56.ルクレツィアの尋問
ルクレツィアは目を見開いた。怖がっている? 私が。
でも、すとん、と腑に落ちる面もあった。そうか。自分は怖かったのかもしれない。フランチェスカは実は家出で、それは本当にルクレツィアに対して抗議するためだったとしたらどうしよう。嫌われたらどうしよう。否定されたらどうしよう。
「……そう、かも、ね……」
ルクレツィアは小さな声で言った。壁に背を預けたままずるずると座り込む。その様子を見たフェデーレが、驚いた声をあげた。
「ちょ、おま、何故そこで泣く!?」
「泣いてない」
そうは言ったが、床に座り込んだルクレツィアの頬には、後から後から透明なしずくが流れ落ちていく。先ほど見事に侍女から話を聞きだしたフェデーレはおろおろしながらルクレツィアの前に膝をついた。
「頼むから泣くな。な?」
目の前にハンカチを差し出された。ルクレツィアは素直に受け取って、頬に流れる涙をぬぐった。しばらく泣いて、落ち着いたのを見たフェデーレは再び手を差し出す。その意図に気付いたルクレツィアであるが、彼女は首を左右に振った。
「洗って返すわよ」
「……別に気にしないけど」
「私が気にするもの。そこまで恩知らずではないわ」
すると、フェデーレは不可解な表情になった。笑っているような、困っているような不思議な表情。ルクレツィアは思わず少し声を上げて笑った。
「何を怖がっているか知らないが、とりあえず、今日はこれくらいにしてお前は部屋に戻れ。送っていく」
「うん……でも、送るのはいい」
今のルクレツィアは『ルクレツィア』だ。フェデーレと一緒の所を見られたら、面倒なことになる。だが、フェデーレは言ってのけた。
「大丈夫だ。泣いているお前を俺が保護した。これで行こう」
「ああ……優しい『セレーニ伯爵』は放っておけなかった。その体で行くのね……」
やや呆れつつ、しかし、妙に説得力がある設定だな、と思った。ルクレツィアはハンカチをポケットにしまい、つかず離れずでエスコートしてくれるフェデーレにしたがって歩きはじめた。
その間、無言である。ルクレツィアがややうつむき気味であるからだ。
そのまま部屋までの距離を半分くらい歩いたのだが、突然フェデーレが「ん?」とつぶやいて立ち止った。ルクレツィアが首をかしげて振り返る。
「どうしたの?」
「いや……あの下働き。変じゃないか、動きが」
「動き?」
ルクレツィアはつられてフェデーレの示す下働きを見て、それから思った。
「そもそも、宮殿のこんなところに下働きがいることの方がおかしいわ」
ここは、イル・ソーレ宮殿の王家のプライベートスペースの近くだ。ルクレツィアは王族で、フェデーレは捜査の名目で入れる。そして、この辺りには、下働きは入ることはできない。王族が暮らしている辺りには、身分がしっかりしているものしか入れない。下働きのようなものは、もっと奥の方で働いているはずなのだが……。
「……ルーチェ」
呼ばれて、ルクレツィアは素早く周囲を確認した。幸い、人通りはあまりない。素早く済ませてしまおう。
「了解。いいわよ。許可する」
隣にいたフェデーレが床を蹴った。その間に、ルクレツィアは魔法で『空間』を指定、現実世界から引き離す。要するに結界だ。自分たちの行動を、誰にも見られないようにするために。
指定した空間が完全に外界から隔絶されたのを確認し、ルクレツィアはフェデーレたちの方を見た。フェデーレは無事に下働きを捕まえている。まだ若い青年だ。ルクレツィアやフェデーレとさほど年は変わらないだろう。
「あなた、どうしてここにいるの? この場所は、下働きには入れない場所のはずよ」
「……別に。お嬢様には関係ないでしょう」
下働きの青年がそう返した。彼が本当にルクレツィアを『お嬢様』だと思っているのか、ただの嫌味なのか、判断に困るところだ。
「そうね。でも、あなたがここにいたって私が陛下に申し上げれば、あなたは職を失うことになるんじゃないの?」
「好きにすればいいでしょう」
投げやり気味に青年は言った。彼を捕まえているフェデーレは口を挟んでこない。
「なら、単刀直入に聞きましょう。ここで何をしていたの? 何か頼まれごと?」
「……」
青年が口をつぐんだ。ルクレツィアはニコリと笑って見せる。
「王族の誰かに頼まれたのかしら? それとも、別の人?」
「……」
「答えたくない? 無理やり口を割らせてもいいのよ?」
ルクレツィアにはないが、精神系魔法を持つ魔術師に頼めば、拷問せずに口を割らせることは可能だ。
「……言いたく、ありません」
「その返答は、後ろめたいことがあると言っているのと同意義よね」
そう言うと、ルクレツィアは足首のホルスターから拳銃を取り出した。
「答えないのなら、死んでいても同じよね」
青年に銃口を突きつける。青年の方ではなく、フェデーレが顔をしかめた。ルクレツィアが本気ではないとわかっているだろうが、いい気はしないのだろう。
「……好きにすれば」
「……」
その返答を聞いて、ルクレツィアは目を見開き、笑って銃口を彼からそむけた。
「了解。方法を変えようじゃないの」
そう言うと、ルクレツィアは一旦拳銃を仕舞う。接近戦に優れたフェデーレが一緒なので、平気だろう。
「私は第2王女ルクレツィア。妹のフランチェスカがどこに行ったのか知りたいの。もしも知っているのなら、教えてくれない?」
初めてルクレツィアが名乗ると、青年は驚いたようにルクレツィアを見つめた。そして、放った言葉が、
「……ずいぶん、噂とは違う方ですね」
