めてだ。出歩くときは馬車を使うことが基本のフランチェスカには少々きつい道のりだったが、目的地にたどり着くことはできた。
そして、現在に至る。
フランチェスカは王女である以外はただの少女だ。男たちに囲まれればなすすべはないし、危機を乗り越えるための才覚もなかった。
できることは、おとなしく待って助けを待つ。幸い、フランチェスカの兄アウグストと下の姉ルクレツィアはかなり頼りになる。やや天然が入っているアウグストと、やや詰めが甘いルクレツィアはいい感じにバランスが取れているのだと思う。
フランチェスカには縁談があったばかりだ。島国エルシア王国のジェイムズ王。彼が、フランチェスカの結婚相手となる。
エルシアは遠い。もしもルクレツィアが他国に嫁げる状態であれば、年齢的に彼女に縁談が来たのだろうと思う。しかし、ルクレツィアはアルバ・ローザクローチェの役目を果たさなければならない。
もしも、フランチェスカが『嫁ぎたくない』と本気で言えば、ルクレツィアは役目を返上して代わりに嫁いで行くだろう。そう言う人だ、彼女は。
ルクレツィアは男性恐怖症だ。と言っても、普通に男性と話をすることはできるので、つい忘れがちである。だが、触られるのはやはりまだ苦手な様子。
5年前、ルクレツィアに何があったのか、詳しいことは知らない。だが、男性が怖いのに妹のために嫁いでくれるであろう姉を、フランチェスカは愛していたし、大好きな姉にそんなことはさせたくなかった。
だが、今は待つしかない。その姉が助けてくれるのを。フランチェスカを見つけてくれるのを。
フランチェスカはぎゅっと手を握った。エルシアに嫁ぎたくないと駄々をこねた。エルシアは、遠い。みんなに、姉に、会えなくなる。耐えられない、と思った。だから、助けてくれそうなルクレツィアの元に逃げ込んだ。
そんなフランチェスカに、ルクレツィアは言った。
『あなたが助けを呼べば、必ず私が助けに行く。心から私の名を呼べば、その声はどんなに離れていても、私にまで届くから』
フランチェスカはその言葉を思い出し、胸の前で手を握り合わせた。眼をつぶり、小さな声で、でも心から、呼ぶ。
「お姉様……! ルクレツィアお姉様……!」
お願い。わたくしを見つけて。
その時、隣の部屋から大きな物音がした。フランチェスカは顔を上げる。さすがにタイミングが良すぎかと思うが、もしかしたら、姉が助けに来てくれたのかもしれない、と思ったのだ。
「いきなりなんだ! 家宅侵入罪だぞ!」
「わたくしは正当な権利に基づいてこの屋敷に入りました。さあ。隠しているものをすべて出しなさい!」
フランチェスカははっと立ち上がった。女性にしては低めの声。いつもは落ち着いている声が、今日は少し高くなっている。でも間違いない。十五代目アルバ・ローザクローチェ……ルクレツィアの声だ。
たっと駆け出して隣の部屋に続く扉のドアノブをひねる。開かない。フランチェスカは叫んだ。
「アルバ様!」
フランチェスカの声が届いたのだろう。ルクレツィアが「今の声は?」と言うのが聞こえた。どうやら、声が届いたらしい。
「何か聞こえましたか?」
「ええ。そこを開けてください」
きっぱりとした口調でルクレツィアが言う。フランチェスカはドキドキしながら扉の向こうの様子をうかがった。
ここでの待遇は悪くなかった。むしろ、よかったと言っていいだろう。言葉の端々から推測するに、フランチェスカが嫁ぐと聞き、あわてて誘拐したのだと思う。フォルキット侯爵家の長男が、フランチェスカに思いを寄せていることは有名だった。せめて、多少馬鹿でもリナウド公爵家のブルーノくらい、世渡りが上手ならこうはならなかっただろう。
既成事実ができれば、嫁げなくなる。そう考えたのだろう。過去に、そのために嫁げなくなった王女は何人かいる。そうなれば、ルクレツィアが代わりに嫁ぐはずだ。
唐突にドアが開いた。フランチェスカは手首をつかまれ、隣の部屋に引きずり出される。頬に冷たいものが当たった。ナイフだ。
「やめなさい。後悔するのはあなたです」
「うるさいっ! 私は、どんな姿になっても彼女を愛している!」
フランチェスカはぞっとした。彼女を捕まえたこの男、フォルキット侯爵子息は、フランチェスカの顔に傷をつけてでも自分の物にしようとしている。
