52.女伯爵
第6章もこれで最後です。
そんなわけで、熱を出してイル・ソーレ宮殿の自室でダウンしていたルクレツィアは、後日、事件の顛末について聞かされることになった。
「あ~、やっぱり便乗犯だったんだ」
まだ熱が完全に引かず、赤い顔でルクレツィアはうなずいた。背中にクッションを大量に置いて、それに寄りかかる。熱が下がりきっていないためか、若干息が苦しく、ルクレツィアは胸に手を置いて深呼吸をした。
「大丈夫ですか? まだ、体調が悪いので?」
心配そうに、報告に来たその女性が尋ねた。ルクレツィアは首を左右に振る。
「大丈夫よ、シーカ伯爵」
そう言うと、彼女ジリオーラ・デ・シーカ女伯爵はおっとりと微笑んだ。
「それはようございました……どこまでお話しいたしましたか?」
「便乗犯が捕まったところ」
「そうでございましたね」
ジリオーラは微笑み、続きを話してくれた。
どうやら、便乗犯は一般市民だったらしい。最近続いている吸血鬼騒ぎに便乗すれば、その関連事件だと思われて自分は罪を逃れられると考えたらしい。
犯行動機は金関係。犯人は被害者に、返しきれないほどの借金をしていたらしい。
それで、相手を殺してしまえば、借金がチャラになると考えた、らしい。それで人生棒に振ってどうすると言うのか……。
「ファウストもディアナも、捕まっていないみたいですね」
やはり穏やかな表情でジリオーラは言った。やっぱりか。わかっていたが、改めて聞くとがっくりくる。
「今のところ、次なる被害者は出ていません。このまま、何事もなければよいですね」
そう言って、ジリオーラはルクレツィアにやさしく微笑んだ。
女伯爵ジリオーラは、30を少し過ぎたほどの美しい女性だ。ウェーブがかった栗色の髪に、知性をにじませる濃い青の瞳。ヴェロニカや母エミリアーナとは違ったタイプの美女である。とても、優しげではかなげだ。
しかし、そんな印象とは裏腹に、彼女は剣を持たせるととんでもなく強い。ルクレツィアの剣の師であるヴィルフレードと同じ剣の師に師事し、フェデーレが現れるまではヴィルフレードに次ぐ剣士と言われていた女性である。人は見た目に寄らない。
だが、彼女はもう剣を持つことはないだろう。正確には、持てないだろうと言う方が正しいか。
とある事件により、彼女は車いすを使わないと暮らせなくなっていた。
体中に傷があり(これはルクレツィアにもあることを否定できないが)、さらに顔にもうっすら傷がある。右の額からこめかみにかけてなので、うまく髪に隠れているが、ふとした瞬間に目にすることはある。
そのためか、彼女を遠巻きにする人が多いが、ルクレツィアは彼女が好きだった。
傷があろうが凄腕の剣士だろうが、ジリオーラは美人である。いくらでも伴侶になりたい、と言う人が出てきても不思議ではないと思うのだが、彼女は未婚であった。むしろ、ルクレツィアが男だったら自分が嫁に欲しい。あ、ジリオーラは女伯爵だから、婿入りになるのか。
さらに、もともとジリオーラは爵位を継ぐはずではなかった。爵位を継承するはずだった彼女の兄、さらに、その後後継ぎとみなされていた弟が亡くなり、やむなく爵位を継いだのだと聞いている。
そもそも、女性が爵位を継承するのは珍しい。たとえ、子供が娘一人であっても、普通は婿を取って娘婿に爵位を継承させるものだ。しかし、ジリオーラは未婚のまま、自身が爵位を継承したのだ。
ジリオーラが車いすを使うようになったのは今から8年ほど前と記憶している。爵位を継いだのは今から4年前になる。ちょうど八年ほど前、隣国との戦況が悪化し、国境に軍が派遣されたことがあった。『夜明けの騎士団』からも魔術師が同行した。当時、シーカ伯爵令嬢だったジリオーラも志願してついて行ったのを記憶している。
それまで、ジリオーラもルクレツィアに剣を教えてくれることがあった。彼女の師はヴィルフレードであるけれども、ジリオーラも『先生』であった。
そんなジリオーラは、現在文官である。宰相補佐官であり、博士の資格も持っている彼女は優秀な官僚であると言う。ただし、少々引きこもり気味。何だろう。親近感を感じる。
「水車小屋の地下の方は、調べて完全に破壊したそうですよ。やはり、黒魔術を行おうとしていた可能性が高いですね」