だった。きっと、男性恐怖症で引きこもりだと聞いていたのだろう。そこだけきくと、まるで内気な小心者のような印象を抱くが、実際のルクレツィアはそんな人物ではない。
「噂は噂でしかないわ」
ある程度ルクレツィアは自分の噂を把握していて、あえて撤回しないままにしているところもあるのだが、今回はそこに触れないでおく。
妹を心配する姉、と言うのが効いたのだろうか。青年は言った。
「……ある方から頼まれたんです。手紙を、誰にも知らせずにフランチェスカ殿下に届けてほしいと」
「それで、あなたはあの子に手紙を?」
意気込んで尋ねるルクレツィアに苦笑し、青年は首を左右に振った。
「いいえ。自分では、王女殿下にお目にかかれませんから、フランチェスカ殿下の侍女に金を渡して届けてもらいました」
その金は、青年に手紙を渡すように頼んだ相手から、青年がもらった依頼料の一部であったと言う。宮殿で働いているとはいえ、下働きの彼では一生働いても手に出来ないような額だった。
「その、手紙を渡すように頼んだ侍女っていうのは? 名前はわかる?」
「いえ、さすがに名前までは」
「じゃあ、何か特徴は?」
「ええっと……茶髪の女性です。年齢は十代後半くらいで……割と小柄でした。ああ、口元にほくろがありますね」
よく覚えているものだ。ルクレツィアは感心した。おかげで、彼が言っているフランチェスカの侍女がだれかわかった。
「わかったわ……私は、あなたが手紙を運んだことを誰にも言わない。そちらの彼もよ」
と、勝手にフェデーレを手で示す。フェデーレは頬をピクリとさせたが、何も言わなかった。
青年がこの後どうするかは、彼自身が決めればいい。良心に従って辞職するのか、それとも、働き続けるのか。
「でも、できれば一つだけ教えて。誰に依頼されたの?」
その名を聞いて、ルクレツィアは目を細めた。
△
宣言通り、下働きの青年を解放し、ルクレツィアはフランチェスカの私室に向かった。何かあっては困るので、フェデーレも一緒だ。
先ほどの青年は、噂でフランチェスカがいなくなったと聞いて、本当に消えてしまったのか確認したくてこの辺りをうろうろしていたらしい。もしかして、自分が渡した手紙のせいなのかと。
良心の呵責だ。彼は、性根の悪い人間ではないのだろう。
ちょうど、フランチェスカの部屋から出てくる侍女を見つけた。ルクレツィアはフェデーレをせっつき、自分は隠れた。
「ダリラ!」
名を呼ばれた侍女はびくっとして振り返った。小柄な体躯に茶色の髪を結い上げ、口元にはほくろがある。フランチェスカの侍女の1人、ダリラだ。おそらく、下働きの青年が手紙を渡すように頼んだのは彼女だろう。
フェデーレはニコリと笑って言った。
「少しお話をしませんか?」
たいていの女性は、フェデーレに微笑まれると顔を赤くして応じるのだが、ダリラは真っ青になった。
「い、いえ。急ぎの頼まれごとがありますので……」
すみません、とフェデーレの前から去ろうとするダリラの前に、ルクレツィアが姿を現した。行く手を遮る。
「ル、ルクレツィア様……」
ダリラの唇がわなわなとふるえる。ルクレツィアは微笑んだ。
「話、いい?」
ダリラには、元から拒否権などない。
――仕方なかったんです……。私の実家は、伯爵家だけどお金がなくて。小さい妹が、難しい病気で、魔法治療にはたくさんのお金が必要だったんです……!
と言うのがダリラの主張であった。小さな妹が病気なのはかわいそうであるが、残念ながら、ルクレツィアの同情を引くには至らない。
魔法による治療が高価なのは事実だ。だが、だからこそ、保証がしっかりしている。そのことは何も秘匿されているわけではなく、少し調べればわかることなのだ。むしろ、宮殿に勤めていれば、おのずと耳に入ってくることもあるだろう。
だから、莫大な金が要ると思ったのは、詐欺師に引っかかったか、もしくは彼女らの調査ミスなのだ。
「その手紙、確かにフランチェスカの手に渡したのね?」
「は、はい……! 申し訳ありません……!」
「謝罪はいいわ。昨日、フランチェスカに頼まれて、部屋に彼女一人にしたのよね?」
「そうです……」
ルクレツィアはフェデーレを見上げた。フェデーレもルクレツィアを見つめ返す。
フランチェスカの手元に手紙が届いたのは二日前。いなくなったのは昨日。手紙を渡されてから、フランチェスカは悩んでいるようだった、とダリラも証言した。
それだけわかれば十分だ。
「ダリラ。私はあなたを解雇する権限を持たない。あなたの主はフランだから。だから、あの子が戻ってきてから処分を仰ぎなさい」
『戻ってきてから』の部分で、ダリラははっと顔を上げた。ダリラの眼が潤む。
「ありがとうございます……! ルクレツィア殿下……!」
あ、呼び方が殿下になった。
ダリラと別れた後、2人はその場で作戦会議を始める。
「どうする? 一度、ラ・ルーナ城に行くか?」
そう言うと言うことは、フェデーレはついてきてくれる気なのだろう。ルクレツィアは首を左右に振る。
「いいえ。そのまま行くわ。準備してくるからちょっと待ってて」
「それはいいが、お前、杖は?」
「城にあるわね。問題ないわ。弓と銃を持って行くし」
「ああ、そう」
ちょっと呆れた調子で相槌を打たれた。ルクレツィアはパシッと頬を叩く。
「それから、行きましょうか。フォルキット侯爵家に」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ルクレツィア、ちょっと冷たいです。