目を動かして姉の姿を見た。
黒いマントに黒いドレス。特徴的な杖はないが、銀髪をなびかせ仮面をつけている。
そして、彼女は一人ではなかった。セレーニ伯爵、つまりフェデーレを連れている。なんだかんだで仲の良い2人であった。
「だいたいっ! あんたは何なんだ! いつもいつも仮面で顔を隠して! 顔を見せない人間を信用できるか!」
フォルキット侯爵子息の指摘に、ルクレツィアは落ち着いた声で「素顔を曝していても、信用できない人間もいますがね」と痛烈に言った。
「うるさいうるさいうるさい! あんたには関係ないだろ!」
「あります。わたくしはフランチェスカ殿下の父である国王陛下より依頼を受けたのですから」
そう言って、ルクレツィアはフランチェスカに問いかかけた。
「殿下。あなたがここにいるのは、あなたの意志ですか?」
「いいえ」
顔を動かさずに、言葉だけで答える。こうおっしゃってますが、とルクレツィアは冷静に言った。
「誘導尋問だ!」
「どこがですか」
呆れた様子でルクレツィアがツッコミを入れた。フォルキット侯爵子息はナイフを振り回し、ルクレツィアを示す。
「だいたい! あんたが本物のアルバ・ローザクローチェかわからないだろうが! そんな人間に彼女を渡せるか!」
一見筋道が通っているように見える。仮面で顔の半分を覆っているアルバ・ローザクローチェは、入れ替わっていても気づかれないだろう。
だが、隣には間違えようのないフェデーレがいる。彼がいる時点で、間違いなくフランチェスカは保護されて宮殿に帰されるとわかるはずだ。
だが、何を思ったのか、ルクレツィアは仮面に手を当てた。
「なら、顔を見せればよろしいのかしら」
「……アルバ様」
忠告するようにフェデーレがルクレツィアにささやいた。ルクレツィアは口元に笑みを浮かべると、その仮面を取った。
その顔を見るのは2日ぶりか。美しい銀の髪に涼やかなアイスグリーンの瞳。理知的な容貌が現れた。しかし、フォルキット侯爵子息はルクレツィアが『第2王女』であると気付いていない様子。普段のルクレツィアは褪せた茶髪をしているし、余裕のない様子の彼女はいつもより三割増しで怜悧に見える。
「間違いなく、わたくしが15代目アルバ・ローザクローチェです。疑うのなら、『夜明けの騎士団』本部ラ・ルーナ城に問い合わせてみることですね」
冷やかに彼女は言った。その隣で、フェデーレが呆れた視線を彼女に送っている。
「フォルキット侯爵子息アントニーノ、あなたの行動は誘拐罪、および殺傷罪となります。これまででゆうに五つの法律に抵触し、貴族法をも犯しています。王女をかどわかした罪は重いと知りなさい!」
鋭い刃のような言葉に、フォルキット侯爵子息はびくっとしてナイフを取り落した。腰に剣を佩いたフェデーレが近寄ってきて、フランチェスカに手を差し出した。
「殿下。こちらへ」
「ありがとう」
「礼は、あなたのお姉様に」
とフェデーレは微笑んだ。相変わらずきれいな顔だと思ったが、残念ながらフランチェスカの心が揺さぶられることはない。
「大丈夫?」
近づいてきた妹に、ルクレツィアが心配そうな顔を向ける。フランチェスカは微笑んだ。
「大丈夫です。ありがとうございます」
「それならよかったわ」
ほっとしてルクレツィアが笑ったのを見て、フランチェスカも笑った。ルクレツィアがフランチェスカの肩にマントをかけてくれる。彼女はその下に銃と弓矢を装備していた。
「お前ぇぇええっ!」
我に返ったフォルキット侯爵子息がナイフを拾い、ルクレツィアに向かってナイフを突き出してくる。彼女の前に割り込んだフェデーレが、フォルキット侯爵子息の腕をひねりあげ、取り落したナイフを遠くに蹴り飛ばした。
「どうする、こいつ」
「いいわ。落として」
フェデーレが容赦なくフォルキット侯爵子息の首筋に手刀をたたき落とした。気を失った彼を、フェデーレはぽい、とばかりに床に放った。
「……」
「死んでないので、大丈夫です」
「あ、ええ……そうなの」
この時、フランチェスカはフェデーレも相当変わった人物であると思い知った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
姉たちが大好きすぎる少女、フランチェスカ視点でお送りいたしました。