ジリオーラの声音が穏やかだからこそ、余計に恐ろしい事実である。思わず、ルクレツィアが顔をしかめると、彼女は軽く笑った。
「姫様の事情についてはお聞きしています。宮廷内ではわたくしがお守りいたしますので、ご安心を」
そう言って微笑む表舞台に姿を現さない伯爵である。その意気込みは買うが、さすがに体が不自由なジリオーラに護ってもらうのは気が引ける。
「いえ、それはいいわ……そう言えば、フェデーレの脳震盪は大丈夫だったの?」
ジリオーラは少し驚いた表情になったが、すぐに柔らかく微笑む。
「ええ。しばらくは安静に、と言われたようで不機嫌そうでしたが、元気みたいですよ」
「……そう」
さすがに、婚約者でもない男が未婚の女性の寝所に入ることはできない。家族ならともかく、フェデーレには不可能だ。ルクレツィアがまだ臥せっているために、ジリオーラが派遣されてきたのだと言いかえることもできる。
『夜明けの騎士団』には女性が少ない。つまり、ルクレツィアの寝所にまで入れる女性貴族がほとんどいないことを意味する。侍女を伝言役にしてもいいが、どこで漏れるかわからない。
普段であれば、ルクレツィアが出て行けばすむのだが、それもできない今、誰か代役を立てるしかなかった。ルクレツィアの元にまで行ける女性貴族。
そして、白羽の矢が立ったのがジリオーラなのだろう。これまでも何度か、彼女は伝令役を務めたことがある。誠実で聡明で、信頼できる女性だ。何より、ルクレツィアが彼女を好いている。条件はばっちりだ。
「あの~、姫様」
おずおずと声をかけてきたのは侍女のファビオラだ。筆頭侍女のカルメンは現在、所用でいない。
「どうしたの?」
「ヴィルフレード様がおいでなのですけど」
ルクレツィアはファビオラの言葉を聞いて、ちらりとジリオーラを見た。彼女は表情を変えなかったが、一瞬、目が輝いた気がした。
「いいわ。通して」
ルクレツィアがそう命じると、ファビオラは頭を下げ、待たせているヴィルフレードを呼びに行った。
「ルーチェ、元気かい?」
「だいぶ熱は下がりました」
寝室に入ってきた叔父を見上げ、ルクレツィアは微笑んだ。ジリオーラも車いすをまわしてヴィルフレードを見上げる。
「お久しぶりです、ヴィルフレード様。お帰りになられていたのですね」
「半月ほど前にね。久しぶり、ジル」
そう言って、ヴィルフレードはジリオーラの手を取って指先に口づけた。ちなみに、ジルと言うのはジリオーラの愛称。ルクレツィアも、彼女をジル姉さん、と呼んでいたことがある。
「ルーチェ。ジルから話は聞いた?」
「聞きました。なかなか面白い結末だったようで」
「あれを面白いと言うのは、君くらいだよ……」
呆れたような笑みを浮かべ、ヴィルフレードが言った。ジリオーラもくすくす笑っている。
「叔父様。どうしてこちらに?」
説明役はジリオーラだったはず。そう思って尋ねると、「たまたま登城しなければならなかったからね」とはぐらかされた。食えない男だな、ホントに!
「ついでに様子を見に来たんだ。すぐに出るよ」
たとえ叔父であろうと、未婚の女性の部屋に未婚の男性がいるのは外聞が悪い。ヴィルフレードはそこを気にしているのだろう。
「では、わたくしも失礼いたします。ヴィルフレード様、申し訳ありませんが、車いすを押していただけます?」
「君、絶対申し訳ないと思ってないよね」
「そんなことありません。ルクレツィア様、失礼いたします」
「あ、うん。またお話ししましょう」
無言でジリオーラとヴィルフレードのやり取りを見つめていたルクレツィアは、声をかけられて手を振った。2人の姿が見えなくなってから、ルクレツィアはそばにいたイレーネに尋ねた。
「もしかしてあの2人、恋人なのかしら」
そう思えるくらい、自然かつ親密そうに見えた。半分冗談だったのだが、イレーネは真顔で答えた。
「……姫様は、恋愛ごとに疎すぎです」
「……え? マジで?」
冗談半分に言った言葉は、正鵠を射ていたらしい。自分でもびっくりした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第6章が終了しました。
以降もできるだけ更新していく所存ですが、忙しくなってしまうので、更新ペースが落ちると思います。
一応! 完結させるつもりはあるので、気長に待っていていただけると嬉しいです……!




